【叔父】僕っていらない子?
この回だけちょっとシリアスです。
次話からぶっ飛んでいきますので、今暫しご容赦ください。
1989年12月10日・JBCTV歴史特別企画
【戦国時代は関東地方から始まった。鎌倉公方と関東管領】
「一般に応仁の乱から戦国の世に突入したと思っている人が多いのであるが、実はそれより先1455年から始まる関東で起きた享徳の乱から、実質的に絶え間ない戦の時代が幕を開けている。
その関東は、鎌倉公方という旗頭を掲げて実質支配していたのは、関東管領家山内上杉家とその一族扇ケ谷上杉家であった。
その2家が凋落していく過程で、後北条氏が関東管領に代わり勢力を増す流れで関東の動乱は動いていく。
その山内上杉家の最後の関東管領の上杉憲政はその行状、誠に宜しからずとの記録が残っている。
例を挙げると……」
1534年3月初旬
上野国厩橋城長野賢忠居室
長野賢忠
「父上。某、出奔いたす!勘当していただきたく!」
次男の道忠が儂に向かってにじり寄りながら叫んでいる。
わが厩橋長野家、武人の祖・物部から続く武門にとって、到底看過できぬ事態だと。
隣に膝を鷲掴みにして座る、兄の道安も怒り心頭の表情でにらみつけてくる。
孫の松の件だ。
昨年、関東管領である上杉憲政様の下令により、我が厩橋長野家は北条家への警戒と称して、川越城に出兵した。
その間に、管領殿はわが厩橋城に鷹狩のために逗留。
あろうことか、惣領息子道安の長女・松を見初めたと称して乱暴狼藉を働いたのだ。
13歳の管領殿は、幼き頃に管領の職に就いた。
その際に我が長野一族は、対抗した憲寛殿を推し争うことになって、負けた。
9歳から旗頭として擁立されていた憲政殿は、自らの意志で戦や内政を動かせなかった。
そのうっぷんを晴らすように、長野一族に様々な横暴を加えていた。
それを反抗せずに唯唯諾諾として無体を甘受していると勘違いした幼い管領殿は、ついに超えてはならない一線を越える暴挙に出てしまった。
表向きの戦や仕置ならまだしも、私事で家臣の、それも独立した国衆の娘を凌辱した。
ここまでされれば、どのような国衆でも誇りを踏みにじられ離反する。
それがわからなかったのだ。
管領を傀儡として、上杉家を差配している小幡や安中も制止できなかった。
というか、まだこのことは知らないはずだ。
もしこのことが明るみに出て、周知の事実となれば我が厩橋長野家の問題だけではなく、上野国いや、山内上杉管領家全体、ひいては坂東全域の情勢を揺るがせかねない。
このままではいけない。
「今一度、頼む。秀政、堪えてくれ」
「父上!それはあまりにも!」
この場にいる、四人目の武士。
松と祝言を上げただけで出陣した永野秀政。
幼馴染とも言える松との幸せいっぱいの結婚生活が始まるはずだった。
18歳と14歳の初々しい夫婦。
しかし、祝言直後の初陣の留守を、管領という手の届かない存在に襲われた。
さらに悪いことに、松が懐妊してしまったのだ。
顔ばかりか、体全体が青くなるような怒りに飲まれている姿で震えている。
「某。これより出奔して、けじめをつける所存!」
「道忠、よせ。父上も腸、煮えくり返っておるわ。それでも堪えている」
32歳の長子・道安が、儂をにらみつけながら絞り出すように声を上げる。
これが表面化すると巻き起こる出来事がわかっているのだ。
たとえ、自分の14歳の愛娘が凌辱されても、辛うじて冷静に計算する余裕があるようだ。
29歳の道忠は奔放な性格のため、激発しそうになっている。
そろそろ、儂の覚悟を示せねば。
「秀政。儂はこれから平井の金山城へ出向き、管領様に談判してくる。其方の元服の儀に下賜したその脇差を預けてくれい」
その言葉を聞いて、3人の眼は飛び出さんばかりに見開かれた。
数日後
上野国厩橋永野秀政宅
長野道忠
松はいまだ、自室から一切顔を出さない。
秀政がたまに声をかけるが、顔をそむけてしまい会話もできずにいた。
姪の松は秀政と仲が良かった。
私は2人をよく利根川の土手や厩橋の街中に連れていき、逆に手を引っ張られながら、今日は花摘み明日は釣り店巡りと、過ごすこともあった。
叔父の私を「兄様兄様」と花の咲いたような笑顔でまとわりついてくる松。
負けずに「兄上~」と駆けてくる秀政。
私がお勤めに忙しくなると、2人も剣術修練や家事の修行に時間を費やすことになったが、お互いを己が 半身のように思い生きるようになっていたようだ。
日を過るごとに憔悴していく2人を見ていると、今にも飛び出して平井金山城(現藤岡南部)のあの阿呆管領と刺し違えてやりたくなる。
それをしたとしても何もならないが……
あの時父上が「脇差をよこせ」といったことくらいは、この熱し切った頭にも真意を解すことができた。
「刺し違えてでも管領にできる譲歩をすべて引き出させる。お主の命預けてくれ」
父は箕輪長野氏の棟梁、西上野の箕輪衆旗印の長野業政の叔父。
業政殿に隠れた感のある武将だが、周旋に長けた業政殿に比して温厚にして朴訥な武将とみられている。
息子の私からすると歯がゆい気もするが、血筋であろう大柄な体躯で立っているだけで、戦場でも配下が大船に乗った気で働けるどっしりとした将だ。
だから渋々ながら、すべてを任せた。
どれだけの成果を引き出してくるかは全くわからない。
「秀政。父……いや殿が引き出してくる条件に納得のいかない場合は、二人して斬り込むか?」
「いえ。……」
そのとき、先ぶれの小姓が父の帰城を告げた。
そして帰ってきた父はドシンと腰を下ろしながら、手にした奉書をだらんと秀政の前に放り出した。
「秀政。すまぬ。儂にはこれが精いっぱいじゃった」
「拝見仕る」
私は秀政が読む前に、素早く奉書に目を通した。
「こ……れは」
約定
一.関東管領上杉憲政は長野道安娘ヶ議。関知せず事。
二.関東管領上杉憲政は日ごろの忠勤に鑑み、厩橋長野家に銭100貫文下賜す。
三.関東管領家は上野国衆の断絶の際は、厩橋長野家より婿入り跡を継がせる周旋をする。
四.上記跡取りの際は、関東管領家より後継に銭200貫文を下賜する。
「父上! あ奴はなかった事にすると!? 」
「これを表面化させても誰も喜ばぬ。
強いてあげれば北条の奴らが喜ぶかの。できぬのじゃ。
だったらできる限りむしり取ってやるしかない」
父から奉書を受け取り、再度一読した。
目を瞑り、「ふうっ」と深いため息のように息を吐きだした。
「これが落としどころな……」
秀政に奉書を渡しながら、目頭を揉み、考えを巡らす。
秀政が読み終わるのを待って、父は非常に言いにくいことを伝えた。
「秀政。
厳しいことを言うが、今は戦の世だ。国衆は生き延びることが一大事じゃ。
関東管領家の御種をいただいたことを奇貨とせねばならぬ。
お主は厩橋長野家の一門じゃ。
しかしながら、山内上杉家は今、長野の血筋を入れることはできぬ。
諍いになるは必定。
ゆえに松に一子が生まれるならば、捨て置かれる。だから…」
「だからむしり取るわけですか……」
秀正が二の句を続ける。
そして父はとどめになる言葉を告げる。
「長野のために、松の子を其方の子として育てよ。
それが我が長野一族を守る奥の手となる。堪えてくれい」
父は、首を垂れて深々と土下座した。
こうでもしなければ、涙を見せてしまう。秀政の顔をまともに見れぬということか。
秀政は、奉書を床に置き目を落としたままで、深くて太いため息を吐いた。
「わかり申した。生まれますれば……某の一子として大事に育てまする」
生まれますれば……
というとてもとても小さな声が再び聞こえた気がする。
この作品の世界線は、どうやら相当混乱しているようです。
作者の頭も混乱しております^^:
最大の歴史改変「上杉憲政の生年」1523年を1520年にしてあります。
わざと変えているところもありますが、意味のない間違えはきっと気のせいです!
それもシュタ〇ンズゲートの選択というのだ!