始まりの森 モエナの災難
初めての投稿です。
楽しんでもらえれば幸いです。
無空間
光なく音なく匂いもなく、生物の息吹はおろか時の流れさえもない空間
それは【虚無】と呼ばれる場所 迷える魂の行きつく場所
永遠の闇空間に、ささやきとも思えぬほどの小さな小さな声が響く
「おぎゃーおぎゃーーーー」
今にも消え入りそうな赤子の泣き声
本来あり得ない声が無空間を小さく震わせている
自我さえも存在できない空間に、その小さな小さな泣き声に反応する者がいた
・・無垢なる命・・抗う術持たぬ者の助けを求める声・・・
その時その自我は意志を持ち、形を成した。それは人の形を成した
「おやびーん、おやびーーん」
暗い森の中、日差しさえ届かない岩場の陰からそれは現れた
短パンを履いた全身黄色のカエル
子犬ほどのカエルは二足歩行で器用に岩場の上まで駆け上がる
岩場の上には2メトルほどの蛇がとぐろを巻いて・・・寝ていた
蛇はうっすらと目を開け静かに話し始める
「大きな声をだすんじゃねぇゲロゲロㇿ。俺たち魔王軍17独立小隊は少数精鋭、有言実行がモットーだ。静かなること居眠りがゴトシってな」
「さすがガラガラの親分 ゆくゆくはおいらたち知恵ある魔物「魔族」を率いるってぇお方だぁどこまでも着いて行きやすよぉ親びん」
ゲロゲロのあからさまな「よいしょ」にも蛇の機嫌は直らない
「俺を呼ぶなら隊長と呼べ。隊長と」
居眠りを邪魔された蛇の魔物ガラガラッティは不機嫌そうに唯一の部下であるゲロゲロをにらみつける
さながら蛇ににらまれたカエル
毒ガエルの魔物ゲロゲロは体中から毒液を出し、周りの岩がたちまち解け始める
大きな目玉をくるくる回しながらゲロゲロはここにやってきた目的を告げる
「親分、親分、三下狼どもが勇者を見つけやした」
ガラガラッティはない拳の代わりに自身の鎌首を振り上げて大声を出した
「よっしぁ~一番手柄いただきじゃ~」
森の中を少女は走っていた
本来なら森の奥まで一人で出かけるなどありえない
父が許そうが、母が勧めようが、村長が命じようともモエナは断固お断りする
しかし今モエナは暗い森を走っていた。1歳にもならない赤子を抱えて
なぜ自分が見ず知らずの赤子を抱えて暗い森を走らなければならないのか
追いかけてくるのは明らかに自分を夜食くらいにしか思っていない魔物
赤子を放り出して逃げれば、もしかしたら逃げ切れるかもしれない。そうは思ってもできない
今この赤子を放り出したら自分はもっと悲惨なことになると魂が告げている
モエナは家族と共に月1回のルーン教の礼拝に来ていた
モエナは決して熱心なルーン教徒ではない。ルーンの教えを信じないわけではないが、礼拝か畑仕事かと問われれば礼拝に出席するが、礼拝の後に教会で配られるお菓子がなくなれば足が遠のくかもしれない
そんなモエナが礼拝場で祈っていた時、突然それは起こった
モエナの足元が光出し、モエナはその場から光とともに消えた
慌てるモエナの家族や村人たちにルーン教の司祭が告げる
「落ち着かれよ。今のはルーンの召喚術の光
モエナはルーンの使徒として選ばれたのじゃ
じゃが召喚術などここ何十年行使されたことなどない
ルーンが守護するこの中原に何が起こっているのじゃ」
司祭は教会の奥にあるルーンの紋章に不安なまなざしを向ける
光に包まれ余りのまぶしさに目を閉じたモエナが目を開けた時、彼女は森に一人でいた。周りを見渡しても、何度も瞬きしても名も知らぬ暗い森に一人、虫の鳴き声さえもしない
思わず父の名を呼び。ルーンの印を結んだ。それはルーン教信者ならだれでもする困った時の神頼みである
その瞬間 目の前で赤子が泣いていた。赤子をかばう様にルーンの神官が倒れていた。更に周囲には多数の兵士が獣と戦っていた。そして多くの死体がそこにあった
なぜ自分はここにいる
なぜ、さっきまでは目の前にだれも見えなかった
なぜ、赤子の泣き声も獣と兵士が戦う音も聞こえなかったの
モエナにとって死は決して遠い存在ではない。10歳を超えれば、村の男も女も自分で狩りをし肉をさばく
昨年は野盗に村が襲われたことも有った。村の何人かはその時に亡くなっている
だが今モエナが見ている死はそんな死とは違う。もっと理不尽な、生きる為の死ではない、殺す為の死 ルーン神に許された死とは違う死
モエナは何が何だかわからなかった。ただただ生まれたばかりの小牛の様に足が震えていた
突然倒れていた神官の目が大きく開かれる
「ルーンの使徒よ。よくぞ我が呼び声に答えてくれた。御子を、御子を守らねばならん」
そんなこと言われても、今まさに守ってほしいのはモエナの方だ
それきりルーンの神官はピクリとも動かない。丸投げか。村長だってそんなことしないぞ
「おぎゃおぎゃあ、おぎゃあ」
再び赤子の泣き声が聞こえた時、なぜかモエナは赤子を抱きかかえていた
その時兵士の間をすり抜けて一匹の獣がモエナの方に向かって来た
その獣はオオカミの様な姿をしているが、顔の半分は骨が見えていた
魔物 ルーンが造りたもうた世界の破壊者「魔王」に連なる物
話には聞いたことはある。誰かの武勇伝として
だけど動いている魔物なんてモエナの住む村の周りにはいない。もっともっと北のおとぎ話だ
「逃げろぉぉぉ」兵士が叫ぶ。モエナと魔物との間に火柱が立ち上がる
「はぁはぁはぁ・・ゲロゲロㇿ
俺様を勇者の所まで担いで行け。はぁはぁ」
「親びん隊長 それはいくらおいらが10馬力のゲロゲロ様でも無理でさ
そんなことしたら親びん隊長がおいらの毒液で溶けちゃいますよ」
「忌々しい勇者めぇ。俺様を恐れて荷重魔法を放ったなぁ」
「親びん 勇者は今、生まれたての赤子ですぜ。魔法どころかスプーンさえ振れませんよ」
「うるせぇゲロゲロ まごまごしていたら三下狼に金星持って行かれるぞ」
「大丈夫ですよ。勇者の周りにはルーンの盾が大勢いやしたし、魔法神官もおりやした。三下狼くらい・・」
その時、暗い森の中に火柱が立ち上がった
「親びん あそこだ。勇者はあそこですぜぇ」
さらに新たな火柱が2本立ち上がる
「ルーンの盾ってぇのはバカバカの集まりかぁ。魔物を呼んでどうすんだ。火事にでもなれば・・・」
「ゲロゲロ 風上だ。あの火魔法は勇者を逃がすための囮だ。勇者は風上に逃げてくる。つまり風上にいる俺様の目の前に」
ゲロゲロが素早く地面に耳を当てる
「人間が走って来やすぜ。一人だけです」
ガラガラッティは耳まで避けた口元をさらに広げて微笑んだ
「隠れるぞゲロゲロ。ここで勇者を待ち伏せる」
そう言うとガラガラッティはするすると近くの木に登りだす
ゲロゲロも体を揺らしながら落ち葉の中に姿を消す
モエナは走っていた。暗い森の中を
すでに一生分は走っているかもしれない。でもここで人生は終わりたくない
魔物に足を食われて一生走れなくなりたくもない
そんな訳の分からないことを考える余裕がまだ残っているのは、腕の中で泣いている赤子から発せられる暖かい波動の所為か
その波動を感じられるようになったのは走り始めてどれくらい経ったころだろうか
いつの間にか追いかけていた魔物がいなくなったと気づいた時か
モエナが、森の木が開けた広場に出た時、赤子が今まで以上に大声で泣きだした
広場の中央にある大岩が動き始めた。岩ではない2メトルは優に超える黒い熊
だが頭は狼の魔物 ベアウルフ
ベアウルフはゆっくりとモエナを見て、その巨体からは考えられないくらいゆっくりとモエナに近づいてきた。それは動く死 絶対の死
モエナは静かにやってくる死をただ待つことしかできなかった。抗えるはずもない。モエナが指一本動かす間に、ベアウルフはモエナの命を刈り取ってしまう
ベアウルフの右腕がゆっくりと挙げられていく
ベアウルフにとっては赤子の命を奪う為の儀式にモエナはオマケでさえない
ベアウルフの右腕が振り下ろされる一瞬、いつの間にか赤子は泣き止んでいた
ずっと泣いていた赤子が笑った
「きゃきゃ」
「いやいやいやいや、おかしいだろゲロゲロㇿ」
「なんで勇者は来ねぇ。俺を避けた。俺様を恐れたか。逃げたかぁ」
ガラガラッティはゲロゲロの頭を自分のしっばでポンポン叩きながら
「なぁゲロゲロㇿ、俺様の待ち伏せ大作戦をどうしてくれるんだぁ」
木陰に隠れながら広場を覗く二匹の魔物ガラガラッティとゲロゲロ
人間の女と勇者の赤子、そしてベアウルフ 結果は見えた
俺たちの勝利だ。だか俺の勝利じゃねえ
ガラガラッティは3日前の、どことも知れぬ洞窟でのことを思い出していた
明かりさえなく風さえ吹き込まない。漂っている瘴気の中で魔族を名乗る者達の声だけが洞窟に響く
「うーーー」
岩が唸った。いや違う岩と見間違うほどの黒い剛毛に包まれた熊
「ベアウルフお前は黙って話を聞いてろ」
「お前達は待ち伏せ役だ。骨狼どもに追われた勇者にとどめを刺せ」
ガラガラティが黙ってうなずいて
「ポゥ その話確かなんだろうな。俺様の睡眠時間を削る価値はあるんだろうな」
「何度同じことを言わせるガラガラッティ 今世の勇者が転生した
ルーンの奴らは中原中を大慌てで転生勇者を探し回って、やっとこの先の村で勇者の赤子を見つけたんだ。大きな町に連れて行かれたらなかなか狙うのは難しい。今勇者を始末できるのは、ここにいるお前達2人だけだ」
「ポゥ お前は遠い遠い魔王城で俺たちにああしろこうしろと指示だけ出してればいいが、こちとら命が掛かってんだ。現場の事は現場の判断でいいんだな」
「魔王軍の勝利こそがすべてだ」
ベアウルフの野郎、何も考えてねぇ脳筋の癖しやがってぇ
ガラガラッティの尻尾に力が入るガラガラガラァ
「しっぽから煙出ていますよ。隊長親分
普通逃げている奴があんな広場を横切ろうとかしませんよ。すぐに見つかっちまう。待ち伏せていた獣道を選ぶに決まっていますぜ」
「やっぱりルーンの盾ってバカなの アホなの
あー俺の大金星が、あんな脳筋熊に・・・」横取りしてぇ、掻っ攫いてぇ
ガラガラッティが横槍を入れようと魔法で毒槍を作ろうとした時
ベアウルフの右腕は振り下ろされた。すべての物をなぎ倒す剛力の右腕
そして・・・ベアウルフの右腕は砕け散った
砕けた右腕の痛みよりも何が起こったか判らぬままに後ずさるベアウルフ
彼の目の前には今の今までいなかった者が立っている。
「ウォーーーン」
遠吠え 狡猾な彼は部下の骨狼たちを呼んだ
たとえ個の力は及ばすとも集団の力で押し切る
見た目は人族だか、そのまがまがしさは決して人ではない
白い髪 赤い目・・・赤い目・・・・
その瞬間ベアウルフは意識を失い、身も心も砕け散った
ガラガラッティは自身の皮膚がゲロゲロの毒で焼けただれる事も顧みずゲロゲロを地面に押さえつけた
「見るなゲロゲロ、奴と目を合わせるな。魔眼だ」
魔眼 上位魔族のみが持つ固有能力 下位魔族や魔物を使役できる。
さらに強力な魔眼は目を合わせるだけで下位魔族を破壊する。
「隊長 どこのどなた様でしょうか。横槍なんて入れる下種野郎は」
「・・・・」
ガラガラッティは長い舌でゲロゲロの口を叩く。見つかったら命はない
横槍だろうと抜け駆けだろうと上位者は絶対だ
ポゥの野郎 何が「お前達2人だけ」だ。とんでもねえ隠し玉出しやがった
「抗う術持たぬ者の呼び声に我は答えた」
白い髪の少年は誰にともなくつぶやいた
モエナは腰を抜かして白い髪の少年を見上げていた
赤子はモエナの腕の中で、すやすやと眠っていた
ガラガラッティとゲロゲロは匍匐前進で森を離れ、骨狼の群れは森の奥へと飛散した
13年後この赤子は光の勇者として魔王軍に挑む
モエナはルーンの使徒としてゴール戦役に関わり、ガラガラッティとゲロゲロはカラカラ攻防戦を経て魔王軍軍団長に駆け上がるかもしれない
白い髪の少年がルーン歴書にその名を刻まれるのは、今より10年後になる