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首取り物語:北条・武田・上杉の草刈り場でザマァする  作者: 天のまにまに
★★最初の首取っちゃうゾ★★

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【赤石】即席砦、3分で作れる?


 1996年6月1日:那波小学校第4学年社会科見学


「……この石碑が、この市役所の場所に建っていた赤岩城跡の印です。

 戦国時代に那波城の城主だった那波宗俊が城主を務めていましたが、太田の横瀬氏に攻撃されて、取られるくらいならと焼き払って退却しました。

 その焼け跡の上に、大胡政賢が砦を作り北条との決戦に臨みました。

 その結果……」






 1997年6月4日:国軍戦史研究所編:大東亜戦争海戦記改定版

 【第7章:ミッドウェー海戦】


「北部新大陸大和共和国の降伏によって巻き起こされた、大東亜戦争の趨勢を決定的に転換したのはミッドウェー海戦であったことはよく知られている。

 この海戦における東部13州連合海軍連合艦隊と我が日本国海軍の機動部隊による戦闘は、ひとえにその索敵能力の優劣に寄り、その結果を導き出したといえよう。

 我が機動部隊が全方位3段索敵を行ったのに対し、連合艦隊は索敵を軽視し……」



 索敵大事、超大事。

 MI作戦は嫌いです。

 




 1548年8月中旬

 上野国赤石城跡(伊勢崎市市役所付近)

 利根石斎(流れの土木作業員の親方)




 頭が焼けるようじゃ。菅笠を被っていても熱が伝わってくるほどの強い日差し。儂はまだ剃髪して居るので良いが、皆は大変じゃろうて。

 しかし、普通ならぶっ倒れている人足がいる暑さ。それでも働けているのは、殿さんが「水と一緒に塩舐めてね~」といって置いていった塩のお蔭か?

 水を飲んでもだるく成らん。


 儂はこんな幼き頃より石を積んだり土塁・堤を固めたり人足をしていた。そのうち棟梁が取りたててくれ、人足頭から作務方(設計・全体人数差配)にまで上り詰めた。だがお侍方の横暴が嫌になり上方から坂東へ流れてきた。


 倉賀野の河岸で人足をしていたら、大胡で酒・飯が只という極楽のような条件で雇ってくれるという。殿さんが横暴な奴だったらさっさと逃げる腹積もりで面談に来てみたが、びっくりした。最初に飯が出され、「これがいつもの食事よん。食べてみて~」と若侍が剽軽な態度で、酒を一人一人に次いで回っていた。

 あとで聞くとなんと、あの若侍が大胡の殿さんであるという。


 まさかと思いつつ、人足になってみたが……

 きつい。なんちゅう人使いの荒さ。

 だが……


 やりがいがある!


 まさか、最前線に突っ込まされるとこまでやらされるとは思ってもみなかったが、その素人集団の突進で偉そうな侍が青くなっていた。


 爽快じゃ。

 またやりたいもんじゃ。


「あっついねぇ~♪ どう~棟梁? あとどのくらいかかる?」


 殿さんだ。

 ガタイの大きな側近を連れて、両手を大げさに振りながら近づいてくる。


「あと3日というところですな。あとは逆茂木の一部と投擲用の目印だけです」


 この砦は2か月の築城作業で1町(100m)四方のほぼ四角。四隅に矢倉を立ててある。西30間に桃ノ木川。ここまで下ると川幅が結構出てくる。10間はあるか。深みに嵌まると危険だ。東にも粕川が流れてある程度の防壁となっているが、川までの距離が7町と遠い。


 そして北と南・東に馬出しがある。南方約1里に那波氏の本拠、那波城がある。どちらも平城。たいした防御力はない。


「ちょっとね、予定が崩れてね~。明日からお休みして体力回復してね。

 その後しゅつじ~ん、です♪

 あとの作業は普通の人足に任せて、荷駄隊改め、戦闘工兵隊また奮戦頼んじゃうよ」


 やはり人使いが荒い。






 1548年9月上旬

 上野国那波城

 那波宗俊(ますます政賢君にいじめられる大胡の南にいる国衆)




 兵糧が底をつく。あともって1か月。銭はもう土倉が貸してくれん。もし今年の刈り入れができたとしても、大胡の奴らによる青田刈りのお蔭で殆ど収量が見込めぬ。


 松風の奴。許せん! 今は政賢か、どうでもよいわ! あ奴が河船衆や野盗を使い、北条からの兵糧入れを(ことごと)く邪魔をした。これから北条も刈り入れ、農繁期じゃ。後詰が期待できぬ。仕方ないと成田に泣きついた。


 これではらちが明かぬと申して刈り取り前に大規模な後詰、さらには本領を安全にし、中止せざるを得なかった川止めを再開できるよう赤石を取ることを目的とした4000もの軍勢を寄こしてくれることとなった。


 そして今、ここにその将たちが集まっている。上座には此度の総大将、垪和(はが)左衛門太夫殿が座っている。噂によれば、先の川越夜戦の後に行われた追撃戦にて、あの小童に手ひどくやられたらしい。

 そのような者を大将に据えるとは北条氏康の度量の大きさ、勢力としての余裕を感じた。1度くらいの失策は、次の戦で取り返せ。失敗を糧にせよということか。


「各々方、いよいよあと1刻後出陣であるが、なにかまだ言いたき儀ありますかな?」


「然らば、某が先陣でよろしいのですな。小さき砦など踏みつぶしてくれよう!」


 成田勢を率いる成田泰季殿が叫ぶ。

 応! と、皆威勢づく。

 我が那波勢は700で右翼の、敵砦東の馬出しを狙い北進。そのまま東から砦を攻める。更に右翼、粕川の東岸を太刀のみを佩いた軽装の足軽300が隠密裏に回り込み、砦北口を奇襲する。


 大手門に当たる南口はどちらかというと陽動になるのか?

 しかしこの兵力差ではそのまま押しつぶせるやもしれぬ。



 お味方4700。

 対する大胡は総動員しても1200程度とみている。全部をここに集中できるわけでもなし。砦があるとしても、たった2か月での築城作業では柵を1重・矢倉を建てることくらいしかできぬ。物見もそう報告してきた。


「しかし、各々方。油断召されるな。相手は何をしてくるかわからぬ。一応先の戦の失策への対応はしてきたが」


 皆、少々この言葉を軽視している。

「なにを。先の戦での負け惜しみを言うておる」と言いたそうじゃ。


「では、出立前に盃を交わそうぞ」


 皆、土器(かわらけ)で酒を飲み干し、威勢よく地面に叩きつけた。

 その酒が焼酎であったことに少し引っかかるものがあったが……








 1548年8月30日卯の刻(午前6時)

 上野国赤石砦南東約20町

 甘楽昌弘(軽騎兵索敵隊員)




 粕川を渡り物見(最近は索敵と言い始めたが)を開始して既に30町は進んだか。所々に散在する雑木林のほかは半分が荒れ地のまま放置され、あと半分には蕎麦が植えられている。今年7月初め、やっと育ち始めた稲が我が方の軍勢の手によって青田刈りされたため、生育の早い蕎麦を植えてなんとかしようとしたことが見て取れる。


 農家の3男坊の俺にとっては、忍び難いものがあるがこれも戦のせいだ。どちらが悪いというものはない。それよりも自分が生き残ることが一番大事だ。


 その点、大胡の殿さまはよい。殆ど戦死者を出さずに初陣を終えた。あのような戦場真っただ中に突入し、また殿(しんがり)などをしながらも一握りの戦傷者しか出さぬとは。

 この大胡に仕官して幸運だった。


 自分が強者(つわもの)でないことは知っている。だから「殿自らの」面接で「何が得意??」と聞かれて、はたと言い淀んでしまった。しかし殿の時間を取らせるのは悪いと思い、ままよ、とばかりに「体が小さくはしっこい事です!」と威勢よく言った。すると殿は「おおお。僕と一緒だね、体がちっさいとこだけ~。じゃ採用~♪」と。


 何が何だかわからなかったが、すごく体格の良い馬を与えられ物見を仰せつかった。なぜであろうかと、物見頭に尋ねたところ「そりゃ体が小さければ馬で早く逃げられる。矢に当たる的も小さくなるからな。それで殿は召し抱えたんじゃろう」と。そんなものだろうかと、納得した。



 その後2騎で1組の物見が編成された。

 殿曰く、

「つーまんせるで、にだんさくてき~」

 だそうだ。


 二段索敵を2騎一組で行うことになり、猛訓練が始まった。結構な頻度で殿はお見えになり、訓練を見て真剣そうな面持ちでウンウンうなり何かを物見頭に指示していた。


 そして今、初めての実戦。先行する相方(あいかた)は俺よりも重装の大胡胴と兜をかぶり、1町前を先行している。俺が追いつくまで立ち止まり、四方に眼を配らせる。俺が5間ほどまで近づいたら、俺が止まり今度は相方が先行していく。

 まるで尺取虫のような移動だ。これにより先行している物見が倒されても俺だけは帰って報告できる望みが大きくなる。


 1町先で立ち止まった相方に追いつこうと馬の脇腹を蹴ったその時、相方の馬が棹立ちになった。

 相方は落馬。周りに敵兵が群がる。やはりここも敵の進軍路になっていたか。


 俺は雑木林の陰に隠れていたらしく、まだ見つかっていない。馬をつないで敵の全貌が見えるところまで這いずって前進する。このために後方の俺の装束は深緑色の合羽。その下はなめし皮の胴着のみ。あとは簡易な鉢金だけだ。


 いた。

 10……200……約300から400。

 長柄・弓兵は無し、というところか。

 これで急いで本陣まで帰れば俺の仕事は終わりだ。


 相方は……

 あとで骨を拾えれば御の字だ。次回は俺が先行する役目になるやもしれんが、それは物見の宿命。そう思い、急ぎ馬を繋いだところまで帰った。



「左手粕川左岸、敵北上中。

 数350程度。

 長柄・弓兵は無し。

 旗印は垪和(はが)左衛門太夫旗下、網代成昌!」


「でかしたね~。甘楽のまーくん。これ受け取ってね」


 殿のお声が掛かる。

 俺のような者も名前を一々覚えているのか。それに小粒金の入った袋が2つ。大きいものと小さいもの。


「ああ、それね。

 ちっさいのがまーくんの。

 おおきいのは……多分帰ってこれなかった富岡左近殿の物。

 田舎のご家族に送り届けてもらえる? 手紙添えるので後ででいいからね。それが今度のまーくんの仕事。よろしく」


 と、殿は言い、くるっと向こうを向いてしまった。すかさず隣に控えていた側近の方が殿の肩に手を掛ける……


 もしや……泣いているのか? 大将が泣いてはいかぬ。

 と、普通なら呆れるであろう。

 だがそれを見ても俺は、そのような気持ちは一切沸いてこなかった。

 これが大胡の殿なのだ、これが俺らの殿さまだ。



挿絵(By みてみん)







 1548年8月30日巳の刻(午前9時)

 赤石砦内

 長野政影(政賢のCIWS)




 殿は時折、先ほどの様に子供に戻るように見える時がある。お道化ている時の殿も子供の様であると言えばそうなのであるが、喜怒哀楽を隠す為の道化芝居なのであろう。ようやく某にもわかってきた。

 福にも確かめてみよう。


「政影~。ここじゃ敵が見えない~。矢倉に上ろう♪」


 それは危ないと嗜めるが聞いてもらえないのは分かりきっている。


「やっぱり、正面にも物見櫓が必要だったなぁ」


 殿は南東の角にある矢倉へ上り矢盾に隙間を作りそこから敵を見ている。矢盾の上から顔を出したいと仰ったが、流石に危険なので押しとどめた。


「ここの目の前が決戦場になると思うんだけど、もっとよく見えないと采配が振るえないよ~。

 助けて政えも~ん、何とかしてよ~」


 また意味不明なことをおっしゃる。

 某の名前まで違う。


「必要な時は、政影。僕をおぶれ。これは命令だ」


 真面目な物言いになり、厳命された。ここは命を懸けるという事か。


「多分、ここが引き返し不能地点。

 もう殺るか殺られるかしかない。

 生き残り戦略だけではもう限界だ。

 氏康を喰う!

 政影、ついてこい!」


 勿論、6年前より腹は決まっている。

 大きく頷いた。


「あ~、いいこと思いついた。僕のセリフの後にね、こう続けてね……」


 そして、後ろで手を組んで空を見上げた殿

「俺は天下を手に入れられると思うか?」

「政賢様をおいて、何者にそれがかないましょうぞ」


 「きもちいいなぁ~。銀河で英雄できちゃいそ~♪」


 殿は一人、腹を抱えてひとしきり笑った後、こうおっしゃった。



「さあ、

 おおばくちのじかんだぁ~~~~~!!」


 先ほどまで微かに震えているように見えた殿の背中は、堂々たる武将の背中に変わっていた。






 同日同刻

 南部正面後藤隊左翼前列第1分隊

 大野忠治(後に出世するかもしれない?)



 左の腕に結わいつけられた布に書いてある自分の名前。初めて読めるようになった文字だ。


 腹いっぱい食えるとのお触れで応募した常備兵。入隊してから少しだけ文字が読めるようになった。親に言っても「そんなもんいらねんじゃねえか?」とだけ言われた。

 だが俺はこの文字が読めることを誇りに思う。もう無知な百姓じゃねえ。そう大胡の殿さまがしてくれた。だからご恩返しをする。


 その殿の大声が聞こえた。


 「おおばくちのじかんだぁ~~~」



 博打か!

 上州もんは博打が大好きだ。のるかそるか。やったろうじゃねえか。

 松山城の時よりも、数での不利が大きいという。身震いがしたが、これは武者震いというらしい。

 俺はもう、武者だ!


 3間半の長柄を、思いっきり力を込めて握った。







 同日同刻

 左翼東出入口前

 是政隊弩弓小隊第3分隊

 粕川新造(そのうち大胡に居ついてしまいそうな雑兵)




 弩弓は連射が効かない。


 一般に支給されている型式は、両足で先の取手を踏みつけて体全体の力で弓を引く。これだと普通の呼吸3回(15~20秒)程度の間は必要だ。しかし、これまでに大量の弩弓とそれに番える矢を準備できた。


 今、俺の前には20丁の弩弓がある。準備してある矢は一人に付き200本。まだ後ろの補給係が持ってくる準備をしている。これでもまだ不安があるが、射つのが間に合わなくなったときは長柄に持ち替えるだけだ。


 そして、今回は普通の野戦とは違う仕掛けがしてある。矢の届く長さに合わせて地面に白い布で目印がつけてある。そこまで敵が踏み込んだら第一射。決められた角度で射出させる。これでほぼ確実にその場所の兵の胸元を通る。そのための訓練もしてきた。


 俺たちは雑兵(ぞうひょう)

 銭で雇われた傭兵だが、これだけ準備してくれると負ける気がしねえ。後ろにも強ええ、奴らが控えているしな。大胡では、わざと逃げる以外は逃げなくて良さそうだ。大船に乗っているつもりでいるぜ、大将!






 同日同刻

 右翼桃ノ木川右岸叢内

 甚兵衛(素ッ破の下忍)



 俺ら素ッ破は、仕事の多くが情報工作。戦働きはあまり好かん。影に生きるもんだ。

 風魔とは違う。


 此度の戦に駆り出されるのは正直、勘弁してほしいと思っている。だがお頭が引き受けてしまっている。

 もう後には引けぬ。


 お頭の言うには、今回は待ち伏せ。叢での不意打ちにのみ専念せよという。

 相手は風魔。桃ノ木川の西、草むらに隠れ大きく回り込んでくると殿さまは踏んでいるそうだ。確証はないが、来なければそれで仕事は終わりという事だ。

 どちらでも準備することは同じだ。自然の障害物に沿って味方が潜む。どうせ向こうも一網打尽にされないように散開して移動してくるだろう。それを一対一で潰していく。


 体術はこちらに一日の長がある。地形も知悉しているこちらが有利。これで負けたら我ら素ッ破は笑いものよ。


 あとはどれだけ損害を減らすことができるかだ。そこは小頭の指揮次第だ。頼んだぞ、小頭の旦那。




 遂に、垪和(はが)勢の法螺貝がなった。

 長い一日が始まろうとしていた。








 薄々感づいておられる方もいるかと思いますが、筆者は最初「銀河英〇伝説の戦国版」を書きたいと思い、執筆を始めました(^^♪

 川越の囮の件は、第四次ティアマト会戦をモチーフにしております。

 敵前回頭!敵前(後方)横断!

 松山の戦いはもちろんアスターテの英雄!

 オマージュと捉えていただけると幸いです。


 あの名作は、ナポレオン戦争をモチーフにしていると勝手に想像していますが、英雄というものが何なのか、それを描き出すことがこの作品の目標であるともいえますが……

 ラノベには重すぎる目標だぁww



政賢と政影くんコンビは、

ヤ〇&ユ〇アンでしょうか?

はたまた、

ライ〇ハルト&キ〇ヒアイスでしょうか?

どうなるかはわかりませぬ……


楽しみにしていただけると作者冥利に尽きます。



一応、次回で地図出ます。河川はGoogleマップで《《現在》》の流路を使っています。昔のなんか全くわかりません。


 ただ最近は国土地理院の等高線図を使用してある程度は実際に近いものができる「場合が」あります。



 【作者からのお願い】


 続きが読みたい!

 これから戦場、ワクワク!

 大した砦なんか作れないだろ?

  二段索敵常識!

 ミッドウェイは勝てたのに!

 やはり戦死者への一時金は大事だよね。



 そんな風に感じた方はブクマと★を1つでも結構ですので付けていただくと大変励みになります。よろしくお願いします。

 作者、病弱故、エタらないように★のエネルギーを注入してください!なんとか最後まで書かせてくださ~い



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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しく読ませて頂いております 第四次ティアマト会戦は分かりやすかったですね 銀英伝は陣形なり策謀は通信でやっているので 大きい戦場でやろうとしたら前線に話が通らなくて ヴァンフリート4=2…
[一言] 「政賢と政影くんコンビは、ヤ〇&ユ〇アンでしょうか?」 オレ「梵天丸&小十郎じゃね?」
[良い点] 楽しい [気になる点] 伏線がもっと深みあるといいな [一言] 田中先生ファンとしてはパロっていくなら、この作品ならば笑いをもっと盛り込んで欲しいです
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