第50話 異世界とおれごんとオレゴン
おれごんの作風といえばいつもどこか地に足がついていて、想像の枠を超えない平凡な物語。そうしたおれごんが異世界を書けないのにはやはり理由があったのだと思います。今日はその理由がわかったと。
ある方がおっしゃっていたのです、満足したから筆を置いたのだと。ああなるほど、おれごんは異世界に満足してしまっていたのかと。
たしかに学生時代も30代くらいも、異世界は楽しい庭でした。ところが40を越えてからどうも特別な場所でなくなって。
今やおれごんは異世界に興味がないのです。魅力を感じない。ですからそこを舞台にして物語を書きたいと思わない。こんな能力があったらいいな、こんな活躍ができたらいいなが生じないのです。
『こうだったらいいのに』の集まり、ある種の集合知の桃源郷なのだと思うのですよ、異世界って。
そこに見えるのはヨーロッパが未確認であったときのあこがれの残り香。いろんな人型の種族が住まい、モンスターもいる。そこに東洋人が入っていったらどんな化学反応が起こるのか。それが現在の異世界の隆盛であると。
ところがおれごんはもう、これっぽっちも異世界に期待ができないのです。想像がふくらまない。あこがれを失っているのです。
おれごんにとってオレゴン州は異世界でした。私の常識はあそこでひっくり返っちゃったんです。
だって本も読まない人間が小説を書くほどに変貌したくらいですから。異世界を擬似体験しちゃったんですね。あれはある意味転生だった。あそこで5年も過ごしたら、異世界へのあこがれはしぼんじゃったのだと思います。
次々に見舞われるトラブル。言葉が通じない、異なる文化、まさにカルチャーショック。空は燃え、雨はやむことを知らない、物語の中のような景色。多様な人種、多彩な習慣、令和のようにかっちりと線引きしすぎない、あいまいさをあえて残した。
コロナと時期が丸被りしたのも色濃く。マイナスの部分もしっかりと遭遇して。世紀の大転換、危険視、疎外、犯罪。
例えます。
かつてアメリカ横断ウルトラクイズというお化けのような人気を博したクイズ番組がありまして。海外旅行が珍しい時代でしたから大いに珍重されたわけですが、海外旅行そのものが一般人にもなじみのある存在に変化すると、この番組への特別感も薄れていったとのこと。
つまり自らの体験を通してある物事に対しての興味が薄れる。おれごんにはまさにそれと同じことが起こったのです。
もし宇宙旅行が当たり前の時代になったとしたら? 2001年宇宙の旅を鑑賞する人は減るのかもしれません。
それでもSFの裾野は不滅だとは思いますけどね。それと同じで異世界も不滅の存在であろうと思います。確固たる地位を獲得しましたよね。
しかしおれごんにとってオレゴンは、魔法世界であり、ドラゴンとの遭遇であり、理不尽がまかり通る荒野でした。それを体験したおれごんの目には、以前のようには映りません。残念ながら。
オレゴンでの体験がおれごんを物書きへの道に導きました。ところが同時に異世界への興味を忘失せしめられていたと。変なところで共通性を見出し、勝手に満足してしまった。
んま、つらつらと無駄に書きつづったものの、ようは書ける場所で書いていたらいいだけの話です。
こうなると、おれごんたら非常に幅の狭い物書きなんですね。
熱血漢な主人公が、主に過去を舞台に右往左往して成長する。今後に生まれる作品もおよそこの線上であろうと思います。
以上が正しい認識、他でも当てはまると仮定して。
ホラーやミステリーを書いている方々は過去の大作だけでは満ち足りておらず、自分だったらこう描く、との考えから新作を自らの身のうちに求めている。
であるならば、おれごんも過去のロボ作品を超えるべく立とうとしている?
まさかぁ〜。
でも案外、深層心理ではそうなのかもしれません。まだ満足できていないからこそ。自分ならこう描くと思ったからこそ。
だから手紙をテーマには書けなくなったのかもしれません。ヴァイオレット・エヴァーガーデンにふれたから。あれで手紙欲は成仏してしまったのかも。
じゃあロボ欲は? これから自分で成仏させるのかもですね。




