【御市】こ、こっちに来るの?
今回は【自衛】というエピソードから掲載しています。
1556年3月上旬
上野国那和城奥
市(後の美魔女は健気な幼女。10歳)
風が強いわ。
こんなに風が強いと砂が飛んできてお掃除が大変。政賢様に「ここがお市ちゃんのお部屋ね~。ちょっと風通しが良すぎて冬は大変だけどね。夏はいいんだよん」と言われて、この少し小高くなっている日当たりの良い離れのようなお部屋を与えられたのだけど、お掃除が大変。
朝雑巾がけをしてもお昼にはもう床に砂化粧?がされている。遥々尾張から付いてきてくれた、たった一人のお付きの「お駒」に全部任せるなんてとてもできないわ。
でも今日は良く晴れていて榛名の御山がとても綺麗。那古屋から見る山は遠すぎて綺麗とは思えなかったけれど、ここは赤城や榛名、妙義といった美しい山が沢山あると、先日楓様に教えてもらった。
その時「殿は市様をとても大事に思っていらっしゃるようね」と言われましたが、この風通しの良過ぎる砂まみれの部屋を与えて大事にしているというのが分かりません。
やっと昼餉の時間前にお掃除が終わりました。
掃除はしなくてもいいと言われても、綺麗にしたくなるのが私の小さい時からの癖。やめなさいと言われても困ります。
殿の乳母であったという福さんが昼餉の支度が整ったと教えに来て下さいました。
「お~市ちゃ~ん。ご飯食べよ~、人数多い方がご飯は美味しい~。でも福と絹は食べてくれないんだよ、悲しいんだぁ」
大胡の御殿様。政賢様。
大胡は100万石を越える大大名。そことの縁組同盟は尾張織田家にとってとっても重要だとか。でも殆どの家中の方はこの縁組を反対していました。大胡は遠すぎる。いざというときに頼れない、と。
それに離縁となった場合、帰ってこれるか微妙であると。更には正室ではなく側室に当たると。
来るときは海路で直ぐに来れました。お兄様の性格で直ぐに行動しないといけないと最小限の人数で素早く嫁入りをしましたが、それも家中の方の反感の元となったとか。
でも後で知ったのですが、今川が支配している三河遠江駿河以外は尾張から大胡の那和まで安全な道が出来ていると知りました。その今川の海も今では大胡が凡そ支配し、陸路もここ最近支配を固めたという事です。それが無かったらこの話は進まなかったそうです。
そして今川は織田の天敵。これを防ぐには大胡はもってこいの御大名だとか。
「お市ちゃん。あのお部屋、お掃除大変でしょ。今ね、砂対策練っているんだけれどいい方法が無くって。これ以上研究員を働かせたら労働基準監督署が……」
政賢様……殿は、たまに分からない言葉をお使いになりますが、楓様に「聞き流してあげてください」と言われました。でもそのままでは何だか申し訳ない気がして……。今度二人きりになった時、お伺いしてみましょう。そういう方も一人くらいはいた方が殿もお寂しくはないのでは?
全く違う外見や振る舞いでも、なんだかお兄様に似ている気がする。声には出さない、なにか寂しさ孤独さがあるみたい。楓様には「殿は凄く辛いいばらの道を歩いていらっしゃるから奥では安らげる様に皆で頑張りましょう」と言われたけれど、その方法はおっしゃられませんでした。
だからお兄様に対してと同じ様に「甘えて」見ることにします。その方が私にとっても楽。自分が楽じゃないと長続きしないと思うのです。
「ああ。早速、のぶにゃんからの手紙持ってきたお猿さんがいるから会ってやってね~」と、殿に言われ、自室に戻るとお付きの駒さんと一緒に「お猿さん」が座っていました。
そのお猿さんは下座で何やら可笑しいもの真似をして駒さんを笑わせていましたが、私が近づくとサッと座りながらこちらへ向きを変えて礼を取りました。そして、
「お市様にはご機嫌麗しゅう。この度、殿とお市様との繋ぎ、某木下藤吉郎めが仕りまする。よろしくお願い申し上げまする」
そして「お猿さん」が殿の本当の優しさを指摘してきました。
「大胡様は、尾張を大変大事に思うておりまするな。まさかこのような離れとも申せる場所にお市様のお部屋をご用意するとは。信頼しているというか、お好きに大胡の事、逐一と尾張へ報告してくださいと申しておりますこと分かります」
そうなのですね。
お駒に言わせれば「姫様」はどんなに小さなことでもよく見、よく聞き、逐一お兄様へ報告することが役目だと。それが輿入れする武家の娘の一番の仕事です、と義姉さま(濃姫)にも言われましたが。
殿はそれをやり易いように、それでいて楓様や家臣などへ後ろめたく無きよう、遠慮せず尾張へ報告せよという事ですか?
兎に角、やはり突拍子のなさはお兄様と同じ匂いがします。なんだか好きになれそうです。
その1日後
那和城市の方の離れ
市(健気な小悪魔)
「政賢様。市は嫌でございます。この離れに近い別居。お市は皆さまとご一緒が嬉しゅうございまする」
思いっきり甘えてみた。
殿の太腿にお尻を乗っけて、両腕で殿の腕を掴んで揺する。よくお兄様にやっていた仕草だけど、はしたないかな。まだお会いしてから一月も経っていないのに。
でもこんな娘が奥にいてもいいんじゃないかな?
「お、おう。(こ、これが皆を虜にした業か?)この離れだとやっぱり風きついからやだ?」
「そうじゃなくて! みんなと一緒がいいんです! ここで一人ぼっちで寝るのは嫌!」
どっちみち、母屋でも別室で寝るのでしょうけれど、やはり雰囲気の問題。母屋だってそう遠くはないというけれどどうしても壁があるのよ。
「昼間こっちは奥の者が誰でも入れるようになっているから、いいんだけどやっぱり夜は別だよね~。どうもこういうのは苦手だなぁ。女の子の扱いは苦手です。やはり賢者適正高めの僕でした」
この那和城は元々防御要塞としてつくられたとかで大きくありません。だから奥向きの場所もとても狭いのです。そこで急いで作られたのがあの離れだそうです。
それに文句をつけるのは気が引けますが、これは心の問題。私たちの仲が悪くなれば殿にも問題が出ると思います。でもそんな賢しらな事を言えば「甘えん坊作戦」は失敗です。殿が苦しむことを何でも仰ってくださる存在は楓様。私がそれと同じではいけないと思うのです。
何になるかは後で決めましょう。今はもっともっと甘えて殿の御心を安らかに……。まだそれしかできません。月のものも来ていませぬ故。




