【氏康」相模の獅子が吼える!
例のSLG。第一作目からやっていたりします(*ノωノ)
1993年6月1日発売決定!戦国SLGの決定版
【賢政の野望:覇業】
「30年前に第1作が発売され、その後も絶大な人気を誇る国民的SLG:【賢政の野望】の最新版。
今回は最新の研究で明らかにされた川越夜戦前後の関東の内乱をシミュレート。
今までの人物データを更新している。
特に顕著なデータの変化を見せているのは、扇ケ谷上杉朝定とその家臣難波田憲重、そして北条氏康・長野業政である。
扇ケ谷朝定は魅力系・統率系が上昇し、難波田憲重は猛将としてデータを改めた。
北条氏康は戦略系・調略系が大きく上昇している代わりに戦術系が……」
1546年4月20日申の刻(午後4時)
武蔵国川越城南方2里狭山砂窪中間地点
北条氏康(最絶頂期の獅子)
予想よりも損害が大きかった。
山内上杉勢に一当てした後、後退する予定はうまくいったが、回り込んだ寡兵により火の手を上げられ、小荷駄が危ぶまれたため慌てた後備えが弓兵を100ほど手当したが、見事に撃退された。
危うく全軍、裏崩れする所であった。
後方の備えの士気が落ちると危険だ。
手当が難しい上、前方で果敢に戦っている兵が不安になり潰走することが多い。
折角、今川との手打ちが無事終わり、乾坤一擲の戦の態勢ができたのだ。
鎌倉公方(足利晴氏)への調略で、こちらを舐めて掛かるように仕向けた。
案の定、本隊が接近すると憲政が突っかけてきた。
ここまでは儂の想定通りに進んでいる。
あとは今夜の夜襲の如何にかかっている。
もう川越城の長綱叔父上(後の幻庵)、大道寺と網成には繋ぎは付いている。
扇ケ谷を滅ぼす何重もの策・咢が締まりつつある。
だが最後まで気は抜けぬ。
闇の中での行軍は危険だ。
早々に陣を砂窪方面に展開せねば。
「あの後備えを翻弄した一隊はどこの国衆じゃ? 」
「はっ。先ほど打ち捨てられた幟を確認したところ、西上野大胡氏の手勢と確認いたしました」
「大胡か。新田金山で当主が親子ともども討ち死にした国衆か? 」
「はっ。現在は厩橋長野家の一族より養子として松風丸という12の童が入り、当主となっておりまする」
12か……
よほど秀でた後見がついているのであろう。
あの方面の調略は松田に任せているが今はそれどころではない。
後で聞いておくか。
「して、憲政の陣は何処か分かったか? 」
「はっ。戦勝に酔ってか事もあろうに、丘に戻らず低地にて兵を休めておりまする」
「痴れ者が。夜討ちがあるなど想像もできぬのか。少々、分散合撃する手はずの備えをそれぞれ攻める方角を直さねばならぬな。それと扇ケ谷はどうじゃ」
別の使い番が答える。
「現在、川越城北10町まで南下しておりまする」
これはまずいな。
余り近いと川越城を打って出る時の開門が気取られてしまう。
なぜ昼間の陣から前進したのじゃ。
「風魔からの繋ぎは? 」
「ありませぬ。敵陣深く潜入している模様」
こちらも想定通りにはいかぬ。
ただ、風魔の埋伏はうまくいっているようだな。
戦は失策が少ないほうが勝つ。
こちらよりも敵が多く失策をすれば勝てる。
今のところ、敵の失策が多い。
自信を持て!!
ここが先途ぞ。
1546年4月20日戌の刻(午後8時)
武蔵国川越城北方10町
扇ケ谷上杉朝定(お坊ちゃんだからなぁ)
昼間の総掛かりは勝利に終わった。
敵北条氏康の軍勢8000は、潰走とまではいかぬが遠くまで後退したとのこと。
増援に出していた難波田が帰ってきて報告した。
どうやら囮にしたはずの大胡松風丸の寡兵が、敵陣後方を横断したために北条方の後備えが崩れたようだ。
あの童は内政だけでなく戦も人一倍こなすのか。
興味が出てきた。
「難波田。あの松風丸の戦、どう見る? 」
難波田はにやりと笑い、
「あれは、ずいぶんと家臣に慕われておりますな。敵中横断など儂の備えでもビビりますじゃ」
そういえば代替わりしてから、まだ5年か。
それで家臣を掌握しているとは。
「あの者にはだれが後見しているのだ? 」
「おりませぬな。遠目で見ている限り、指揮をしているのはあの童です」
信じられぬ。
百戦錬磨の難波田が舌を巻くほどの戦上手なのか?
「それから戦が終わったのち、松風殿から使者が届きました。手紙がこれに」
封書が手渡された。
『風魔に注意されたし。また今宵は夜討ちもあり得るやも。陣を下げるのが得策かと』
管領に何を指図するか、と、憲政殿なら怒り捨て置くであろうが、先の話の後では捨てておけぬ話じゃ。
「難波田。川越城から討って出る可能性は? 」
「氏康本隊との繋ぎがとれていればあり得るでしょう」
「その際の手当は?」
「開門が見えるところまで前進いたしましょう」
そのように手配する指示をした後、まさかと思うが公方様と憲政殿に夜襲の可能性があると使いを送ろう。
ほかに何か忘れた気がするが、思い出せずに仮眠を取ることにした。
1546年4月21日寅の刻(午前4時)
武蔵国川越城北方10町扇ケ谷上杉家本陣
風魔小太郎(この人もあとで活躍します。別の意味で)
ようここまで潜入できたものよ。
皆の者、張り切っておる。
此度は斥候をほとんど置かず、最大の手勢をここに集結している。
氏康様のなんと大胆な事よ。
長綱様・大道寺様・網成様が城より討って出た頃合いで、敵本陣を強襲する。
痴れ者の憲政ならば今頃酒を喰らい寝ているやもしれぬが、果して朝定はどうであろうか。
まあ周りの警護を強襲で仕留めればそれで決着がつく。
本陣は完全に手の者で囲っている。
そろそろ氏康様の本陣が夜討ちを開始するはず。
それを合図に開門、城の手勢が打って出る。
その混乱に乗じて、我らが朝定を打ち取り中軍を崩壊させ一気に敗走させる。
氏康様の作戦通りに運べばよいが。
同刻
入間川西方渡河地点
東雲尚政(大分高い理想を持っちゃった秀才)
全く、殿には驚いた。
これが元服前の者の初陣か?
俺なんぞ、16の時の初陣では槍を持って小便ちびっていたわ。
戦の策だけでない。
どうしてあれだけ肝が据わっているのか。
策だけなら俺でも練れる。
(それでも今日のような策を咄嗟に考えられはしないが)
その策をギリギリの状況で冷静に判断して、号令をかける時を見切り決断する。
これは戦場での呼吸・勢いを感じとり、逃さずに判断できるようにならねばならぬ。
これができるのは百戦錬磨の将であろう。
なぜこれができるのか、どうせはぐらかされるのは覚悟して、軽い調子でなぜできるか殿に聞いてみた。
「う~ん。死ぬ気、いや死んでいる気になっているからかなぁ。あとはえすえるじい」
よくわからぬが、捨て身で戦に臨んでいるのだろう。
勝てぬな。
しかしいつか追いついて見せる。
同じ土俵に上がれるかどうかわからぬが、限りなく近づいて同じ視線で、戦場を、世の中を見て見たい。
そう思い、殿が言う「夜討ちの可能性」に備えて、明け方の暗い夜のとばりに目を凝らす。
地図です^^
同刻
川越城北門
北条綱成(この人いない北条ってどうよ?)
本隊の方角から火の手が上がった。
焼き討ちが始まったのだ。
昼間には敵方で小規模な焼き討ちの煙が見えたが、早速氏康様はそれを取り入れたらしい。
敵方はさらに混乱するに違いない。
ここの所の長対陣で敵方の士気は弛緩しきっている。
昼間の戦勝を良いことに、ぐっすりと眠っている兵がほとんどだろう。
酒を喰ろうている可能性すらある。
北方のこれから突入する扇ケ谷上杉家本陣はどうであろう?
とにかく中央に布陣し地場を領地にもつ朝定の首を取ればお味方勝利間違いなし。
大道寺殿と2手に分かれ、突入する。
こちらは3000。
敵陣は山内上杉勢に加勢した兵が帰ってきていなければ、3000に満たないであろう。
十分に勝機がある。
いや、負ける気がせぬ。
「網成どの。では敵本陣で会おうぞ」
大道寺殿が気合を込めた声をかけてくる。
「応! 」
さあ、開門だ。
一気に10町を突っ切るぞ!
同刻
扇ケ谷上杉家本陣前難波田憲重陣
難波田憲重(どんな人だったかは全くわからないので適当に書いてます)
やはり来たか。
松風丸の言うたことが真になった。
篝火の向こうに、続々と北条勢が押してきた。
左右に分かれているのか?
これは回り込まれるのう。
「右翼の敵には弓隊で牽制。左翼に長柄隊を集中させよ! 」
この夜間では、長柄は上策ではないが、敵方への牽制となる。
足を止めて、後方のお味方の態勢を整えるまでの時間を稼ぐ。
我が隊は1000。城から討って出たとすると敵は精々3000。
時間稼ぎはできよう。
「右の敵。北条網成が手勢。1000以上! 」
地黄八幡か。厄介な。
弓だけではいかぬか。
しかし、ここで方向転換はまずい。
「一の陣。殿せよ! 後方、2町まで退く!! 」
「殿!右手の敵、方向を変えて横槍!! 」
くっ、逃がしてはくれんか。
ここで時間を稼ぎ、敵中突破、殿をお守りするしか……
……すっと、目が見えなくなる。
「殿~~~!!!! 」
難波田憲重、矢に眉間を射貫かれ戦死、享年50
卯の刻
松山城方面への入間川渡し場
上杉朝定(む、むねんじゃああああ~!)
一瞬の出来事であった。
難波田討ち死にの報とともに、風魔が襲ってきた。
旗本が動揺した所に戦働きの得意な風魔の強襲。
逃げられたのは奇跡に近い。
用心深く愛馬を陣幕の内につないでおいたのが功を奏した。
しかし、ついてこれた供回りはわずか3名。
風魔は既にこちらの居場所を突き止め急速に追ってくる。
まさか、逆襲をされるとは思っていなかった味方は、奇しくも背水の陣になっていた。
我が陣は壊乱した。
そして行く手には増水した入間川。
「上様、お逃げくだされ。ここは某3人で!」
「もういかぬ。が、北条に首はやらぬ。介錯いたせ。その後、首は川に流せ。頼んだぞ! 」
供回りの者の泣き声がする。
ああ、松風丸の言う通り、本陣を下げておればよかったか。
同じことよの。
お味方2万、ばらばらの烏合の衆であった。
これから坂東は、北条のものになるか……
口惜しいわ!!
「御免!! 」
意識が飛ぶ。
扇ケ谷上杉朝定、自害。享年22。
川越夜戦が実際にあったかは確たる証拠がありません。
それと朝定の死因がわかっていません。
討ち取られた形跡がないんです。
病死の可能性が高いのですが、面白くないので自由の翼を広げて見ました!
お坊ちゃん。そこで眠るな~!!!!
【作者からのお願い】
続きが読みたい!
作者とボケとツッコミしたい!
氏康くんの活躍が見たい!
いやいやボコられるのが見たい!
そんな風に感じた方はブクマと★を1つでも結構ですので付けていただくと大変励みになります。よろしくお願いします。
作者、病弱故、エタらないように★のエネルギーを注入してください!なんとか最後まで書かせてくださ~い