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首取り物語:北条・武田・上杉の草刈り場でザマァする  作者: 天のまにまに
★★高度成長しちゃうゾ★★

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布施

 布施といっても地名ですww


 VRで授業するネット高校も出てくる時代なんですねぇ。

 凄まじい勢いで時代は進んでいくのを感じます。




 2003年12月29日:VNHSh(ネット高等学校)歴史特別講義


【川中島の戦い】


「・・・最近の研究では、異なる資料が沢山出てきているんですよ。


 例えば第一次川中島の戦いと呼ばれる布施の戦い。


 これはなかったとか、謙信(当時は長尾景虎ですね)の出陣はなかったとか、武田勢が大量の種子島を使用したとか……」




 1553年9月下旬

 上野国安中城

 智円



「で、布施の戦い? 怪獣大戦争はどうなったの? 結局」


「痛み分けと言ってよろしいかと」


 殿は新たに改築された安中城の物見櫓から西、信濃の方を見て拙僧に尋ねている。

 この櫓が一番風通しが良く、涼しいから登っているらしい。

 今も襟をパタパタして胸元へ風を送っている。

 安中城は先の戦後、箕輪長野が接収。

 西の備えとして西の松井田城と共に堅城として生まれ変わりつつある。


「これで村上君は完全に信濃から追い出された感じ? 」


「当人自身は諦めておりませぬが、これからも戦は続きましょう。景虎殿が意地になってしまうような戦の結果にて」


「どゆこと? 」


 拙僧は、掻い摘んで戦の流れを説明した。

 越後の兵を借りた村上義清は5月、八幡の戦いで勝利、その余勢を駆り本城である葛尾城を奪還した。

 しかし7月から8月にかけて、武田晴信自身が軍を再編し進軍したことにより、続々と善光寺平南部の国衆が寝返り、9月再び景虎自身が出陣、布施の地で両者相まみえた。

 晴信は景虎の退路を断とうと、北にある荒砥城を奇襲。

 景虎は決戦を挑もうとして近づいたものの、1町以上の距離からの種子島の連続射撃により馬が驚き落馬。

 幸い大きな怪我はなかったものの慎重を期して撤退。

 晴信も決戦を回避したことにより両者物別れに終わった。


「……そっか、晴信ちゃん。鉄砲フリークになっちゃったのね。長篠どうなるんだろ???何丁くらい使っていたか分かる?」


「確たる数は分かりませぬが、100丁には届かぬのは確かかと」


「信州は音が籠るからね~。きっと大きな音だったんじゃない?狭い谷だともっとすごいと思うよ。晴信ちゃんはうまく使ったね。ラッキー! 」


 善光寺平はまだ広いほうだ。

 だが平地で使用するよりも大きな音が響くであろう。

 兵は肝が据わっているであろうが、臆病な馬が驚いたか。

 大胡の馬はもう訓練で慣れているが、火薬の入手が困難な他の大名では訓練の頻度はそう上げられまい。

 馬を慣れさせるのも一苦労であろう。


「大胡にとって、とりあえずあまり影響はないね~。鉄砲関係はまた考えないと……シクシク。アドバンテージが少なくなっちゃった。問題は今年また怪獣が山越えて上州に襲来するかだけど、どう思う? 」


 景虎殿自身が越山するかどうかか。

 本人が来なくても誰かを総大将にしての越山もあり得る。

 兵の損害はほとんどないはず。

 問題は兵の疲労と兵糧だな。

 春日山の蔵田屋からの情報によれば、兵糧は余裕があるはずとのこと。

 三国峠の越山となると、まだまだ整備が為されていない山道である。

 山に雪が積もり始めるのは10月下旬頃。

 今からではよほど強行軍せねば沼田まで来れまい。

 長岡付近の国衆を動員して強行することもあるかもしれぬが、と申し上げた。


「じゃあ。今年の秋冬の上州は僕にお任せ、と怪物君にお手紙出しておこうかな。おちゃけも添えてね。あと絵」


 酒はいいが、あの春画は頂けぬ。

 衆道しゅどうは武士の嗜みと言う者もいるが、人本来の生き方ではないと拙僧は思うが。

 時代が代わればそのような事も変わるものなのか?

 しかし、拙僧は1000年経っても仏の教えは変わらぬと思う。





 1553年9月下旬

 甲斐国躑躅が崎館

 春日虎綱(高坂昌信)



 信州善光寺平・布施における戦についての論功行賞が終わった。

 儂が新たに率いることになった種子島70を持つ200の備え。

 「此度の戦において決定的な働きをした殊勲甲である」と、御屋形様から皆に告げられた時は、皆から意外とも不満ともつかぬざわめきが起きた。

 それはそうであろう。

 儂も未だに信じられぬ。

 儂の備えが「ただの一人も討ち取っていない」にもかかわらず、結局のところ越後勢を退けることになったのだから。


 お味方の騎馬も幾頭か騒ぎ、落馬した者もいた。

 まだ種子島の訓練がほとんど出来ておらぬ。

 つい最近70丁が揃ったこともあるが、煙硝があまりにも高価で、満足に訓練が出来ておらぬ。

 無事に発砲できたことでも良しとせねばならぬ。

 そんな状態であるから、甲府に在中する兵馬以外は慣らすことなど出来ておらぬ。

 景虎の乗馬が竿立ちしたことも偶然であろう。

 また、なぜ騎乗が得意と聞く景虎が落馬したのかも疑問が残る。


「虎綱は残れ。話がある」


 散会した後、御屋形様が儂に声を掛けてきた。

 別室にて種子島の様子を尋ねられた。

 まだ射撃するのが精一杯で、狙い撃ちができるまでに兵を練るのは遠い先の事と申し上げた。


「煙硝が問題か……」


 結局、そこに行き着く。

 もし十分な訓練ができれば、相当な攻撃力が出る事は間違いのない事。

 あとは連射速度を何とかせねば、敵に肉薄されれば兵がすぐに逃げ出すであろう。

 兵も徴兵した農民兵では如何ともし難い。

 専門の兵が毎日でも訓練せねば統制が取れぬであろう。

 そのようなことを御屋形様に申し述べた。


「此度のような音だけによる効果は次には期待できぬか。されば実際に射撃で幾人も倒さねば意味が無くなろう」


「はっ」


「その方を佐久小諸城代に任ぜようと思って居ったが、ここ甲府にて種子島を使えるようにせよ。

 あと1月で100丁まで増やす。煙硝もできるだけ手配する。また根来から鉄砲上手を幾名か雇う。

 的に当たるようにいたせ。

 それから実際の戦での問題を書き示し、儂に寄こせ」


 大きく頷き、部屋を後にした。

 これから毎日頭が休む時はなくなりそうじゃ。




 1553年10月上旬

 上野国華蔵寺公園

 原虎胤



 この寺は本当に寺なのか? はたまた城塞か?

 2重の堀と塀が張り巡らされている。

 城の二ノ丸に当たる部分が広く、各宗派の道場修練・説教場となっている。

 学問所もある。

 他にも周りの集落には寺子屋と呼ばれる子供向けの学問所や僧房、その他いろいろな施設が集まっている。

 それぞれの規模は小さいものの、各種多様な施設が集まっている様は日ノ本広しと言えども中々お目に掛かれないものであろうか。


「ようこそおいで下さった。この施設はいかが見られたかな? 」


 儂の前に座っている齢20手前の若き国衆、いやもう15万石を超えているそうじゃから立派な大名じゃな。

 大胡政賢殿が儂に声を掛けてきた。


「はっ。誠に……珍しい様にて呆然といたしました」


「それだけではないであろうに。率直に申してほしい」


 政賢殿は、儂の見立てが知りたいようじゃな。

 儂を見定める気か。

 されば、


「相当な銭を使うておると見ました。大胡は豊かであると同時に懐が深い」


「その心は? 」


「15万石では利きますまい。他に金の成る木があろうかと」


 ホウ、と政賢殿が顎をひねる。

 どうやら当たりじゃな。


「ところで晴信殿は、日蓮宗がお好きとのこと。其処許そこもとを追い出すほどなのかな。

 大功のある武将であると聞いておったが」


「某の信ずる法然様の教え。どの衆生もすべて同じ。助け合って生きていかねばならぬもの。

 敵を助けた某を、晴信様は良しとはされませなんだ」


 政賢殿はじっと、儂の顔を見ている。

 しばらくそうしてからおもむろに相好を崩し、言った。


「じゃあ、うちにおいで~。

 うちはね、そんな人ばっかだよ~。

 僕も含めてみんな敵を助けちゃって苦労してるんだぁ~♪ 」


 急に態度が変わった政賢殿は、座ったまま飛び上がり儂の目の前に着地した。

 そして儂の手を取り、こう言った。


「この上野から始まって、日ノ本全体を極楽浄土にしたいのが僕のもくひょ~。

 だからね、それに反対する人を減らしていく。

 例えば大名、武将その他諸々には居なくなってもらう。

 けど殆どの百姓ひゃくせいには仏の様に手を差し伸べる! これが大胡! 大胡政賢ですっ!! 」


 これがこの方の魅力なのであろう。

 上田の豪族・真田が武田でなく大胡に臣従し、その伝手で憎しみに染まった強硬な佐久の衆を引き抜いたおかげで、易々と砥石城が落ちた。

 山本殿の話では、その真田の情報を元に北信濃の国衆を次々と寝返らせることに成功したという。

 山本殿は真田が教えてくれた理由を儂だけに教えてくれた。

 それが今、政賢殿が仰ったこととそっくり同じじゃった。


 「日ノ本の全ての民が平和で豊かな暮らしを送れる」そんな時代を作っていく。

 これを高々1万石程度の国衆だった頃から目標に掲げていたという。

 そしてその階段を己が手で着々と作り上げ、昇って行こうとしている。

 信虎様とも晴信様とも違う……いや全く別じゃ。

 多分、今川北条斎藤とも違う。

 みな自分の領国を増やすために富を蓄えている。

 この大胡はどうなのか?

 少し見てみとうなった。

 その時を見計らったかのように政賢殿は立ち上がり、手に取っていた儂の腕を引っ張り、こう言った。


「では、これから極楽浄土とは行かないまでも、住民が生き生きと明るく住まっている様を一緒に見学しに行こ~♪ 楽しいよ。うひひ」


 突拍子もない、半ば道化のような仕草に隠された意図。

 人誑ひとたらしの業。

 その19にはとても見えぬ小さき体から周囲を巻き込む温かな何かを振り撒き、それが儂に絡みついてくるような感じを覚えたが、悪い気持ちにはならなんだ。

 己が人生の在り様。

 法然様の指し示す人生をここでならば歩んでいけるのでは、と儂は感じていた。



 猛将は、初代鬼美濃でした。


 今の一般人には想像もつかない戦国期の宗教事情。

 三河でも家康が家臣と血みどろの戦いしたけど、原さんも帰参するときは血の涙を流したのでしょうね。



 やっとおわったあああ。

 本日、北条編を書き終えました。

 とりあえず、自分としては満足です。

 自分で「読みたい」作品が書けたと思います。

 これから改めて読み返し「むふふ」しようかと思います(^^♪


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 武田の鉄砲ですか、有用性に気付く先見の明はさすがですが、どれだけ訓練できるかですよね。 当たらなければ音に慣れられて意味の無いものになるし、訓練が足りず、馬があまり使えない状態になった…
[気になる点] 武田家ってそんなに鉄砲揃えられるほど裕福でしたっけ? ここまでこの数の鉄砲を運んでくるとなると、この年代では相当のコストがかかりますよね?その分どこかに負担がいっているのかな?史実より…
[一言] 武田が鉄砲使い出したか。 運用費を捻出できるのかねぇ。 ただでさえ貧しいのに。
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