【越山・2】英雄は山を越えるのが好き?ぱあと1
2001年1月2日:第200回箱根駅伝
静岡県富士宮
「見えてまいりました。先頭は大胡国軍大学の第40走者、4年生明智光成。この記念すべき第200回箱根駅伝の最後の襷をもってゴールのテープを切るのは奇しくも明智光秀の子孫。
言うまでもなくこの箱根ルートは、かの明智緊急派遣機動部隊が那和から急行軍、駿河勢を後詰に向かうために通った道。この200km近いコースを40名のランナーで襷をつなぎます!」
1559年5月上旬
那和城松の間
真田政幸(チート度はまだ高くないようだ)
親父の奴が慌てている。
めったに見られない光景だが、そうも言ってられんな。
何とか一番やばそうな上杉本隊を押し戻せたが、東は佐野の唐沢山城に2000が立てこもり、敵10000以上の猛攻を受けている。その隙にとばかりに佐竹勢に足利城も落とされた。
これで大胡城への道も開かれ、南下すれば新田金山城。南東に行けば館林城へ軍を向けられる。全ては唐沢山が持ちこたえられるかだ。一度親父に付いていき各地の城や砦、要害を見に回った。あの堅城ならばそう易々とは落ちまい。
持ちこたえている間に武田を撃ち滅ぼすまではいかんでも追い払うことは出来るだろう。
「東は唐沢山城頼り。上杉本隊は東雲殿との一戦にて大分損害を被った模様。再編しても独自の作戦は難しいかと。やるとすれば宇都宮との合同作戦でしょう」
親父が状況説明をする。遅れて到着した東雲旅団長への説明だ。
この人は凄いな。あの軍神の髭を抜きやがった。完全に勝ったわけではないが打ち払ったのだから勝ったと言っても良い筈。だが誰もそうは言わない。
甘く見ていた。
誰もが大胡の不敗神話を信じて疑わなかった。戦えば必ず勝つと。きっと越後の兵も同じであったのだろう。だから気持ちは分かる。大胡も上杉も自信を喪失している。
だからこそ、どちらが先に立ち直るか。これで今後が決まるのだ。大人の連中が頑張らねば。それを俺たちが助け、その内に俺たちが主力になる。大胡の未来は俺にかかっている。
ちらと、横に座る半兵衛を見る。
此奴は殿に心酔している。気持ちは分かる。
殿、大胡政賢は英雄だ。それも不世出の英雄。背がちっこい事、泣き虫な所以外、何が欠けているだろう? ああ剣術も駄目か。体力もない。寒いダジャレを言う。食が細い。酒が弱い。楓様に頭が上がらない……なんだか、欠点ばかりのように思えてきたが。
だがそれ以外全てが英雄なのだ。
皆がついていく。それだけの要素がある。その長所を挙げていたら夜が明けてもまだ足りないであろう。だから心酔する者が多い。此奴もそうだ。
元々青白い頭でっかちの奴であったが、それを補うように戦史研究に没頭している。だがな。戦は頭だけではない。勘だ。それが勝負を分ける、と兄者が言っていた。
師匠の秀胤様も言う。
「戦は水物。臨機応変。常に2手も3手も先を読み、どのようなことが起きても対応できる態勢を取ること。これが作戦の要諦」と。
言っていて恥ずかしいらしく、小鼻を人差し指で無意識に掻かれていたが、失敗したことがあったのであろう。だがその失敗を生かすだけの能力があるという事だ。その参謀を生かすことが出来る余裕がこの大胡にはある。
まだまだ大胡は強くなる。1度くらいの敗戦は問題ではない。次に勝てばよいだけだ。
「問題は里見の上陸作戦です。既に小競り合いが始まったとの事。やはり伊丹殿の目星通り三崎城攻略に向かう模様。その際に陽動として品川付近に少数を上陸し始めました。これに対しては既に品川駐屯兵団が動き出しました」
江戸城以北は太田様の旗下の部隊が守備についている。品川には2000の兵団が兄者たちに率いられて襲撃に備えていた。既に交戦状態か。俺も行きたいがこっちで大戦略を見ている方が面白いかもな?
「う~ん。そっちはいたみん任せになっちゃうかなぁ。伊豆には来なさそうだからそっちの方の兵を駿河にまわす? 滝山周辺は大丈夫? 今の1000で足りるかなぁ?」
殿がキンカン、もとい明智様に下問される。
「はっ。問題ないかと。既に岩殿城の兵は最小まで減らされ、甲斐の兵、悉く北と南へ向けられた模様。諏訪の兵も全て伊那谷飯田城へ」
この頭の光り始めているイケメン(とかいったな)のおっさん。諜報にも長けてやがる。何でも出来る奴だな。嫌いじゃないぜ。
「じゃあ、駿河の戦力比は?」
「大胡の兵は滝川殿の支隊1800が富士宮に。原殿の1000が三嶋。あとは西境の守備隊が少々。問題となっていた葛山殿ですが……」
殿の眉毛がへの字になった。心なしか髷も傾いている。
「武田の穴山親子の調略が入り、旧家臣が謀反。現在城の牢に閉じ込められているとの事」
殿はなんだかほっとしたような、残念な表情なのか分からん顔をしている。髷が少し立ったので元気にはなっているようだ。
「こちらの手当は小田原から300も廻せば問題はないでしょう」
秀胤様が付け加える。そして
「問題は甲斐から南下してきて現在滝川勢と対峙している武田勢8000。大半が戦慣れしていない急に徴兵された者たちでありましょうが数は力。1800の滝川殿の兵にてどれだけ抗しえるか」
「そこは鬼美濃の力量次第ね。どの時期に何処へ突っ込むか。これで決まるでしょ? あの人、人助けるの好きだから、うまく決めてくれると思うよん」
殿がほうじ茶を啜り出した。南部方面はもう手を尽くせないか?
「でもね。北が何とかなるようだったら、キンちゃん行ってくれる?駿河。行くとしたらどのくらいで行ける?」
キンちゃん……。明智様か。
どうもこの大胡の、というよりも殿の名前の付け方は独特で困る。笑ってよい物やら畏まってよいのやら。俺は何と呼ばれるのだろう?
「はっ。火急の場合、平地ならば1日で14里(56km)。通常なれば8里(32km)で。ここ那和からですと陸路45里。途中箱根の山道がありまする。7日は掛かるかと」
またまた殿の髷が傾げる。皆が頭を傾げ、間に合わぬと小声でつぶやくのが聞こえる。
「殿。若輩者の意見、お聞き願えまするでしょうか?」
急に隣の1つ年上とも思えぬ末成りが声を上げた。か細いが凛とした声だ。
「なになに? 聞きたいなぁ。面白いお話?」
面白いか、と問われ、少し戸惑うも莞爾と笑い後をつづけた。
「はい、多分面白いかと。予定進路に早馬を出し道に沿って水と握り飯を並べておきまする。
明智様の機動兵団は腰布一丁で走ります。必要なものは飲み食い、必要な時に小隊ごとにでも小休止。暖を取る場所も用意させます。
甲冑や装備は大胡車にて並走。主力の者は騎馬にて先にお味方の陣後方にて到着した兵の再編を行います。
これならば、相当時間を短縮できるかと」
これを聞いた殿の反応は一生忘れないであろう。
「中国大返しアンド箱根駅伝! 半兵衛ちゃんならではのアイデア~~~」
右足と左足で十字を作り、手で卍のような恰好をして「しぇぇえ~」と宣うた。
そして
「あれ? あれってはんべーちゃんいなかったんじゃ……まいっか~♪」
だそうである。
ナポレオンと言い、謙信信玄といい、なんか山超えるの好きですねぇ。
政幸と半兵衛の違いがだんだん出てきます。
岩殿城は危険。あそこは攻めたくないので要りません。
唐沢山城も攻めたくはないですねぇ。
あそこ11度でしたっけ? 上杉と北条の攻撃跳ね返したの。
危険には近寄らない。もしくは卑怯な手でw
鬼美濃の赤備えは機動力のものを言わせ、相当な守備範囲を任されています。箱根を超えるのは難しいけれど葛山・大月方面から遠江方面まで。ブラック部隊な赤備え……
勿論、中国大返しの時は半兵衛ちゃんお亡くなりに。官兵衛だけですね。あの時の言葉を根に持っているのかな? 「殿、おめでとうございまする。これは好機です。殿に天下が転がり込んできましたな」。本当に涙に明け暮れている秀吉にこういったのか?
莞爾と書くと、どうしても石原莞爾を思い出してしまうのは私だけ?
「石原莞爾」満州事変を起こした人。たった1万人で10万人以上の兵に勝って満州国作っちゃった。そしてソ連に備えるべし、と。ついでに226事件を鎮圧?した責任者。「世界最終戦争」とか「非対称戦争=ゲリラ戦」とか色々と今の時代からすると最先端なこと予言していた人。