【雪崩】モフモフ大作戦はお預け
1556年8月中旬
武蔵国河越城
太田資正
「わっぷっ。えげげげ。ひぃい。噛まない! たっくるしない!」
殿が儂の庭犬(作者注:御庭番のつもりらしい)と戯れている。
モフモフさせて~♪と、急な来城。先月まで尾張であの今川を撃破してきて、すぐその足でこの河越に来られた。
殿は一頻り犬と戯れた後、身なりを整え城主の居室前の濡れ縁に座り外を眺める。上座が嫌だというのとこの蒸し暑い中、少しでも風通しが良い所をというお考えらしい。
「すけちゃんさ。武蔵切り取り、どのくらいまで進んでいる?」
やはりそれだろうな。お知りになりたいことは。己が本願故、忘れがちだがこれは『懲罰』だ。残りの期限、半年を切った。
「は。小さき国衆は大方内応の約定を交わしておりまする。しかし5000石以上の大身は殆どが長子を人質に取られている故、腰が重い状況にて」
大身の半数は元からの土着豪族、太田一族に縁のものだ。気持ちは既に大胡であろう。その旨は文にて確認してある。しかし残りの半数は里見が新たに配置した譜代の家臣。これを如何に調略、もしくは叩き出すか。
「江戸城に里見ちゃん入っちゃったから1年じゃ無理かな? その分、軍備増強内政整備の邪魔できたけどね。う~ん」
手詰まりだ。
何かのきっかけが欲しい。あの連中を動かす何か。利でも名誉でも人脈でも弱みでも、いっそ闇討ち……
「いい案、思いいつかないや。経済侵略はもうやっているんでしょ? あと宗教関連。疑心暗鬼とか? 古河公方との仲たがい。江戸湾周辺の水運や漁業を握っている連中への調略。里見家臣団への調略……」
「既に全て……」
殿は庭を眺めながら髷を弄っている。話が終わる頃には犬よりモフモフできる毛並みには……ならぬか。なぜ人の髪はモフモフせんのだ。これは一生追求するべき問題だな。特に女子の髪の毛が……
「あのね。一カ所だけなんだよね、こういうのって。一カ所だけ小さな穴が開けばそれが徐々に広がって、気づいた時にはもう遅い。一気にこっちへ靡いてくる。
どこかに穴作っとこうよ。金融?経済?産業?教育? なんでもいいよ。特に思ったのは市場ね。ここいらの特産物、サツマイモ……はまだだっけ。江戸周辺の何かを買い取る市場を作っておくとかして常に人の行き来をさせとかない? そうすれば間者も入れやすいし向こうの人の生の声が聞けるから調略の糸口が出来るんじゃない?
まあ、今作っている京の市みたいに」
成程。江戸周辺で取れる物をこちらで買い取る。こちらからは大胡札を向こうへばら撒く。大胡札の使い勝手を知らしめると共に何か策を練れるか。今までの行商や既存の商人への策略よりも直接農民が持ってこれる距離に小さな定期市を作るか。
それは面白い。
殿に御礼を申し上げるが、果たしてあと半年で何が出来るだろうか。
「ん~、その方策だとあと1年は最低でもかかるよね。ちょうどさ、尾張で火薬を大量消費しちゃったからもうすっからかんなんだ。だから今、里見と事を構えることできない。
最低でも1年は待たないと一会戦すらできないよ。やるなら農繁期。里見が動員できない時期だね。すると来年の5月6月か9月と言ったところ? 余裕見て来年の9月かな。あれ、ちょうど京の市が開所する月だね。そっちと組んで経済戦争を仕掛けるのもいいねぇ」
大胡も大きくなったものだ。
坂東の端、房総の戦を仕掛けるのに京での動きを連動させるなど、普通の大名ではできぬ。考えることすらできぬであろう。そこまで京の情勢を知らんし手を伸ばすことなど全くできぬ。精々外交で将軍家を動かすくらいだ。
「じゃあ、そゆことで。お願いね。で~わ~! 再びモフリに行くますっ!」
シュピッと立ち上がり殿がこちらを向いた。
う~む。髷の解け具合が絶妙だな。両側に垂れてまるで犬の耳じゃ。モフりたくなったが、これは流石にまずいじゃろう。
……だが、あとでちょっとだけ触らしてもらおう……
1557年1月元旦
山城国東山公界市
友野二郎兵衛(今川の御用商人だった人)
ちらほらと北の正門の前に人が集まってきましたね。
1刻前まで正門前の櫓の周りで私たちが用意した市の開場祝賀として無料の酒と肴、飯を喰らって夜通し踊り狂っていた者たちが帰って行きました。
それに代わって新年を祝うために知恩院や南禅寺・八坂神社へお参りに行くついでにと、本日から正式に解放される、ここ東山公界市の見学に来ているのでしょう。お年賀廻りがあるだろうに有難いことです。
私の立っている所は管理棟と呼ばれる建物の3階部分。市の殆どを見渡せるように作られている櫓。隣に立つ市長である厩橋義衛門さん。
私が苦節20年、やっと駿河今川家御用商人の免許状を頂いた直ぐ直後、大胡様と敵対している堺の商人にその利権を持って行かれました。
今川様が大胡様と敵対しているので私もしばしば荷止めなどの命令を実行しましたが。商人にしたらたまったものではありません。いい加減にしてほしいですね。
そのように思っていた時、厩橋さんからお誘いがありました。「京都に面白い市を立てるから話を聞かないか」と。
楽市楽座ならば、六角定頼様が観音寺城の城下町に敷いた政策ですね。だけれども今回は少し違うようです。座は廃止されて自由に取引できます。しかし用意された組合に入るとお金は取られますが「保険」という物に入れて「情報」を貰えます。大胡札の支払い手数料も減額されるなど様々な恩恵が受けられます。
しかも小さな元手から商売が始められる。
大胡札の普及と市場への貨幣流通量を統制する仕組みをここで作るそうです。なんだか今までやって来た商売と全く違う商いですね。
大胡札の仕組みを聞いた時、最初はピンときませんでしたが話を聞いているうちにこの仕組みは全ての商人を「支配される側」の存在にするものだと分かりました。
今まで、商人が銭によってこの世を支配しいたですが、殆どの人は知りません。大胡様はこの貨幣を支配されようとしている。銭を大胡札にすり替えてその供給量を大胡にて操作することにより、日ノ本中の『経済』の成長、はては商品の価格まで操作してしまう。
「恐ろしいこと」だと思うと同時に、この仕組みを用いることで多くの問題を解決できることが分かりました。
まずは銭の流通を増やすことが出来る。
今、日ノ本は銭が不足している。今に始まったことではないですが、永楽銭を唐国から輸入せねばなりません。銅を産出する鉱山が少ない事が大きな原因。
それで更なる商品作物や手工業品を作ろうにも流通させられないので奨励できませんでした。ですが、東国の大胡札を使用している地域ではどんどん商品が増えています。
これは大胡札を増やすことで富が急速に作られ始めているという事。経済成長です。
それに対して銭の数で天井が決まっている西国は作物・製品を作っても売れません。
そこでこの公界市を開いたわけですね。
ここならば作ったものを売れる。またその支払いで得た大胡札を使ってこの市内で東国の余った商品を仕入れていく。その収支は常に銭の流れを西から東へと導いていく。商品、つまり富が多くつくられる場所に貨幣が向かっていくのは当たり前。
ここはその通路な訳です。
大胡様は西国の銭を吸収して東国へと向かわせるとともに、逆に大胡札を西国へとばら撒くことで西国の経済を支配、商人を支配しようとしている。
「友野屋さん。遂に西国との戦、始まりますね。反撃です。面白くなりますね」
厩橋屋さんが鼻息荒く意気込みを語ります。ここまで仕組みを作るのに10年近くかかったらしいですね。大胡の勘定方(今では大蔵大臣というそうです)の瀬川様とご一緒に綿密な仕組みを作られ、それを試行して来たそうです。
更には既に米などで先物取引による日ノ本の価格操作とそれによる利益を東国商人と契約した行商人などが、どんどん身代を大きくしているそうです。
しかし先年の秋ごろから、瀬戸内をはじめとした交通の要衝にある土倉や水軍、湊の人足などに西国の商人たちが圧力をかけ始めました。東国との取引のある商人を洗い出してこの人たちの商いを邪魔し始めたのです。
もうここまでくると戦争ですね。商人の戦争です。
正々堂々、価格や品質商いの条件の競い合いではなく、ならず者と同じ攻撃を仕掛けてきました。
それに対し大胡と東国商人組合はいよいよ「銭」を潰すための「金融戦争」を仕掛ける事になりました。
「そうですね。厩橋さん、これからです。この面白き商いに誘っていただき感謝いたしますよ」
そう。
単に銭儲けをするだけではない。
人々に感謝される商人になりたい。だからこの誘いに乗りました。大胡の殿さまの言われる『三方良し』の商い。これが普通になる世の中にしてみせましょう!
同日正午
吉左衛門(堺の小西屋番頭。ちょっと太り気味の中年)
団子屋の店先にある緋毛氈を掛けた腰掛に座った。このように高価な緋毛氈を団子屋のような薄利多売の店が使えるとは思えない。何か仕掛けがあるに違いない。
「ご主人。この緋毛氈は鮮やかな色合い。素晴らしいですなぁ。これはさぞかし……」
白湯を出しに来た女中越しに中にいる男に聞いてみた。
大体がこの白湯自体なぜ無料で出すのか? 不思議だ。
「いえ。私は単なる料理人で。この女将さんがこの店を取り仕切っております」
なんと。
この物騒な世の中。女子に店を任せるとは相当なお大尽だな。
しかし、
「私に甲斐性があるわけではございませんがこの店は私の店です。ここ京公界市の組合にて緋毛氈から何から貸していただけるのです。そして商いが軌道に乗ってきたら利子を付けてお返しいたします」
それでは商いが順調でなければ貸付けが回収できないではないか?
「それは私のような女子でも商売がうまくいくように指導してくださる方がおりまして、例えばこのお品書きをご覧ください。これも全部教えていただいた方法です」
白湯と一緒に渡された「お品書き」。
これ自体も初めて見るが、その内容たるや目が回った。
『味噌田楽』
大根とこんにゃくをお選びできます。
『焼きまんじゅう』
麦をこねて焼き、程よく膨らませてあります。薄味の甘味噌をお好きなだけ付けてお焼きください。焜炉という物でお焼きできます。熱々を召し上がれ。山椒などもどうぞ。
『焼きそば』
蕎麦と麦がお選びできます。ひも状にしたこねものをゆでた後焼いてあります。野菜も沢山入っております。
『甘酒』
最高級すみ酒を絞った粕を使用しております。
『焼酎の果汁割り』
各種季節の果汁を入れてお出しいたします。
『抹茶』
宇治茶を使用しております。
『紅茶』
渋い味わいの新商品。別売の和三盆を入れると別物になります。
※各種お料理お持ち帰りできます。
※本日限定券:北の角にある硝子細工屋「角屋」様の商品3割引き券を2品以上ご注文の方に差し上げます。
※お友達をお誘いいただけると2割引きの券を差し上げます。
……
聞いたこともない商売だ。
これも相当な資金が必要なのであろうが、このような仕組みならば京の者どもは争って店に来よう。なんにせよ京雀達は『世間話のネタ』が欲しいのだ。それが楽しみ。そこを突いたか。
だが客が増えればこのように手狭な店ではもう対応できまい。
よく見ると店の奥を見ると裏には相当な空き地が広がっている。ここに店舗を建て増しする計画なのであろうか。
「女将。この品書きは大したものであるが、文字が読めんではどうしようもあるまい」
すると、嬉しそうな笑顔でこう言った。
「はい。私も一昨年まで文字が読めませんでした。ですがここに店を出す事となり、それを条件に専門の学校で教えていただきました。更には計算や帳簿の付け方も。宣伝や人の扱いまで。
まだ始めたばかりですが模擬店舗も経験でき、気合を込めて今日から開店させていただいております。
今後は一般の方にも読み書きを教えてくださるとか。
そして……」
緋毛氈を指してこう言った。
「ここへ座るお客様にだけそのお品書きはお渡しいたしております。文字が読めそうな方にだけ。そのような方にそこへ座っていただけるだけで宣伝となります。
他の方にはお店の中でお料理の見た目が分かるような棚で匂いもかげるようにしてございます。これで模擬店ではうまくいきました。京では文字が読める方が多いのでお品書きはとても重宝致しております」
そういえば、炭で焼いているのか、料理の匂いが外に勢いよく漏れ出している。私もこれにつられたのかもしれない。
何度目かの大きな頷きをしてしまい、バツの悪い心持だ。
これは脅威だ。大旦那様にどうお伝えしようか。
字数の関係上、もふもふ大作戦はサイドストーリーとなります。あしからず。
この当時、緋毛氈。高そ~~~
着々と京に足場を固めていきます。
でも。絶対に焼きまんじゅうのあのくどさは京の人に受け入れられない!
あと佐藤なんか手に入らないぞ!とか無粋なこと言わないでね。承知して書いてますのでw