休戦
いつも誤字報告助かっております~
最近、粗製乱造になってきた??
まあ、プロットはきちんと作っていると思うので勘弁してつかあさい。
どうしよ~。
群馬県内なら地の利を生かして知っていること多いのですが、信越になると全然わかりませぬ。
前途多難……
2001年8月8日:日本外交史下巻
【日ソ中立条約】
「一般的に言って、条約というものは破られるために存在する。
それが歴史的事実である。
しかし、ここになるべく破られないようにする工夫する余地も生まれてくる。
よく使われるものとしては、期限を切ることである。
そのことにより期限が切れるまでに戦争の準備をしようという人間的な考え方が出てくるからである。
しかし、共産独裁体制の国に対してそれは……」
1552年6月中旬
上野国松井田五料宿
山本勘助
「よくお越しくださった。
武田殿への取り成しを反故にしてしまいましたから、呆れて来て下さらぬかと思うておりました」
目の前に座った福々しい顔の武士。
真田幸綱が頭を軽く下げて出迎えてくれた。
儂も宿の人払いを済ませ、囲炉裏の前で儘ならぬ足を延ばさせてもらう。
「いえ。
それは気にせんで頂けると、こちらも気が楽というもの」
河越の戦の前後、御屋形様からの下知で幸綱殿の調略を試みた。
臣従し、功績あれば上田を返すという条件であった。
国衆としては複雑な思いであったに違いない。
余所者である甲斐の者が信州の領土を切り取って「他の国衆を攻撃占領すれば、己の領地を返すから臣従せよ」と言っているのだ。
憤怒・恨みを乗り越えて決断するのは容易ではなかろう。
国衆はその地に根を生やしているものだ。
そこを離れて暮らすこと、さぞ辛かろう。
そこを突いた。
旨く行くと思うていたが……
「して、大胡の暮らしはいかがかな?
上田を諦めてもそこにいるということは、相当な魅力があるのでしょうな」
「ふむ。
まずは大胡では上下身分の差が無い。
殿はすべてが平等と申して居られる。
もちろん浮浪者やかたわの者でも差別なさらぬ。
その者のできる範囲で皆の役に立つように努力するのが一番の幸せじゃ、と殿は申しておられる」
幸綱殿は、儂の潰れた目とびっこを引く足を暗に指して言うているのであろう。
今川はかたわの儂を毛嫌いし、武田の中でも不気味がる者が多い。
儂はそれを努力で跳ね除けてきた。
しかし、儂の場合は運が良かった。
人一倍頭が回ることと、軍略を習う環境、そして努力を惜しまぬ性格。
それらがあって初めて、今の地位がある。
片目を失えばもののふとしてもう役には立たぬ。
ましてや片足では戦場で足手まといになる。
それが普通じゃ。
「足の無い者は足が無くても出来る仕事。
目が見えぬ者には目が見えずとも出来る仕事。
これを作り出して仕事に就かせることで、自分も皆の役に立っているとの思いを持ってもらう。
皆が幸せになれるように考えてくださる大名が、大胡の殿以外にいようか?儂にはいるとは思えぬ」
そこに惚れ込んだか。
確かに魅力的じゃ。
武田のやり様と全く違う。
その違いを見てしまったのか。
これはもう調略は無理かもしれぬ。
逆にこちらが調略されるわい。
「此度は、調略というても勘助殿への調略ではござらぬ。信濃の事じゃ」
「と、申されると? 」
「北信濃には知り合いがたくさんおりまする。
そこへの調略を儂がするならこうする、という事をお伝えさせていただきたく、此度はお会いしようと思いました」
幸綱殿は北信濃の国衆豪族の好き嫌い、性格、家族、縁戚関係などを事細かに論い、その調略方法の例を挙げていった。
いちいち頷くものばかりであった。
「なぜこのような大事を、上野と敵対している武田方である儂に教えてくれるのかな?単刀直入に聞くが」
「まずは我攻めなどで人死にが出ないためにでござる。
儂の知り合いが多いゆえにじゃ。
また、殿の下知に従っているだけなのでござるが、儂の見立てでは多分、越後対策かと。
それと武田と敵対しているのは上杉家であって大胡ではない」
なんと!
大胡は上杉から独立を考えていると、仄めかしているのか?
それに越後対策。
村上はもう2年と持たぬであろう。
善光寺平(長野盆地)の国衆を調略できれば、武田に降る……いや、越後に逃げるか。
御屋形様は北信濃の完全支配を考えておいでだ。
されど儂は反対して居る。
何故なら、信濃の北端、飯山城は越後長尾の春日山城から南へわずか6里しか離れておらぬ。
そのような本拠地に近いところに大勢力の大名の領地が隣接することになったら、武田であっても己を守るための戦を仕掛けるであろう。
村上は多分越後に逃げ込み、長尾に旧領奪還を頼むと見ている。
長尾はその村上の旧領回復を大義名分とするじゃろう。
が、村上に頼まれずとも長尾が北信濃に侵攻するのは目に見えている。
じゃが、儂ごとき下っ端のいう事、このような大方針への意見は武田の評定では取り上げられぬ。
皆、目の前の事しか見えておらぬ。
相手も人間であり、その者の立場・思惑がそれぞれあることに誰も目を向けぬ。
御屋形様も北信濃の切り取りはもう決めたことと仰って居る。やはり海を手に入れたいのであろう。
御旗盾無にも誓ったことだと。
もう動かせぬ。
「それで大胡の殿は、越後の景虎殿とは親しいとのこと。
武田とぶつける気じゃな? 」
「狭い日ノ本、いつかはぶつかる。
近ければなおさら。
此度は大義名分もできよう。
然らば当然のこと。
と、申しておりました」
「先の上野への長尾殿の越山。
関東管領殿の救援が大義名分でありましたな」
「どうやらあの御仁は毘沙門天を奉っておられるゆえ、『義』というものがお好きなようですな。
武田の為にとっては、村上殿にはできるだけ越後以外へ退転していただくのが良策かと」
その考えには同意するが、されどそれは叶うまい。
信濃最北端、飯山城の高梨へ落ちるしか、安全な道はなかろう。
そして高梨も武田を前にしては耐えられまい。
「大胡の殿は今後、どうなさるおつもりですかな。
北条とは断絶状態。
武田とは上杉家との関係もある。
御屋形様を頼り逃げてきた小幡殿が失地回復に執念を燃やしておりまするぞ」
返答が帰ってくることは期待せず、疑問に思っていることを口に出した。
「儂が思うに、殿は氏康が首、死んでも取るおつもりと見ております」
150万石を超える大大名の首を、高々5万石に満たぬ国衆が獲る。
このような大言壮語、誰も聞く耳持たんじゃろう。
普通ならば。
しかし既に北条の先手衆の旗頭を2人倒して居る。
本気で狙っているのかもしれぬ。
会談を終え、碓井峠を越える支度をしながら、儂は偶さかそれが起こった際の武田の外交をずっと考えていた。
1552年6月下旬
上野国八斗島の河岸料亭豊受
松田盛秀
ここには2度目じゃな。
前は那波が落ちたときじゃった。
あの時、無理にでも大胡との関係を改善しておれば、綱成殿と地黄八幡は今でも健在であったものを。
大胡や長尾の好きにはさせんでいられたであろう。
今さら言うても詮無きことじゃが、悔やまれるな。
此度は氏康様より「休戦の儀」を何としてでももぎ取ってくるように仰せつかった。
氏康様は今年3月に嫡男の新九郎氏親様を病で失い、益々傷心しておられる。
ここで関東管領を上野から追い出さねば、北条の領国経営が回らぬ。
合戦を2~3年休み、領国の仕置に再度専念して民を慰撫せねば北条は瓦解じゃ。
氏康様にもお休みいただかねば。
「やあ、松田殿。
再びお会いできるとは光栄でござりまする」
大胡政賢殿が入室された。
腰を下ろすや否や口を開く。
「今回は一体、何の御用ですかな?
また某に『だが断る』と言わせていただけるのかな? 」
(また岸辺らせてくれると嬉しいなぁ、ワクワク)
「いやいや。此度は大胡にとっても、我が北条にとっても有益な話でござる。
釣り合いの取れた武将同士の交渉とお考えいただきたい」
先の話し合いは居丈高に臨んだ末の物別れだった。
此度はこちらが窮している。
それに相手はその間に実力を示した。
むしろこちらが請い願わねばならんのであるが、それを見透かされる訳には行かぬ。
難しい交渉よ。
北条の外交・調略を担う儂以外に出来る者はおらぬ。
「これはこれは。
まずは先だっての物別れ。
いささか大胡殿を勘違いしており申した。
お許し願いたい」
まずは下手に出よう。
「ほう。では今回は許していただけぬと」
「逆でござる。
今までの仕儀、お互い水に流しましょうぞ。
そして同盟、と申せば断られますな。ならば休戦、という事では如何でござるかな?」
「ふむ。その心は? 」
「これ以上お互い戦いますれば、疲弊して共倒れは必定。
それぞれの意に反することになり申さぬかな?」
「ほう。某の意とは? 」
ここが勝負どころじゃ。
「大胡殿は関東管領殿がお邪魔と見える」
じっと、政賢殿の様子を見据える。
少し、眼が驚いた様に動いた。
これはどうやら当たりのようじゃな。
「邪魔、とは如何なる理由か、お教え願えますかな?? 」
「されば。
前回、関東管領殿の平井ご退転の際、大胡殿は動座先にと申し出なかったそうな。
その後の中立とも取れる戦の忌避をされたとのこと」
「それは少々間違うておりますな。
某は関東管領殿からの評価が厳しい。
某を頼りになさってくれませぬ。
ゆえに白井城の要害の方を頼られたまでのこと。
また長野一族までが北条方に行かれましては、こちらも手出しが出来ませぬ。
ただひたすら城に引き籠っており申した次第。ハハハ」
白々しい言い分だが、一応の筋は通っておる。
「その後の長尾殿の越山に際しても、出来得る限りの馳走を致しました。
これでも関東管領殿が邪魔だと申されるのかな?」
儂は決定的な一言を言う。
「ではこのまま上野を武田と長尾、そして北条の草刈り場にするおつもりか?
それを防ぐ力はもう関東管領家にはござらぬ。
誰かが代わって新しく治めねば、全ての国衆豪族がその3勢力によって摺り潰されましょうぞ」
政賢殿は眼を瞑り、黙って聞いていた。
儂が焦れるくらいの長い間があり、眼を開くと共に口が開いた。
「まあ、そだよね~。
誰が代わりになるかは分かんないけどね。
憲当にはご退場願おうね」
急に砕けた口調になったが、言葉の意味は辛辣であった。
「だから大胡は北条と休戦して、あいつを追っ払おう。
越後に逃げるかな?
別に北条が始末しても構わないからね~。
そうでないと後で怖~い怪獣が来るからね」
始末……暗殺か、討ち取るか。
怪獣とは越後の長尾景虎の事か??
戦の天才とも、毘沙門天の化身とも聞く。
せっかく上野から憲当を追い出しても、長尾が担いで関東にちょっかいを出し続けると。
あり得る。
だが、そうかと言って暗殺は拙い。
直ぐに誰の仕業か漏れるものだ。
いや、大胡のせいにするという事も可能か。
氏康様に報告だな。
「では、北条が西上野を席巻して関東管領家を追い出しても構わぬと。
邪魔だて手出しはせぬと、確約していただけると? 」
「そだね。
でもその後に北から来る龍とは多分戦わないよ、僕」
「本当に来ますかな?
大きな山を越えて毎年攻めて来ねば、上野は支配できますまいに」
「そこは氏康さんの考えることだね。
僕は僕の考えがあるから♪ 」
これはしたり、至極当たり前の事であった。
儂としたことがこの若者の煙に巻かれたか。外交の知恵者との自負がどこぞへ行ってしもうたの。
これもこの者の手の内か?
気を付けねば。
「では、これにて一時休戦という同意でよろしいかな? 」
「はぁ~い。
じゃあ期間は来年末まででいいかな?
このくらいがお互い適当なんじゃない? 」
今少し、できれば2~3年欲しいところじゃが、今後の情勢がどうなるか分からぬ。
特に武田との同盟如何によっては早期に大胡を潰せるやもしれぬ。
儂はその期間で合意をした。
これで大胡の首根っこは押さえた。
この密約を密かに漏らせば、大胡の背信が上野の国衆の噂に上ろう。
諸刃の剣ではあるが、今度こそ恫喝してやろうぞ。
山本勘助の実態ですが、最近の最新研究は知りません。
10年前の書籍?の知識で足軽大将で上野方面の調略はしていたというのを思い出し(古文書が残っています)、このようにしました。
でもこれから結構活躍するかもしれません。
言いにくいのですが、今までも差別用語とされる言葉をいくつか意識的に使ってきました。
これは前にもちょっと書きましたように、歴史の光を輝かせるには闇を書かねばならないという信念からの事です。
ポリコレ棒を振り回す(ポリティカル・コレクトネス=政治宗教的に人を不快にさせる言動を非難すること。を振りかざす)方にはご迷惑かもしれませんが、キャンセルカルチャー的な(一言を論わって全てを否定すること)ものには否を言いたいのです。
できれば筒井康隆の「断筆事件」について考察していただければと思います。
ぺたり
https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199404.htm
神(運営)のご宣託があれば日和りますが(^-^;
悪魔の誘惑(商業化)での変更はない!とおもふ。




