秋から冬へ
もう秋。私、周愛玲は9月29日、カナダ旅行の日を迎えた。中国と日本の関係が軟化する兆しが見えず、私自身も、工藤正雄との関係が絶交のままで、憂鬱状態だった。そんな中でのカナダ旅行だった。私はマンションの同部屋で暮らす桃園と一緒に朝食をしながら旅行中の留守番の依頼をした。
「留守中、よろしくね」
「心配しないで、沢山、楽しんでいらっしゃい」
「うん」
後ろめたい気がしたが、彼女に誰とカナダに行くのか真実を話す訳には行かなかった。私は桃園が出かけてから『ハニールーム』に小物を取りに行き、昼食を大久保で済ませて、再び部屋に戻り荷物の最終チエックをして、マンションを出た。旅行ケースのキャスターをゴロゴロ鳴らし、午後1時前に新宿駅に行き、成田行きのホームで、斉田医師と合流した。そして1時過ぎの成田エクスプレスに乗り込んだ。成田エクスプレスは定刻に出発。懐かしい車窓の景色を見ながら、約1時間半で『成田国際空港』に到着した。これから向かうカナダについての知識は旅行ガイドを読んだ程度で、私の脳内に、ほとんどと言ってよいほ程、覚え込まれていないが、1人で行くのでないので全く不安が無かった。斉田医師は海外旅行に慣れているらしく、旅行社との集合時刻ぎりぎりまで、私と一緒に買い物をしたり、コーヒーを飲んだりして、時間調整をした。午後3時半、旅行社の指定する集合場所に行くと、今回のツアーに参加する人たちが集まっていた。その団体カウンター前で、全員がそろったことが確認されると、私たちはそこでエアーチケットを受取った。それからJALカウンターに行き、チエックインを済ませ、出国手続きを完了させて、後は出発ゲートで搭乗待ち。その間、私は工藤正雄や倉田社長、中道係長などのことを思った。私の好きな男は誰なのか。誰が純粋で、誰が不純なのか。カナダへの旅行。その私の言い訳や理由は、彼らを納得させることが出来るものなのか。アパレル店のアルバイト女性は、誰なのか。まさか『黒百合』の小雪、宋雪花ではあるまいか?もしかして蔡玲華?そんな私の心配事も知らず斉田医師は、これから始まる旅行の夢に胸を膨らませて、手を握って来たり、微笑したりして、時を過ごした。夕方6時ちょっと前、私たちツアーの一行は、6時20分発のJAL機に搭乗し、『成田国際空港』からバンクーバーへと向かった。斉田医師と並んで、ビジネスシートに座ると、今朝の後ろめたい気持ちは消え去り、赤いカエデの葉を国旗にしている異国への興味が、湧き上がった。最早、この旅行に対する言い訳も理由も要らなかった。飛行すること8時間50分。私たちは機内で勝手な夢を見て眠った。そして日付変更線を通過し、午前中にバンクーバーに到着した。2回の機内食は余り美味しくなかった。『バンクーバー国際空港』では、日本語を話す現地ガイド、ヘレン・リンド嬢が、私たち20名程のツアー客を待っていた。ツアー客はシニア夫婦、定年組、親子、1人旅、若いカップル、学生など、いろいろだった。旅行社には婚約者ということで申し込んだが、私たちは父と娘といったところか。まず私たちは空港からバスに乗り、昼食の弁当を食べ、2月に『冬季オリンピック』が開かれ、キム・ヨナが金メダル浅田真央が銀メダルを獲得したバンクーバーの街を車中から見学したりしながら、フレーザー川の上流、ハイランドバレーを通り、カムループスに近い、冬のリゾート地のサンピ-クスの『グランドホテル』に案内された。4っ星のリゾートホテルで、私たちは、女性ガイドから、それぞれ部屋の鍵を受取ると、自分たちの部屋に入った。私と斉田医師は部屋に入ると、まず、キッスし、その後、シャワーを浴びた。結構、疲労が溜まっていたので、私は2つあるベットのうち、窓側にあるベットを選び、斉田医師には出入り口側のベットで休んでもらうことにした。私たちは洋服を着替え、ホッとし、清楚で上品な雰囲気のある部屋で、一休みした。それから時間を見計らい夕食のバイキング料理を食べに食堂へ行った。空腹だったので私たちは牛ステーキ、サーモンなどを食べ、ビールを飲みながら、ここに来るまで目にした青空や自然の美しさを語り合った。夜8時過ぎ、私たちは夕食を終え、部屋に戻った。カナダでの初めての夜。部屋に入るや私の方から斉田医師にすがりついた。婚前旅行。この現実はまるで夢のようだった。私にすがりつかれた斉田医師は微動だにせず、私を見降ろして言った。
「やっと2人きりになれたね」
「そうね。貴男は飛行機の中から、ずっと、この時を待っていたのよね」
私が、そう言ってからかうと、彼は明確に答えた。
「当り前だろう」
次の瞬間、彼は私を抱き上げ、窓際のベットに私を運んだ。私たちは、そこでしっかり抱き合った。吹きかける彼の吐息は、私を情欲に誘った。早く頂戴。異国のホテルの明かりを見上げながらのセックス。私の肌は火照り、彼を受け入れる。ああ、もっともっと。私は高い声を上げて、彼が無数に散らばらせる愛を求めた。ああ、ここはカナダのサンビークス。
〇
カナダ旅行、2日目。私は朝6時に起床。窓の外を眺めると、ゲレンデが広がっていた。そのなだらかな美しさは、さながら裸婦が横たわっているようだった。ベットの中で鼾をかいて眠っている斉田医師を横目で見ながら、私は、まず化粧をした。その後、パジャマ姿から旅行服姿に着替えて、彼が起きるのを待った。その斉田医師は6時半に起床した。私が着替え終わっているのを見て、彼は慌てた。
「何で起こしてくれなかったんだよう」
「貴男が『ハニールーム』と間違えると困るから」
「何、言っているんだ」
彼は急いでパジャマ姿から旅行服姿に着替えた。そして7時に昨夜と同じ食堂の同じ場所に座り、朝食を済ませて、8時半にツアー客と一緒に観光バスに乗り込んだ。私たちを乗せたバスは、サンピークスのホテルから『マウントロブソン州立公園』という所へ向かった。狭い山道をバスに揺られて、州立公園に到着すると、ロブソンパークの看板の所から、氷河に包まれたロブソン山の雄大な山頂が青空に浮かんでいるのが見えた。私も斉田医師もツアー客たちも、その絶景に圧倒され、写真を撮りまくった。その後、私たちを乗せたバスは、カナディアンロッキーで最も長く深い渓谷、マリーンキャニオンに、私たちを連れて行った。石灰石で出来た渓谷は壮観だった。私は斉田医師と一緒に渓谷の上に懸けられた橋の上から、轟音を発して流れるマリーン川を見下ろした。その神秘的な谷底を見て、斉田医師が耳打ちした。
「凄いな。まるで吸い込まれそうだ。君のあそこみたいだ」
「もうっ」
私は恥ずかしくなって彼のお尻をつついた。
「ああっ、何をするんだよ」
彼は谷底に落ちそうになって、慌てて私にしがみついた。私も慌てて彼の腕を引っ張った。彼が恐怖に震え、蒼白になって、私にしがみつくので、私は彼を優しく抱きしめてやった。そんな私たちの姿をツアー客の老夫婦が、怪しい目をして見詰めているのが分かったが、私たちは気にしなかった。旅の恥はかき捨て。マリーン渓谷の観光をしてから、私たちは車中で弁当を食べ、トナイカイが泳ぐというムース湖を見学するが、トナカイが泳ぐイメージ無し。流れる白い雲を映す湖面の青さは印象に残る美しさだった。私たちツアー客が見学疲れしたのを見計らってか、観光バスは2日目の宿泊場所、ジャスパーの『ザ・フェアモント』に到着した。ボーベル湖の湖畔に建つ、このホテルは、町から遠く離れていて、雪をいただいたウイスラーの山並みや夕陽に輝くエディスキャベル山などを眺めることが出来、素敵な魅力に溢れていた。私たちは初日と同じように洋服を着替え、夕刻7時に食堂に行った。そして2人で相向いに座って見詰め合い、ワインを飲み、食事をしながら、1日の思い出を語り合った。夕食を終えてからは、昨夜と同じパターン。私たちは近くを流れるアサバスカ川に生息する魚のように、身を寄せ合い、もつれ合い、繋がった。秋は爛熟の時。愛の果実が崩れそうなまでに熟しきっている。さざ波のように押し寄せて来る生命の力に、私は何度も歓喜した。
〇
3日目も、私は早起きした。私は他のツアー客の女性たちに負けぬよう、まるで着せ替え人形のように、今日、着る物を選び、鏡に向かって化粧をした。日本にいる時はテレビを観ながら化粧をするのだが、カナダでは斉田医師が起きてからテレビのスイッチをひねった。テレビからの言語が英語とフランス語が混ざったような外国語なので、私には理解出来なかった。7時前に彼を起こし食堂へ行き、朝食を終えると、もう8時。ロビーに行き、しばらくすると観光バスが私たちツアー客を迎えに来た。現地ガイドのヘレン・リンド嬢の案内を聞きながら、まず『ジャスパー国立公園』へ行った。カナダ最大の国立公園と言われているこの公園は、コロンビア氷原から流れ出す氷河や滝や湖など沢山あって、鹿、トナカイ、熊、羊、ウサギ、リスなどの動物が、バスから眺められた。また案内される場所は、何処も素敵で、あちこちで写真を撮った。何から何まで気の遠くなるような雄大さに魂が洗われる感じだった。出来る事なら、こんな風景を工藤正雄と一緒に見たかった。後悔しても時は戻らない。過去を振り返る私をアサバスカ滝の落下音が私を叱るように怒鳴り続けた。彼の事など諦めてしまえ。彼のことなど忘れろ。砕き流してしまえ。アサバスカ滝は水量が多く、その轟音と水しぶきに驚かされた。背後に見えるカークスリン山の岩山は山裾を秋色に染めて、不思議な魅力があった。アサバスカ滝を見てから、バスに戻り、バスが出発すると、おにぎり弁当が配られ、一緒に配られたお味噌汁の温かさが、たまらなく美味しかった。バスはやがてコロンビア大氷原に近づき、私たちはバスから下車して、巨大な雪上車に乗り替え、次々に現れる絶景を見ながら、運転手とガイドの説明を楽しく聞くことになったが、私の頭の中では日本のことが蘇り、渦巻いて仕方なかった。四谷のアパレル店の店先に立っている女の姿。工藤正雄と手を組んで歩く女の姿などなど。私は日本での心配事か、旅の疲れか、時差ボケか分からぬが、ちょっと眠くなり、ガイドたちが、何を言っているのか、ボーツとして分からなくなった。それに外国語が苦手であるから、眠くなるのも当然かもしれなかった。氷河の上の観光を終えてから、私たちは再びバスに乗り、ペイトー湖へ向かった。ペイトー湖は『バンフ国立公園』にある氷河湖で、ツアー中、最も標高が高いので、とても寒く、風邪をひくのではないかと心配する程だった。深い青色をした湖は、氷山を鏡のように映して、まさに絶景だった。その後、更に、ボウ湖、ルイーズ湖、モーレン湖などの宝石のように美しい湖を巡り、『バンフ国立公園』の観光を終えてた。そしてボウ川の畔にある針葉樹林の森に中にそびえる古城のようなホテル『ザ・フェアモント』バンフスプリングスに行った。その壮大さに私たちは感激した。チエックインを済ませ、ホテルの部屋に入るや私と斉田医師はホッとして、ベットの上で、大の字になって仰向けになった。2人ともやっと他人に気兼ねすること無く休息することが出来た。私はゆったりした気分になり、天井を見詰めながら、ふと工藤正雄のことを思った。自然の好きな正雄が、この大自然と星々と、ここで暮らす人々の生き方を目にしたら、どんなに目を輝かせることでしょう。この現実離れした美しいカナディアンロッキーの迫力と静寂に、彼は息を飲み、感動することでしょう。彼とここに来たかった。私は何を考えているのか。斉田医師と婚前旅行に来て、他の男の事を考えるとは。振り返れば私は誠実な道を選ばず、不誠実な道を選んでしまったような気がした。でも仕方ない。選んでしまったのだ。
「そろそろ行こうか」
いろんなことに思いを巡らせている私に、斉田医師が声をかけた。私たちは身なりを整え、レストランに行った。カナダビールとワインで乾杯し、食事を始めたところで、隣りの席に母親と娘2人の家族が座り、世間話をした。緑川と言う苗字の家族で、母親は62歳で夫を亡くしての娘との旅行だと話してくれた。私たちは父と娘だと話した。夕食後、私たちはバンフの街に繰り出し、バンフ大通りを散歩し、土産物を買ったりした。白人や黒人や中国人などが、世界中から、この町に観光に来ていた。そんな賑やかな夜の散歩を楽しみホテルに戻ると、男盛りの斉田医師は、今夜も求めて来た。
「疲れているから、今夜は止めて」
「何、言っているんだ。やりたいくせに」
斉田医師は嫌がる私をベットに運び、私の大切な部分を、しつこく撫で回し、ショーツを脱がせた。そして強暴な勢いで、私の愛器に彼の愛棒を挿入して来た。彼の激しく突撃して来る繰り返しが、私の本能を引き摺り出し、私を欲望の渦に誘った。彼の一方的な攻撃が辛くもあり、嬉しくもしくもあり、私は恍惚に酔った。
〇
4日目の朝、枕元で目覚まし時計が鳴った。私は瞼がまだ開こうとしていないのに、無理矢理、目を開けて、目覚まし時計に手を伸ばし、目覚まし時計が鳴るのを止めた。カーテンの隙間から、朝日の光が差し込んで来て、眩しくて目がクラクラした。とても疲れているのに起きなければならなかった。私は頭を振って起き上がり、洗面所で顔を洗い、まずは化粧を済ませた。その後、パジャマから可愛い旅行着に着替え、斉田医師を起こした。彼が着替えを終えるや、食堂へ朝食に行った。そこで新婚カップルと挨拶を交わしたり、緑川親子と会話などして、明るく振舞った。その後、部屋に戻り、荷物を持ち、8時にロビーで、皆と一緒に集合した。観光ツアーバスは私たちを乗せると、バンフからケロウナへ向かった。ケロウナは果物やワインの産地として有名なオカナガン地方にあるオカナガン湖近くの町であるという。バスでの移動に慣れて来たとはいえ、長時間の移動は辛かった。今日も又、バスの中で弁当を食べ、午後にケロウナに到着した。そこは、ここ数日、眺めて来た風景とは全く異なり、まるで砂地のなだらかな斜面が広がり、豊かな土壌に恵まれ、果実栽培の盛んな場所だった。ブドウ園などがあり、私たちツアー客はワイナリー巡りに案内された。ワイン好きの私と斉田医師は、試飲に夢中になり、数本ワインを買うことにした。ワイナリーを楽しんだ後、私たちのツアーは、いよいよ最初の出発地点でもあり、最後の観光地でもあるバンクーバーへと向かった。山や谷や丘を越え、フレーザー川を渡り、5時間ほどかけて、やっとこさバンクーバーに到着した。そこのホテル『ハイアット・リージェンシー』は、ツアーホテルにしてはデラックスで、日本人スタッフなどの歓迎もあって、私たちは安心した気分になれた。時間が時間なので、私たちは部屋に荷物を置くや、直ぐに食堂に行き夕食を始めた。ビールとワインで乾杯し、テーブルの上の美味しい料理を食べた。
「今夜が最後で最高の夜ね」
私がそう言うと斉田医師は赤く染まった私の頬に、手のひらを当てて、そっと耳元で囁いた。
「あるったけ、好きなことをして良いよ」
「なら夜のバンクーバーを散歩しましょう。自然ばかり見ていたので、都会の夜も見たいわ」
「疲れているんじゃあなかったの?」
「街を歩きたいの」
私たちは食事を早々に切り上げ、夜のロブソン通りに繰り出した。ネオンが輝き、まるで新宿にいるみたいだった。私たちはギフトセンターの下見をしたり、フアッションブランドの店やジュエリーの店を回った。それから『スターバックス』に入り、一休みして、明日の予定の打合せをして、ホテルに戻り、眠ることにした。しかし、カナダ旅行の最後の夜だと思うと、眠れる筈が無かった。彼も同じだった。彼は一旦、隣りのベットの布団に入り、仰向けになったのに、突然、起き上がり、仰向けになって眠ろうとしている私のベットにパジャマ姿でやって来た。
「やっぱり、やらないと眠れないよ」
「毎日やらなくても」
「最後の夜だから、疲れていても、やらないと」
私は彼に淫猥な言葉を囁かれ、火に油を注がれた。彼は私に覆いかぶさると、私のパジャマを脱がせた。私は、それに伴い、自分で自分のショーツを両脚から外し、彼の行動に従った。彼は何時もの診察などせず、私の両脚をV字型に割って広げると、そこに顔を近づけて言った。
「ここの渓谷には、水が溢れているかな?」
「止めて。そんなに広げないで」
「おおっっ。谷間にインディアン・ペイントプラシの花がピンク色に咲いている。綺麗だ。赤いキクラゲのようにグニャグニャした花びらの甘い匂いがたまらない。舐めたいな」
斉田医師は、そう言って、更に私の両脚を左右に開いて、顔を私の谷間に密着させ、何かをしゃぶるようにペイントブラシの花びらを舐め始めた。彼の狼のように長い舌が、私の花びらをしゃぶり上げた。自分の花びらがヌラヌラと濡れて光って行くのが分かった。受精本能が働くのか、どうにもならない私の身体。何をされたって構わない。私たちは、今夜もまた獣になって激しくもつれ合い、抜き差しを繰り返した。数を多くやれば良いというものではないのに、彼も私も好きで好きで仕方なかった。
〇
5日目。カナダでの最終日。午前中、自由行動ということで、私と斉田医師は朝食後、バンクーバーの街を歩いた。秋風が心地よく肌をくすぐった。私たちは海を見たくて、まず『ポートサイド公園』に行き、海上に浮かぶ、バンクーバー島を眺め、小休止した。日本は、あの島の向こう、太平洋の彼方にあるのだと、懐かしく思った。写真撮影などを終えてから、私たちは昨夜、下見しておいたロブソン通りにある『ルーツ』や『マック』という店に行き、グリーン・ストンのジュエリーなどの土産物を買った。芳美姉や琳美、桃園、月麗、長虹、紅燕、浩子夫人などの土産物を選ぶのに一苦労した。斉田医師はブルーベリージャム、スモークサーモンジャーキー、ロッキーマウンテンチョコなどを買った。私は斉田医師に真似て、ブルーベリージャムとロッキーマウンテンチョコとキラキラベアーのキーホルダーを買った。私たちはいろいろ買い過ぎて荷物が重かったが、そのままギリシャ神殿を思わせる石造りの『バンクーバー美術館』に立寄り、インディアンのお守り、ドリームキャッチャーを買ったりした。このお守りは蜘蛛の巣を模した綱に小さなトルコ石をつけた皮飾りで、鳥の羽根などをつけて、これを持っていると夢が叶うという。私は中国2号店の夢を成功させたいと、即座に、それを手に入れた。私たちは、これらの記念品や土産物を手に入れるや、急いでホテルに戻った。時間が迫っていた。私たちは荷物をまとめ、忘れ物が無いか、室内を点検してから、部屋を出て、受付カウンターに行き、チエックアウトした。それからロビーの片隅に荷物を置いて、ホテルの横にある『マクドナルド』でサーモンバーガーとコーヒーなどで、軽く食事を済ませた。11時40分、ホテルロビーで、緑川親子らツアー客と合流し、ガイドのヘレン・リンド嬢の指示に従いバスに荷物を積み込み、12時丁度、『バンクーバー国際空港』に向かった。私たちを乗せたバスは午後1時前に『バンクーバー国際空港』に到着。私たちはバスを降り、空港3階のJALカウンターに行き、チエックインした。それから、5日間、私たちツアー客一行を案内してくれたツアーガイドのヘレン・リンド嬢にお礼の挨拶をして、出国ゲート前で手を振って別れた。手荷物検査を済ませ出国手続きが済むと、私たちは、また免税店でワインやスモークサーモン、メープル・クッキー、マシュマロなどを買った。それから搭乗ゲートに行き、14時30分発のJAL機に搭乗した。私たちの周囲の席は皆、一緒に観光したツアー客の人たちだった。いよいよ、日本に帰るのだと思うと、日本にいる愛しき人たちのことが頭に浮かんだ。皆、待っていてくれるかしら。斉田医師と過ごした優雅なカナディアンロッキーの旅は、まるで夢のようだが、これは夢で無い現実だった。狂おしくも甘美な2人の隠密旅行は、私たち2人共有の記憶として、確実に2人の身体中に刻み込まれた。それは観た旅というより、行動をした旅であり、信じられない程の充実感に満たされた時空だった。定刻、搭乗機が離陸すると、私はバンクーバーの街にさよならを言った。私たちは早朝から、動き回った為、もうヘトヘトだった。搭乗機が水平飛行に移ると、私たちは直ぐに寝入ってしまった。何時もならオーディオで、ポップスなどを聴いて過ごすのだが、私たちはひたすら眠った。それから、どの程度、眠ったのかしら。機内アナウンスで目を覚まし、おしぼりで顔の周辺などを拭き、スッキリしたところで、夕食のサンドイッチをいただいた。斉田医師はビールを飲み、更にウイスキーのダブルを飲んだ。私はオレンジジュースとコーヒーを飲んだ。機内での夕食が済んでから、私と斉田医師は30分程、喋ってから、手を握り合って、再び眠った。私たちを乗せた飛行機は太平洋上を、ただひたすら西へと進み、乗客を深い夢の世界へと運んだ。長い空の旅。夜間飛行。その流れ行く至福の時の中、日付も変わり、目覚めれば、紺碧の空と白い雲。何時の間にか、また食事の時間となった。シーフードの他、日本ソバ、野菜サラダなどが出て来て、満腹になった。斉田医師は、またビールとウイスキーを飲んだ。私はリンゴジュースを飲んだ。間もなく日本に到着すると思うと、いろんな事が、脳裏を駆け巡った。やがて左側の窓から雲上に突き出した富士山が見えて来た。夕焼けに顔を染めて、私たちを迎えているみたいだった。そして定刻の午後4時30分、私たちを乗せたJAL機は、無事、『成田国際空港』に到着した。私たちは飛行機から降りて、帰国手続きを済ませ、荷物受取場で、顔見知りのツアー客に別れの挨拶をした。その後、私と斉田医師はそれぞれの荷物を手に持って、税関の係員にパスポートを見せて通過し、到着ロビーに出て、リムジンバスのチケットを購入した。新宿行きのリムジンバスは満員だった。私たちを乗せたリムジンバスは夕闇迫る『成田国際空港』を出発し、新宿へと向かった。車窓に顔を見せるディズニ―ランドの夜景、オレンジ色の東京タワーなどが、私たちに、お帰りなさいと言っているみたいだった。バスが新宿に着くと、私たちはバスから荷物を降ろし、『京王デパート』脇で別れた。私は旅行ケースを引張り、桃園が待っているマンションへと向かった。
〇
昨夜、帰国したばかりなのに、私は『スマイル・ジャパン』に出勤しなければならないと思った。朝起きて、私が出勤の支度をしていると、桃園が私に訊いた。
「今日、出勤するの?」
「うん。何日も休んじゃったから」
「でも1日くらい休んだ方が良いのじゃあないの。誰かが、お店番してくれているのでしょう」
「それが心配なの」
私は顔をしかめて桃園に答えた。私がカナダ旅行をしている間、『黒薔薇』の小雪か雨冰か、大学生の玲華、あるいは『シャトル』の優香が、アルバイトに来ていたのではないかと、気が気でならなかった。もしかすると、今日も来ているかもしれない。私は無理を押して会社へ向かった。時差ボケで、足取りが重かった。地下鉄の四谷三丁目駅から、会社まで歩き、『SMILE』の看板を見て懐かしく感じた。店内がどうなっているのか心配だった。店のシャッターを上げ、ガラスドアを開けて中に入ると、大きく変わった所は無かった。しかし奥の事務所に入り、自分の席に座ると、机の上が綺麗に整理されていて、私の積んで置くいた書類が少なくなっていた。浩子夫人が整理したのか、それともアルバイト女性が整理したのか、兎に角、様子が変わっていた。私は気分を悪くした。その気持を紛らわそうと、私はアパレル店の床掃除をした。綺麗好きの浩子夫人が掃除してくれていて、店内の床は綺麗だったが、身体を動かし、怒りを鎮めた。半時ほどすると倉田社長と浩子夫人が出勤して来た。相変わらずの仲良し夫婦だ。仮面夫婦には見えなかった。
「お早うございます」
「おおっ、お帰り」
「お帰りなさい。愛ちゃん」
2人は何時もと変わらぬ笑顔で、優しく私に声をかけると、それぞれの居場所に座った。浩子夫人は今日も私が休むものと思って、出勤して来たようだ。
「今日は休んで、ゆっくりすれば良かったのに」
「いいえ。沢山、休んで、迷惑をお掛けしましたから」
「そんなこと無いわよ。ちゃんと有給休暇を利用しているのだから」
私は入社したてに、従業員規則をパソコンに打込まされたことを思い出した。その従業員規則は倉田社長が長年、勤務して来た『帝国機械』の従業員規則に沿ったもので、『スマイル・ジャパン』の体質に合ったように赤字で修正されていて、それを私が書式にまとめたものだった。そこにはちゃんと有給休暇も生理休暇も記載されてあった。こんなちっぽけな会社なのに、こんなものが必要なのかと思ったが、この会社のやることには、大企業的なところが多々あり、立派だった。朝の挨拶を終えると、倉田社長は直ぐにパソコンに向かった。私はコーヒーを飲んで一休みしている浩子夫人の相手をした。浩子夫人は話好きで、いろいろの事を訊いて来た。
「旅行、楽しかった?」
「はい。楽しかったです。カナダの秋、絵のように綺麗だったです」
「羨ましいわ。琳ちゃんも喜んだでしょう」
「はい」
そういえば倉田社長と浩子夫人には琳美と一緒に旅行すると話していた。浩子夫人は私の事を羨ましがった。
「若いって良いわね。私も海外旅行してみたいわ。主人たら、全然、私を連れて行ってくれないの。だから、姉とヨーロッパ旅行に行ったりしてるの」
浩子夫人は、そう言ってパソコンに向かっている倉田社長を睨みつけた。私はそこで倉田社長をジロリと眺め、話題を変えた。
「私の休み中、アルバイトは来てくれましたか?」
「はい。女子大生の鈴蘭ちゃんが。でも私も出ましたわよ」
「役に立ちましたか?」
「ええ。鈴蘭ちゃんに来てもらって助かったわ。彼女、他の店で働いているので、手慣れたいて、とても助かったわ」
「それは良かったですね」
矢張り倉田社長は、中野店のアルバイト学生を小雪に連れて来させたのだ。どんな女性か知りたかったが、知る術は無かった。私は浩子夫人に続けて訊いた。
「私の机の上の書類は浩子さんが整理してくれたのですか?」
「いいえ。私は何も・・・」
では、机の上を綺麗にしたのは誰か。小雪が連れて来たという鈴蘭か。私は倉田社長を睨みつけた。
「社長ですか?」
「ああ、要らない書類は私が捨てたよ」
倉田社長は平然と答えた。怒りが爆発しそうになった。しかし、浩子夫人がいるので怒りを堪えた。そんなところに仙石婦人が顔を見せた。彼女は私が辞めたのかと思ったなどと、喋りながら洋服を選んだ。お客と接していると、他の事を忘れることが出来た。仙石夫人が、試着室で買いたい洋服に着替えて、私たちに訊いた。
「これどうかしら」
「可愛いコサージュが付いていて、カッコ良いわ」
「若く見えるかしら」
仙石夫人に確認されると、浩子夫人が私の顔を見て言った。
「ええ。奥さん、とても若々しく見えます。素敵よね、愛ちゃん」
「はい。素敵です」
すると仙石夫人は目を細めて微笑し、ジャケットを買ってくれた。そうこうしているうちに昼近くなり、倉田社長は『ドナウ』へ食事に行った。私はコンビニに行き、皆川千香と会話し、おにぎりと野菜サラダとワンタンを買って帰り、浩子夫人と事務所で食事をした。食事をしながら、私はカナダの大自然の美しさを語った。それから、アルバイト学生、鈴蘭について、また訊いた。
「鈴蘭ちゃんて、何処の大学生?」
「S女子大ですって。しっかりした大学生で、大手商社に採用してもらおうと頑張っているみたいよ」
「これからが大変ですね」
「そうね」
浩子夫人は私を見詰めて頷いた。午後になると、通りすがりの人たちが小物を買ってくれた。午後3時、私はカナダ土産のマシュマロを事務所のテーブルの上に出し、3人で食べた。それから浩子夫人にグリーンストンの指輪を、倉田社長にネクタイとキーホルダーを土産品として渡した。その他、スモークサーモンとチョコレートも渡した。2人は、とても喜んでくれた。そんなこんなで、帰国してからの初日は終わった。私は仕事を終え、新宿で倉田社長夫婦と別れてから、マンションに戻って、カナダの土産物を持って、芳美姉のマンションに行った。
〇
私は翌朝、何時も通りに起床した。昨夜から、私の旅行中、アルバイト学生が、私の机の椅子に座って事務仕事をしたのではないのかという疑問が、私の脳裏を駆け巡っていた。私は9時半過ぎに出社して来た倉田社長に、そのことを再確認した・
「本当にアルバイトの人は、私の机に座らなかったのですか?」
「うん。座らなかったよ」
「気になるんです。書類が無くなっているのが」
「そんなに大事な書類があったとは思えないけど」
「あった筈よ」
私は実際、どんな書類が無くなっているのか指摘することが出来なかった。倉田社長はふて腐れる私の顔を睨みつけて、叱るように言った。
「君の机の上が乱雑だったので、納品書や請求書はフアイルし、それ以外のチラシなどのつまらぬ書類は私が捨てた」
「駄目よ。他人の物をいじっちゃあ。個人情報保護法に触れるわよ」
私が、そう言うと倉田社長は目を吊り上げた。昨日、浩子夫人といる時の顔と全く別人、二重人格者だった。
「何を言うか。会社に個人の書類や品物を持ち込むことは本来、あってはならない事だ。注意されていないからと言って甘えられては困る。この事務所の中にある物の預かり品以外の総てが会社の物であり、社長の一存で処分出来るんだよ」
「そんなこと無いわ。従業員にだって権利があるわ」
私も食って掛かった。すると倉田社長は、プイッと膨れて、私との口論を止めた。
「これから中学時代の仲間と会うので出かける」
彼は私といるのが不愉快になったみたいだ。直ぐに背広姿になり、逃げるように、事務所から出て行った。私はまずいことを言ってしまったと反省した。そこへ細井真理から電話がかかって来た。
「愛ちゃん。お久しぶり。金曜日6時半、何時もの所で打合せよ。来られるわね」
「ええ、大丈夫よ。楽しみにしているわ」
私は今度の日曜日、10月10日、平林光男と渡辺純子の結婚式があることを思い出した。真理との電話の後、私はアパレル店の仕入先に、先月中旬に発注しておいたカクテルドレスの入荷日が何時になるかをを確認した。すると今日が届け日になっているとの返事だったので、一安心した。そのカクテルドレスは午後一番に届いた。私は、早速、カクテルドレスを衣装ケースから取り出し、試着室に入り着てみた。サーモンピンクのカクテルドレスは、ちょっと色やか過ぎるのではないかと気にしていたが、着てみると、凛として、上品な美しさを漂わせて、私に似合っていると思えた。私は嬉しくなって、早く、この姿を誰かに披露したかった。でも、見せる人がいないので、仕方なく元の通勤着に着替え、衣装ケースの中にしまった。その後、パソコンに向かうと、中国の『天津先進塑料机械』から、何時、訪中するのかという問合せのメールが入っていた。私は、それを理由に倉田社長に事務所に戻るようメールを送った。
*中国の『天津先進塑料机械』から
メールが入っています。
中国への返事を相談したいので
戻れませんか?*
すると、しばらくして、倉田社長から返信メールが入った。
*打合せは間もなく終わります。
仲間は、これから台場の夜景を観に行きますが
私は事務所に戻ります*
私は、その返事をもらい、ちょっと嬉しくなった。夕方5時前、倉田社長は事務所に戻って来た。私は天津からのメールを日本語に訳して、倉田社長に説明した。天津では首を長くして待っているという。倉田社長は腕組みして、呻くような声で私に言った。
「そう言われても、日本と中国の尖閣諸島をめぐる問題が、中国国内で反日デモに発展しているので、今、中国へ行くのは危険だ。大切なお客様を中国に案内することは出来ない。そう返信してくれ」
「でも、そんな政治的な事、はっきり書けないわ」
「じゃあ、適当に検討中と返信してくれ」
「分かりました」
私は直ぐに『天津先進塑料机械』に客先で検討中と簡単な返信メールを送った。それから衣装ケースを開け、カクテルドレスを着て、倉田社長に見せた。
「如何ですか、このドレス?」
倉田社長は、私のサーモンピンクのカクテルドレス姿を見て、目を白黒させた。しばらく息を止めてから言った。
「女は衣装によって如何ようにでも変貌するから驚きだ。とても素晴らしいよ。綺麗な君が一層、引立って見えるよ」
「冷やかさないで」
私は倉田社長に褒められ頬を紅潮させた。そのついでに倉田社長を誘った。
「これから行くでしょう」
倉田社長は私の誘いを素直に受け入れた。私たちは仕事を終わらせ、大通りに出て、タクシーを拾った。私はタクシーに乗り、『ピーコック』へ向かいながら、この矛盾だらけの自分たちの性格に呆れ果てた。人の道に於いて、曲ったことをしてはならないのに、私たちは何と不道徳で、罪作りな男女なのか。いずれ消え去る恋なのに、何故、手放せないでいるのか。愛が深まれば深まる程、それだけ罪は重くなる筈。そのことを分かっていながら、私たちは不倫という罪を重ねた。一つになろうと狂おしい程に、乱れに乱れ、『ピーコック』が悲鳴を上げる程、私たちはもつれ合った。その悦びと背徳感に酔いしれ、2人とも狂いまくった。
〇
金曜日の夕方6時半、私は『小田急デパート』13階の和風レストランでの『微笑会』の集まりに出席した。そこで純子の結婚式の役割分担の最終打合わせが行われた。結婚式の司会はプロの司会者にお願いしているが、そのアシスタントとして小寺俊樹と今井春奈が適任と言うことで、先月から、細々とした打合せを進めて来た。今日は、その最終確認日だった。皆でビールで乾杯した後、今井春奈が、当日の流れと仲間のやることを、こと細かに説明した。可憐は祝辞、真理と私は歌、美穂は受付の手伝いと写真係などなど。これらの細かな役割の確認が終わると、純子は安心して立ち上がって言った。
「皆さん。今日は有難う。では私、これで帰るわ。当日、よろしくね」
「あれっ。帰っちゃうの?」
「申し訳ないけど、準備がいろいろあるのよ」
「そうよね。帰りなさい。帰りなさい」
可憐が早く帰るよう純子に勧めると、純子は私たちに、軽く頭を下げ、先に帰って行った。純子の姿が消えると、何時もの自由気侭な会話になった。10月10日の結婚式には、『若人会』のメンバー、小沢直哉、工藤正雄、長山孝一、神谷雄太も出席するという話だった。それぞれ、彼氏との間に問題があったが、気にしないことにした。真理が結婚式の役割を説明してくれた春奈に言った。
「今回の司会の役目で、春ちゃんも、小寺君と上手く行っているようね」
「まあね」
「これをきっかけに小寺君のこと、大切にするのよ。妻子ある男との恋は駄目よ」
春奈は可憐に釘を刺されて、困惑顔になった。自分の事を話題にされるのが嫌だったのでしょう、春奈は一瞬、戸惑って、直ぐ、話題を私に振った。
「愛ちゃんは工藤君と仲直り出来たの?」
「駄目よ。覆水盆に返らず。再会したら、どんな顔をすれば良いのか悩んでいるわ」
「これを機会に、ヨリを戻せば良いんじゃあない」
私はカナダ旅行の時、工藤正雄の事を何度か思い浮かべたのを思い出した。あれは何だったのか。旅行中の時の自分の事を回想して、私は呆れかえった。斉田医師といながら、彼とのことを想像したのだ。その原因は美しいカナディアンロッキーを目にしたからに相違なかった。純真で、友愛を重んじ、美しい自然を愛する正雄とカナディアンロッキーを一緒に眺めたかったのだ。私が呆然としている間に、会話は次から次へと進んでいた。
「長山君も大丈夫よね」
春奈が可憐に確認すると、可憐はウンと頷いた。可憐と長山孝一は、時々、会っていて、将来を約束しているらしかった。親に反対されても、2人は一緒になる積りだった。2人は愛があれば、どんな困難があっても乗り越えられるという強い信念を持っていた。それに較べ、私や真理の生き方は、ちょっと異なっていて、何故、感情が理性や欲得に勝てるのか不思議でならなかった。数々の男性との出会いによって、私は女の純粋さを喪失したらしい。その場限りの悦楽に耽り、穢れた女の本能を満喫し、享楽的な女に変貌してしまったのだ。清く正しく美しくなんて考えられなかった。人生は、その時々によって変化するもの。私には可憐のようになることが出来なかった。『微笑会』の集まりは、午後9時に終了した。私は仲間とデパートの1階で別れ、それから『ハニールーム』に行った。斉田医師は酒を飲んで私を待っていた。
「只今」
「お帰り。打合せ、無事、終わったの?」
「うん。私、余興で歌を唄うことになっちゃった」
「えっ。大丈夫なの。日本の歌、唄えるの?」
「唄えるわよ。ハナミズキ。知ってる。君と好きな人が百年、続きますように・・・」
「そうだな。私たちも百年、続くように、愛し合おう」
斉田医師は、そう言うと、突然、テーブルの椅子から立上がり、今からパジャマに着替えようとする私を、強引に引き寄せ、抱きついて来た。熱い吐息を吹きかけ、接吻して来た。彼は狂おしい程に私の唇を吸い、唇を割って口の中に舌を侵入させ、私の舌に舌を絡めて支配し、離さず、私を強く抱き寄せた。その一方で、私を抱き寄せている手と違う片方の手を、私の股間に伸ばして、淫らな悪戯を開始した。その悪戯に私の愛器は情欲の炎に炙られた。私は彼の攻めに身をくねらせながらも、彼を受け入れていた。カナダ旅行から戻って初めての彼との夜だった。
〇
10月10日の日曜日。平林光男と渡辺純子の結婚式の日が来た。会場は新宿の『KPホテル』なので、サーモンピンクのカクテルドレスに薔薇のチョーカーを添え、その上にロングカーディガンを羽織って、歩いて出かけた。約束の11時半に『KPホテル』の披露宴会場に行くと、今井春奈と小寺俊樹と浅田美穂が既に来ていて、披露宴会場『富士の間』前で、会社関係の人と受付をしていた。私もそこで、受付を手伝いながら立ち話をしていると、『微笑会』の女友達や『若人会』の男友達もやって来た。その中に工藤正雄の姿があった。彼のブラックスーツと白Yシャツ、白ネクタイ姿は眩しかった。私はいたたまれない気持ちを抑えて挨拶した。
「お久しぶりです」
「久しぶり。元気そうだね」
「はい」
私は、そう答えて下を向いた。気まずかった。全員そろったところで細井真理が、平林光男と渡辺純子の控室に挨拶に行こうかと皆に話すと、春奈が、もう神前結婚式が始まっていて、無理だと言ったので、私たちはびっくりした。結婚式は両家の親族と媒酌人だけしか出席出来ないのだという。その式の後、写真撮影などがあるので、披露宴まで、2人に会うことが出来ないらしい。
「指輪交換を見たかったのに」
私が呟くと、皆が笑った。久しぶりに会った神谷雄太や長山孝一とも近況を喋り合った。工藤正雄とは、ほとんど話さなかった。正午になると宴会場『富士の間』のドアが開き、主賓たちから順に、決められたテーブル席についた。全員が、席に着いたところで、女性司会者が秋の季節と本日の目出度さを語り、音楽が流れ、一旦、閉じられたドアが再び開き、媒酌人と共に新郎新婦が入場して来た。まるで御殿様とお姫様のように着飾った紋付羽織袴姿の平林光男と華やかな色打掛姿の純子のカップルに私たちは喝采を送った。そして新郎新婦と媒酌人が正面の雛壇に並ぶと、女性司会者が媒酌人を紹介して、披露宴がスタートした。媒酌人は平林光男が勤務する会社の竹内部長ご夫妻で、新郎新婦の結婚式が神前で、とどこおりなく行われたことをまず報告した。それから新郎新婦の紹介と2人が結ばれた経緯を語り、列席者に対し、若い2人に温かい支援をお願いした。私たちはその媒酌人の言葉を緊張して聞いた。その後、新郎側から大手商社『シーアイ商事』の日高社長が主賓の祝辞を述べ、新婦側から、『平林企画』の秋山専務が、純子の勤務状況などを話して、2人の結婚を祝う挨拶をされた。これらの祝辞をいただく壇上の平林光男と純子は、家族や親戚や友人、勤務先の人たち、お世話になった人たちなど、沢山の笑顔に包まれてキラキラと輝き、まさに幸福の絶頂といえた。その2人の初仕事のウエディングケーキの入刀になると、私たちは2人の前にしゃがんで行って声をかけ、2人の喜びの姿を写真に撮った。その後、乾杯が行われ、酒宴が始まった。私たちは大学時代の仲間のテーブルで、美味しい食事をいただきながら、このカップルの誕生の思い出話などを語り合った。やがてお色直しとなり、2人が一旦、退席すると『シーアイ商事』と『平林企画』の社員たちが交互に、新郎新婦について話したりした。そしてお色直しが済み、洋装に着替えた2人が再び現れると、会場は更に盛り上がった。再び壇上に上がった2人は、平林光男が色付きタキシード姿、純子が純白のウエディングドレス姿で、まるで御伽の国の王子様お姫様のように美しく着飾りって素敵だった。その2人を前に新郎新婦の上司や親戚の祝辞に続いて、可憐や光男の高校時代の友人などが祝辞を述べ、その後、余興ということで歌がはじまり、私と真理は『ハナミズキ』を唄った。途中、祝電なども披露された。そんな賑やかで目出度い披露宴は約3時間程で終わりに近づいた。平林光男と純子が壇上から降りて、御両親のもとに移動し、両親に感謝の手紙を読み上げ、交互の両親に花束を渡した。その後、平林光男の父、平林安治から列席者への感謝の言葉と2人の将来の御指導と御厚誼をお願いする挨拶があり、披露宴はお開きとなった。その後、所を変えて披露宴に招待出来なかった若い仲間を加えての2次会の話があったが、私は辞退して、皆と別れた。それにしても素敵な結婚式だった。純子の神前での白無垢衣装の姿を見ることが出来なかったのは残念だったが、披露宴に出席出来たことは嬉しかった。工藤正雄との気まずい思いが無ければ、2次会に出席して、はしゃぐことも出来たのに。それは叶わぬことだった。
〇
その翌日の月曜日から倉田社長は出社して来なかった。何の連絡もくれなかった。相変わらずの事なので、じっと我慢した。浩子夫人からも連絡が無かった。どうしたことか。何時もの事かと、私は気にしないことにした。それより、中国2号店計画の進捗状況が、どうなっている事の方が気になった。まず秀麗姉に連絡した。秀麗姉は母と樹林に任せていると答えた。そこで私は葉樹林と徐凌芳に問い合わせした。希望に沿った貸店舗が、大連で見つかったかどうか確認した。すると樹林は、長江路にある貸店舗を借りようか目下、検討中だと報告した。私は早速、樹林に、その店舗の広さと間取りの分かる図面をFAXするよう依頼した。その図面は午後になって、『スマイル・ジャパン』に送られて来た。その図面を確認すると、営口市の1号店にほぼ似ているので、私は積極的に家主と交渉するよう伝えた。2号店を出せれば、『スマイル・ジャパン』の売上げも増える。私はワクワクした。私は、そんなことから、一日中、ルンルン気分で、お客に接し、1日を終えた。ところが、どうしたのか倉田社長は火曜日も水曜日も会社に現れなかった。私はいたたまれずメールを送った。
*お早うございます。
ホウレン草、忘れたのですか?
今、何処にいますか?
私は毎日、会社で1人で仕事をしてます。
今日は会社に戻りますか?
夜、一緒に食事をしたいと
思っています*
すると直ぐに倉田社長から返信メールが送られて来た。
*ゴメン、ゴメン。
今、仕事仲間の車で
茨城県のお客様の所へ
向かっている途中です。
夕方、事務所に寄る予定です。
また連絡します*
私は茨城県が、どのあたりにあるのか分からなかったので、地図で調べた。千葉県の北に位置し、東京と随分、離れていた。しかし夕方、事務所に戻る予定でいるというので、一安心した。とはいっても私と彼の間には、採用してもらった頃のような夢を追って燃え合う精神的愛情というものが、希薄になっているように思われて仕方なかった。倉田社長は私の本性を見抜き、落胆し、私を遠ざけようとしているのかもしれなかった。私の日々の行動は倉田社長にとって望まぬことに相違なかった。でも私の複数の男性との遍歴は、私にとって生きて行く為の手段だった。とはいっても、それを知った倉田社長の悲嘆を思うと胸がつぶれる思いがした。私は悪い女だ。だからといって、それを修正するつもりは無かった。この大都会、東京で生きて行く為には、歯を食いしばり、悪口を言われようが、軽蔑されようが、自分の有する魅力を利用し、誰かにしがみついて行くしか方法が無いのだ。そんな憂鬱はお客が店に来ると何処かえ消え去ってくれた。そしてお客がいなくなると、いろんなことを再び考え、また暗い気持ちになった。倉田社長の最近の行動から、良からぬ妄想に取りつかれ、その苦悩に耐え切れず、夕方になって、また倉田社長にメールした。
*何時頃、事務所に戻りますか?
帰るまで待っています*
裏道の奥辺りが暗くなり始めていた。なのに倉田社長から返信は無かった。6時半過ぎになって、ようやくメールが入った。
*今、お客様と目黒で
打合せをしています。
それが終わったら帰ります。
事務所には戻りません*
事務所に戻らないという返信を受けて、私は愕然とした。私は試着室の鏡に自分の顔を映して睨みつけた。自分の考えをことごとく破棄されて精神的に不安定にり、倉田社長に返信した。
*帰ってしまうのですか?
報告したいことがあります。
新宿に着いたら、連絡を下さい*
すると直ぐに了解の返事が来た。メールの内容からして、彼が何時、新宿へ来られるか、時間が読めなかった。私は店のシャッターを降ろし、新宿に向かった。彼と食事をしたいと思っていたが、時間的に難しいような気がしたので、私はお先に食事を済ませることにした。
*会える時刻が遅くなりそうなので
先に食事をしています。
『九州ラーメン』で待っています*
そう返信すると、彼は1時間程したら新宿に行くので、『九州ラーメン』で待っているようメールして来た。私はそこで新宿の歌舞伎町の『九州ラーメン』に入り、たっぷり野菜ラーメンを食べた。ラーメン店はひっきりなしにお客の出入りがあり、不思議な活気に包まれていた。私がラーメンを食べ終わり、冷たい水を飲んでいると、倉田社長が慌てて店に入って来た。若干、酒を飲んで酔っているみたいだった。
「ごめん、ごめん」
「私、お腹すいたので、先にラーメン食べちゃった。酔っているみたいね。食事は?」
「お客と済ませて来た。水を一杯もらってくれ」
「困った人ね。連絡が遅すぎるわ。食事を期待していたのに」
「本当にごめん」
倉田社長は私に手を合わせて謝ると、店の出口に行って、ラーメン代金を精算してくれた。その後、『九州ラーメン』を出て、『ピーコック』へ移動した。私が選んだ部屋に入り、シャワーを浴び、ベットに入ってから、キッスして、互いの大事な個所を弄ぶが、彼は酔っていて、誇るべき男の根源が燃え上がりを見せず、太くならず、柔らかだった。それなのに私は無理矢理、彼の物を愛の洞窟へと引き込み連結させた。すると彼は私と結合している部分の洞窟の入口の突起部分を、いじ繰り回した。何処で覚えたのか、彼はその愛技を繰り返しながら、私の感じる顔を窺う。
「気持ち良いかい?気持ち良いかい」
「はい」
私が細い声で答えると私の連結部に嵌まり込んでいる彼の連結棒が性欲を顕わにした。彼は、今までゆっくりだった前後運動を少し早め、尚も突起部分を弄った。私は目を瞑り、その快感を貪った。たまらない。彼は私の悦ぶ顔を見て、更に突起部を操作して訊いた。
「そんなに気持ち良いか?」
そんなことを訊かれると、快感が私の身体中を駆け巡った。彼は面白がってクリトリスを弄る。
「駄目よ。そんなことしちゃあ。いやっ。すごく感じるから」
「いいじゃないか。気持ちが良いんだろう」
「そんなこと言わないで。ああっ、私、行っちゃいそうよ」
「もっと楽しまないと」
「行って、行って。貴男も行って!」
私の叫びに倉田社長の愛棒は、今までよりも更に硬直して、烈火のごとく勇み立ち、肉弾突撃隊に早変わりした。あっという間に私の中で連続発射を行った。私は集中発射されて来る愛を、存分に浴びて失神した。私は癒され満足した。倉田社長は私を、まだ愛してくれているのかしら?
〇
私の本性は男好きなのか。斉田医師という男がいるのに、他の男のことが気になって仕方なかった。先日、渡辺純子が平林純子に名前が変わった結婚式に出席して、久しぶりに顔を合わせた工藤正雄の事が頭から離れなかった。店でお客を待ちながら、彼はどうしているのかしらなどと思ったりした。アパレル店を出た愛住町方面の寺院の入口にはコスモスや萩の花が風に揺れているという、お客の話だった。私は過去を振り返らないと決めていたのに、季節の所為か、つい過去を振り返り、ぼんやりしてしまう。私の人生は、これで良いのか。良い筈など無い。今、成すべきことは、正雄の事など忘れ、一時も早く中国2号店の計画を実現させる事だ。そんなことを考えていると、中道剛史からメールが入った。
*お久しぶりです。
お元気ですか?
今日、夕方、会いたいけど
時間はあるかな?*
私は、どうしたら良いのか悩んだ。この前、誘われた時、私が無賃電車では無いのよと言ったら、彼は3万円を出してくれた。私は中国2号店の出資金を準備する必要に迫られていた。1号店の出資金は斉田医師に借りて、返済が終わっていないので、斉田医師に2号店の出資金を貸してもらえる状況では無かった。もしかしたら、その出資金を中道係長に、お願い出来るかもしれなかった。今日、倉田社長は、会社にいない。『古賀商会』の古賀社長と、『台湾ミラクル』へ納入する機械の搬出準備で、関西に出張していて、会社には戻って来ない。私はしばらく考えてから、昼食後、中道係長に返事のメールを送った。
*はい。大丈夫です。
この前と同じ『紀伊国屋書店』前に行けば
よろしいのでしょうか?*
そうメールを送ると直ぐに中道係長から返信メールが届いた。彼は、首を長くして、私からの返信を待っていたのでしょう。
*はい。嬉しいです。
夕方6時45分、『紀伊国屋書店』前で
待っています*
中道係長からのメールを受取り、私は彼の喜ぶ姿を想像し、自分は男にとって、そんなに魅力的な女なのかなどと、考えたりした。でも、このことを細井真理に話したら何て答えるでしょうか。多分、彼女は、こう答えるに違いなかった。
「男が近寄って来るのは、貴女の身体つきに色気があり、貴女が抱かせまくり、やりまくりの淫乱な顔をしているからよ」
私は試着室に入り、自分の顔を睨みつけた。確かに、男を誘う顔をしているのかも知れなかった。可憐のような理知的な顔をした誠実さは見受けられなかった。ふくよかで色白な丸顔、長い黒髪、うるんだ瞳、燃えるような紅色の唇。確かに男好きのするタイプかもしれなかった。私が、鏡に向かって、そんな馬鹿げたことをしていると、お客が店に入って来た。私は慌てて、対応した。
「いらっしゃいませ」
「この間、通ったら、銀ラメの黒いブラウスがあったけど、まだあるかしら」
お客は六本木のクラブのママ、小島舞子だった。私はそれが『タロット』の製品であると直ぐに分かった。
「これでしょうか」
「そうそう。これ、これよ」
「よろしければ、こちらで着てみて下さい」
私は彼女に銀ラメ付の黒いブラウスを渡した。彼女は試着室に入り、それに着替えた。私はカーテンの外から彼女に訊いた。
「如何ですか?」
すると長身の彼女はカーテンを開け、私に答えた。
「サイズ、ピッタリよ」
「お似合いです。華やかで、気品もあって」
「貴女、お上手ね。うちの店でも働けるわよ。男好きのする顔してるから」
彼女は、そんな冗談を言って、銀ラメ付のブラウスの他、ベルトを買ってくれた。彼女を見送って時計を見ると、5時ちよっと過ぎだった。私はパソコンに本日の売上げを打込み、事務所内を掃除したり、アパレル商品の入れ替えをして帰り支度をした。そして6時過ぎ、店のシャッターを降ろし、新宿へ向かった。約束の6時45分、新宿の『紀伊国屋書店』の1階入口に行くと、中道係長が私を待っていた。まずは前回、食事をした居酒屋『隠れ家』でビールを飲みながら、和風料理を食べた。言わずとも、2人の目的は決まっていた。食事が終わるや、歌舞伎町の『マックス』へ行った。互いに何も言わず、衣服を脱ぎ、儀式の如くシャワーで身を清め、ベットに入った。中道係長は若さゆえにかギラギラしていた。彼は激しく私にキッスすると、私の揺れる乳房をまさぐり、お尻を撫でてから、私の股間の割れ目に指を挿し込ませて来た。その指先は中に滑り込むと、中の壁面をなぞり、濡れ具合を確認しようと動き回った。私は花園を掻き回され、じっとしていられなくなった。
「ああっ、中道さん」
私が喘ぐと、彼は指を引っ込め、その代わりに驚く程、そそり立った物を、私の中に埋め込んで来た。煮えたぎるように熱い物が渾身の力をこめて、何回も何回も、私の中に打ち込まれた。私は、その杭打ち現場のようなストンストンという繰り返しの激しさに、気を失いそうになり、その恍惚感の中で夢遊病者の如く彷徨い続けた。そして互いの目的が終了するや、私は開店資金の援助金を彼に請求した。
〇
私が中道剛史と関わっている頃、倉田社長は大変な問題に直面していた。『台湾ミラクル』に輸出する中古機械を滋賀から神戸港へ運搬中に、機械装置の心臓部ともいえる金型を、古賀社長が手配した運送業者がトラックから落下させてしまったのだ。倉田社長は、日頃から、古賀社長の費用をケチった安易な仕事のやり方に不安を感じていたが、それが現実となってしまったから大変だ。月末までに全品を船積みしないと、1億円近い商売がキャンセルになるという。キャンセルが現実になれば『古賀商会』は勿論の事、『スマイル・ジャパン』も大損害を被り、倒産しかねない。倉田社長は、翌日、出社すると、昨日、事故のあったことを私に伝え、中国出張の調整を私に一任し、再び関西へ向かった。それから数日間、倉田社長は関西に行ったままだった。その間、浩子夫人が出勤して来て、不安を口にした。
「困ったことになったわねえ。もしかすると、会社を閉めることになるかもしれないわ。主人が甘かったのね。古賀社長に任せっきりだったから」
「でも事故を起こしたのは運送業者でしょう。運送業者に何とかしてもらわないと」
「格安の運送業者を手配したのは古賀社長だから、総責任は『古賀商会』になるのだけれど、共同契約者みたいな立場だから、うちの会社も知らん振りは出来ないわ」
浩子夫人は頭をかかえている夫の事を心配した。会社を閉めることになったら、私も、この店も要らなくなることは必定だった。そんなことになったら困る。私の財力ではこの店を引継げない。次の仕事を探さなければならない。その場合、どうすれば良いのか。中道剛史に乗り替え、新しい勤務先を探し、トロイカ方式で生きて行くしか、方法が無いのか。私は浩子夫人に訊いた。
「会社がつぶれたら、この店はどうなるのですか?」
「その時はその時で対策を考えるわ。心配しないで。主人は気が短いけど、悪い人じゃあ無いから」
「はい」
私は、そう答えたものの、不安だった。日本で仕事を失ったからといって、私は中国に戻る訳には行かなかった。中国の営口店に日本のアパレル製品を供給する責任と共に大連店の立上げに貢献する使命があった。それに中国に戻りたいという気持ちも起こらなかった。日本に来て分かったことだが、国際社会から反発されるようなことを繰り返している悪質な中国の外交は、中国人である私自身、理解出来なかった。私自身が日本に来て、東京の華やかさ、素晴らしさを知ってしまったが為に、中国の家族を愛しいと思いながらも故国を愛することが出来なかった。むしろ故国が疎ましかった。私がこれから生きて行く場所は東京以外に考えられなかった。その為には斉田医師と結婚するのが一番のように思われた。それが駄目だったら、中道剛史との結婚もありかなとも考えた。浩子夫人は、ちょっと遠慮しがちな顔をして私に質問した。
「そういえば、彼氏いるって言っていたわよね」
「はい」
「この間、お友達も結婚したことだし、愛ちゃんも、そろそろ結婚を考えたらどうかしら」
浩子夫人が言うのも分かるが、それは私が考えることであって、彼女に指図されることでは無かった。私はアパレル店を拡大したかったし、貿易実務も早く身に付けたかった。それなのに何故、結婚を勧めるのか。私は『スマイル・ジャパン』にとって、不要なのか。重荷なのか。私の心は揺れ動いた。いずれにせよ、焦ることは無いと思った。この業界で、長年、いろんな経験を積み重ねて来た倉田社長の力量が発揮され、どの程度、通用するかだ。その結果が出れば、進むべき道は明白になる。それから動けば良い。嘘と狡さと欠点の多い私のような女は、いずれ、その本性を見破られ破滅することになる。見せかけの明日を、如何に後日まで延長出来るかが、私が今、成すべきことだ。その為には、アパレル事業を伸長させ、『スマイル・ジャパン』の利益向上に貢献することだ。私は、中国の2号店をオープン出来れば、『スマイル・ジャパン』の利益向上に貢献出来ると確信していた。
〇
週末になって、ようやく倉田社長が事務所に顔を見せた。彼は二重人格者なので、大勢の人といる前で感情を露わにすることはしなかったが、私や浩子夫人に対し、感情を丸出しにすることが時々あった。今日の彼は朝から私と口を利かず、パソコンに向かい、見積書やメールの作成に目の色を変えていた。私は関西での運搬事故でストレスが溜まっている彼の気に触れないように注意した。そこへ古賀社長から迷いの電話が入った。輸出梱包を依頼している業者が月末までに出荷出来ないと言っているという報告だった。それを受けると倉田社長は顔色を変えた。
「何を言っているの。兎に角、梱包業者に早く作業してもらうよう、強く要請しないと。東京営業所の担当は、何という名前ですか。私が直接、電話します」
倉田社長の口調は激怒に近かった。古賀社長との電話を終えると、倉田社長は船積み会社の東京営業所の担当者に直接、電話して脅した。
「今回の船積みが月末までに完了しなかったら、『古賀商会』と我社は貴社に損害賠償をしてもらうよう訴えます」
それに対し、当然のことながら相手は反論したに違いない。倉田社長は船積み会社の担当者との電話を切るや、テーブルを叩いた。精神的錯乱状態に近かった。それを見て、私は思わず声をかけてしまった。
「大丈夫ですか?」
すると倉田社長は昂る心を抑え、事務所の中をうろつき回りながら答えた。
「我社は今、破産の崖っぷちに立たされている」
「何とか方法は無いのですか?」
「仕事は、そんなに甘くない」
「では、どうするのですか?」
「人生には抗いようの無い激流に呑み込まれる時もある。そんな時は流れに抵抗するのでは無く、流れの中で、自分が助かる方法を冷静に見つけ出し、それに向かって努力すれば良いのだ。ただ、それだけだ」
倉田社長は自分自身を励ますように言って笑った。こんな苦境の時に、よく笑えるものだ。私は、この人は何て強い人だと思った。苦境の中にあっても、未来を見詰めている人だった。何時だったか、彼が私にこんな話をしたことがあった。。
「人生は夢に向かって突き進むことだ」
彼は不屈の精神の人だった。しかし押し寄せて来るプレッシャーに、胸が張り裂けそうになっているに違いなかった。そこで私は夕刻になってから、ストレスが溜まっている倉田社長を慰めようと誘いの声をかけた。
「疲れているでしょうけど、久しぶりなので行くでしょう」
「うん」
私の言葉に蒼白かった彼の顔色がちょっと赤く染まった。私たちはアパレル店のシャッターを降ろし、店を閉めて、夕暮れの大通りで、オレンジ色のランプを点灯させて走って来るタクシーを拾った。
「新宿6丁目の『日清食品』の所まで」
タクシー運転手は私たちを乗せると、バックミラーで私たちの顔を確認し、『日清食品』本社へと向かった。およそ10分足らずの間、私たちは無言のままだった。運転手は、この2人はどんな関係なのだろうと、想像を巡らせているみたいだった。目的地に着くと、倉田社長がタクシー代を支払い、私たちはタクシーから降りた。そこから私たちは『ピーコック』まで歩いた。薄暗いラブホテル街を進み『ピーコック』に着くと、私の好きな部屋を選んだ。部屋に入り、まずバスルームに入り、シャワーを浴びた。そして私が先にバスルームから出て、ベットの上で待っていると、彼がバスルームから出て来て、私の横になった。疲れているのか、今日の倉田社長は、何時もと様子が違った。珍しく斉田医師のように、私の両脚を広げ、谷間の奥の診察を始めた。私は落ち着かなかった。
「どうしたの?そんなに見られたら恥ずかしいわ」
すると彼は軽く息を呑んで、感心した口調で答えた。
「うん。確かに似ている」
「似ているって、何に?」
「ザクロに似ている。濡れて光っている赤い果肉が裂けて、中から熟れた物が飛び出して来そうだ。まるで割れたザクロのようだ。たまらない」
「まあっ。なら社長のはバナナね」
「女たちは男の物をバナナなんて言うのか」
「バナナだけでは無いわ。トウモロコシ、ゴーヤなんて言ったりすることもあるわよ」
「そういえば男も女のここを、ザクロの他に桃だのアケビだなんて言ったりするよ。他にイソギンチャクなんて」
そう言いながら私の割れ目の中を観察する倉田社長の物が、はちきれんばかりに勃起して、鋼鉄のように硬くなって行くのを目にして、私も興奮した。私は彼の硬直物の硬さと熱さを手で確認して、私の股間に突っ込んでいる彼の頭を退けて、ゆっくりと彼が今まで観察していた自分の奥深くへと、彼の物を誘導した。その私が誘導した彼の物は、私の濡れた肉ひだに包まれ、吸着されると、更に熱く燃えた。私たちは、その連結を確認し合い、結合に歓喜し、腰を振動させ、悦び合った。強い一体感に絶叫し、快楽をむさぼった。彼の下半身の欲情の突き上げが、私の欲情を遣る瀬無い程に刺激し、私は仰け反りながら、彼と同時に果てた。溜まりに溜まっていた倉田社長のストレスは、こうして私の中に吐出され、倉田社長は少しだけ悩みから解放されたみたいだった。
〇
その後、倉田社長は急遽、台湾に出張し、『台林貿易』の林健明社長と一緒になり、『台湾ミラクル』の発注責任者と交渉し、トラックから落下させた金型以外の物を、10月末に船積みし、金型を修理して、11月以内に後送することを厳守する約束文書を提出し、台湾側の了解を得た。また輸出設備のスーパーバイザー派遣の約束もさせられた。倉田社長は帰国するや、神戸に行って船積みの目途をつけ、東京に戻り、スーパーバイザーの手配に当たった。このスーパーバイザーの手配については、古賀社長にはコネクションが無く、『スマイル・ジャパン』の倉田社長が手配せざるを得なかった。スーパーバイザーの出発日も、倉田社長が出張者たちを集めて、交渉した。出張者たちの中に、高齢の滝沢先輩がいるので、私はびっくりした。あんな老体で大丈夫なのかと心配したが、倉田社長は彼の事を信頼していた。その理由は年をとっていても、滝沢先輩が機械据付の経験者だということだった。またスーパーバイザーの台湾行きのチケット手配も行った。チケット手配など私に指示すれば良いのに、私に頼まず、自ら手配した。私はアパレルの仕事だけしていれば良い存在に、ちょっと不満だった。でも、アパレル店を留守にせず、毎日、頑張っているのでアパレル商品のいろんな物が売れて、私は鼻歌気分だった。それに較べ事務所内で輸出業務に専念する倉田社長は暗い顔を続けた。彼は私が質問していないのに、1人ぼやいた。
「林社長から、万一、約束が守れず、台湾から損害賠償を要求されたら、その時、どうするかを、古賀社長と一緒に考えておいて欲しいと言われても、どうしようも無いよな。その時は破産手続きを提出し、倒産するしか無いよな・・・」
その言葉を聞いて、私は声をかけずにいられなかった。
「助かる方法は無いの?」
「兎に角、約束を履行し、成功させるしか方法は無い。それが出来なければ倒産だよ」
「その時は、その時で考えるしかないわね」
私はちょっと弱気になっている倉田社長を突き放す発言をした。すると台湾との取引を深刻に考えている倉田社長は、嫌悪感を抱き、険しい顔をして、私を睨みつけた。そして夕方になると、彼は私に冷たく言った。
「先に帰って良いよ」
こういった時は、大人しく帰るしか無い。
「分かりました。雨が激しくなりそうだから、お先に失礼します」
会社を出ると、季節外れの台風14号が接近して、傘がオチョコになりそうだった。顔や手に冷たい雨粒を浴びながら、私は地下鉄の駅まで、急いで歩いた。四谷三丁目駅に辿り着くと、そこから地下鉄の電車に乗り、新宿駅に行き、JRの電車に乗り、新宿から大久保駅まで行って下車した。駅前のスーパーで食料品を買い込み、『茜マンション』に到着すると、ホッとした。『ハニールーム』に入り、荷物をテーブルの上に置き、レインコートを脱ぎ、着ている物を着替え、テレビのスイッチを入れた。台風14号はこれから激しくなるらしい。私は台風情報を見ながら、夕食の料理を始めた。それから20分程すると、斉田医師が濡れネズミみたいになって入って来た。彼は台風の事が気になって仕方ないみたいだった。
「台風の影響で、風雨が強くなって来ている。明日、大丈夫かな」
「大丈夫よ。台風で身動き出来なかったら、ここにいれば良いのだから」
「そういう訳には」
「なら、今晩、帰ったら」
「今晩、帰ったらおかしくなる。水曜日と金曜日は宿直ということになっているのだから」
斉田医師は渋い顔をした。本当の宿直の日は水曜日であるのに、家族には、金曜日も宿直の日だと偽って報告しているのだ。斉田医師が台風についてブツブツ言いながら、パジャマに着替え終わると、丁度、私の料理作りが完了した。ニラレバ炒め、鯵フライ、刺身、野菜サラダ。これらをテーブルの上に並べ、私たちはビールとワインを飲みながら夕食を始めた。斉田医師は病院近くの写真屋でプリントして来たカナダ旅行の写真を、食事をしながら、私に見せた。美しいカナディアンロッキーの写真を見て、私たちは談笑した。2人の身体に刻み込まれた思い出は、旺盛だった旅の情欲を想起させ、肉体的衝動となって蘇って来た。私たちは急いで食事を切り上げ、セックスを開始した。彼はまず私の愛器が豊潤になっているかを下見した。何時ものことながら、私は愛器を注視されると、他の男との行為の痕跡が残っているのではないかというような不思議な興奮にかられ、身体中が火のように燃えた。斉田医師の診察を受けると、内から激しく突き上げて来る欲情に耐えられず、私は大きく両脚を開いて、斉田医師のオモチャとなった。斉田医師は身を乗り出し、私の愛器に突撃を繰り返した。部屋の外で暴れ回っている台風と競争するかのような激しさだ。部屋の中でも、部屋の外でも、嵐が荒れ狂って、私を失神させようとした。
〇
台風14号の為、台湾輸出貨物を乗せた船の出港が3日程、遅れてしまったということで、倉田社長の悩みは翌週も続いた。暦は既に11月になっていた。だが台風が原因ということで、『台湾ミラクル』からの約束違反の訴えが無く、輸出機械は11月4日、無事、『台湾ミラクル』に届いた。倉田社長は、ホッとしたが、それで安心してはいられなかった。『台湾ミラクル』に届いた機械装置が台湾で、順調に稼働出来るよう、万全の努力をする為、東奔西走した。関東では滝沢先輩をはじめとするスーパーバイザーの手配に四苦八苦し、関西では運搬中に落下させた金型の修理の仕方について指導した。私には普段、温和な倉田社長の何処に、多くの人たちに信頼され、支援され、物事を進めて行く力があるのか信じられなかった。温和な人は往々にして利口には見えない。多弁で傲慢な人が利口に見える。このような見解は真実で無いようだ。そんな倉田社長の実像を、浩子夫人は私より理解していなかった。彼女は、倉田社長のいない時を見計らって私にぼやいた。
「困ったわ。会社に入金が無く、お金が出て行く一方。こんな状況だと、年内に店を閉めることになるかも。社長には全く経営センスが無いのだから、困っちゃうわ」
私は、浩子夫人の言葉に反論したかったが、反論出来る程の材料を持ち合わせていなかった。倉田社長は悩みつつも前向きだった。輸出機械装置を乗せた船が台湾に到着し、近日中に『古賀商会』から、高額の入金があることが分かったので、金銭面の心配は無くなったみたいだ。心配は『台湾ミラクル』での機械設置工事だった。滝沢先輩に代わって、倉田社長自身が出張したかったが、大阪の機械工場での金型修理の進捗度の確認や、中国の『天津先進塑料机械』への出張計画もあり、台湾へ出張する余裕など無かった。倉田社長はスパーバイザーの手配がつくと、『台湾ミラクル』の後の事は古賀社長に任せるということで、私に中国出張の計画を実行に移すよう指示した。私は中国出張が本心なのか確認した。
「本当に中国へ出張するのですか?」
「お客の社長から中国に行って、『天津先進塑料机械』の工場と機械納入先を見学したいと電話依頼があった。魏社長の都合を確認し次第、中国に出張する。通訳として、君にも行ってもらう。その後、君には営口に行ってもらい、2号店の進捗状況を確認してもらう」
「本当ですか?」
「うん。このことは浩子さんにも伝えてあるから」
「浩子さんは何て?」
「君のカナダ旅行の間、アパレルのいろんな仕事を覚えたから、大丈夫だって言ってるよ」
「そうですか」
本当かしら。『台湾ミラクル』の問題が解決せず、私と一緒に中国へ出張する夫の気持ちを、浩子夫人が素直に容認出来るとは、思えなかった。如何に嫌気がさしている倦怠期の夫婦とはいえ、夫が若い女性社員と一緒に海外出張することに疑問を抱かない妻はいないと思う。なのに浩子夫人は夫の浮気を黙認出来るというのか。浩子夫人は、倉田社長同様、不思議な人だった。彼女は倉田社長のことを信用していた。というより、見くびっていた。うちの夫は浮気など出来る男ではない。若い美人にモテる筈がないと、頭っから決めていた。私は営口市の実家にも立ち寄ることが出来ると知って、ルンルン気分になった。私は倉田社長の指示に従い、『天津先進塑料机械』の魏社長の都合及び見学工場の都合を確認するメールを『天津先進塑料机械』に送った。その返事は翌日に入って来た。
*11月10日からでしたら
何時でも歓迎します。
何日に訪中するのか、お知らせ下さい。
お待ちしてます*
このことを倉田社長に伝えると、倉田社長は訪中を希望している『麻生化成』の西川工場長に、10日以降であれば何時でもOKであると連絡した。その返事は西川工場長が麻生昌俊社長に確認し、その日のうちに届いた。11月10日から訪中するとの返事だった。私は客先との中国への訪問日が決まると心が躍った。ビジネスで北京、天津に出張することになり、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。中国生まれなのに、1度も訪問したことの無い、中国の首都、北京と大港湾都市、天津に行けるとは。私は、このことを直ぐに両親に電話した。両親はとても喜んでくれた。当然のことながら、私は『天津先進塑料机械』の魏社長に10日正午に『北京国際空港』で合流したい旨のメールを送った。そんな嬉しさから、夕刻、倉田社長を誘った。
「これから場所を変えて、細かな日程の打合せをしませんか?」
「申し訳ない。これから台湾の林社長から連絡が入るので、無理だね。明日、打合せしよう。先に帰って良いよ」
倉田社長には『台湾ミラクル』のことや資金繰りのことなど、やらねばならぬことが沢山あるらしく、私の誘いを断った。仕事優先の人だ。私はお先に失礼し、中国出張の準備をすることにした。
〇
翌日は、もう秋が終わってしまったのではないかと思わせるような木枯らしの吹く日だった。倉田社長は何時もより遅く出勤して来た。彼は私の顔を見るなり言った。
「お早う。チケット頼んで来たよ」
「もう頼んじゃったのですか?」
「うん。善は急げだ」
「私に頼めば安いチケットが手に入ったのに」
「仕事で出張するのだから、ちゃんとしたチケットを手配しないと」
倉田社長は高額でも有名な旅行社にチケットを依頼する人だった。何事においても神経を使い、用心深かった。古賀社長のように安いからという理由で、小さな運送会社に頼んで、失敗するようなことはしなかった。でも、運送会社が落下させた金型の出荷準備が出来ていないのに、中国に出張して問題無いのかしら。私は倉田社長に確認した。
「大丈夫なのですか。落下して傷がついた金型の修理の方は」
「大丈夫。私の知り合いの大阪の機械工場に修理を依頼しているから、何とかなる」
倉田社長は苦境の中にあっても、へこたれず、打たれ強かった。苦しみに耐え、確固とした目的に向かい、粘り強く頑張れば、幸運の女神は必ず手を差し伸べてくれる信じていた。それは若い時から苦労し、長年、企業内のリーダーとして努力を重ねて来て体得した自信に相違なかった。共同で『台湾ミラクル』の仕事に取組んでいる古賀社長の不手際には苦労させられているが、そのことについては、ちょっとぼやく程度で、古賀社長をリードし、仕事を成功させることに全力投球した。その結果、幸運の女神は倉田社長に手を差し伸べてくれたようだ。午後1時過ぎ、『古賀商会』の古賀社長が事務所にやって来た。お菓子や飲み物を沢山持って来て、倉田社長に挨拶した。
「倉田社長。本当に有難う御座いました。中間金が入りました。これから振込み致しますので、請求書をお願いします」
「良かったね。じゃあ、直ぐ作るから、そこに座ってて」
そう言うと倉田社長は、その場で請求書を作成し、古賀社長に渡した。それから2人して事務所から出て行った。銀行に立ち寄った後、これからの台湾での工事日程や資金繰りや残金について、喫茶店で打合せするらしかった。2人が事務所を出て行ってから、仙石婦人や初めてのお客が来て、冬物のカーディガンなどを買ってくれた。冬を迎えるのにあたって、アパレルの売上げも好調だった。中国の営口店向けの冬物は、『佐川急便』に取りに来てもらった。そうこうしていると2時間程して、倉田社長が事務所に戻って来た。『古賀商会』経由で『スマイル・ジャパン』への入金が確認され、彼の顔は明るかった。
「台湾からのお金が入って、ホッとしたよ。古賀社長が泣きそうな顔をして感謝してくれたよ」
「古賀社長に、いくらお金が入ったの?」
「3千万円。でも下請けや『台林貿易』や我社への支払いがあるから、残金が入らないと、大喜びは出来ないけどね」
では『スマイル・ジャパン』に幾ら入金があったのか。私には、その質問をする必要は無かった。倉田社長が『古賀商会』宛てに、7百万円の請求書をパソコンで作成しているのを目撃していたから。久しぶりに見る倉田社長の明るい顔を見て、私も嬉しい気分になった。
「社長。良かったですね。これで安心して中国出張出来ますね」
「うん。そこで日程を勝手に決めてしまった。私は9日から13日の5日間。愛ちゃんは9日から17日の9日間にした」
「10日の出発ではなかったのですか?」
「お客様より1日、早く北京に入って、翌日、麻生社長と西川工場長を『北京国際空港』でお迎えする」
今回の中国出張の日程については、私が『天津先進塑料机械』とやりとりをしたが、その出発から帰国までの日程は、倉田社長の頭の中でストーリー化されていて、私の立ち入る隙など無かった。倉田社長の中国での日程は5日間になっているが、『麻生化成』との行動は3日間だけで、前後2日は私との時間だった。倉田社長は、こんなことも言った。
「台湾の仕事が完了していれば、私も営口店に行って、アパレル店を見たいのだが、今回はその時間が無い。来年には行けるだろう」
「残念だわ。でも、姉には早く会って欲しいわ。2号店のこともあるし」
「そうだな。お姉さんに北京に来てもらえると有難いのだが、訊いてくれないか」
「分かりました。連絡します」
そこで私は、母、紅梅に12日の金曜日、母か姉の誰か北京に来られないかと連絡を入れた。私の北京、天津出張を耳にすると母は驚きと喜びの声を上げ、誰が北京に行くか春麗姉と相談すると答えた。その中国との電話を終えてから、私はパソコンに向かっている倉田社長に声をかけた。
「もう店のシャッターを降ろします。そろそろ行きましょうか」
「うん。そうだな」
倉田社長は、そう答えると、パソコンの電源を切った。私たちは通勤着に着替え、シャッターを降ろし、鍵を閉めて、大通りに出て、タクシーを拾った。何時ものように、『ピーコック』へ向かった。ホテルの部屋に入るや、私も倉田社長も、今からもう中国の夜を想像していた。燃え上がる北京での欲情の炎が見えるかのように、私たちは『ピーコック』の部屋で絡み合い、愛し合った。
〇
私の中国出張は夢では無かった。尖閣諸島問題で日本と中国の関係は悪化したままだが、日本の『麻生化成』の要望で、倉田社長と私は、中国に出張することになった。仕事で日本の会社の社長と工場長を天津の機械メーカーに案内するのに、どんな服装で行けば良いのか、私は考えなければならなかった。そのことについて倉田社長に相談すると、就職活動の時の黒いスーツとスラックス1組あれば足りるということだった。だが寒さが気になった。
「寒さはどうなの?」
「北京はまだ、それ程、寒く無いよ。カナダに持って行った物で間に合うと思うよ」
倉田社長にカナダ旅行の話を出され、私はドキッとした。カナダでの斉田医師とのセックス旅行が、まだ色濃く脳裏に残っていて、何か気まずい気分になった。
「どうしたの?」
私が直ぐに返答をしなかったので、倉田社長は眉をひそめた。私は慌てた。
「そうよね。カナダに持って行った洋服で良いわよね」
「困ったら、現地で買えば良いさ。営口店にもあるだろう」
倉田社長は、今回の中国出張に期待しているみたいだった。中国製機械の輸入と中国2号店。それは私にとっても楽しみだった。それに較べ斉田医師は、私の中国出張に反対だった。
「何でアパレル担当の君が中国出張しなければいけないんだ。通訳なら現地にもいるだろう」
「それは私が天津の会社と商談のやり取りをして来た経緯があるからなの。それに今回の商談を成約に結び付ければ、うちの会社は大儲け出来るの。私が休む間の商売の何百倍ものお金を儲けられるのよ」
「それは成約出来ての話だ」
「それに中国でアパレル店の打合せもするの。2号店の件」
「とはいっても、営口以外では、男たちに囲まれての仕事だろう。私は心配だ」
「何が心配なのよ」
私は斉田医師を睨みつけた。彼の心配が分からないでもない。確かに斉田医師の心配はあり得る。倉田社長と行動を共にするのだから当然あり得ることだ。斉田医師は私が睨みつけると苦笑いして言った。
「女には2つの顔がある。愛して上げようという母性と愛して欲しいという女性の顔があるから」
「それが何なのよ」
「それが問題なんだ。母性本能には問題無いが、女性本能の中には野性的なものが潜んでいるからだよ」
「野生的なもの?」
「生き物には種族を保存しようとする本能がある。その野性本能は異性を求めるように出来ている。男女共に、その野性的生殖本能が強いから困るんだ。だから心配なんだよ」
「心配ご無用。皆、70歳近い、お爺ちゃんだから」
私は、斉田医師の心配を、一笑に付した。斉田医師はもともと独占欲が強く、嫉妬深いところがあり、ちょっとしたことで野崎部長を脅迫したりするような凶暴なところがあった。そして、私と倉田社長にも、男女の関係があるのではないかと、疑っていた。斉田医師は『ハニールーム』のベットの中で、私に質問した。
「君の所の社長は、君にホテル行こうなんて言ったりしないのか」
「うちの社長は紳士よ。仕事一辺倒の人よ。奥さんとも没交渉状態ですって。仲間がエッチな話をしても、無視するから、仲間から不能じゃあないかと言われているような人なの」
「幾つになるんだ」
「67歳よ。もう枯れ木みたいな人よ。だから私が派手な化粧でもしたら、商売女みたいだなどと言って、私を侮辱し、軽蔑し、嫌悪し、会社に来るななんて言ったりするのよ。高潔過ぎるのも良くないわね」
私が、そう説明すると、斉田医師は成程といった顔をした。でも半信半疑だった。
「じゃあ、何に興味があるんだ」
「お金よ。女に興味など無いわ。お金以外にあるとすれば、男同士で楽しく過ごすことね」
「そうか。それにしても、枯れ木みたいだなんて言われちゃあ、可哀想だな」
斉田医師は私から倉田社長の事を聞いて安心したみたいだった。彼は医者なのに男の性欲の限界を理解していなかった。年寄りが精力剤を飲んでも効き目が無いとぼやいているのを信じ切っているみたいだった。私の説明から、人生の終盤に近い老人に私を奪われることは無いと理解したらしい。そこで私は斉田医師をからかった。
「うちの社長のことを可哀想だなんて言ってるけど、いずれ貴男も枯れ木になるのよ」
「何、言っているんだ。私は枯れ木ではないぞ。ほら」
斉田医師は突然、布団を跳ね除け、はちきれんばかりに膨張した物を私に見せつけた。
「やだっ、もう」
私は斉田医師の股間から跳び出した斉田医師のみなぎる男根を目にして興奮した。堪らず、それを掴み、しごき、私の愛器へと導いた。
「ああっ、いいっ!」
私は奥の奥まで彼を引きずり込み、呻き、もがき、愛器の音に刺激され、全身を突っ張らせた。斉田医師もまた、私に夢中だった。ピストン運動を繰り返し、獣じみた声を上げ、私の上で仰け反った。
〇
11月9日、火曜日、私は朝5時に起床し、桃園と一緒に早めの軽い朝食を済ませた。天気は晴れで、爽快な気分。桃園に留守中の事を頼み、私は6時半にマンションを出て、新宿駅へと向かった。旅行ケースをゴロゴロ転がし、5番線ホームに行くと、『成田エクスプレス』が入って来たので、私は指定車両に乗り込み荷物置場に重い旅行ケースを置き、指定席に座った。間もなくすると倉田社長がやって来た。ブルーのオーバーコート姿の倉田社長は白いハンチング帽を被り、白いダウンジャケットを着た私を見てびっくりした顔をした。可愛く見えたのかしら。私たちは2人並んで指定席に座って一安心した。夢に見ていた2人の中国旅行が始まる。7時6分、『成田エクスプレス』は定刻に『成田国際空港駅』に向かってスタート。私は大都会、東京から成田へ向かう車窓の景色を眺めながら、これからのことを想像する。倉田社長は睡眠。乗る事、1時間30分、『成田エクスプレス」は8時38分、成田第2空港駅に到着。私たちは空港ビル3階のJALカウンターに行き、チエックイン。旅行ケースを渡し、身軽になり、出国手続きを完了させ、それから免税店で買い物。倉田社長は『天津先進塑料机械』や見学工場へのウイスキーや私の父への日本酒を買った。私は『ひよ子』などの御菓子や麗琴への手土産などを買った。10時過ぎJAL863便に搭乗すると、私の心は躍った。まだ行ったことの無い北京や天津とは、どんな都市なのでしょうか。そんなことを想像している私たちを乗せたJAL863便は11時近くに『成田国際空港』から離陸。名古屋方面から京都上空を飛行し、日本海を渡り、韓国の釜山あたりからソウルまで北上し、更にそこから大連の近くを通過し、午後2時半(日本時間3時半)に『北京首都国際空港』に到着した。空港内は反日運動を恐れて中国訪問を控えている為か、日本人客が少なかった。初めて見る母国の『北京首都国際空港』は、寂しく閑散としていて、私の想像していた首都空港とは思えなかった。私たちは中国への入国手続きを済ませ、荷物を受け取ると、空港ビルの外でタクシーを拾い、朝陽区の『華都飯店』へ向かった。初めて見る北京の風景は、スモッグで汚れて、薄ぼんやりして、何故か不気味だった。タクシーがホテルに到着すると、運転手が私に文句を言った。
「3時間待って、こんなに近いホテルじゃあ、割に合わないよ。チップ、チップ」
私は、その言葉を無視した。私たちが彼を3時間、待たせた訳では無い。反日運動で訪問者を激減させているのは中国政府だから、中国政府に文句を言いなさいと言いたがったが止めた。私は100元出し、20元の釣銭をきっちり貰った。私たちは3時半に『華都飯店』にチエックインし、それから各人の部屋で小休止した。私は部屋から営口市の実家に電話した。母が電話口に出て私と話した。
「もしもし。私よ。今、北京に着いたわ」
「まあっ、北京に着いたの。元気そうね」
「はい。ところで、北京には誰が来るの?」
「北京には春麗と玉祖母ちゃんと麗琴が行くことになったから、よろしくね」
「分かった。11日の夕方、朝陽区の『崑崙飯店』で待っているから、場所を間違えないようにね。私の携帯電話番号も分かっているわよね」
「ええ、分かっているわよ。日本でやりとりしたじゃあない」
「それはママの携帯電話でしょ。春姉さんとは、携帯電話で話してないから」
「そうだったね。春麗に、お前の電話番号、伝えておくよ」
私は、母、紅梅と話し終えた後、懐かしい中国のテレビを観て、夕方になるのを待った。辺りが暗くなり始めると、倉田社長から声がかかり、私たちは散歩がてら夕食に出かけた。北京の街を歩くのは初めてなので、私は倉田社長からはぐれないよう、彼の後を追うように懸命に歩いた。ホテルからちょっと遠かったが、煌びやかネオン輝く『順峰飲食酒店』という店に入り、ヒラメの煮物、ホワグラ、青菜、アワビなどの料理を御馳走になった。倉田社長は燕京ビール、私は天津ワインを飲んだ。店内に日本人のお客はおらず、中国人の富裕層の人たちでいっぱいだった。私たちは美味しい料理をいただき、満腹になり、ほろ酔い気分で、『華都飯店』に戻った。部屋に入ってから、私は念の為、春麗姉にメールを入れて、北京のホテルの住所や電話番号を伝えた。その後、バスルームに入り、シャワーを浴びた。バスルームから出ると倉田社長の事が気になった。隣りの部屋で何をしているのかしら。まさか北京の女を部屋に引っ張り込んだりしてはいないでしょうね。私はパジャマの上にホテルの備え付けのガウンを着て、彼の部屋へ行った。彼は今朝、早かったので、睡眠不足らしかった。大きなダブルベットの上で、布団を被り、テレビを観ていた。疲れたのでしょう、虚ろな目をしていた。私はガウンを脱いで、そんな倉田社長の隣りに入った。すると倉田社長は黙って私を抱き寄せて囁いた。
「お嬢さん。そんなパジャマ姿で誰に会いに来たの?」
「決まっているでしょう。愛しのパパさんよ」
「そんな嘘を言ってはいけません」
「私と貴男の仲なんて、誰にも分かりはしないわ」
私は、そう言って、彼の胸をさすった。大丈夫。ここは北京。不思議な歌が聞こえて来る。私たちを目覚めさせる恋の歌だ。私は倉田社長に抱かれ、夢見心地。紅楼夢を見た。
〇
翌朝、私が『華都飯店』の朝食は、値段が高いので、外で朝食をしましょうと提案すると、倉田社長は素直に賛成してくれた。8時過ぎにホテルから外に出ると、北京の灰色の街は、予想以上に風が冷たく寒かった。『燕沙百貨店』の脇の橋のたもとの朝食レストランへ行くと、店内は満席に近かった。中年女性が私たちに気づくと、席を空けてくれたので有難かった。倉田社長は牛肉麺を注文し、私はメン包と豆乳をいただいた。倉田社長は寒い中、歩いて来たので、スープが温かくて、身体が温まったと喜んでいたが、私の注文したメン包は冷たく、失敗した。朝食を終えてから私たちはホテルに戻り、天津行きの荷物整理をした。天津に持って行く物と、北京に残すものとを分別した。10時半、私たちは『華都飯店』のチエックアウトを済ませ、明後日、宿泊する『崑崙飯店』に大きなバックとスーツケースを届けに行った。『崑崙飯店』は『華都飯店』より、宿泊費が高いだけあって、眩いばかりの高級ホテルだった。そのホテルに運び込んだ私の荷物は私が家族に渡す物の外に、芳美姉からの預かり品もあって、とても重かった。それを天津まで持って行くのは大変だったので、『崑崙飯店』のフロントに明後日、ここに泊まる予約をしていることを説明し、荷物を預かってもらった。私たちは重い荷物を預かってもらいホッとした。身軽になったところで、私たちは『崑崙飯店』前でタクシーを拾い、『北京首都国際空港』へ行き、4階で早めの昼食を済ませた。正午過ぎ到着口へ行くと、『天津先進塑料机械』の崔部長と趙運転手が既に出迎え口に立っていて、私たちと合流した。そして『関西国際空港』から全日空便でやって来た『麻生化成』の麻生社長と西川工場長を出迎えた。メンバーがそろったところで私たちは趙運転手が運転するマイクロバスに乗って北京郊外の『北京通建』の工場へ行った。その工場は『天津先進塑料机械』が納入した機械装置を何台も使っていて、プラスチック製品を製造していた。工場内は全機が稼働していて活気に溢れ、整理整頓もなされていて、麻生社長も西川工場長も感心した。『北京通建』の工場見学が終わるや、私たちは、そのままマイクロバスに乗って、北京から天津へと向かった。北京と天津間の高速道路は、私が想像していた以上に立派に出来上がっていた。流石、中国の首都と天津港を結ぶ高速道路であると思った。マイクロバスを運転する趙運転手は口笛を吹き、ルンルン気分で運転した。趙運転手が余りにもスピードを出すので、麻生社長が蒼白になって、私に言った。
「私は中国にスピードレースをしに来たのではない。機械を買いに来たのだと、運転手に伝えてくれ」
私が、それを通訳すると、趙運転手は私が怖がっているのだと思い、更にスピードを上げた。麻生社長が、また叫んだ。
「私はスピードレースに来たのではない。もっとゆっくり走って欲しい。もう、この年齢だから、人生を急いでいないから・・」
如何に高速道路だとはいえ、スピードの出し過ぎだった。麻生社長も西川工場長も倉田社長も、恐怖感でいっぱいだった。麻生社長は、泣きそうな声で、倉田社長に訴えた。
「倉田社長。天津からの帰りは、マイクロバスで無く、新幹線にしてくれ。高速道路を走るのは危険がいっぱいだ。中国で死ぬわけにはいかぬ」
それを聞いて倉田社長は崔部長に、趙運転手にスピードを落とさせるよう合図した。そこで崔部長は、工場への到着が遅くなっても構わないからスピ-ドを落とせと、趙運転手に命令した。そうこうして5時過ぎ、私たちは無事、『天津先進塑料机械』に到着した。魏社長たちが、私たちを出迎え、早速、工場見学をさせてもらった。中々、立派な広い工場だった。工場見学を終えた後、私たちはホテル『浜江万麗酒店』にチエックイン。夕闇の迫った天津の街は青い霧に包まれ、私に営口の港町を思い出させた。6時半、ホテルに崔部長が迎えに来て、ホテルの近くのレストラン『狗不理』で小籠包料理を御馳走になることになった。宴会には魏社長、崔部長の他、呂工程師、魏秀光が出席し、いろんな話をした。想像に反して、麻生社長が酒を飲まないので、倉田社長と西川工場長が魏社長たちとの乾杯に付き合った。私は遠慮してお茶にした。麻生社長は以前に勤務していた会社で香港駐在だったが、広東語は少し分かるが、北京語は話せないなどと話した。小魏、秀光は、日本語の勉強を始めていて、少し、日本語を話せるようになっていて、倉田社長と喋ったりした。小魏は来春、結婚するとのことだった。宴会は9時に終了した。崔部長が2次会の誘いをかけたが、麻生社長も西川工場長も、今朝早かったということで、そのまま直ぐにホテルに戻ることになった。ホテルのロビーで魏社長たちと別れ、私たち日本グループは、それぞれの部屋に戻った。私は部屋に入り倉田社長から連絡があるのではないかと思い、待っていたが、彼からの連絡は無かった。宴会で、沢山、ビールや酒を飲んでいたが、大丈夫なのか、ちょっと心配になった。私は昨夜と同じ、パジャマ姿で、こっそり、彼の部屋を訪ねた。彼は台湾にいる滝沢先輩に電話し、『台湾ミラクル』の工事の状況確認をしていた。その電話が終わると、倉田社長は、私が何の為に訪問したのか勘違いして、私を引き寄せ、ベットの上に横たえた。珍しく酒気を帯びてほんのり赤く染まった倉田社長の顔は可愛かった。私は今夜もまた始まる紅楼夢に心臓をドキドキさせた。この世は素晴らしいもので満ち溢れている。私は昨夜と同じように、あの蕩けるような感覚に夢中になって酔いしれた。
〇
天津の朝の空気は北京と異なり、前夜の青い霧に洗われて、爽快だった。ホテル『浜江万麗酒店」での朝食を終えるや、私たち4人はチエックアウト。1階ロビーで『天津先進塑料机械』からの出迎えの車を待った。午前9時過ぎ、趙運転手がマイクロバスでやって来た。私たちはマイクロバスに荷物を積み、『天津先進塑料机械』へ行った。午前中、魏社長、崔部長らと、『麻生化成』が導入しようとしている機械装置の仕様の打合せをした。その後、再度、工場見学をすると、もう昼食の時間になっていた。昼食は工場の食堂で、社員と同じ食事をした。そして午後、見積依頼の詳細の確認をし合い、午後3時に打合せを終了した。魏社長が、また趙運転手が運転するマイクロバスで、北京の『崑崙飯店』まで送ると言ったが、麻生社長が趙運転手の運転を怖がるので、私たちは天津から北京まで新幹線超特急電車で移動したいと魏社長に伝えた。すると魏社長は崔部長に私たちを天津駅まで送るよう指示した。私たちは崔部長の車で天津駅まで送ってもらって、蔡部長と別れてから、中国の新幹線北京行きの特急電車のチケットを買い、それに乗った。定刻、私たちを乗せた新幹線、京津城高速電車『和諧号』は天津駅を出発し、北京に向かった。『和諧号』は時速、350キロの猛スピードで走り、30分ちょっとで『北京南駅』に到着した。ところが、タクシーに乗ったら、そこから『崑崙飯店』まで、そう遠くない距離なのに車が渋滞し、ホテルに到着するまで、1時間近くかかってしまった。北京の交通事情の悪さに、一同、呆れた。『崑崙飯店』に到着すると、ロビーの片隅で、祖母の玉梅、姉の春麗、姪の麗琴が待っていた。私は倉田社長にパスポートを渡して、麻生社長たちと私たちのチエックインを依頼した。その間、私は家族3人と会話し、部屋番号が決まるのを待った。チエックインの結果、倉田社長たち男性の部屋は9階、私の泊まる部屋は7階と決まった。倉田社長は私にパスポートを戻し、部屋の鍵を渡すと、私の事を気遣い、麻生社長と西川工場長を連れて、先にエレベーターに乗って部屋に向かった。私は3人の姿が消えてからフロントに預けてある沢山の荷物を受取り、春麗姉たちと、7階の部屋に移動した。指定された部屋に入ると、部屋の中が余りにも広く、豪華な部屋なので、皆、びっくりした。私は1時間程、ゆっくりして、春麗姉たちに『燕沙百貨店』のレストランか市場のレストランで食事をするよう伝え、自分は夕方6時、ホテルの1階に降りて、倉田社長たちと合流し、ホテル近くの『東洋海鮮酒店』に行き、御苦労さん会の夕食をした。カニ料理、白魚料理、ガチョウ料理、青菜料理、水餃子を食べながら、燕京ビールを飲んだ。麻生社長は私の接客の気配りと通訳が、とても行き届き、親切だったと感謝してくれた。4人とも満腹になったところで、ホテルに戻った。麻生社長が部屋にマッサージ師を呼んで欲しいというので、私がフロントで依頼すると、1人に2人のマツサージ師が付く規則になっていて、1対1は不可ということだったので、申し込みを断った。その為、倉田社長は麻生社長と西川工場長を連れて、ホテルから外に出て、街の足つぼマッサージ店へ出かけて行った。私は倉田社長やお客からやっと解放され、祖母や姉や姪が待つ私の部屋に戻った。1人の部屋のホテル代で4人も泊まるのは違反だが、発覚した時は、その時だと腹をくくった。私が夕食を済ませたのかと聞くと、春麗姉が近くの市場内の食堂で済ませて来たと答えたので、安心した。祖母の玉梅と姪の麗琴は、長時間列車に乗って、北京までやって来たので、眠そうだったから、先に眠ってもらった。私はそれから春麗姉に、家族への土産物や芳美姉の預かり品など、重い荷物を持って来たことなどを話した。その後、『微笑服飾』の状況を訊いた。すると春麗姉は、こう答えた
「営口店の売上げは、安定しているけど、当初、見込んだ日本の高級婦人服の販売は期待出来ないわ。でも日本デザインのTシャツや、パンツ類は、良く売れてるわ。営口には富裕層が、まだ少ないのよね。だから安い物が、良く売れるの」
「そうなんだ」
「今回、北京に来たから、ついでに北京の安い衣料品を仕入れて帰ろうと思うの」
「そう。北京から衣料品を仕入れて、販売するのも面白いわね」
春麗姉は名案でしょうという顔をして笑ってから、更に意見を述べた。
「これからは、防寒用の衣類が売れる筈よ。日本の衣類は温かくて、人気があるの」
「そうなの」
「だから帰ったら、冬物を追加注文するわ」
「有難う御座います。ところで、2号店の状況がどうなってるか教えて」
私は、春麗姉が、母、紅梅や樹林と計画を進めている、中国2号店の進捗状況を確認した。すると春麗姉は、微妙な顔をした。上手く進んでいないのかしら。
「2号店のことは、ママと樹林が夢中で、私の意見など、参考にしてくれないわ。だから今回、じっくり自分の目で見て、指導して上げないと、失敗するわよ」
春麗姉は、母から仲間外れされているような悲しそうな表情で、私に訴えた。兎に角、現地に訪問し、実態を把握するしかないと思った。私たち姉妹は夜遅くまで、いろんなことを話してからベットに入った。
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翌朝、私は家族と一緒に朝食をしたかったが、お客や倉田社長と朝食をせねばならず、家族の朝食については春麗姉に一任し、1階ロビーで一旦、家族と7時に別れた。私はそれから1階のレストランに行き、倉田社長たちと4人でゆっくりとした朝食を済ませた。北京オリンピックが終わり、『崑崙飯店』のレストランは、かっての賑やかさが無くなっていると倉田社長が話したが、流石、中国の一流ホテルだけあって、世界中からやって来た人たちが、朝食を楽しんでいた。朝食が終わると、私たちは、それぞれの部屋に戻った。しばらくすると春麗姉たちが朝食を済ませて、部屋に戻って来た。そうこうしているうちに、『麻生化成』の麻生社長たちがチエックアウトする時刻になった。午前10時、私と倉田社長は再び1階ロビーへ行き、これから帰国する麻生社長と西川工場長をホテルの玄関で見送った。私はタクシーの運転手に、天安門経由で『北京首都国際空港』に行くよう指示した。2人は私たちに深く感謝して、去って行った。私と倉田社長は一仕事を終え、ホテルのロビーで微笑み合った。その後、これからの時間をどうするか打合せし、『台湾ミラクル』の状況を倉田社長が電話確認したら、外に出ようと決めた。そして部屋に戻り、30分程すると倉田社長から部屋に電話が入り、もう出かけられるというので、私たちは、外出の準備をして、1階ロビーで倉田社長を待った。倉田社長が現れると、私たちはまず、『崑崙飯店』の向かいにある『信億時尚広場』へ行った。そこで私と春麗姉と祖母は『微笑服飾』で販売する衣料品を相談しながら沢山、仕入れた。営口市では、まだ富裕層が少なく、日本製の高級衣料品を買ってもらうのが難しく、今より、もっと中国製品を営口店に並べたいという春麗姉の意見を組み入れての仕入れだった。私たちは、その買付けた品物を一旦、部屋に運び込んでから、昨夜、麻生社長たちを接待したレストラン『東洋海鮮酒店』に行き、昼食セットをいただいた。祖母、玉梅たちは、美味しい料理を御馳走になり、大喜びだった。昼食後、5人でタクシーに乗り、天安門を観に行く計画をした。ところが、タクシーの運転手が、5人は乗せられないと断った。私たちはびっくりした。麗琴は子供なので、抱っこして乗せれば4人分の座席で済むではないかと説得したが、タクシー運転手は、それを聞き入れなかった。タクシー運転手の説明によれば、北京オリンピックがあってから、何事も規制が厳しくなったという。そこで春麗姉が、以前に北京に来て、天安門を観たことがあるので、4人で行ってらっしゃいと、ホテルの部屋に戻ることになった。春麗姉には申し訳無いが、私たちは4人で天安門を見に行った。天安門の近くまでタクシーで行き、紫禁城の外壁が見える所でタクシーから降りた。私たち4人は、晴天からこぼれる弱々しい陽光を浴びながら、赤い城壁の続く側道を、天安門正面まで歩いた。平日であるのに故宮前はいっぱいの人出。私は祖母の手を引き、倉田社長が麗琴の手を引いて雑踏の中を進んだ。途中の露店で、祖母が帽子や国旗などの土産品を買った。その祖母が、そのうち足を気にし始めたので、私たちは故宮の中に入るのを止め、適当な所で、タクシーを拾い、ホテルに帰った。倉田社長とエレベーターの中で別れ、私たちが部屋に戻ると、春麗姉はテレビを観て、くつろいでいた。私たちはバタンキュー。夕方6時過ぎ、私たちは倉田社長を誘い、街に出た。昼前に訪問した『信億時尚広場』の中を一回りしてから、その奥にある大衆食堂に行って、皆で夕食をした。その席で、倉田社長と春麗姉は、中国2号店の話をした。また祖母、玉梅は倉田社長に北京で会えたことを喜び、倉田社長に礼を言った。
「倉田社長様。孫の愛のことを可愛がって下さり、感謝してます。帰国されたら、奥様にも感謝しているとお伝え下さい。北京で、社長さんとお会い出来て本当に嬉しかったです」
「いや、こちらこそ、皆様にお会い出来て良かったです。今回は北京でしたが、次回は営口でお会いしたいと思っております。帰りは気を付けて帰って下さい」
そんな会話などして皆が満腹になると、春麗姉が倉田社長へのお返しだと言って精算し、御馳走してくれた。夕食が済むと、『信億時尚広場』の店も閉め始めたので、私たちはホテルに戻り、荷物整理をした。私の部屋は兎に角、営口に持ち運ぶ荷物でいっぱいになってしまった。そこで私は、日本に持ち帰ってもらう私の荷物と営口に運ぶ荷物の一部を今晩、倉田社長の部屋に置いてもらうことにした。その荷物を私が倉田社長の部屋に運んで行くと、倉田社長はバスルームから出て、パジャマに着替えているところだった。互いが互いの顔を見た瞬間、2人の間に欲情が沸き上がった。私の心臓は高鳴った。今夜を逃したら、しばらく倉田社長と会えなくなると思うと愛しさが募った。倉田社長が囁いた。
「北京の最後の夜だね。今夜は」
「はい」
私は、そう答えて倉田社長に抱かれた。抱かれたままベットに移動し、仰向けになると、部屋のシャンデリアが煌めき、私を夢の世界へといざなった。妄想が膨らみ、紅楼夢が私たちを淫蕩の世界へと連れて行こうとしているのが分かった。やっぱり、こういう流れになってしまうのが私たち。
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早いもので5日間の倉田社長との中国出張日も最終日となった。倉田社長は日本に帰り、私は営口市へ向かう。北京秋天。青空が信じられない程、広がっていた。土曜日で工場などが休止しているからかしら。私は朝7時に麗琴に顔をくすぐられて起床し、慌ててパジャマから外出着に着替えて、祖母、玉梅と春麗姉と麗琴の4人で、『燕沙百貨店』の脇にある橋の畔の朝食レストランへ行った。そこで牛肉麺や饅頭、茹で卵などを食べて部屋に戻り、春麗姉たちと営口へ運ぶ荷物の整理をした。また倉田社長の部屋に電話し、倉田社長とチエックアウトする前に、営口へ運ぶ荷物を、部屋に取りに行くと伝えた。兎に角、日本から持ってきた荷物に北京で仕入れた衣料品が加わった為、布バックやスーツケースがいっぱいになっていた。それでも、祖母と姉と私とで手分けして持てば営口へ運んで行けると、春麗姉は自信満々だった。春麗姉は、昔から力持ちだった。荷物の準備が一段落すると、祖母の玉梅が、私に言った。
「社長さんの所へ挨拶に行こうと思うけど良いかしら」
「そうね。今日でお別れだから」
祖母の提案で、私たちは全員そろって、7階から9階の倉田社長の部屋へ行った。倉田社長の泊まっている部屋に行くと、祖母や春麗姉は、その部屋の豪華さを見てびっくりした。広い部屋の他に、バスルームの窓から『燕沙百貨店』などが見下ろせたり、シャワールムも広く、バスタブの中でもテレビを観ることが出来るので、只々、感心するばかりだった。そんな祖母や春麗姉と違って、麗琴は陽気だった。
「おじさん、こんにちわ」
「ああ、こんにちは」
麗琴が倉田社長に日本語で話しかけたので、倉田社長は驚いた顔で、返答した。倉田社長は日本語を忘れていない麗琴に感心し、麗琴を抱き上げた。可愛くて仕方ないみたいだった。倉田社長に抱き上げられた麗琴は、嬉しくて倉田社長の頬にキッスした。すると倉田社長は泣きそうな顔になって言った。
「こんなに可愛い孫が、私にもいてくれたらなあ」
倉田社長にはまだ孫がいない。息子の孝明がまだ結婚しておらず、倉田社長と浩子夫人は孫が欲しくて仕方ないのだ。祖母たちにとって、そんな倉田社長は好々爺に見えたに違いない。私は昨夜、この部屋で倉田社長と一つになって溶け合った事など、全く無かったかのように振舞い、祖母や春麗姉の御礼の言葉を通訳した。また私の留守中、四谷のアパレル店のことをお願いした。私たち家族は倉田社長への挨拶が終わると一旦、部屋に戻って、朝食時に買って来たサンドイッチを食べ、早めの昼食を済ませた。そして正午前、沢山の荷物を持って1階ロビーに降り、倉田社長と一緒にチエックアウトした。倉田社長は私たち家族との別れを惜しんだ。
「再見!」
麗琴に、そう言われると、倉田社長は、ちょっと涙ぐんだ。それから、ホテル前にやって来たタクシーにスーツケースやバックなどの荷物を積み込み、倉田社長は『北京首都国際空港』へと向かった。倉田社長を見送った祖母たちも、ちょっと寂しそうだった。これから営口へ移動する私たちには、夜行列車の出発時刻まで、充分に時間があった。そこで、『崑崙飯店』から北京駅に行って行李預け処に荷物を預け、夕方まで、北京の市内観光をすることにした。私たちはホテル前からタクシー2台に荷物を積込み、昨日と同じ天安門方面に向かい北京駅へ行った。北京駅は、これから列車に乗る人や出迎えの人や乗継ぎ客で賑わっていた。北京語、広東語、上海語など、普通語以外の言葉が飛び交い、喧騒そのものだった。私たちは、まず行李預け処に行って荷物を預けた。身軽になった私たちは、北京駅から前門大街方面に歩き、『天壇公園』を見学した。そこは明や清の皇帝が天を祭り、豊作を祈願した場所だという説明書きが立っていた。そこの祈年殿は金色に輝く宝頂をいただく円形の3階建ての荘厳な建築物で、見ごたえがあった。そこを見てから、私たちは骨董品街として有名な瑠璃廠に行き、清時代からの建物が並ぶ、商店街を歩き、骨董品を見て回った。そうこうしているうちに、北京の街に黄昏が迫った。私たちは繁華街、王府井に移動した。ここもまた北京駅のような人だかりがしていた。私は3人を小籠包料理の店に連れて行き、夕食を御馳走してあげた。私たちは美味しい小籠包をいただいたのに、歩き疲れていて、店から出て北京駅に着いた時には、皆、ヘトヘトだった。私たちは待合室に入り、席を確保し、そこで休んだ。麗琴は私に抱かれ、ぐっすりだった。8時過ぎ、私は麗琴を祖母に預け、春麗姉と一緒に行李預け処に行って、自分たちの荷物を受取り、祖母たちの所に戻り、4人で荷物を持ち、京哈鉄路のホームへ行った。8時半を過ぎると、哈爾濱行きの夜行列車が入って来た。私たちは、その列車の寝台車に乗り込んだ。寝台車は4人1室で、上下2組ずつが寝台になっていて、他の乗客と区切られていて、カーテンを閉めると個室のようで、有難かった。大量の荷物を運び込んだが、麗琴の寝台スペースが丸々、荷物置き場に利用出来たので、各寝台に別々に横になれば、寝るのに窮屈感は無かった。9時過ぎ、私たちを乗せた夜行列車は、定刻、夜の北京を東に向かって出発した。
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夜行列車は暗い夜の闇の中を、ひたすら東に向かって、一目散に走った。私と春麗姉は祖母と麗琴が下段の寝台で眠ると上段の寝台に上つて横になった。汚い布団にくるまり、眠ろうとするが、中々、眠れない。枕の下でゴーゴーと列車の車輪の回転音が続き、振動が激しく辛かった。ところが倉田社長は、もう浩子夫人の待つ自宅に帰ったかしらなどと考えたりしていると、疲れていたこともあって、何時の間にか眠っていた。承徳や朝陽や阜新を通過するのも夢の中。懐かしい瀋陽駅に着いたのは明け方。私たちは、そこで夜行列車から降りて、大連行きの列車に乗り替えた。見慣れた車窓の景色を見ながら、私たちは営口駅に午前8時過ぎに到着した。あらかじめ春麗姉が母に到着時刻を連絡しておいたので、営口駅ホームには父、志良と従弟の樹林が待っていた。私たちは列車から沢山の荷物を降ろすと、駅前に停めてある樹林のマイクロバスの所まで、荷物を運んだ。その荷物を樹林の力を借りて、車に積み込むと、私たちは母、紅梅が店番をしているアパレル店に向かった。浜海大街のアパレル店に到着すると、母、紅梅と春麗姉の友人、李桃香が朝食を準備して待っていてくれた。私たちは北京で仕入れた重い荷物を置き、解放された。麗琴は久しぶりに会う紅梅に、真っ先に跳び付いた。その麗琴を抱きながら母が私たちに言った。
「玉ばあちゃん、お疲れ様。愛、いらっしゃい」
「只今。また来ちゃった」
「皆で、早く来ないかと待っていたよ」
北京からやって来た私たちは、皆の歓迎を受け、温かい朝食をいただいた。美味しかった。その後、私はアパレル店『微笑服飾』に飾ってある商品を見て回った。『スマイル・ジャパン』が納入した商品は、その内の半分程度だった。中国のアパレルメーカーから仕入れた商品は雑な出来だったが価格が安く、着るのに問題が無かった。『微笑服飾』のある海浜大街は日曜日とあって、早くからお客が洋服を買いにやって来た。隣りの紳士服店も『微笑服飾』との相乗効果で繁盛している様子だった。店の接客は姉の友達、李桃香が母と一緒になって頑張り、季節ごとに新しい洋服を飾ったりして、姉よりも良く働いてくれていた。常連客も増え、店内には笑い声が絶えなかった。まさに『微笑服飾』らしかった。そんな賑やかな来客の光景を目にして、私は安心して店の奥に入った。店の奥の椅子に座ると、母が言った。
「愛。疲れているんだろう。玉ばあちゃんと麗琴を連れて、家に帰って、休みなさい」
「でも、お店、忙しいのでしょう。私、手伝うわ」
「大丈夫。こちらは、春麗たちがいるから」
すると傍にいた李桃香も母に合わせるように言った。
「そうよ。それが良いわ。愛ちゃん久しぶりなんだから、家に帰って休むと良いわ」
商売上手な桃香は私に対しても愛想良かった。営口店の業績の良さは、もしかすると桃香の力によるものかも知れなかった。私は母と桃香に言われ、樹林の車で父、志良や祖母たちと、実家へ帰った。マイクロバスから実家用の荷物を降ろし、家に入ると、祖母も私も、疲れがドッと出た。私は祖母と一緒にひと眠りすることにした。その間、父と樹林が麗琴の面倒を見たり、昼食を作ってくれた。夕方になり、私は父が夕食の準備をするのを手伝った。樹林は母たちを迎えに行った。夜の7時過ぎ、母や春麗姉と一緒に義兄の高安偉が現れ、家の中は賑やかになった。私たちは食事をしながら、北京の話やアパレル店の話や日本の話などをした。10時になると春麗姉家族がマンションへ帰り、祖母と樹林と私が実家に泊まった。5人でいろんなことを話し、寝たのは深夜前だった。
〇
翌日の月曜日、牛庄村から赫有林と金紫蘭が奇瑞汽車のチエリーに乗って、営口の『微笑服飾』の店にやって来た。2人は仕合せそうだった。有林は私との過去の事など全く無かったように、私と接した。私の方も同じように振舞った。有林たちは私が日本から来て、大連の店に樹林と行くと知って、一度、大連店が、どんな所にオープンすることになったのか、見に行きたいとの話だった。その要望に反対する者は誰もいなかった。そこで私たちは樹林のマイクロバスと有林のチエリーの2台で大連に行くことになった。私は春麗姉に大連に行って、そのまま日本に帰ると伝えた。父と母は、大連店の進捗状況を確認しがてら、私と一緒に大連まで行く事を決めた。麗琴が私と一緒に大連に行くと言って泣いたが、春麗姉が、麗琴をなだめた。
「愛姉ちゃんは、お仕事で行くのだから駄目よ」
「お祖母ちゃんたちが行くのに、何故、私は駄目なの?」
「お祖母ちゃんたちも、仕事なの」
そう説明されると、麗琴は仕方なく納得した。私たちは営口市内で昼食を済ませてから大連へ向かった。私は嫌だったが、有林の車に乗せられた。その車中で、紫蘭が私に訊いた。
「愛ちゃん。日本人の彼氏に優しくしてもらっているみたいね」
「どうして、そういうことが分かるの?」
「だって明るい顔をしてるから」
「紫蘭さんも明るい顔をしているわよ」
私は、そう言い返して笑った。そんな笑い話をしながら、有林の運転するチエリーは、樹林が運転するマイクロバスと一緒に、黄河路の『微笑服飾』の大連店に到着した。そこはまだ内装工事中で、店舗の工事状況を、徐凌芳と劉安莉が監視していた。2人とも私の幼馴染で、大連店の立ち上げを手伝っていた。樹林が芳美姉と私の出資を得て、大連のアパレル店をオープンすることで、その協力をしてくれていた。私は、まず黄河路の通りを眺めた。まあまあの人通りだった。立地としてはまずまずだった。店舗には内装業者が入り、熱心に内装をしていた。『SMILE』の看板も既に手配していて、明日には届くとの説明だった。私が商品展示スペースと店舗奥の事務所兼倉庫の広さを確認すると、四谷店の倍以上の広さなので羨ましく思った。一応、内装状況の確認を終えると、私たちは近くにある茶坊で、コーヒーを飲み、開店の日の準備など、細々とした打合せをした。経理面については春麗姉夫婦に指導してもらうよう樹林に伝え、私にも月間売上げの結果報告を毎月、行うよう指示した。また服務規程の話をして、母に営口店の服務規定をコピーして、後日、樹林に渡すようお願いした。父も有林も紫蘭もただ黙って私たちの会話を聞くだけで、大人しくしていた。一応、皆が納得したところで、夕方5時半から、『大連賓館』近くのレストランで、私の歓迎会を開いてもらった。そこで牡蠣フライ、油菜、黄魚、イカの炒め、青椒肉絲、三色スープなどをいただいた。大連の食事の味は日本の味に似ているところがあった。食事が終わると、赫有林と金紫蘭は、チエリーに乗って牛庄村へと帰って行った。私たちは『大連国際酒店』に移動し、そこに泊まった。昔の事が思い出された。『瀋陽増富油墨有限公司』の李増富社長との嫌な思い出もあった。
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私は『大連国際酒店』の部屋で目覚めた。一瞬、『ハニールーム』にいるのかと思ったが、街路樹を揺らす風の音で、大連にいるのだと分かった。私は眠気をこらえ、起床した。部屋のカーテンを開けると、すずかけの樹の向こうから、朝日が顔をのぞかせていた。パジャマから洋服に着替えて、8時に食堂に行くと、既に両親が食事を始めていた。私は、そのテーブル席に同席して、バイキング料理をいただいた。倉田社長の真似をして、お粥に漬物を入れて食べた。胃に負担をかけないらしい。両親は私の食事の好みが変わったので、首を傾げた。朝食が終わると、樹林が迎えに来た。私たちは樹林の車に乗って、昨日と同じ黄河路のアパレル店へ行った。内装工事中の店舗前に立って、凌芳たちと立ち話をしていると、小型トラックが『SMILE』の看板を運んで来た。営口店と同じデザインなので安心した。私たちは午前中、その看板の取付けに立会った。その『SMILE』の看板は店舗の正面上部に、しっかりとネジ止めされた。その『SMILE』表示の下に、『微笑服飾』の漢字の表示が貼られると、私たちは満足した。私は中国2号店が、来月初めに本当にオープンするのだと実感し、胸がワクワクした。日本に帰ったら、直ぐに大連店への洋服類を手配しなければならないと思った。その前に必要なのは試着室、姿見の鏡、テーブル、ハンガーラックなどがあり、樹林と凌芳に確認すると、2人は安莉の親戚に調達してもらっているので、大丈夫だと言った。すべての事が母や春麗姉が営口店オープンで経験したことであり、実績があったので、私が心配することはほとんど無かった。後は樹林と凌芳が結婚し、大連店での商売を成功させてくれることだけだった。大連店の経営は私の母、紅梅が主幹となって行うが、その資本の多くは日本にいる芳美姉と私の出資金が主だった。私の出資金は営口店での私の配当金からの拠出で、今回の私の出資金の追加は50万円程度だった。また春麗姉の夫、高安偉の勤務する『中国工業銀行』からの支援もあり、大連店の開設資金については、全く問題が無かった。店のオープン日は皆で打合せして、12月1日(水曜日)に決定した。その後、皆で昼食。ギョーザ、牡蠣、サザエ、ホーレン草、炒飯、スープなどを食べながら、大連の街のことなどを私が質問すると、劉安莉が言った。
「愛ちゃん。折角、大連に来たのだから、これから観光すると良いわ。大連は『北海の真珠』と呼ばれている素晴らしい所よ。こちらのことは私と凌ちゃんに任せて、ご両親と出かけて来ると良いわ」
「行っても良いの?」
私が凌芳に確認すると、凌芳は頷いた。
「良いわよ。樹ちゃんに連れて行ってもらいなさい。営口より素晴らしい海の眺めよ。樹ちゃん、案内して上げて」
凌芳の言葉に樹林は笑った。
「よし、叔父さん、叔母さん、行きましょう」
私と両親は食事が終わると、樹林のマイクロバスに乗せてもらい、まず『日本風情街』の別荘などを見て、『老虎灘公園』へ向かった。鈴懸の林が続く初冬の山道を越えて行く海岸への景色は、何処か日本の漁村へ向かう道の風景に似ていた。『老虎灘公園』に到着すると、私たちは車から降りて、老虎灘の沖の彼方に広がる黄海を遠望した。岩の上から足元を見下ろせば、砂浜は少し赤茶け、寄せる波は透明に澄みきっていて、泳ぐ魚が見える程に美しかった。私たちは、海を遠望してから、周恩来の別荘などを眺めて、樹林が勧める『星海広場』に行った。星海湾を南に臨む広場には、巨大なシンボル塔『漢白玉華表』が建っていて、国際会議場などもあり、立派な広場だった。広い芝生の緑地には噴水が白い水を噴き上げ、子供たちが走り回る素晴らしい公園だった。私たち親子は、発展を続ける大連の観光をしてから、凌芳たちが待つ、『微笑服飾』の大連店に戻った。内装は着々と進み、後は、オープン日の準備をするだけだった。夕食は、樹林のおごりで、凌芳が近くにある『万宝海鮮坊』を予約してくれた。私たちは、そこへ行って、刺身、カニ、ウニ、牡蠣、エビなど、沢山の海の幸をいただいた。両親と一緒になって美味しい海の幸料理をいただいていると、幸福感に満たされ、何故か、大連に残りたい気持ちになったりした。しかし、私は、明日中に日本に戻らなければならない約束だった。
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総ての仕事が終わった所為か、ぐっすり眠ることが出来た。午前8時、私は『大連国際酒店』の食堂に行き、両親と樹林、凌芳、安莉と6人で朝食を一緒に食べた。私はその席で、12月1日のアパレル店のオープンを厳守すべく頑張るよう皆に、お願いした。その後、凌芳たちにさよならを言って、部屋に戻り、帰国の為の荷物整理をした。両親たちは芳美姉の家族や倉田社長への土産物を買いに出かけ、10時半にホテルに戻って来た。11時、私たちはホテルの24階のレストランで軽く食事を済ませた。そして11時にロビーに行き、チエックアウトを済ませた。それから樹林のマイクロバスに乗り、『大連国際空港』へ向かった。『大連国際空港』に到着するや、私は全日空のカウンターに行き、荷物を預け、チエックインを済ませた。時間が無いので、私は直ぐに出国ゲートに向かい、両親と樹林にさよならして、出国ゲートを潜った。何故か感傷的な気持ちになった。そんな気持ちを紛らす為、出国手続きを済ませると免税店で桃園たちへの土産物などを買った。その後、12時半過ぎ、NH904便に搭乗した。午後13時15分、NH904便は『大連国際空港』を離陸。猛スピードで冬空に向かって急上昇。天空に浮上。一路、日本の『成田国際空港』に向かって飛行。私は飛行機が水平飛行に移ってから、広がる天空を見やりながら、今回、目にした中国の変化を振り返った。私が中国を離れ、日本に移住してからの中国が急激に成長していることを改めて実感させられた。物価が驚く程に上昇し、男たちは高級車に興味を抱き、女たちは化粧に夢中。中国国民の生活は、かっての社会主義的生活から資本主義的生活に変化しつつあった。この流れはもう止められない。この流れに乗って、上手く立ち回れば、『微笑服飾』の3号店も夢では無い。私は自分の輝く未来を夢想ながら、日本の歌を聴いた。心地良いテンポの日本の歌を聴きながら私はまどろみ、本格的な夢に入り込んだ。飛行時間,約3時間。機内放送で私が目覚めた時はもう日本。外は夕暮れ。搭乗機は5時半前に『成田国際空港』に到着した。私は入国手続きを済ませ、沢山の荷物を受取り、JRの『成田エクスプレス』に乗って帰ることにした。『成田エクスプレス』のチケットを買い、荷物を持って指定席に乗り込むと、どっと疲れを感じた。『成田エクスプレス』は順調に走り、私と荷物を無事、新宿駅に送り届けてくれた。夜の8時過ぎ、新宿駅で琳美が入場券を買って、ホームで私が到着するのを待っていた。琳美は私を発見すると、満面の笑みを見せて、私の所へ走って来た。私は琳美に荷物を持ってもらい、彼女と一緒に芳美姉のマンションに訪問し、帰国報告をした。私は樹林や母から預かって来た中国のお土産を芳美姉に渡した。芳美姉は私から中国の土産物を受取り、とても喜んだ。そんな喜ぶ芳美姉の顔を見て、大山社長は眠そうな顔をしながら笑った。私はお寿司をいただきながら、『微笑服飾』の大連店の進捗状況を報告した。その後、私は桃園の待つ、マンションに向かった。日本は中国より暖かかった。
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久しぶりに会社に出勤すると、沢山の荷物や書類が事務所の机とテーブルの上に置いてあった。私が留守の間、浩子夫人が出勤してくれていたので、店の中は綺麗だった。私が入荷した荷物を開け、冬物の衣類を飾っていると、倉田社長と浩子夫人が出勤して来た。私は2人にコーヒーを淹れてから、浩子夫人に中国土産のエメラルドのネックレスを渡した。すると浩子夫人は大喜びした。
「まあ、素敵。私、こういうの欲しいと、前から思っていたの」
「本当ですか」
「そうよ。主人に何時も欲しいって言っていたのに、ちっとも買って来てくれないので、今度、自分で海外旅行に行って探そうかと思っていたのよ」
浩子夫人は倉田社長を睨みつけてから、喜びの笑顔を見せた。私は何と言って良いのか分からず、笑い返した。倉田社長は黙ったまま、コーヒーをゆっくりと飲み干して、パソコンに向かった。そこへ『スマイルワークス』の金久保社長と野崎部長がやって来た。私たちが中国へ出張していた間、彼らは北島和夫の車を使って、長野の山小屋『スマイル山荘』へ冬の戸締りに行って来たという。2人が加わったことにより、事務所内が狭苦しくなった。私は『微笑服飾』の大連店のように事務所が広ければ良いのにと思った。浩子夫人は金久保社長たちと談笑し、野崎部長が買って来てくれた差し入れのシュークリームをいただこうと、私に声をかけてくれた。金久保社長と野崎部長が話す長野の山荘とは、どんな山小屋なのか、ちょっと興味が湧いた。これから白銀の雪に覆われ、スキー客で賑わうという。そんな話を聞いていると、お客がやって来て、ブラウスやズボンを買ってくれた。昼食時になると、倉田社長たち男性は『ドナウ』へ食事に出かけた。私は浩子夫人とコンビニからおにぎりやワンタン、野菜サラダなどを買って来て食べた。午後になって倉田社長たち3人が、昼食から戻って来てからも、お客が店にやって来た。オーバーコートやブーツなど3万円程度、買ってくれたお客がいたので、私も浩子夫人も大喜びした。金久保社長たちも高額の買い物客が来たりするので、びっくりした。
「結構、お客が来るんだな」
「うん。最近、知られるようになったから」
倉田社長が嬉しそうに答えた。厳しい冬を迎えるとあって冬物の売れ行きは好調だった。私は四谷店は勿論の事、中国店への冬物の調達を急がれていて、大変だった。午後4時過ぎになると倉田社長は『スマイルワークス』の仲間との会合があるということで、事務所から3人で出て行った。私は浩子夫人と2人になり、ホッとした。
「皆さん、元気ですね」
「そうなのよ。大企業や役所勤めをしていた人たちだから、生活に困らないで、飲んだり、食べたり、遊び回っているの。貧乏なのは私の家だけ」
「そうですか。そうには見えませんけど。貧乏だったら、会社などやってられないと思います」
すると浩子夫人は、私を諭すような目をして、倉田社長のことを語った。
「主人は身の程、知らずなの。男は基本的に見栄っ張りだというけれど、主人は、その典型なの。金が無いのに、目的の為に惜しみなく金を使うから困るの」
私にも感ずるところはあった。私の為に見栄を張っているところもあった。私は、どう相槌を打ったら良いのか分からなかった。倉田社長は気っ風の良い人だった。浩子夫人は、そんな倉田社長の浪費癖を指摘したいらしいが、その恩恵を受けている私には、倉田社長は頼もしい人だった。私は倉田社長を庇う言い方をした。
「社長が、そんなに無駄使いしているようには見えませんけど」
「無駄使いをしているのよ。やれば出来るというのは、とんでもない主人の思い上がりよ。どんなに頑張っても、出来ないことがあるのよ。努力にも限度があるわ。私の本心は、適当な所で、会社経営を止めて欲しいの」
「会社を止めるのですか?」
「勿論、愛ちゃんが自立するのを確かめてからよ」
浩子夫人は私の心配を気にして明るく答えた。それから私を夕食に誘った。
「主人たち、お酒を飲んで、帰りが遅いから、私も新宿で夕御飯を食べようかと思っているの。エメラルドのネックレスをいただいた御礼に、御馳走するから、一緒に食事をしましょう」
「は、はい」
私は彼女の誘いに乗って、仕事を終えて、店のシャッターを降ろしてから、浩子夫人と一緒に新宿に行き、『小田急デパート』の上の和風レストラン『つづらお』で食事をした。一緒に食事をすることにより、彼女との親近感がより増したような気がした。浩子夫人は、不思議な程、私に優しかった。
〇
翌日もまた忙しかった。四谷店の冬物の飾りつけ、冬物の入荷、接客、中国1号店と2号店への出荷、伝票整理など実に慌ただしく多忙だった。倉田社長も『古賀商会』の古賀社長の不手際により、事故を起こして修理した金型を期限内に船積みせねばならず、古賀社長を叱責したり、技術者を派遣する為、人をかき集め、その旅行チケットの手配や台湾の『台林貿易』の林社長に技術者の出迎えやホテル手配を依頼するなど多忙だった。それが一段落すると、2人ともホッとした。今日は週末。夕方になると、珍しく倉田社長の方から、私を誘った。
「今日は酉の市。花園神社のお参りして帰ろうか」
「えっ、花園神社ですか」
私は、その言葉に工藤正雄の事を思い出した。まだ忘れられないでいる。絶縁した筈なのに、未練がましく、心の何処かで待っている自分がいた。そんな事、倉田社長は知らない。
「うん。花園神社の夜祭を見たいから」
「分かりました」
私たちは四谷店のシャッターを降ろしてから、タクシーに乗って、新宿3丁目で下車した。新宿3丁目と歌舞伎町の間を走る靖国通りの歩道は何時も以上に賑わいを増していた。冷たい夜風が吹く中、花園神社にお参りする人たちの行列で街はいっぱいだった。神社の境内は提灯で照らされ、夜店が並び、酉の市の本祭りということで、沢山の人たちが,熊手を買っていた。
「何故、あれを熊手って言うの?」
「ああ、あれか。あれは川に上って来た鮭を、熊が大きな手で掻っ込む姿を現した物だ。江戸、今の東京の庶民は、その熊の手のように鮭を掻っ込む、つまり、採り込むことを真似て、開運、商売繁盛を願い、熊手を『かっこめ』と呼び、こぞつて熊手飾りを買い求めたらしい。その縁起担ぎの人気が、今も続いているんだ」
倉田社長に説明をしてもらい、私は成程と思った。それにしても、この花園神社の混雑ぶりに私たちは驚いた。私たちは人混みの中をはぐれぬように手をつないで歩いた。普段、人前で手をつないだりしない倉田社長にしては珍しいことだった。若い娘と老人が手をつないで歩くのを、異常に見られようが、そんなことを気にしていられるような状況では無かった。私は急ぐ倉田社長に訊いた。
「熊手、買わないの?」
「買わない。あんな大きな物を飾る場所は無いし、うちの店には似合わない。あれが似合うのは寿司屋か居酒屋だよ」
「なら何時もの静かな所へ行きましょうか」
私たちは花園神社の鳥居の所から『南国亭』の前を通り、『ピーコック』へ行き、休息することにした。『ピーコック』の部屋に入ると暖房が効いていて、やっと落着いた気分になれた。ゆっくりとバスルームで温まり、柔らかなベットの布団に入り、つるっとした互いの肌に触れながら、私たちは会話した。
「中国との仕事が決まると良いわね」
「そうだね。何とか決まるよう願っているよ。2人で協力し合えば、きっと上手く行くよ」
「そうすれば、また中国へ行けるわね」
「うん。その時は、中国の1号店、2号店と君の家に行くことにするよ」
私たちは天井の灯りを見上げながら、夢を語った。そして愛し合った。人を想う事や人に想われることで人は強く生きることが出来る。互いを想う愛は2人の間に浮遊し、逡巡する2人を幸福に導いた。重なり繋がり合う歓喜の彷徨の時間は、私たちを最高の陶酔の世界に浸らせた。どうなっているのか、このカップルは。誰も信じられない組み合わせに違いない。でも、これは幻想で無く、現実世界の出来事だった。私たちは歓喜の時間を充分に味わてから『ピーコック』を出て、歌舞伎町の街を歩いた。
「何を食べようか?」
私は疲れていた。倉田社長に言っていないが、明日、休日出勤するつもりだった。だから早くマンションに帰りたかったので、食事を断った。
「今日は遠慮するわ。浩子さんの所へ、早く帰ってあげて」
私は、そう言って、歌舞伎町から新宿駅まで、倉田社長と一緒に歩き、新宿駅前で別れた。彼は浩子夫人の待つ自宅へ。私は桃園の待つマンションへと向かった。
〇
中国から帰国して、『ハニールーム』に行こう思っていたが、冬物の商品の仕入れや発送、事務処理作業などで、土曜日も出勤となり、『ハニールーム』に行く事が出来なかった。私は日曜日の午後になってから、『ハニールーム』に行った。『茜マンション』に行く途中、菊の花などを目にして、日本の街並みを美しいと感じた。私が『ハニールーム』に行く事を斉田医師にメールを送ると、彼は日曜日なのに、私に会いたくて、友人に会うからと言って自宅を出て来て、私より先に『ハニールーム』にやって来ていた。何時もならビールでも飲んで、ほろ酔い気分で、私を待っているのだが、今日は違った。ベットの上に寝そべって、難しい書物を読んでいた。私の訪問に気づくと、読書を止めて、私を誘った。
「お帰り。久しぶりだね。こっちへおいで」
私は久しぶりに『ハニールーム』に来たのだから、部屋の様子を確認したかった。彼が早く私を抱きたいのは分かるが、私は、まだその気分にはなれず、直ぐにベットに行く事をためらった。私はせがむ斉田医師に微笑んで言った。
「時間が充分あるのだから、そう急がなくても良いでしょう」
「やるのが好きな君にしては、珍しいな。もしかして、中国で、ありったけやって来たのじゃあないだろうな」
「何言ってるのよ。皆、70歳過ぎの不能老人たちだと言ったでしょ」
「そうじゃあない。その後、大連に行ってから、昔の男たちと」
「大連では両親が、ずっと一緒よ。それに昔の男など大連にはいないわ」
「なら良いが。仕事は上手く行ったのかい?」
「まあね。中国製の機械も立派になったと、お客さんが褒めてくれたわ。これから見積書を提出して、成約しようと、天津の社長も、うちの社長も張り切っていたわ。それと大連の2号店、今月中に完成し、12月1日、オープンする見込みがついたわ」
「そう。それは良かったね」
「これ中国のお土産。お酒とブレスレットとチョコレートと置物」
私は土産物をテーブルの上に並べた。彼はベットから降りて来て、土産品を一つ一つ確認して、お礼を言った。
「ありがとう」
そう言って見詰められると、私の胸は高鳴った。斉田医師はそんな私の気持ちを読み取り、私を引き寄せ、私の唇に彼の厚い唇を密着させて来た。それから私の口の中に舌を差し入れ、私の舌に彼の舌を絡みつけて来た。私もそれに合わせて舌を絡ませた。彼の左手は立ったままの私の背中を抑え、右手の方は私のスカートをめくり、ショーツを引き下げようと動き出した。
「ああっ、駄目」
斉田医師は私の言葉など無視してショーツを引き下げ、立ったまま、股間の隙間に人差し指を挿し込んで来た。彼の太い指がスルリと私の秘部に入り込むと、まるで蛇のようにヌルヌルと穴の中で動き回った。
「どうだ?」
「あっ、待って、待って。感じちゃうから」
その私の言葉より早く、私の秘部は、もう、ペチャペチャと濡れている音を、いやらしく発していた。私はどうしたら良いのか分からなかった。すると斉田医師は私の両脚からずり落ちたショーツを足から外し、私をそのまま抱き上げ、ベットへと運んだ。10日以上、私と会っていなかった彼の欲望は抑えようが無かった。彼はズボンをブリーフごと脱ぎ捨て、ベットで仰向けにされた私の上に跨った。乱暴な行為だったが、既に秘部を掻き乱されている私は欲情に濡れて、それを許すことが出来た。早くドッキングしたいと彼の天狗の鼻にように反り返った物を、自らの手で、自分の秘部に招き入れた。すると彼は私の上で、ゆっくりと律動を開始した。そうっとそうっと挿入して、ゆっくりと抜いて、またそうっとそうっと深く入れて、またゆっくりと抜くといった繰り返しに、私の肉体は燃え上がり、悦びに震えた。その私の顔を見て斉田医師はピッチを上げて突きまくり、燃えに燃えて叫んだ。その獣じみた行為は、医師の行為とは思えなかった。愛の嵐と言うより、欲望の嵐だった。彼は10日間ほど溜まりに溜まっていた欲望を、私の広げた花園に振りまいて卒倒し、私の上からゴロリと横に転がり落ちた。私は、その斉田医師を横に仰向けに寝かせてから、『ハニールーム』の天井の灯りを見詰めながら確認した。
「本当に、結婚してくれるのよね」
「勿論だよ」
斉田医師は、はっきりと答えた。本気なのか嘘なのかは分からない。そんな不確かな答えなのに私は安堵して、毛布にくるまり目を瞑った。
〇
このような毎日を恥じらいも無く告白する私の事を読者の皆さんは軽蔑し、異常と思うでしょう。でも貧しい中国の田舎町に生まれ、裸一貫で、日本の東京にやって来た私は、いわば野球の捕手のような生き方をするしか方法が無かった。私は色んな男たちが投げる色んな球を受けながら、それをキャッチし、ミットの中に受け入れた。その強烈な球を何度も何度も受けて、私はタフな女性に成長した。男を散々、騙し、お金や幸せを手に入れようと努力奮闘した。生きる為に色気や虚偽を武器にして、自分の居場所を獲得した。自分で言うのも可笑しいが、ちょっとした美人なので、愛人にならないかという誘いも受け、その気になった。世間の人は、そんな私に対し、人生を安易に考えて欲しくないというが、それに乗せられて何がいけないというのか。私は私を愛してくれる人たちが、懸命に呼吸し、夢中になって生きている東京が大好きだ。私の行動は道に外れた社会的に許されないことかも知れないが、私は私の罪を許して欲しいとは思わない。総てが生きる為なのだ。フランスの思想家、ミッシェル・セールはこんな乱暴なアドバイスを私に与えてくれた。
〈もし君が身を救いたいと思うならば
君の肌を危険にさらしなさい〉
私は日本に来る時から、このことを覚悟してやって来た。だからといって、闇雲に肌をさらしはしない。自分にとって利が有るか無いか、相手を良く見て選択した。そんな私にとって中道剛史は、将来、期待出来る男のような気がした。金曜日、その中道係長から久しぶりに誘いのメールが送られて来たので、私は直ぐに了解した。約束の夕方6時45分、私は『紀伊国屋書店』の前に行き、中道係長と合流した。彼は私に軽く会釈して言った。
「たまには店を変えようか」
「そうね。寒いから火鍋の店に行きたいわ」
「何処にあるか知つてる?」
「はい。案内してあげる」
私は中道係長を歌舞伎町の火鍋店『小肥羊』へ連れて行った。そして女性に人気の美肌コース料理を注文し、2人で仲良く口にした。寒い季節に辛い漢方食材を用いた火鍋料理は新陳代謝を促進し、私たちの身体を燃え上がらせた。それに酒が加わったから2人ともほろ酔い気分になった。
「じゃあ、『マックス』へ行こうか」
『小肥羊』を出ると、もう歌舞伎町の夜は妖しいネオンを煌めかせて、まるで蛍が群がる川のように流れていた。私たちは、その流れからちょっと外れた暗い道を歩き、『マックス』へ行った。若さ故でしょう。中道係長は相変わらず欲望をギラギラさせていた。彼は乱暴だった。部屋に入るなり、私をベットの上に押し倒し、何度も何度もキッスし、私にシャワーを浴びる余裕も与えず、私のトックリのセーターを脱がせ、肌着を取り除き、ブラジャーを外して放り投げた。私は、そんな彼の乱暴を嫌がり、足をばたつかせた。しかし彼は容赦なく強引に私のパンティを両脚から抜き取った。そして股間の割れ目に指を滑り込ませて愛撫を開始した。私は彼から愛撫を受けると、今まで足をばたつかせていたのに、もう足を動かすのを止め、大人しく彼のするに任せた。彼は私の花園がしっとりと露に濡れているのを確認すると、私の両足を大きく割って、ゆっくりと中に入って来た。私は、その生暖かい快感をどうしたら良いのか分からず、彼の腰を引き寄せ、必死にしがみついた。中道係長が突き刺して来た物体を私はハマグリのような花肉ですっぽりと包み込み、無意識のうちに締め上げた。それからは2人の世界。2人の攻防戦。激しく激しく快楽をむさぼった。中道係長は絶頂に達すると大きな声で叫んだ。
「行くぞ。行くぞ!」
彼は私がまだ途中なのに、あっという間に果ててしまった。私は仕方なく、彼が吐出したものを始末し、先にシャワーを浴びて着替えを済ませた。『ハニールーム』に行けば、また出来る。私は彼が着替えを終えると、援助資金を受け取り、『マックス』を出た。そこから靖国通りに出て、そこで彼と別れた。そして、斉田医師が待つ、『ハニールーム』へと向かった。
〇
11月28日の日曜日、芳美姉と大山社長は『微笑服飾』大連店のオープンに出席する為、中国へ出かけることになった。その為、私と琳美と桃園は『成田国際空港』まで、見送りに行った。私たちは芳美姉夫婦と一諸に、新宿駅から『成田エクスプレス』に乗って『成田国際空港』に向かった。新宿からの車窓の景色は見慣れた景色であったが秋から冬になっていた。列車が『空港第2ビル駅』に着くと、半分以上の人が下りた。私たちは下車した人たちの行列に並び、皆で手分けして荷物を持ち、プラットホームからエスカレーターに乗り、改札口を出て、そこから空港ビル3階の全日空カウンターに行った。そこで私たちは芳美姉と大山社長に荷物を渡し、身軽になり、出国ゲート近くへ移動した。そして芳美姉夫婦がチエックインを済ませて、出国ゲートにやって来ると、そこで手を振って別れた。私は芳美姉にお願いした。
「よろしくお願いします」
「任せておいて。愛ちゃんの分、お祝いして来るから」
「有難う。皆によろしくね」
「うん。こちらこそ、琳のことよろしくね」
「心配しないで。2人で留守番するから、安心して」
「では再見!」
2人の姿が消えると、私たちは、そこからエスカレーターに乗って4階に移動し、食事をした。4階には土産店とレストランがあり、明るい笑い声やお喋りが木霊していた。私たちは洋食レストランに入り、入口近くのテーブル席に座って、スパゲッティと野菜サラダとコーヒーを注文した。コーヒーが運ばれて来ると、桃園が琳美と私を見て言った。
「2人とも嬉しそうに出かけて行ったわね」
「そうね。大連のアパレル店で、弟の樹ちゃんたちとお祝いしたり、親戚の人に会えるから」
私が、そう言うと琳美が続けた。
「それと営口のマンションで2人っきりになれるから」
「まあっ。琳ちゃんたら」
桃園が琳美の肩を叩いて笑った。そこへスパゲッティが運ばれて来て、食事が始まった。スパゲッティを食べながら、琳美が、ぼやいた。
「私、今夜から、食事を作るの大変だから、2人の所へ行って良いかしら?」
「良いわよ。でも、それで良いの。早川君がマンションに来るんじゃあないの」
私は、そう言って、自分で、自分の事を笑ってしまった。琳美は、顔色を変えず、平然と答えた。
「毎晩じゃあ無いから」
それを聞いて、桃園が頷いた。
「毎晩じゃあ無いか。成程」
琳美の一言で桃園は察しがついたらしい。すると琳美は、ちょっと赤くなって苦笑した。
「2人とも、いやらしいわね」
「だって新ちゃんとの付き合いは続いているのでしょう」
「うん。それはそうだけど」
「私、留守中、琳ちゃんのこと、芳美姉さんに頼まれているのよ。大丈夫なの。マンションに1人で」
「だから、お願い。愛ちゃんたちの所に泊めてもらうか、私の家に泊まって欲しいの」
「分かった」
私と桃園は同意した。それから私たちは食事を終え、レストランから出て、空港の土産店で買い物をあさり、『成田エクスプレス』に乗って新宿に帰った。琳美は1週間ほど、自由に暮らせると、ルンルン気分だった。大丈夫かしら。
〇
時が過ぎるのは早い。暦は12月となった。振り返るといろんなことのあった1年だった。お陰様で、アパレルの仕事は軌道に乗り、12月1日、『微笑服飾』の大連店もオープン出来た。倉田社長の台湾輸出の仕事も、ほぼ完了し、利益が得られた。倉田社長は、収益が得られたことを態度に現わさなかったが、浩子夫人は有りのままを話してくれた。先月末、台湾から高額の入金があったという。そんな倉田社長を狙ってか、あちこちのクラブのママやホステスたちから、会社に電話がかかって来たりした。倉田社長は都合が悪い相手だと携帯電話に出ないらしい。私は会社に電話をかけて来た相手の名前、クラブの名前などを聞いて、その名をメモして倉田社長に渡した。私が気にしている小雪や雨冰といった女性からの電話は無かった。かかって来るのは銀座や上野、池袋の女たちからだった。小雪や雨冰とは携帯電話でメール交換しているに違いなかった。昼間、突然、客先と打合せがあるからと言って出て行く時が怪しかったが、追いかけていく訳には行かなかった。私より40歳も年上の高齢なのに、何故、女たちが声をかけて来るのか不思議でならなかった。それは倉田社長が誰も差別無く受け入れ、声をかけられると、断れない性分だったからに相違なかった。倉田社長は相手を傷つけないよう、細心の気を配り、とても優しく女性に対処するフェミニストだった。そんな彼の男らしい大人の魅力は、女心を安心させてくれるのかも知れなかった。口数が割と少なくて、人当たりが柔らかいから、二重人格者なのに、良い人だと勘違いされているらしい。彼の語る自由と夢と豊さは、女性たちを気楽にさせてくれるみたいだった。そう語る私も彼の、そんなところに気安さを感じて近づいたのだが、いざ付き合ってみると、彼は完全な二重人格者だった。人間的にふくよかなところもあれば、底意地の悪いところもあった。彼は小説を書くことを趣味にしていて、現実と虚構のエアーポケットの中で、物事を判断するところがあった。妄想を走らせ、高潔さ故に人を踏みつけ、辱め、嫌悪するところがあった。彼は私の男関係について疑い、嫉妬し、私の事を、まるで犯罪者のように扱い、私を避けようとした。私は、そんな精神状態になった時の彼の前で犯罪者として身を置く時、図太く生きるしか方法が無かった。彼から与えてもらったアパレルの仕事に専念し、何時の日か、浩子夫人が言うように、自身の力を付けて自立し、『スマイル・ジャパン』から飛び立つことを夢に描いた。でも今日にように、突然、客先と打合せがあるからと言って出て行かれると、何故か寂しかった。どうして自分は、こんな仕打ちを受けなければならないかと思うと、急に悲しくなった。私に優しい筈の彼に冷たくされると、急に愛しくなり、倉田社長にメールを送った。
*今、何処にいますか?
何時頃、事務所に戻りますか?
一緒に食事をしたいと思っています*
すると1時間程して、倉田社長から返信メールが届いた。
*先程、お客様と打合せを終了しました。
これから忘年会に参加しますので
事務所には戻りません。
1週間、お疲れ様でした。
また来週、頑張りましょう*
私は、倉田社長のメールを2度ほど読み返し、何故か彼が心変わりしたような疑念を抱いた。私は小雪や雨冰といった女性たちのはしゃぐ姿を想像し、泣き出したいような気持になった。ガラスドアの向こうに見えるレストランや街路灯に灯りが点いて、外は本格的に暗くなろうとしていた。私は泣き出したい気持ちを抑え、アパレル店内を片付け、仕事を終えた。倉田社長と『微笑服飾』の大連店のオープンを祝うことを諦めた。そして、あの人が待っている所へ、早く行こうと、店のシャッターを降ろし、会社を出た。
〇
私は自分があやふやで中途半端な人間であることに気づきながらも、それを修正しようとはしなかった。何故なのか。それは自分が欲張りだからに相違なかった。私が『ハニールーム』に行くと、斉田医師が早くも部屋で待っていた。
「今夜はたっぷり時間があるな。早く仕事を終えたんだね」
「そう。社長が忘年会に行くと言って早く帰ったから、私も早めに仕事を終えて帰って来たの」
「それは良かった。買い物して来たみたいだけど、今夜は夕飯作りを休みにして、外で食事しようか」
「外で食べるの」
「そう。明日、君の誕生日だから」
「まあ、嬉しい。外で御馳走してくれるの」
「うん。ケーキはもう買って来てある。冷蔵庫に入れてあるから、食事から戻って食べよう」
「本当」
私は買って来た食料品を冷蔵庫に入れながら、『風月堂』のケーキの入った箱を確認した。今夜、食事を終えて帰って来てから、この甘いケーキをいただけるのかと思うと、今から楽しみだった。そんな私の様子を眺めながら、斉田医師はカシミアのオーバーコートを羽織り、マフラーを首に巻き付け、玄関ドアの前に立った。
「じゃあ、行こうか」
「何処のお店に行くの?」
「君の知らない店。予約してあるから」
彼が、そう言って向かったのは大久保と新宿の中間地点にある洋風レストラン『ぺスカデリア』だった。『ハニールーム』から、その店まで10分もかからなかった。店内は金曜日とあって、満員に近かった。私たちは予約席に案内され、まずはワインで乾杯した。それから、タコとトマトのマリーネ、ムール貝のマリニエール、エスカルゴ、ズワイガニのクリームコロッケ、牛ハラミのステーキなどをいただいた。斉田医師は、久しぶりの外食が嬉しいのか、ワインの他にウイスキーなどをグイグイ飲み始めた。それを見て私は注意した。
「駄目よ。そんなに飲んじゃあ。帰れなくなったらどうするの」
「ああ、そうだよね。これから、まだやることがあるからね」
彼が余分な事を口に出しそうになったので、私は慌てて彼の足を蹴った。それから生ウニと茄子のピザを食べて食事を終えた。美味しい料理を食べ終えて満腹になり、店を出ると、時計は9時過ぎになっていた。私は暗い夜道を、ほろ酔い気分の斉田医師を引っ張り、『ハニールーム』戻った。部屋に入ると、彼は酔っているのに、私に誕生祝のプレゼントを渡すのを忘れていなかった。
「誕生日おめでとう。これプレゼント。スワロフスキーのペンダント。開けてごらん。真紅のハートが綺麗だから」
「まあ、嬉しい」
私が小さな包みの箱を開けると、中から素敵なスワロフスキーのペンダントが出て来た。私は、そのペンダントを首にかけてみた。透明なガラスに囲まれたペンダントの中心を飾るワインレッド色のハート型のガラス玉は、私の着ている白いセーターの胸で、一際、鮮やかに美しく輝きを放った。
「素敵ね。ありがとう」
私はそう言って、彼の首にしがみついた。すると彼は私を抱き上げ、ダブルベットに運んだ。後は何時もと同じ流れだった。彼は酔っぱらいながら、簡単な診察をして、私の上で律動を開始した。彼の豊かな体重がのしかかって来ると、上からの圧力がきつかったが、彼の肉体の中から溢れ出ようとする激しい愛を受け止めようと、私は必死だった。激しく突き上げられ、私は仰け反り、何度も死にそうになった。そんな私を見て、彼も絶頂に達し、ついに最後の塊を放出した。彼はその放出を済ませると、私への愛の給油を終え、ゆっくりと給油パイプを引き抜いた。私たちは悦びに満たされ、バスルームに移動し、軽くシャワーを浴びた。それからパジャマに着替え、テーブルにつき、紅茶を飲み、『風月堂』のケーキを食べた。舌触りの柔らかな甘い甘い味だった。
〇
土曜日の明け方、斉田医師はまた私を抱いた。それから朝食を済ませ、コーヒーを飲み、『ハニールーム』から自宅へと帰って行った。斉田医師が立ち去ると、私は一仕事終えた気分になった。これから自分のマンションに戻って、桃園と洗濯でもしようかと考えていると、桃園から午前中に世田谷に出かけるとのメールが入ったので、私はマンションに戻るのを止めた。午前中、ゆっくり、『ハニールーム』で過ごし、午後から今日の『微笑会』の忘年会に出席する為の衣装選びをすることにした。『ハニールーム』に来るようになってから、ここの洋服入れにも沢山の衣装が溜まっていた。自分で気に入った物を仕入れて、店から買って、『ハニールーム』に持ち帰った物が、沢山あった。私は午後になって、その衣装選びを始めた。どれにしようか、色々、迷ったが、最終的に白いブラウスの上に『タロット』の千鳥模様の白黒ジャケットを着て、ライトグレーのバイアススカートを穿くことにした。胸には斉田医師からプレゼントしてもらったばかりのスワロフスキーのペンダントを飾って、上品さを装った。今回の『微笑会』の忘年会の会場は、何時もと違う、新宿の『ワシントンホテル』の最上階のレストランということなので、オシャレして、集合場所に出かけた。夕方5時半、私たちは『ワシントンホテル』の1階ロビーで待合せし、25階のレストラン『マンハッタンテーブル』へ行った。純子も可憐も美穂も春奈も真理も、皆、元気だった。6時に席に着き、懐かしい6人のメンバーで忘年会を開始した。シャンパンで乾杯し、シェフおすすめのディナーコースを食べながら、まずは純子の新婚生活の話を訊いた。純子は皆に結婚式に列席してもらった時の感謝と、その時の写真を配ったりして、甘い新婚生活を語った。また、ここのレストランは平林光男とのデートの時に時々利用した店だと話した。純子のオノロケを聞かされた後、春奈が小寺俊樹から、正式にプロポーズがあったと報告した。母親が家を出た可哀想な園児の父親との付き合いは止めたとのことだった。可憐は長山孝一と時々、会っているが、彼と実家との関係が、スッキリせず、結婚はまだ先の話だと説明した。美穂は米屋の息子と相談し、レストラン業に乗り出す計画でいると話した。真理は相変わらず多くの男性と付き合っているが、仕事が楽しくて、まだ男性を1人に絞り切ることが出来ないでいると言った。私は工藤正雄とのことを質問されたので、こう答えた。
「純子ちゃんの結婚式が済んでから、皆から2次会に出ようと言われたけど、私がいては工藤君が迷惑なんじゃあないかと思って、私、お先に失礼したわ。彼とは、あの日、ちょっと挨拶しただけで、その後、連絡もしてないわ」
私は現在、彼と何の交流も無く、無関係になっていると話した。すると真理があの日の2次会での状況を語った。2次会では『若人会』の小沢、工藤、長山、神谷らと久しぶりに会話し、盛り上がったという。その時、真理は工藤正雄を捕まえ、こっぴどく攻撃したと自慢した。
「私、彼に言ってやったわよ。興信所を使って恋人の素行を調べさせるなんて、男らしくないわよ。卑怯よ。卑怯。愛ちゃんは2次会に出席したかったのに、貴男がいるから、出席しないで、帰ったのよ。可哀想すぎるわ。男なら彼女に謝りなさいって」
私は、驚いた。
「まあっ、そんなことを言ったの」
「そしたら工藤君、あれは母親がしたことだから、俺は悪くない。悪いのは愛ちゃんの方だって言うの。私、頭に来ちゃって、彼の頭を殴ってやったわ」
真理が得意になって喋っているのに、春奈が付け加えた。
「そうなの。そうなのよ。真理ちゃんたら、工藤君のこと、このマザコンと叫んで、本当に殴ったのよ。そしたら工藤君、先に帰っちゃった。ちょっと可哀想だったわ」
その時の話を聞いて、私は悲しい気持ちになった。悪いのは工藤正雄でなく、私が一番悪いのだ。私は彼について語ることが無かったので、アパレルの仕事が軌道に乗り、中国の大連に2号店を今月1日にオープンし、順調であることを自慢した。こうして『微笑会』の忘年会は、ワイワイガヤガヤの内に終了した。
〇
日曜日、私は布団に入ったまま、1人、物思いに耽った。桃園は世田谷の経堂に住む関根徹の所へ土曜日から出かけていて、部屋にいるのは私1人だけだった。斉田医師に誕生日を祝ってもらったり、『微笑会』の仲間と忘年会を楽しんだというのに、私の心は何故か12月の空気のように乾燥していて、空しかった。原因は結婚を考えた工藤正雄と音信不通である事と、私に夢中である筈の倉田社長の冷淡な態度だった。2人とも何故、私を避けようとするのか。私は朝から不満がつのり、倉田社長に鬱憤のメールを送ることにした。
*こんにちは。
今日は何をしていますか。
昨日、私の誕生日だったのに
メールくれなかったですね。
冷たいですね*
以上の文章を一度、打ち込んだが、最後の〈冷たいですね〉の部分を削除して送った。しかし、倉田社長からの返信は無かった。私のイライラがつのるのを見計らってか、1時間程してから、返信メールが届いた。
*誕生日、おめでとう。
昨日は1週間の疲れと台湾とのやりとり、
それに息子がやって来たので
メールするのを忘れていました。
ごめんなさい。
理由にはなりませんね。
でも、他の皆さんから祝福してもらい、
充分でしょう。
良かったですね。
ハッピー、ハッピー、ハッピー・バースディ*
倉田社長は、私が他の男性から祝福してもらったことを想定して、皮肉っぽいメールを送って来た。素直でない意地悪な文面だった。私の心は晴れなかった。去年は倉田社長は勿論のこと、工藤正雄にも誕生日を祝福してもらった。なのに今年は斉田医師からしか、祝福してもらえなかった。1人の男性に祝福されれば、それで充分ではないかと思われるかも知れないが、欲張りの私は、何故か空しさを感じた。私はむしゃくしゃした気持ちを紛らわそうと部屋掃除や洗濯をした。動くと2日酔いは何処かへ行ってしまった。午後3時過ぎ、桃園がマンションに戻って来た。関根徹と将来について沢山の事を語ったとの報告だった。桃園は幸福感に溢れていた。桃園だけではない。春奈といい、可憐といい、美穂もまた、将来の結婚生活に夢を膨らませていた。しかし私の将来は、相手が離婚してくれなければ、成立しない結婚生活だった。結婚前から2人で積み重ねて行くという、喜びなど、私には皆無だった。心の何処かに罪を抱きながら、自分の色気と美貌を頼りに、自分の仕合せを考えていた。私にとって、この方法が一番、早道に思えた。関根徹と付き合っている桃園の生き方と自分の生き方を比較した。そんな私に桃園が言った。
「そろそろ琳ちゃんが来る頃だから、下に行きましょう」
「えっ、琳ちゃんが来るの」
「そうよ。貴女の誕生日祝いをしないとね」
「わあ、嬉しい。お祝いしてくれるの。ありがとう」
私は急に嬉しくなり、外出着に着替えて、桃園と一緒に、マンションの1階に降りた。するとマンション前の通りの向こう側で、琳美が手を振って待っていた。私たち3人は合流すると、馴染みの中華料理店『東光苑』に行き、夕食を楽しんだ。私は2人に招待され、温かな気持ちになった。私は2人に感謝した。
「2人とも彼氏とのデートの時間を割いて、私の誕生日を祝ってくれてありがとう」
「そんなに感謝されることわ。琳ちゃんだって、もう彼氏と会って来た後だから」
「そうなの、琳ちゃん?」
「からかわないで。私は、これから、大学卒業と就職探しという難関が待ち構えているのよ。皆さんみたいに楽しんでいられないのよ」
琳美はちょっと、すねた顔をして見せた。だが私も桃園も、その顔が真実で無い事を見抜いていた。琳美は大学2年生から3年生に向かって、甘酸っぱい女子大生時代を経験しているに違いなかっつた。芳美姉と大山社長が中国に出かけている間、琳美と早川新治との危なっかしい恋が、どう進行しているのか、私たちは、ちょっと気になった。2人っきりで大丈夫かしら。また以前と同じような失敗をしたら、どういう騒動が起こるか、私は考えただけで恐ろしくなった。
「でも、新ちゃんとは、時々、会っているのでしょう。私との約束、ちゃんと守っているでしょうね」
「ご心配なく。うまくやっているから」
琳美は小籠包を口にしながら笑った。子供、子供していた可愛い琳美は何時の間にか、大胆な娘に成長していた。私は、2人に誕生日を祝福され、またひとつ年齢が重なったことを実感した。死にもの狂いで生きて来た日々。それは夢幻では無く、息苦しい悪夢であり、美しい経験だった。問題は、これからだ。どう上手く生きて行くかだ。
〈 夢幻の月日⑯に続く 〉