【別府・4】十八番取っちゃうぞ!
1993年4月15日発売:月刊HQ春の特大号
【第2次大戦プロイセン軍元帥列伝第2回】
「前回の特集ではハインツ=グデーリアンを取り上げたが、今回は大戦後半に活躍した東部戦線の火消し役、ヴァルター=モーデル元帥を取り上げてみる。
彼に比肩しうる火消し役は戦史上、ただ一人、明智光秀のみ見い出すことが出来よう。光秀は第1次対大胡包囲網の窮地を何度も多方面に援軍として馳せ参じ、大胡の窮地を救った。
彼の配下は多くの戦死者を出したが、政賢はその功に対し血染めの感状を……」
1559年4月下旬
上杉本陣
本庄実乃(忠臣ご注進!)
戦線が膠着した。
南の揚北衆は離散し、中条も行方知れず。大熊の備えが西へ回り込もうとしたが新手の敵2000に包囲されそうになって慌てて引き返した。戦場でなければいい気味であるが、そんなことを言っている場合ではない。
大胡は半壊した備えを立て直し中央に再び居座り、その左右に800余りの兵が布陣した。後備えも500は居よう。合わせて3000。容易には抜けぬ。
こちらは常に敵の主力が到着することにおびえ、その備えの為に3000は拘束されている。もう正面で戦える者は3000を切っている。
「御本城様。ここは……」
「撤退はせぬ。一気に攻める。決めた。」
なんと!
そこまで意地になられてしまわれたか?
「いけませぬ! ここでこれ以上の損害を被るのは今後の越後が……」
儂の諫言に対し、こちらを向き少し笑ったようにこう仰った。
「違う。この堅陣を抜くのではない。今泥沼から出ようとしている親狐の息の根を止める。それでこの戦を終わらせる。あとは信玄坊主に任せよう。大胡はこちらへ更に1兵団送らねばなるまい。それならば武田にも勝算はあろう。沼田へも後詰が必要であろうしな」
……果たしてそううまく行くのか? あの東雲という狐、そうそう急襲をさせてくれるとも思えぬが。
大胡方陣中央天幕内
明智光秀
ガツン!
思いっきり頬下駄を殴ったのであろう。
……だが、痛くはない。
もうその力もないのであろう。
「この新入りがぁ。これで許してやる……それと、ありがとな。多くの部下を死なせずに済んだ。ありがとうな」
我ら滝山城駐屯の機動旅団がこの地に着いた時は既に大勢が決しようとしていた。勿論大胡の敗北だ。これを覆す手はたった一つしかない。1000丁による無差別な連続射撃。狙いを付ける暇などない。
敵の裏崩れを狙うしか道はなかった。
その後多分北を迂回してくるであろう上杉勢右翼を押さえ込む。ギリギリの綱渡り。
犠牲も覚悟の荒技だ。
その結果が某の前に横たわっている東雲殿の配下。第4大隊長、高崎権兵衛殿
その右腕はもう使えまい。4匁の大胡筒が二の腕に当たった。骨も削っているであろう。軍医が足りない故、命すら危ういであろう。
「申し訳ない。危急の折……」
某が再び謝ろうとすると
「いいんだよ。これは戦だ。死ぬのは必定。是非もなし、という奴だよなぁ。死ぬのは怖いが仕方ねえ。もう謝るない。殿さんには俺から感状?書いておくからさぁ。
ああそういやあ、腕がねぇや」
ついつい下を向いてしまう。
「顔を上げない。お前さんはいいことをしたんだ。最大多数の最大幸福、だったっけか? 殿さんが言われた事。あれは真実だと思うぜ。切らねばならないところは切らねばなぁ」
この方は大胡では最古参だという。殿の初陣の時も先鋒として活躍したとか。それを新参者の某は再び戦場に立てないようにしてしまった。
仕方ない。そういわれても。この重荷をずっと引きずっていくのか?
(貴方は真面目過ぎるのですよ。もっと開き直ることが出来ればよいのですが。それでは貴方ではなくなりますものね。貴方様らしくお過ごしくださいますよう)
煕子の言葉が身に染みる。
某はこうとしか生きられぬ。きっとこれからも多くの人を傷つけそしてそれが元で自分も傷つく。これの繰り返し。
ならばやってみようぞ。
どれだけの命を救えるか?
どれだけの幸せを残せるか?
これが某の生き様。
煕子、見ておれ。
儂は輝くぞ!
(別に頭頂部を輝かせんでいいぞ)
1559年4月下旬
大胡の方陣より半東方半里(2km)
東雲尚政
「なに? こっちへ向かって来るだと?」
思わず聞き返してしまった。
斥候が騎馬で帰ってきた。やっと乗馬できるところまで泥濘を超えてきた。抜け出したのはまだ第3大隊だけだが。
「はっ! 先鋒は甘粕景持! 兵およそ2000。後続に1000は要る模様。その後に……」
政虎本人が出てきやがったか。
第4はどうなった?
負けたか?
大体あの部隊は逃げられんだろう。高崎の奴は馬を大事にし過ぎる。どうせ馬は要らんと別府城辺りに繋いでいるだろう。
するとその手当に1000程度置けば全軍をこちらへ向けられるか。まだこちらは準備が整えられていない。敵がこちらへ来るまでに装備を配り終えるまでギリギリというところか。
しかたない。
「第3大隊は第1中隊のみで交戦する。その間に装備を補充。応援にこい! 遅れるなよ。遅れれば第1中隊の良い子ちゃんは全滅だ」
勿論第1中隊の指揮は俺が取る。文句は言わせん。第4が全滅していなくても大損害には変わりがなかろう。
これが俺のけじめだ。
ドラゴンの髭を抜いてやる。
敵の前線手前3町(300m)まで来て騎兵幕を引く。横陣だ。
「第1中隊、傾注! 多分あの向こうで第4の連中が大損害を出している筈だ。それを助けに行く! 品川の時のように味方を救い出せ! ただし!」
俺は大きく息を吸ってから大声で命令をした。
「今度は無傷で終わらせるぞ! 第5攻撃陣型を取る!」
おおお!!
初めて使う攻撃だ。訓練はした。限りなくした。今度攻撃する時には先の中央突破も使えるが、持久戦はこれに尽きる。敵の兵力を削ぐための攻撃陣だ。
勿論、被害が出ないわけではない。だが先の徒での行軍射撃とは違い弓矢での攻撃は殆ど当たらない筈。
「では、第1小隊と第2小隊から、廻れ!!!!」
俺の合図とともに第1小隊60名と第2小隊60名が左右反転の状態で2つの輪を描くように速歩(12km/h)で動き始めた。
そして敵の長柄の目の前を左右に移動しながら騎兵銃と拳銃を乱射して帰ってくる。そして元の場所で弾込めをして出番を待つ。その間に第3と第4小隊が、まるで車の両輪のように敵の陣に襲い掛かる!
殿の名づけの業は絶妙だ。
この陣の事を『車懸の陣』と名付けた。
「多分、車には追いつけないよ~。たとえドラゴンでもね~。お株を奪っちゃったよ♪ ドラゴン泣いちゃうくらいの損害出るよ、きっと」
その通りの光景が目の前に広がっている。
見る見るうちに敵の長柄足軽が倒れていく。第1中隊だけで人数240名以上を倒しているだろう。乗馬突撃でも2尺(60cm)の的に命中させることが出来る。2発か3発撃てば確実に1人は倒せる。敵先鋒の2000の中央が既にえぐり取られたように穴が開いている。
一方、敵は騎兵の突撃に備えて長柄足軽を前面に出している。弓は容易には射られずにこちらの損害はほぼない。
本来ならば、ここで騎兵の長柄と拳銃の突撃だが人数が足りん。
さあ、ドラゴンよ。どう出る?
お前の髭を捕まえたぞ。逃げれば放してやろう。だが今度は尻尾にかじりついてやるがな。
ドラゴン。髭どころか大事なものを盗まれちゃった。
銭形のとっつぁんの名台詞をここで。
「キツネめ~、まんまと盗んでいきやがったな!」
「いいえ。あの方は何も盗んでいきませんでした」
「いや、彼奴は大事なものを盗んでいきました。それはあなたの名誉です!」
この「大胡流車懸の陣」はこの後の時代17世紀ごろに確立した悪名高いカラコールという必殺戦法です。
大体、あの謙信が使ったという車懸りの陣って、実際できるのでしょうか?
あんな現場で機動出来る余裕がったら、敵の備えの境目に突っ込ませて突き抜けて背面で展開させている間にそれ以外の備えは支援していたら良いなどと素人は思うのですが。