第112話 身もふたもない極論
星海社さんがこんなふうに言及されていたんです。変に切り取って誤解を招かないように前後もきちんとコピペしますと、
『持丸
なろう系に限ったことではないですが、エンタメの文芸って「弱者の見る夢」と言いますか、希望を抱かせるものでしょう。それがもう一番大事なことだと思ってるんです。この作品はバッチリ決まっている。
太田
僕もね、読者は満たされていたら本なんて読まないと思うよ。』
ぶっちゃけすぎ、身もふたもない、しかし正鵠を射ている。
弱者のみる夢、満たされている人は本なんて読まない、まさにその通りだと。おれごんはスコーンと腑に落ちました。まるで名もない感情に名前をつけてくれたかのよう。
エンタメの文芸、ここでは短くして単に物語と呼称しますね。
仕事が大好きすぎて四六時中仕事ばかりしている人なら、物語なんて読む必要ないんです。だって仕事の方が楽しいから。
子育てだって同じ。それが一番好きならそれだけやっていればその人の生活は満たされている。
ところが人ってそう単純じゃないから。機械じゃないので疲弊するし、気疲れするし、ときには失敗もする。体調に健康、飽きるという影なる大敵もありますね。
そんなとき、お酒に逃げられたならどれだけ手軽でしょう。サッと飲んで忘れられたなら。
あるいは、スポーツでいい汗をかけたなら。
おいしいものをドカ食いできたなら。
肉親以上に親身になって共感してくれるひとがいたなら。
大枚はたいてパーっと遊びに行けたなら。
物語を欲するひとは、上記にはあまり向いていない人なんじゃないでしょうか。
ひとり静かに、あるいは誰かといっしょに物語に触れ、明日を闘う勇気をほんの少しだけ分けてもらう。内面を豊かにしてもらうだけでまた闘えるんです。たったのそれだけでまた立ち上がれるんですよ。強い、ですよね。秘めたる強さを持っています。
でも何か不足するのはたしか。削られ抽出され色あせて、足りなくなったからこそ物語を摂取する。ときにマイナスを埋めあわせるために。ときにゼロをプラスにするために。少しでも学びを得たい、癒されたい、スカッとさせてもらいたい。
税金、老後、物価高。進学に恋愛に美容に。家族の健康問題から天災まで。不安になれる要素なんて掃いて捨てるどころか、山にして火をつければ芋が焼けちゃうほど。
そりゃあ読書好きに物語は必要ですよ。でも依存は行きすぎ。ひとりで立ってて、ちょっと支えてもらうくらいがちょうどいい。
なんだか今ってこれが逆転している気がします。生活があって物語を得ているのではなく、物語を得るために生活しているような。
虚構の中に人生はありません。自戒をふくめ。それだけはお忘れなきよう。生活はいつも、手にした紙束の向こう側に。
ただまあ、元気づけてあげねば毎日は始まりません。満たされないおれごんが、満たされない方のために書きますよ。少しだけ楽になれるような物語をきっと。




