産業
エッタよりもトリ〇ラのほうがお気に入り。
作者、翡翠大好きです。
小学生の頃から糸魚川に拾いに行きたかったのですが、なぜか行けなかった。
勝手に取っちゃいけないと思っていました。
海岸ならいいみたいですね。
しまったぁ!
真田信綱の「信」ってどこからとったの?
晴「信」???
まずいよ。
この作品意識して「政」出しているんだけど、上に政付けちゃうともうこんがらがっちゃって。
なので下にしています。政賢君もそっちがいいと聞かず(憲政を踏みつけちゃえと!)。
「政綱」??
でいいかな…
でもこれだと誰だかわからなくなるww
「綱政」にするかもしれませぬ……
2009年11月9日:大日本経済新聞オンライン高校受験参考VR動画
【産業立地の基本】
「20世紀前半までの産業は重厚長大産業を主軸としていたので、その輸送は殆んど海運に頼っていました。
だから臨海地域に巨大な工業地帯ができたのですよね。
しかし20世紀後半になると半導体産業などの精密工業も発達し、内陸部に工業地帯を形成していきました。
例としては、一時期那波工業地帯が内陸地の不利から衰退に向かった趨勢を一気に転換した原因、それはそこに存在する空港や四方八方に延びる自動車道。
これを利用した半導体などの設計産業が立地したことです……」
1555年10月中旬
越後国糸魚川翡翠海岸
鳥居蘭
殿さまが足元に転がっている石を拾っては眺め、捨ててからまた別の石を拾い、光に翳している。
そして、偶に「いいのが見つかった~」と、私に手渡すので腰に付けた籠に大事にしまう。
ここの海岸は「ヒスイ」という宝石が見つかるようだ。
私も一目見て、この深緑、時には薄い緑、萌黄色に変わる石が好きになった。
「女の子たち。自分でも拾ってね~。帰ったらお友達にプレ……あげようね。きっと大喜びするよ。なんたって幸運と愛を運ぶっていうから。思い人さんにも~、僕もかえでちゃんに♪ えへへ」
人の好き好きかと思うけど、綺麗なものが嫌いな女はいないと思う。
男の人は……お酒のほうがいいのでしょうね。まったく!
お酒の好きな女子もいるけどね。
「ここ糸魚川はね。この翡翠が取れるから数千年も前から超裕福だったんだ。
翡翠を加工して唐国まで売っていたんだよ。
でもその代わりお米作ると土地がないけどね。
上野と反対だね。
上野の方が大変かな?
開墾してもお米取れない年は大飢饉」
難しい話は分からないけど、飢饉は怖い。
多くの人が死ぬ。
そして戦が起きて、さらに多くの人が死ぬ。
「勿論、ここも雪が多くて大変だとか、戦に巻き込まれるとかはあるけどね。
こうして宝石拾って生活できればいいんだけどね。
人間、どうしても欲が出て、鉱山なんか作って掘り出すんだよね。
すると途端に生活が苦しくなる。
鉱山の仕事って大変で農作業より体に悪いんだよ。
儲かるけどね。
裕福になろうとして逆に幸せではなくなる。
なんとかなんないかなぁ」
隣で周囲を警戒している詩歌に殿は顔を向け、話しかける。
「詩ちゃんの養父さんの楽絽さんは、もうすぐご隠居さんになるよね。
前に腰が痛いって言っていた。
絵を描く仕事は好きだから続けたいと言っていたけど、前みたいにたくさん仕事をこなせない。
絵描きさんと違って、お百姓さんや大工さんなどの職人さんは体を壊せば食べていけない。
だから後進の若い人に技を教える場を作ったけど、これも大胡だからできたんだよね。
他ではそんな余裕はない。
この翡翠ももっと加工して遠国で売れるようにすれば、まだまだ楽に暮らせるのになぁ」
それを殿さまはしようとしているんだね。
だから戦で人を殺す。
早く終わらせたいのでしょね。
人を殺さなくてもよい世の中。
……その時、私はどのように生きているのだろう?
いや、この厳しい戦の中で生きているとも思えない。
たくさんの人の恨みがこの体に染みついているだろうから。
せめて他の公園の子に生きて幸せになってほしい。
そう思うのだった。
1555年10月中旬
越中国横瀬湊
磐梯屋藤兵衛
「藤兵衛ちゃんさあ。この湊、よく使う? 」
政賢様が横瀬の湊を見通せる川岸の堤防に登って、腰に両手を当てながら胸をそらせて言われた。
なんだか、悔しそうな声色だな。
「はい。日本海を回る際には必ず通ります。
東は直江津、西は能登の輪島湊。
ここを繋いでいるのが横瀬の湊ですから」
「景虎にゃんに直江津使わせてもらえるようになったけど、こっちの湊の方があれが採れて都合がいいんだよね~」
あれとは何でありましょう?と聞くと薬草だと教えてくれた。
「この富山城周辺は色々な薬草を入手できる絶好の立地条件なんだよ。
高山に生える物から低地湿地に生える薬草類。
そして唐国から本草を仕入れてくるにも都合がよくてさ。
ついでに堺も通らない。
博多を通らなければいけそうな気がするんだ」
殿に利用……ではなく、ご協力していただいている山科言継様が日ノ本各地で入手できる薬種を集めてきてくださったお陰で、ここが一番薬を調合するのに都合がよいという結論となったようだ。
儂は薬など何処でも作れると思っているが、できる限り安く作るには商人の手を通さないに越したことはない。
地場で採れるものが多く、取れないものは船での輸送がよいとなると考えたか。
少し危険だろうが、小分けにすればいいだろう。
「無い物ねだりをしても仕方がないか~。
もっと建設的なこと考えよっと」
「すっぱい葡萄、この葡萄はきっとまだ酸っぱいぞ。だから他の人にあげちゃうんだ」と自分に言い聞かせるように独り言を呟きながら馬に跨る殿。
「殿。やっと馬に乗れるようになり良かったですな」
俺が言うと、照れるような怒ったような顔で此方を向き呟いていた。
「やっと足が届くようになったんだよなぁ。鐙に。
しっかりと馬の胴を足で挟めるようになったので、馬が怯えなくなったのかな。
だからあざ笑うような鳴き声を上げなくなった。
頭も齧らなくなったし」
どうも変なんだよな。
殿さんは今年で21。
なぜか今年に入り背が伸び始めた。
去年までは5尺もなかった上背が、今は5尺1寸はあるようだ。
ちょっと遅いんでないのか? 発育が。
最近肉を食い始めたそうな。
そのせいか?
まあ、このお方は普通の者とは、頭も胆も違うのだから、何でもありか。
「あとね、越後の直江津で船作るから、この辺りの材木も見繕って持って行っちゃって。
大きな木はあまり必要ないからさ。
色々な形の木を持って行って乾燥させておいてね。
1年後には鋸や鉋を揃えるから、皆で船大工を目指そう!
造船スキル上げはお金がいっぱい必要だぁ」
「大航海時代~♪ 」と、またぶつくさ言っている。
わけわかんねえな、昔からだが。
とりあえず、この殿さんについていれば金儲けはできそうだ。
日ノ本一の豪商に成りあがってやるぜ。
1555年11月上旬
山城国内裏北西近衛邸
近衛前久
「此度は誠にお世話になり申した。
このご恩は政賢、生涯忘れは致しませぬ」
御所から帰ってきて、俺の屋敷の客間で政賢殿が畳に手を付き深々と礼をしておる。
内裏に上がる前に勅許を頂き、殿上人として昇殿できるよう手配したことへの感謝だ。
「其方の事。帝に置かれては非常に好ましく思っておいでじゃ。
すんなりと勅許は降りたでおじゃる。
礼は帝になされるがよろしかろう。
また、密勅の件、有耶無耶になるよう処置しておいたでおじゃる。
気になさらぬよう」
ははっ、と、更に頭を下げる。
「それよりな。
そろそろ地で話さんか?
人払いはしたでおじゃる。
麿も都言葉をやめるからな」
「では……
さきちゃん、お久だね~、半年ぶり?
無事に京へ帰って来れてよかったね。
旅はどうだった?」
これがいいな。
此奴でないとこのような気楽な話ができぬ。
「目が開けたわ。
この京の都が世の中心、他は化外の地という考え、捨てられた。
坂東などでも人が生き生きとして働き生活を営み、生まれそして死んでいく。
このような当たり前のことに漸く気が付いた。
地下人と同じ目線で話してよかったぞ。
礼を言う」
尤もそのおかげで元々「奇矯な奴」として見られていた俺が、益々「はみ出し者」になっちまったが。
近衛家だから藤原の長者であるからこそ、この都・宮中でも敬されるが、心の中では別であることは知っておる。
そうでなくとも宮中こそが「化外の地」であろう。
妖怪のようなやつばかりじゃ。
俺もその一人だがな。
「此度もよくあのような莫大な献金ができるな。
大胡は銭が畑で取れるのか?
20000貫文?
これで何をせよというのじゃ。
あまり使うと細川、三好辺りに痛くもない腹を探られる。
武家の権力闘争になど巻き込まれたくないと却って迷惑がっておる者も宮中にはいるぞ。
大体、既に1年前の那波での戦、あの噂で宮中では震えあがっているものが多い。
かといって京から遠い大胡にべったりなどできぬからな」
「ふふふ。
はみ出し者の関白ちゃんはそうじゃないでしょ?
……天下を動かしたい」
上野で夢を語り合うたから、話が早い。
最近はその恐ろしき大胡を如何に使うかばかりを考えている。
「で、どうじゃ?
これからの方針は決まったのか?
俺でよければ力になるが」
頭の後ろで手を組んで、後ろに転がっては起きる事を繰り返す小男はこう答えた。
「ん~。あまり自信はないけどね。堺をぶっ潰すつもりには変わりはないかなぁ。
問題はその方策。
何処と手を結ぶか。
今は、京での宿である南禅寺、京都五山の臨済宗」
「今は臨済宗など殆ど力はないぞ。
多くの伽藍が焼けたまま。
それを再建する力も銭もない。
もし寄進をしたとしても、その後維持はできんだろうな。
収入がない」
政賢は転がるのをやめ、目の前に置いてあるほうじ茶を啜った。
「だから手を差し伸べるつもり~。
京の都での鎬をこさえるんだ。
だから関白ちゃんにお願い事があるのよん」
「それは構わんが三好とは仲よう出来ぬのか?
もはや実力的に天下を握る存在だが。
無用な諍いは感心せぬな」
三好は既に畿内の殆どを勢力下においている。
実質的に天下人だ。
将軍家と管領家と諍いは起こしているが、その気になれば将軍の首のすげ替えなどいとも簡単にやってのけるであろう。
「三好のながよっちゃん。あの人遠くない将来その座を追われると思うんだ。
甘すぎる。
この天下は一回破壊しないとダメ。
そこまで胆が据わってないんじゃない?
必ず足元を掬われると思うよ。
例えば、本願寺・堺商人・細川という経済運命共同体。
ここを切り崩すのは、3つのうちの何処かを破壊するしかないね」
よく知っているな。
だから堺と事を構えるのならば三好と組むと思っていたが。
しかしそのあとの政賢の言葉でやはりこの男、ただの善人ではないと改めて思い知らされた。
「だからあと5年くらいは利用させてもらおっかな。
向こうもこっちに利用価値あるだろうし。
……無いと思われていたら、それこそこっちからお断りよん」
やはり手を組むのではないか。
もったいを付けおって。
だが、なぜ5年なのか?
「それはね。
最近、うちの外交僧が占いに凝っていてね。
ながよっしーの天命を占ったらあと5年の命……なんてうっそ~。
あと10年位は大丈夫。
でも5年もすれば大胡は多分、堺を潰せると思う。
その後は三好は邪魔でしかない」
5年で決着をつけるか。
自信はあるのかと問うたら「半分半分かな~」などと、ほうじ茶と持参した茶請けの煎り豆をポリポリと食っている。
「でね、関白ちゃんにお願いなのは、京都五山の復興許可と南禅寺西に市を作る宣下をお願い」
それは……出来はするが、油の池に松明を立てるようなものではないのか?
1555年11月上旬
左京南禅寺
智円
流石にこのご時世、他宗派の寺では落ち着かぬ。
それでも他の者に気取られること、絶対にさせぬが。
「殿。御山への根回しは首尾良う終わり申した。
関白殿下に置かれましては何と? 」
先ほど近衛邸から帰ってきた殿は、政影殿に肩を揉ませながら首を回している。
余程気を使われたのであろう。
(作者注:ただ単にごろごろ転がりすぎて首をやっちまったらしい)
「一応、市の立地はうまくいきそう。
あとは三好の支援を受けられるかと、将軍家からの呼び出しにどう答えるかだなぁ。
何かいい方法ない?
だが断る、じゃあダメ? 」
この京に市を立てることは南禅寺への支援と同時並行で行われる。
近くにある浄土宗総本山知恩院のすぐ北であり、出来得ればその2宗派を同時に懐に入れる狙いもある。
立地は東海道が京に入る場所にあり、本来ならば市が立ってもおかしくない場所であるが、御山と琵琶湖の水運の要衝である堅田を抑える御坊の勢力が交わる場所であるため、諍いが絶えない。
そこに三好の支援を受けて市を立てようとしているのだ。
相当な嫌がらせがあろう。
拙僧が御山には「手出しご無用」とのこちらの言に「是」との言質を取ったが、何時まで持つやら。
また鼻薬を要求してくるであろう。
「本願寺は今、平和を求めているから手は出さないと思うよ……多分。
この前の三好との死闘が堪えているみたい。今は三好の勢力が強くなりすぎちゃったから。
あとは法華宗だね。
角屋さんはどうだった? 」
殿は下座に控えていた磐梯屋に問いかけた。
「やはり東国への酒流通の繋がりをもっと強くしたいとの事。
金属を豊富に使った焼酎の効率的な製造装置も取引材料になり申した。
品川の鈴木屋さんを通して武装集団を手配できると。
しかし、京には本当に入れるのか疑問視しておりましたが……」
10年前の法華一揆で大火を出した責任を取る様に、京での寺の建立を禁止された。
これを市の護衛集団とする案が立てられているが、うまくいくとは思えない。
うまくいかずとも試行錯誤するしかないと円卓会議では一致を見た。
「ね~ね~。それよりさ~。
人材登用はうまくいった?
そっちの方が楽しいよ~。
外交陰謀は嫌い、戦も嫌いだけど」
この京でも坂東太郎での大殺戮を京雀が毎日姦しく囁き、鬼か神の化身かと恐れられている大名が、この気の抜ける声色で「戦は嫌い~♪ 」といっても誰も信じないであろう。
当人である殿がその噂を極度に嫌がっている。
最もその噂を強かに使っての今回の市設置なのだが。
「仰られていた狩野派の絵師は加納元信殿にお会いして、次男の秀頼殿が東国へ行きたい旨を確認、許可を得ました。
秀頼殿の友が越後長尾家へ召し抱えられ、頻りに自分の描きたい絵を描かせていただき有難いと便りを送ってくるとかで。
殿が描かれた磁器の絵にとても興味を持たれ、ぜひ師事したいとのこと」
「師事って、そんなことできるわけないじゃん。
天下の狩野派だよ。
あんな絵、どうして興味を持ったのやら。
奇特な人だねぇ。
まあ、絵の才能がある人にあれ描いてもらおうと思っていたけど、まさか狩野派の跡継ぎが来たいというとは思っていなかった、ははは」
拙僧にはとんとその良さがわからなんだが、色事の絵とは少々違うのでほっとしていたものの、あれも少しいただけない気がした。
机に立てて飾るという人形の制作も仏師の半端ものの中から見つけ出し、連れていくこととなった。
「あとは西陣の職人さんと……臨済宗の東班衆って残っていた?
あと穴太衆」
西陣の職人は元々、仕事が京では安心して出来ず、西国へ流れていった者が多く出て、以前のような栄華はない。
上野国にも桐生に多くの職人が住み着いている。
殿はさらに多くの職人を欲しがっている。
「東班衆は残念ながらほとんど残っておりませんでした。
ですが、僅かながら計算のできる者が居り、安定した禄につられて大胡へ来ると申しております。
華蔵寺で行われている微分計算の書を見たら目の色を変えておりましたな」
華蔵寺ではここ13年で、高度な計算が発展してきている。
殿が測量に使える計算を開発してくれと要望したためである。
殊に図形による計算が多く、三角関数や積分というものが研究されてきた。
そのほかにも微分という概念が発見されたため、多くのことに応用できないか今試行錯誤をしている。
その研究のできる人材を探しに来たが、数十年前まで年貢の計算を頻りに行っていた東班衆という荘園代官を狙っていたのだが既に廃れていた。
数人の間で戯れとして計算を行っていたため、これを誘うこととなった。
あまり役には立たないようであるが……
何かの役に立つだろう。
「穴太衆は残念ながら誘いには乗りませんでした。
その代わり弟子は取るとの事。
如何いたしまするか」
「じゃ、公園の子で建築に興味のある子がいたよね。
その子……岡本ちゃんだっけ?
希望を聞いて入門してもらおうね。
これで石垣の城作れるかな?
石炭もっとあればこんくり作れるんだけどね。
将軍家については明日にしよっか」
そう仰られると欠伸が出て、眼がトロンとしてきたようで、政影殿に担がれるように寝所へ向かって行かれた。
最近はよくお眠りなさる。
小さき頃、あまり眠らぬ御子であったという。
今になってその分眠られているのか?
問題がなければよいのだが。
当時の京の情勢がもうぐっちゃぐちゃ。
これ勝手に動かすともう収拾付かなくなるなぁ。
なんでこの作品「3大名の草刈り場の作品」で、京都の情勢考えなくちゃならんのだぁ~~~
もう適当に流していいですかぁ????????
……堺と戦うとなると京は外せないんですよね……
あと三好も。
だめだ、目が回りゲが出ちゃいそう……
尺貫法直そうと思っても、どこに書いてあったか忘れた@@;
確か問題になるのは背丈
後藤のおっさんは2m弱
政影くんは180cm
政賢ちゃんは147cm
位で換算していたのですが、間違えていると思うのです。
人任せで悪いのですが、憶えている方居りましたら教えてくださ~い。
これからもあると思うので、対応策を考えています。
大航海時代onlineやっていた時、チャットログをhtmlベースで記録していたのでここから必要な言葉を検索していました(確か…)
このなろうサイトもhtmlでしょうから、これコピペできれば全部の回を繋げてクロームでの語句検索ができるかと思っちゃいました。
何か良い方法がございましたらお教えくださいませm(__)m
早くもカム〇ムさまの方へフォローして頂いた方がいるようで感激です!
20名くらい急激に増えましたから、感謝仕切りです。
今後ともよろしくお願いいたします。




