あなたと別れるのなら
「すまない、君とはもう一緒にいれない」
伯爵領のメインタウンの一角
赤い屋根が可愛らしい小さな一軒家
木のぬくもりあふれるダイニング
そこでこの家の持ち主である平民のシンシアと、同じく平民のアーサーがダイニングで朝食をとっていた。
昨晩はいつものようにアーサーと愛し合ったシンシア。
朝食はアーサーの好きな甘めのスクランブルエッグにカリカリのベーコン。それに近くの美味しいパン屋のパンと紅茶。
少し豪華な朝食。なんてたって、今日はアーサーと付き合って3年目の記念日だから。
朝食が終わったら少しゆっくりし、出かける予定だった。
なのに、朝食が終わった後突然アーサーから言われた言葉。
シンシアは言葉の意味を理解できなかった。
「え、どうして?今日、私達が付き合った記念日よ……?」
「もう、一緒にはいれないんだ。別れてくれ」
「それだけじゃわからないわ。昨日だって変わらずに愛してくれたじゃない!」
「ごめん……」
「アーサー、結婚しようって言ってくれたの忘れたの?なんで急に……わからない」
うららかな休日、楽しい日になるはずだった。
突然の別れ話。
アーサーはただ俯き、謝るだけ。
「わかったわ、アーサー顔を上げて」
長い沈黙の末、シンシアは呟いた。
のろのろと顔をアーサーは顔を上げる。
パァンッ
乾いた音がダイニングに響く。
涙を流しながら睨むシンシアに、アーサーは何が起こったかわからなかったが、次第に痛む頬に気づき叩かれたのだと理解した。
シンシアは何も言わずにダイニングを離れた。
アーサーは叩かれた頬を押え、窓の外を見続けた。
10分くらい経っただろうか、シンシアがダイニングに戻ってきたが、その手には大きなカバンがひとつ。
「もう出ていって。顔も見たくない。さようなら。」
目の前に置かれたカバンには自分の荷物が入っているのだろう。
置かれたカバンを持ち、立ち上がる。
ずっしりと重たいカバンにこの家に入り浸っていた時の長さを感じた。
アーサーが去った後、シンシアはその場に崩れ落ちた。
好きだった、愛していた。この先の未来は彼と一緒にいるものだと思っていた。
シンシアには家族がいない。両親は小さなパティスリーを営んでいた。
この家で家族三人幸せに暮らしていたのだが、シンシアが12歳の頃事故で両親を失ってしまった。
失意のどん底にいたシンシアは周りに助けられながら育ち、それから傷も癒えてきた頃にアーサーと出会った。
気の合った二人は深い関係になるのもそう遅くはなかった。
お互い17歳の頃に出会って3年。平民としては結婚するにしては遅い年齢になった。
アーサーは一度だけだが、結婚しようと言ってくれた。だからシンシアは遅くなっても待っていられたのだ。
それなのに突然の別れ。
どうして神様は二度も私の大切な人を奪うのだろうか。
私は何も悪いことはしていない。
至極まっとうに生きてきた。
それなのにどうして……
アーサーと別れて一週間、シンシアは何をする気にもなれず仕事を休んでいる。
見かねた同僚が朝早くに様子を見に訪れた。シンシアのやつれ具合に驚くも、テキパキと胃に優しいものを作っていく。
小さめのソファーに座り、窓の外をぼおっと眺めるだけのシンシアの隣に腰をおろし、背中を撫でる。
枯れたはずの涙が再びシンシアの頬を伝った。
「マリー、私また一人ぼっちになっちゃった。神様はどうしてこんな意地悪をするの?」
「シア……シアはとてもいい女よ。私が保証する!
貴方の魅力がわからない男たっだだけ、気に病まないで。
そうだ、靴屋の向かいにカフェができたから今度行こう、ね?」
「そう、ね……マリーありがとう……」
あんなに明るかったシンシアがこんな弱々しく笑うなんて。
アーサーはとんだクズ野郎だとマリーは思った。
しかし、実のところマリーはアーサーを見たことがなかった。
シンシアが職場で惚気ける情報しか知らない。
アーサーよりももっといい男はこの世界に5万といる。
あんな奴は忘れて幸せになってほしい。
「じゃあ、ちゃんとご飯食べてね。約束よ」
「わかってる、ありがとう。マリー大好きよ」
「私もシンシアが大好き」
別れ際にぎゅっと抱きしめ、笑い合う。
この日初めての笑顔にマリーは心底安心した。
もう大丈夫、シンシアは立ち直れる。そう感じて別れた。
マリーが帰った後、シンシアは久しぶりに自分の顔を見た。
艷やかだった髪の毛はパサツキ、目の下にはひどい隈。
顔色も青白くまるで幽霊のようだと笑った。
「そうよね、私も立ち直らなきゃ」
まずはご飯を食べよう。
そして家を掃除して、お風呂に入って、お気に入りのワンピースを着よう。
大丈夫、私は大丈夫。そう言い聞かせた。
お気に入りの若草色のワンピースに、ピーズがあしらわれたバレッタで髪を結った。
なんだか心が軽くなったように思えた。可愛らしいバスケットを持ち、お気に入りの靴を履く。
外に出れば春の日差しが気持ち良い。空気も美味しい。
アーサーのことはいい思い出にしよう。幸せだった、ありがとう。
街の広場には大きな掲示板がある。
伯爵領のことが領民でもわかるようにと、設置してくれた。
引きこもっていた間になにかあったかと確認するために立ち止まった。
普段は全く気にも止めない掲示板。
なんとなく、そうなんとなく気が向いたから止まった。
掲示板には大きな写真付きの記事がひとつ
『トレット伯爵の嫡男 アーサー・トレット氏
長きに渡る婚約の末 ついに御結婚!
お相手はモーデル侯爵家のご令嬢……』
持っていたバスケットが足元に落ちる。
先程まで聞こえていた雑音が聞こえない。
アーサー?この顔はアーサーよ
平民じゃなかったの?
10年も婚約していたの?
なのに私と付き合ってた?
シンシアはその後どうやって帰ったのかわからない。
暗い部屋に一人、床に座り込み手のひらに爪が食い込むほど握りしめる。
元恋人の酷い裏切り。結婚するまでの遊びだった。
大切にしていた婚約者の代わりに私を抱いていた?
両親、親族はもういないって言っていたじゃない。
わからない、どうして?
ドウシテ?
でも、よく考えればアーサーの家に行ったことがない。
外のデートも数えるくらい。
週の3日は昼頃家に来て愛し合って、明け方帰っていく。
ああ、なんだ、私遊ばれたのね。
好きだったから、大好きだったから貴方に純血を捧げたのに。
自分だけが幸せになるなんて許せない。
「コワシテヤル」
トレット伯爵家とモーデル侯爵家の結婚式当日
アーサーは純白のドレスに身を包んだ、愛しいマリアの腰を抱き幸せを噛み締めていた。
身分を隠しシンシアと付き合っていたのは、性欲のはけ口にするためだった。
豊満な体のシンシアとの行為はとても快楽的だった。
定期的に彼女への偽りの愛を囁いておけば気分を損ねることなどなかった。
実に扱いやすいいい女だった、とアーサーは思う。
結婚まで5ヶ月きった頃、もうこの関係も終わりにしないといけないと思い、あの日別れを告げた。
記念日だということなど、とうの昔に忘れていた。
まとめられた荷物を持ち、赤く腫れた頬をどうするか考えながら裏路地を歩く。
途中、ゴミ捨て場で持っていた荷物を処分した。中身は平民が着るような安い服なため、特に気にもしなかった。
そうして5ヶ月が経ち、結婚式の当日を迎えたのだった。
式は滞りなく行われ愛しのマリアの誓のキスをし参列者に幸せを見せつける。
しかし頭の中では、今夜自分の下で乱れるマリアを想像していた。
二人の新居は伯爵家の別館に準備された。
お披露目パーティーの興奮が冷めやらぬまま帰宅し、寝室へと向かった。
タキシードを脱ぎ、ソファーにかけると机の上に小包が置いてあるのに気づいた。
使用人が初夜の気遣いか?
マリアは初夜の為の準備でもう少し時間がかかる。
気になるので小包を開けてみた。
小包の中には瓶と手紙が入っていた。
瓶には謎のものが詰められ、手紙を読むとそれはシンシアからのものだった。
アーサー様
御結婚おめでとうございます。
貴方と愛し合った3年はとても幸せでした。
でも、貴方だけが幸せになるのはどうしても許せないみたいなの。
最後にプレゼントを贈ります。
どうか受け取ってね。
あなたの 子供よ
正真正銘あなたの子供だから安心してね。
そうそう、この家の警備もう少し、強化したほうがいいと思うわ。
私がすんなりと入れちゃうくらいだから。
それじゃあ、末永くお幸せに。
シンシア
手に持っていた瓶を見る、まだ何かわからないが赤黒いなにかが詰まっている。
その瞬間、恐怖と吐き気が襲いかかる。
床に落とした瓶は割れ、中から小さな胎児と思われるものが出てきた。
がちゃりと開くドア。
初夜の為に準備をしたマリアが入ってきた。
伯爵領が幸せに包まれたの日のお昼
一人の女性が命を絶った
誤字訂正、お待ちしております。
ダークな物が書きたいと思い、書きなぐった結果がこちらです。
この後アーサーがどうなるかなんて、ねぇ?
ありがとうございました。