第61話 無力、奈落まで
冒頭以下は今を去る7月22日に書いたエッセイです。おれごん家に衝撃が走り、つづり、結局投稿することもできなかったエッセイでした。
こんなの発表したところで害しかない。百害あって一利なし。
あれから少しだけ落ちつき、今なら心の余裕もあり、お出ししてもいいかと思えるので。
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一大事でして。これまでで一番の激震に、ちょっと創作どころじゃなくてですね。完全に止まっています。
正直仕事どころじゃなくって、すべてを放っておいて集中したいほどなのですが。
発端は6年も前、綱渡り状態が続いたのはどうやらここまで。
私たちの日常ってこれほどまでにやわらかく脆い。少し背中を押されただけで奈落まで真っ逆さま。
身動きがとれない事態に陥っている人をこそ救いたいと、つづっているのがおれごん文学なのですが。実際にどん底で惑う人を前にしては驚くほど無力。
「さあ、これを読んで! あなたを私の物語で救ってみせる!」
そうできたなら。ありもしない幻の壁なんてぜんぶブチ壊してあげられたなら。これから歩む道を少しでも平らにしてあげられたなら。
できはしません。なぜなら期待値ほどの効果は得られないので。
「読んだけど。だからなに?」
と、突き返されるのが関の山、それが私のお伽話。なんなら地面にたたきつけられそう。
では誰の作品だったなら響くのか。
響かないからこそ私がと、5年前におれごんが立ち上がったわけですが。まだまだまだまだ力不足。ついにX-DAYをむかえても、天下人どころかいまだ草鞋とり、そのまま生涯を終える勢い。
心にドンと響く。目の前の景色が一変するほどの。
身近な人間から発せられたものであればなおの効果が得られて。
でもそうはならなかった。5年もの準備期間を与えられていて尚このていたらく。
今後とる対処は。
最優先はそれ。
次に仕事。衣食住の維持。
創作は3番目。
在宅勤務はどっちつかずになる可能性。どちらも指のすきまからこぼれる、中途半端となりそう。
休職して、ケアをする。これがたぶん最良。空いた時間で創作もできる。
でも。
一時的でも部分的でも、職場を離れるのはおれごんにとって死活問題。また、その事実はケアされる側を苦しめやしないか。いいえ、必ずや苦しめる。
現実路線は働きながらの見守り。このさい趣味なんて。言ってる場合じゃない。
世界中の人なんておこがましい、たったひとりを勇気づけられさえすればよかったおれごんの物語はいまだ、こんなにも無力。
言葉って、聞いた人を救うことがあるじゃないですか。
歌って、聴いた人を救うことがあるじゃないですか。
では、物語って?
物語はそうじゃないですよね。そも目を向けてくれない人には届かない。手話は見てくれて初めて伝わるんです。目をつぶっている人には届かない。
せめておれごんが俳人であれば。一瞥してもらえさえすれば。
おれごんが人生を一変させるような俳句を?
いずれにしても現実的ではなかった。
耳はふさぐのが難しいけれど、文字は読んで適切な咀嚼を経ないことには伝わりません。本を手にする、ネットにつなぐ。そのうえで文章を頭の中でしっかりとかみ砕く工程を経由せねば。
むしろ書く人すら死に追いやることがあるほどの、諸刃どころか持ち手すら刃。言葉で斬って斬られて、癒えるときに従前よりは強くなれる。それが文字の本質なのであろうなあと。それが物語なのであろうと。
この嵐もやがては自然とおさまり、凪の日々が戻ってくるはずです。それはかりそめの平和か。
少し離れます。
いずれ戻ってきましょうが、冬になるか、来年になるか。
とにかく一旦離れます。
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今はもう大丈夫です。大丈夫になりました。
状況は以前と変わらず、しかしおれごんの意識は前へと。




