【配備・4】てっこーせ~ん
1927年5月24日:【機密指定】旧連合艦隊フレンドクレーン号事件報告書
「解体された東部十三州連合の連合艦隊は、1900年に締結された香港軍縮会議による海上艦艇保有制限に抵触しない500t以下の艦艇に、異常なまでの重兵装を施していた。
その内の一つ、プルーバー級水雷艇フレンドクレーン号がチェサピーク湾沖で夜間演習中に復元性能の限界を超えて転覆し、兵員10名が死亡した事件。
当時、連合艦隊ではこの事件を極秘とし調査が行われたが、ネーミングが悪かったという噂も流れた。プルーバーとは日本語で千鳥を表し、かの日本の国父、大胡政賢の家紋であるからとの……」
間違えて、2つ書いちゃったのでアップします(*ノωノ)
1990年2月28日:国立大胡大学文学部歴史研究科。眉角春男名誉教授第193号論文抜粋
【沈没船に見る上部構造物の重量化】
「先年、第2次湾岸戦争でペルシャ連合により撃沈されたミサイル戦艦【武蔵】は、いわゆるトップヘビーであったことは周知の事実である。それを巧みに利用したペルシャ軍の総力を挙げての攻撃により転覆後爆沈した。
歴史を遡ってこの先例を見つけるとすれば、戦国末期に大胡海軍が建造した最初の鉄甲船【上野丸】が挙げられるであろう。安宅船の建造もままならぬ時期、普通の安宅船の倍の排水量を持ち、尚且つ漕ぎ手を防御するための鉄板を張り巡らせた。
この程、ようやくその船体らしきものが房総沖で見つかり調査が行われたが、鉄板は予想されていたような厚さはなかった。相当苦労してバランスをとった設計であったことが新たに分かった。
しかしトップヘビーによる転覆でなかったとすれば何による転覆であったかは再度の調査が必要であろう。
またこの事実は政影版大胡文書には記されておらず、唯一その事実が記されている文書は【伊丹秘話】という真贋付きかねる……」
殿の御裁可が下った後、里見の現状を伊丹殿から説明を受ける。
「某は海の上から手に入れた情報のみでござるが、どうやら上陸戦を挑んでくる様子。利根川は守備だけ。大規模な船団を用意している気配がいたす。
これが何処へ来るかは信ぴょう性、定かではござらぬが、主に2つの目標がございましょう。一つは品川。もう一つは三浦半島の先端。我が水軍の最前線基地である三崎城を攻める可能性がありまする」
やはり房総水軍との戦いになるか。江戸湾の制海権争い。これで里見方面は勝敗が決する。
皆が唸ると同時に伊丹殿への信頼が増したようだ。某のような若輩……ああ、もう既に今年で28。そんな弱気ではいかぬ。半兵衛殿や政幸殿の師でもあるのだ。観察だ。観察がまず大事。全て観察から始まる。そして推論と試行。試行した結果をまた観察。それを繰り返す。天才ではない某がやっていけることは一つ一つ階段を上がって積み重ねていく事しかない。
「あれ、どうなっているのん? 使えそう? 間に合いそう?」
あれとは西伊豆で作られている新型船だ。現在戸田や米崎、田子で建造されている鉄甲船と南蛮船。まだまだ職人が育っていない。直江津での技術蓄積もたった3年間しかできなかった。それでも職人をこちらへ連れてこられたのはよかった。逐次移動していたのが良かった。
向こうは大きな板材が作れる。安宅船にはもってこいだ。しかし南蛮船は大きな材木は必要ない。組木細工による構造だとわかり伊豆での建造となった。南蛮船に公園出の技師を乗せてもらい隅から隅まで見回り図面を起こした。秘密を盗ませてもらった代わりに関税・港の使用料を無料とした。
「依然、沖乗りには向かえませぬ。六分儀の調子も悪く調整中。練習を欠かしてはおりませんが実地訓練が出来ませぬ。まだ南蛮船は作れておりませぬ故、黒潮を乗り越えるのは危険かと。
そのため房総半島の東岸には向かえませぬ。
鉄甲船の方は3隻が艤装を施してあり使用が可能ですが、未だ訓練不足。使うとするならば3隻の乗組員を1隻に集中して同時訓練。それを運用するならば使用できまする」
「おお。それで1隻浮かべておけばなんとか海戦できそう?」
「は。大崎防衛程度は出来そうにございまする」
殿は少し考えた後、1隻にて大崎に配備するように指示を出した。
この鉄甲船。如何様な働きをするのであろうか?
まだ見ていぬ者にとっては、とても興味がそそられる。参謀でなければ志願して海戦をみに行きたいものだ。
鉄甲船、そんなに早く作れるの?
大体安宅船すらまだそんなに作っていないんじゃ?
いよいよカターナが実践配備?
そう思った方は、是非★をください。その分優秀な戦闘艦になると思いますw