【殲滅・2】殺し間?クロスファイア?
2002年個人ブログ:マンガに出てくる「殺し間」という明智光秀の必殺戦法は火縄銃で可能か?
「最近、そのリアルさを売りにして一世を風靡している戦国時代を描いた漫画に出てくる明智光秀の殺し間という戦術。
これを火縄銃で実行可能かを検証してみたいと思う。まず光秀の業績からすれば、どちらかというと機動力で敵の隙を衝くことに念頭に軍勢が編成されている。
しかしその火力も火縄銃後期からマスケットの普及期に死角を無くす戦術を多用したとの文献もたまに見受けられる。第一級資料の政影文書にはその存在は出てこず、その栄誉は主に沼田城防衛戦で殲滅区画を縄張りしてそれを使用、この方式で殲滅戦を実行した矢沢綱頼に与えられている。
これを無視するにはあまりにも……」
1559年5月上旬
上野国沼田城殲滅区画
宇佐美定満(越後長尾の宿老。攻防内政外交で高い数値を誇るSSR武将)
背後で壊されたはずの未の門が閉じられた!
3間を超す高さの門の上に在った、さらに高いこんくりいとの壁に仕掛けがしてあったのか? 上から猛獣を入れておく檻のように頑丈な鉄の格子が落ちてきたのだ。
いったいこれをどのように開ければよいのか? 手の者が怯えだした。幾人かは鉄格子に縋り着き「出してくれ~、何でもする。悪かった。降参じゃあああああ」と騒いでいる。
儂はその者たちの口を封じるよう命を下した。その者たちは槍にて声を出せないようにされた。
そのような怯え声を皆に聞かせるわけにはいかぬ。
周りを改めて見渡す。
見事じゃ。つけ入る隙がない。このこんくりいと。何処にも手足を掛ける凹凸がない。鉤縄を掛けようにもほとんどの胸壁が5間(10m。大体木造三階建ての目線の高さ)以上の高さがある。鉤縄が届かぬ。
左右の胸壁が角張った凹凸を作って連なりよじ登る、もしくは陰に隠れようにも必ずどこかから銃撃が出来るような角度が付けられている。
そこへ大砲の散弾や葡萄弾が飛んできて矢盾で防ごうとする集団を潰していく。これは早急に何か対応策を考えねば。さもなければここで越後上杉は実質上絶えてしまう。
「退口はこちらぞ~~~~!!」
柿崎殿はまだ無事か。その大声もいつもより小さく感じる。手傷を負ったか。幸い硝煙の白煙が立ち込め始めた。大胡も狙い撃ちは出来なくなりつつある。今の内じゃ。
「狭間を木槌で壊せい! ナマコ塀の場所もある。そこを壊して中へ!」
やれることは何でもする。
下は石畳み? いや煉瓦か。掘ることは能わぬ。この檻さえ何とかなれば。大砲では無理か? 20匁砲では無理そうだが、やってみるか。その指示を出し終えてから大砲の事を思い出した。
北条の備えに1欣砲がある。これで壊せぬか?
目の前では次から次へ上杉の精兵が倒れていく。最近の領土拡張で裕福になって喜んでいた国衆とその領民。その意気軒高な若者たちがすり減らされていく。中には越中から徴兵された者もいるが、元からの越後兵にその裕福さを自慢されたのであろうか、越後勢よりも士気が高いものもいる。
それが今全滅へと向かっているのだ。総兵力の半数が城門を潜り投入された。地獄の間へと入り込んだのだ。
このような時こそ、長老である儂が何か打開策を考えねば!
矢沢は内部から外へ出る事を不可能として設計した筈。なれば外から攻撃、破壊するしかあるまい。おそらく我が軍勢を殲滅するためにここへ全ての兵力を集中しているであろう。
(北条)高広次第。彼奴が大砲を引き、あの坂を登れるかが勝負。
既に行動を起こしているか? その程度は戦の機微を図れる者である。だが大砲を優先して持ってくるとは思えぬ。
すぐに門の中へ入らずに済んだ兵に伝言を走らす。
仕方がない。無駄とも思える手を次々と打って行く。
敵兵が居なさそうなところへ向かい大きめの弩弓に細い紐を付けて飛ばす。その矢が何かに引っ掛かりこちらへ垂れてくるまで何度も繰り返す。垂れていたものに太い綱を括り、太い鉤縄を引っかけようとした。直ぐに見つかり断念。
大砲の設置してある場所へと火矢を射掛ける。すぐに消し止められたらしい。
白煙が少しでも濃く長く続くように狼煙用の発火薬を使用する。
このような対策ではらちが明かぬ。何か他の策がなければ全滅ぞ。本当にその時が刻一刻と近づいて来た。
と、突然、大胡の発砲音が止んだ。
そして北の本丸方角から大声が聞こえてきた。
二の丸
矢沢綱頼
そろそろじゃな。
今暫し続けてもよいのじゃが、それでは恨み骨髄となろう。目的は大胡の怖さを教える事。そして二度と沼田を攻められぬと観念させる。更には上杉勢の士気を根底から崩す事。
足軽を殺生することが目的ではない。
北条高広と言ったか。必死で西の坂道を大胡製の一欣砲を押し上げているが、それが到着してもそのくらいはお見通しじゃ。未門を射角に収める時にはその砲、砲撃により粉々になっていよう。
儂は射撃中止の指令が行き届いたことを確認してから、拡声喇叭につながっている伝声管を手にして大声にて上杉勢へ話しかけた。
「越後と越中の住人の方々。そろそろ終わりにせぬか、この地獄。もう十分に味わったであろう。こちらとてこれ以上の鬼になること本意ではない。
武器を捨てて投降すれば命は助ける。この儂、矢沢綱頼の名誉にかけて補償する!
しかし!」
ここまでは受け入れる確率が多分高い。問題はこれからじゃ。
「国衆100石以上の者はここで果ててもらう。もしくは投降せい。追って左中弁様の沙汰がある故、それを待ってもらう! 家臣領民が可愛ければそうすることをお勧めするが。それとも自分の意地と名誉とやらの犠牲にするか? その領民達を」
これが目的であった。
上杉の領民と国衆との分断。別にここで開放してもいいんじゃ。これ以上「大胡の鬼よ」という風聞はいらぬ。そう殿は仰った。誠にそうであろう。儂もそう思う。殿は「もうこれ以上は辛いよ」とも仰っていた、皆の前で。
そんな弱気な殿が皆好きじゃ。強すぎる大名がいると下の者が従うのみ。自分の頭で考えられぬ。保身と栄達にのみ頭を働かす。
しかし大胡は違う。
家臣一同、この大胡をこの国の将来をいかにすればよいか、常に考えている。「自分は阿呆じゃ」と常日頃言われていた、あの後藤殿すら最近はよく学び物思いに耽っているという。
普通なれば「この儂が取って代わり」などと考えるのであろう。
しかし!
あの殿の代わりが務まると本気で思う阿呆はおるまい。少なくとも大胡の民はそういった考えは持ちようもない。そういうことを今まで殿の力でなされてきたのを間近で見てきたのだ。
儂はここで上杉を根絶やしにするよりも、生きて帰らせることの方が大胡の為になると判断した。勿論火急の折、殿のご裁可など受けられぬ。殿は武田との決戦で忙しかろう。
「北部は自由にして」
とは言われている。
既に
「沼田崩れ」
は、達成しているであろう。
先程、上杉景信らしき者を討ち取った。未だ柿崎景家の生死は分からぬが、投降させればわかる。その生死もこちらの手中となる。
北条の持ってきた一欣砲も4門すべて破壊したとの報告が来た。
「北条の大砲は破壊した。もう退き口はないぞ。乾門も瓦礫で塞いだ。全ての門は鉄材で封鎖した。今ならば生き残れる。足軽の者共。そこで死ぬるか? 故郷へ帰りとうはないのか?」
殺し間の中で新たな殺しが始まった。今度は武士と百姓の戦いだ。
「宇佐美殿! この惨劇を止めることのできるのは其方のみ。ご覚悟を!」
そして……戦いは止んだ。
書いていて、今までとは違う涙が出ました。止まらない。
この殺し間は、第1次大戦の塹壕戦の時に発明された十字砲火によるキルゾーン戦術です。あの傑作戦国マンガ「センゴク」では明智光秀が使ったとされますが、非常に微妙な設定です。
多分白煙ですぐに照準が定められなくなる。その間に突っ込まれると思うのです。
火縄銃、というよりも黒色火薬の限界でしょうか?
あまり十字砲火の角度を取りすぎると今度は同士討ちとなるし。30間の2/3で20間(40m)まで近づけてからでないと竹筒の後ろを撃てない。
そこで本作品では城内にカポニエールに似た防御施設を作りました。これならほぼ同士討ちはない。唯一葡萄弾の当たったぬりかべ箇所は抉られますが。それも計算して30間程の直線通路を狙えるように設置してあります。外にも逃げられず、突撃する敵もいない。士気がどんどん削られる。
どんなに優秀な指揮官もこの初見殺しには対応不可能なのでは?
カポニエールとは、映画「二〇三高地」でよく観察することが出来ます(ググると海賊版の静止画が!)が、巨大な溝の下に鹿砦みたいなスパイクが設置されており、それに落ちれば勿論負傷。さらに四方からマキシム機関銃で撃ち殺し、手りゅう弾放りまくる。防衛に関しては変態的な(!)某北国の防御システムです。
(ちなみに対外戦争で殆ど勝ったことない国。今回もそうなると思っている作者)
これを採用しました。
このシーンを書くのが嫌だったため、セイバー書き始めたのです。お判りになっていただけたでしょうか? あまりにもひどい。これと似たようなことがあの国で起きている。だから筆が止まったのです。
現在、開き直り中。
逆にこの作品を見て、現在どのようなことが起きているかを想像していただこうと書いています。
「尻を撃たれる」
良く走れるな~。「フォレスト・ガンプ」という映画が好きなのですが、あれもベトナム戦争の時に味方負傷兵を抱えてお尻撃たれて逃げかえってヒーローになっていましたが。
この筋肉って走るのにすごく大事なのでは?
「沼田崩れ」
凄いことになりましたね。
上杉は立ち直れるのか?




