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首取り物語:北条・武田・上杉の草刈り場でザマァする  作者: 天のまにまに
★★高度成長しちゃうゾ★★

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補償


 2002年3月1日改定:国軍隊法


【有事移動の緊急通行に係る規定】


 ・軍事行動時の緊急通行による損失補償を受けようとする者は、損失補償申請書を軍務尚書に提出しなければならない。


 ・軍務尚書は、損失補償申請書を受理したときは、補償すべき損失の有無及び損失を補償すべき場合には補償の額を決定し、遅滞なくこれを申請した者に通知しなければならない。


【物資の収用等による損失補償の申請手続】


 物資の収用等による損失補償の申請手続


 ・損失の補償を受けようとする者は、損失補償申請書を、都道府県知事又は軍務尚書に提出しなければならない。


 ・都道府県知事又は軍務尚書は、損失補償申請書を受理したときは、補償すべき損失の有無及び損失を補償すべき場合には補償の額を決定し、遅滞なく申請をした者に通知しなければならない。


 以上は厳正にかつ迅速に行わなければならない。

 これは国父政賢公の遺訓である。




 1552年12月上旬

 上野国赤石城

 瀬川正則



「え~~~。まだダメなの~~? 」


「はい。まだ駄目です」


 戦場になった赤石砦周辺。

 現在は城として増改築され、とりあえずの防御施設から「だいぶましなもの」へと変化している。

 その周辺の集落も、武蔵からの流入する者たちで開墾が進み、大きく変貌を遂げている。

 が、まだ終わらないのである。

 あの戦闘で大量に消費された撒き菱を始めとした鉄製品の回収。

 これが一向に終わらない。

 特に撒き菱が厄介である。

 それを撒いたところを開墾しようとして、砂鉄採集用の磁鉄鉱を引き回して回収しようとしたが、該当する箇所が多すぎると同時に、どこへ撒いたか分かる者がいない。

 こういった事務的な仕事ができる者が戦場に出ていなかったせいだ。


「やっぱ後片づけ、大事。

 うん。住んでいる人に迷惑思いっきりかけちゃったからね。

 青田刈りも含めて」


 撒き菱などがあると、やはり農作業など安心して出来はしない。

 元からの百姓は那波の年貢取り立てで種籾すら食べねばならぬところまで追い詰めてしまった。

 年貢の3年間免除と、お救い米配布。

 それに拾ってきた鉄製品を新たにここへ越してきた野鍛冶に売ることで臨時収入を得ても良いこととした。

 新入りに取られる前に回収しようと血眼になって回収をしていたが、それでも撒き菱だけは上手く行かない。


「地雷は嫌い。

 くらすたあとか対人地雷は禁止です」


 もう撒き菱は使わないらしい。

 鉄でできた縄、鉄条網も内戦作戦の時しか使わないそうだ。

 自分の領地で戦うことになるので、その領民に迷惑料としてどんどん拾って回収してもらうことにしている。


「館林の戦いの際使用した鉄条網は、由良様より、有難しとの手紙が来ておりまする」


 館林の領地はあの後、由良と佐野で分け合った。

 その際の鉄関連は迷惑料として住民に納めてもらいたかったが、多分そう上手くは行かないだろう。

 そのような住民思いの施策をする家など、財政に余裕のある大胡くらいである。


「なかなか、思ったようには運ばないねぇ。

 人生そんなもんさ」


 18の殿が人生を悟ったような言葉を発する。

 たまに殿が老人に見えるのは某だけであろうか?

 あとで皆に聞いてみよう。


「で、旧那波領の人口はどうなの?増えた?」


「は。現在、ようやっと戸籍ができ申した。

 これによれば元からの住民が3万1253人。現在7万9011人でございまする」


「ほえぇえ。

 ずいぶん増えたねぇ。

 食糧とかだいじょぶ?

 それと職は? 」


「牛馬の堆肥が使えるようになり、単位面積当たりの収量が飛躍的に増えました。

 また開墾が進むと共に那波全体でおおよそ田が6万石。

 畑が小麦大麦7万石。

 麦は焼酎の原料にしたり、新しく作られ始めた乾面皰カンパンを作り、兵糧として蓄えたりしています。

 職ですが徒弟制度を奨励し、職人育成が徐々に始まっています」


 大体の進行状況を説明させていただいた。


「内職はどんなかんじ~? 」


「問屋制の家内手工業が広がっています。

 問屋も各地から商人が集まっており、他の領国へも広がっております。

 よろしいので?」


「うんうん。皆が富んでいくのはいいこと~♪

 早くみんな豊かになるといいね」


 勿論殿のこと。きっと裏で大胡の噂を流しているのであろう。

「損して得取れ」といつも言っている。

 戦場となった村々を救えば救うほど、大胡の殿様は仁将だということになる。

 これが他の大名の領国が戦場だとどうなるのであろう?

 いや、きっとその時はその土地を支配する結果になるような采配を振るうに違いない。

 思ったようには運ばないと嘆きつつも結局、殿の思い通りになるのでは、と思った。




 1553年1月元旦

 上野国大胡城

 大胡道定



 「「「新年。明けましておめでとうございます」」」


 家臣一同、新たに拡張した大広間で上座に座る殿に新年の挨拶をする。

 沼田に詰めている矢沢綱頼殿と岩櫃の候補生たちが居らぬ以外は全員が集まっている。

 総勢300名を超える大所帯になっている。

 入りきれずにはみ出した者は寒空の元、炭団や練炭を周りに置き、地面にの子を敷き座っている。

 思えば殿が入城をする際、ここに26名の者しかおらなんだ。

 後先考えぬ動員をしても総員200名足らず。

 それが今では常備兵だけでも4000を超える。

 その指揮をする者だけがここに集まっている。

 もう来年はここでは手狭になるじゃろう。

 殿もそろそろ居城を移すことをお考えになっているようじゃ。


「おめでとう! 今年もよろしくね~、で……」


 殿が真面目な顔になり、


「多分今年は北条との決戦をすることになる。心して掛かるように。それに勝てば晴れて西上野は独立勢力になる! 」


 おおおおおおおおおおおおお!!!!


 皆が雄たけびを上げる。

 昨年の北条の西上野への侵攻により、再び関東管領上杉憲当は越後に逃げた。

 渋川の南の利根川西岸はすべて北条方となっている。

 しかし、生き残った国衆「箕輪と厩橋長野、惣社長尾、和田、倉賀野16騎」は、全て大胡に通じ、いざという時に備えて雌伏している。

 皆、狩られる者から狩る側に豹変する時を待っているのだ。


「見通しでは今年の秋、最終決戦となろう。

 その時まで死ぬ気で準備せよ。

 急いで待て! じゃ」


 政影殿が、きっと【急いで待て】という言葉を書きつけているであろう。

 最近は名言集なるものも記しているらしい。

 先だって、ちらと見させていただけたが、「百年兵を養うはただ平和を守るためにて」とか「面白いから軍備を続ける者はいない。恐ろしいから軍備をするのだ」など、誰もが唸るような言葉ばかり並んでいた。


 いつものように「総員かかれぃ! 」の号令と共に、皆が酒に向かって突撃していく。

 もちろん儂と瀬川殿はほうじ茶と雑煮を突つきつつ駄弁っている。

 すると必ず、殿が果汁入りの銚子をもってやってくるのだ。


「道定のおいちゃん。

 今年もよろしくね。

 皆の健康管理ありがと。

 保健所順調に活動し始めた? 」


 昨年から儂の管轄で保健所なるものを開設した。

 領地が広くなり領民の数が多くなるにつれ、病気や怪我で死ぬ者や中々元に戻らぬ者が多くなってきた。

 それらを大胡の施設に集め、治療療養させると共に、医師薬師看護を行う者などを養成するようになった。

 甲斐に行った菊蔵が考案した傷を縫うことも、より膿まない方法を試行している。

 傷などを清潔に保つために或粉保琉を塗るための綿も工夫しているところだ。

 ワタはそのままでは油を多く含み、或粉保琉が染み込まないのだ。

 殿が「多分石鹸を作るときの灰か、畑にまく消石灰を使うと何とかなるんじゃないの? 」ということを言って居ったので、その2つによる綿の加工を試しているところだ。

 こうして大胡領はますます他の領地と比べて住みよい土地となっていく。

 それが殿の願いでもあり、今やここにいるすべての者の願いでもある。

 この願いがある限り儂らから裏切り者は出ぬし、死ぬ気でここ大胡を守ろうとするじゃろう。

 儂も同じじゃ。

 そう瀬川殿と共に殿に申し上げた。


 このような仕事にも似た会話が儂らにとってこの上もない酒の肴じゃな。

 ほんと、酒よりも酔えるわい。




 1553年1月中旬

 上野国厩橋城

 長野道安



 松の位牌の前に水を置き、改めて手を合わせる。

 遂にお前の子が上野4郡の太守となったぞ。

 詳しくは分らぬが、その兵力から推し量るに15万石は下るまい。

 兵にして4000名以上。

 儂らの厩橋の軽く8倍になる。

 最近は厩橋の兵が北条の目を盗んで100程度が交代で大胡の山奥にて鉄砲の訓練に出ている。

 今日は実際に城に300丁の鉄砲と煙硝、弾の型などが運び込まれた。

 厩橋も常備兵を300とし、招集する農民兵を200の定員とした。

 その300の常備兵が籠城の際には城壁から寄せてくる敵を狙い撃ちする。

 狙えなくとも面制圧射撃できればよいとのこと。

 また城の土塀に屋根を設け、雨風にも強い鉄砲隊になった。

 これで兵糧と煙硝さえ持てば、たとえ万の大軍でもこの坂東有数の堅城、落とされない自信がある。


 続々と運び込まれる鉄砲の入った長持ながもちを見て、娘の松に話しかけた。


「お前の子がもしかすると西上野を支配する大名となるやもしれん。

 今年の決戦如何によってはあるいは……」


 北の敷島の松林から一陣の風が吹いてきた。

 きっと松の返事であろう。




 1553年3月下旬

 上野国倉賀野城

 葵



「……手筈は以上。秋までに支度せよ」


 床下からの声が止んだ。

 私はすっと音もなく立ち上がり、目立たないように台所を通り姫様の元へ向かう。

 倉賀野城の二の丸にあたる、ここ足軽の住まいを増築したような長屋。

 ここに箕輪長野家の一の姫、お鶴さまを始めとして西上野一帯の国衆が北条に差し出した人質が集められている。

 私は真田様の命を受け、お鶴様の付き人としてついてきた石堂様配下の者。

 任務は時が来たら人質を無事に脱出させること。

 あと半年で手配をせねばならぬ。

 まだ半年、されど半年「しかない」。

 出入りの商人や百姓などに片端から使えるものはないか見極め準備していく。

 重要な役割だ。

 皆が大胡のように平和に豊かに暮らせるようにするための戦いだ。

 私の命など惜しくはない。

 私は嫌疑をかけられぬように人質の皆様の着物の洗濯をするために抜け道を探りながら、城の脇を流れる水路に向かった。



 やはり戦後補償は「直接民衆に」するべき。

 政府に任せると途中で横領される~。


 厩橋、今の前橋の北は昔、松林が広がっていました。

 その光景がこの作品の書き始めのシーンとなります。

 今や県の木、黒松が敷島公園に少しだけ残っているだけです。


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