第五話 腐ってる
「それじゃー、今から皆さんを二泊三日の『路線バスで行く異世界の旅』にご招待します。」
セレンと名乗った少女はそう宣言する。
「誰だこんな手の込んだ悪戯をして。3D映像だろ」
「なんでそんな物に付き合わないといけないんだよ」
「早く元の処へ戻してよ。スーパーの特売品が売り切れちゃうでしょ」
当然の様に非難の声が上がる。僕も空中に出現したセレンを見たとき3D映像だと思った。でも、それだと咲良ちゃんの傷が治った説明がつかない。僕の持つハンカチは、咲良ちゃんの傷を押さえた時の血で汚れている。時間と共に黒く固まっていく血の汚れは本物だ。
「うるさーい」
セレンが一言を発すると、強い圧力と殺気の様な物が広がり窓がビリビリと揺れる。僕の横にいた委員長と咲良ちゃんは、怯えて後ずさる。その姿と真夜姉の怯える姿が重なり、僕は庇うように前に出る。
「あんまりうるさいと、お尻の穴から手え突っ込んで奥歯ガタガタ言わしちゃうよ」
「ばっ、馬鹿な事言ってないで、早く元の場所に戻せ」
水色のジャケットを着た男が威圧に耐え、尚もセレンに食い下がる。二十代後半のイケメンだ。床に敷かれていたジャケットを再び着ている。
「へー、馬鹿な事って言うの。じゃー見せちゃう。変態!」
少女の右腕に、複数の魔法陣が浮かび上がり眩しい光を放つ。
光に包まれた腕は、細く、長く伸びていく。
そして鞭のように振られたと思った次の瞬間、水色のジャケットを着た男の尻に突き刺さっていた。
「あうっつ!」
男は、声を上げ床に倒れる。
「やっ止めろ! 止めてくれ! ぐわっ!おっ、うおおっ!」
光の鞭となったセレンの右腕が脈打つ度に、男は悲鳴を上げる。
「ああぁぁぁぁぁあ!」
そして、男は絶叫を上げ動かなくなった。暫くの静寂の後。
カッ!カッ!カッ!カッ!
男の顎が上下し音が鳴る。
「「「きゃぁぁぁぁああ!人殺し!!」」」
様子を見ていた小母さんたちが悲鳴を上げ後ずさる。その様子を見たセレンは、可愛らしく頬を膨らます。
「もーそんなに大声を出さないで。殺すわけないでしょ静かにしてよ。……変態!」
鞭のように伸びていた少女の右手が縮んで、普通の手に戻る。
但し、何かいろいろな物、アレとかがベッタリと付いている。
「きゃぁぁぁあ! きゃあ!、きゃあ!」
セレンは、叫びながら右手を振り回し、汚物を周囲に振りまく。周りの人間は一斉に離れ、うつ伏せに倒れた男だけが残る。水色のジャケットには茶色い滲みが点々と付いていく。黄色いワンポイントは、コーンだろうか。
僕はつい、委員長の肩を掴み後ろに隠れてしまった。アレは…うん、怖くないから委員長たちを守らなくてもいいよね。ダジャレか!と心の中で自分に突っ込みをいれていると、委員長に睨まれてしまった。怖い…。
「変態水球!」
セレンの言葉と共に、小さな魔法陣が出現し、30㎝ほどの水球を作り出す。セレンは、その球の中に右手を入れジャブジャブと洗い出す。
だったら最初から洗わんかい!と突っ込みかけたが倒れている男を見て慌てて口を押える。
急いで口を隠したが、口を開きかけた瞬間をセレンに見られていたらしい。セレンは床に降り、ゆっくりと僕の方へ歩いてくる。僕にも何か制裁を加えるつもりだろうか。委員長と咲良ちゃんに危害が及ばないように、二人を少し横に押しながら前に出る。
セレンは僕の方を向きながら右手を突き出す。僕も串刺しにして殺す気だろうか。
「ねえ」
震える体に無理やり力を込め身構える。背中を嫌な汗が流れるのを感じる。
「ハンカチかして」
僕は力が抜け、崩れ落ちそうになるのを必死で堪える。僕の手には、咲良ちゃんの傷口を押さえていたハンカチが握られていた。血が付いたハンカチをポケットに仕舞いたくなかったからだ。
「こ、これ血がついてるけど」
「ええっ、そーなの。どうしょっかなー」
汚れたハンカチを渡しても引っ込めても、自称女神の機嫌を損ねそうだ。僕はハンカチを持ったまま動けない。
「女神様、これを使って下さい」
横から咲良ちゃんが自分のハンカチを差し出した。その手は小刻みに震えている。ちらっと僕を見た咲良ちゃんの顔は恐怖でひきつっていた。相手は女神を自称する異常な存在。機嫌を損ねたら何をされるか分からない。それなのに咲良ちゃんは勇気を振り絞って僕を助けようとしている。
「ありがとー」
セレンは右手をハンカチで拭くと、そのまま咲良ちゃんに返し、戻っていく。
洗って返せよ!と思うが、もちろん声にも顔にも出さない。
セレンは、空中に浮いている水球の側に戻ると、右手を水色ジャケットの男に向ける。水球は男の頭に向かって勢いを増しながら飛んでいく。当たった瞬間、バシャっと音を出して潰れ、男の頭はずぶ濡れになった。
「う…、ううーっ」
水色ジャケットの男はうめき声を上げる。お尻から串刺しになったはずなのに生きている。水を掛けられ、気絶から覚めたようだ。そういえば、セレンの手にアレは付いていたが血は付いていなかった。ということは細く変形させた腕を腸と胃を通して口まで届かせたのか。能力の無駄遣いにしか思えない。ひょっとするとセレンはアホな子なのか。
小母さんたちは鼻を摘まみながら、汚物で汚れた男を心配そう覗き込む。
「あんた。大丈夫なのかい」
小母さんが聞くと、男はまだ虚ろな目を小母さんに向ける。
「ああ、激しかった。兄貴より激しくて、思わずいっちゃってたみ…た……ゲフンゲフン」
男はお尻を押さえ、少し顔を赤くしながら答えていたが、途中で不味い事を言った事に気付き青い顔に変わる。男の周りから再び人がいなくなった。
「それじゃー『路線バスで行く異世界の旅』しゅっぱーつ!」
再び空中に浮かび上がったセレンが右手を突き上げ宣言した……と思ったら。
「やっぱり。換気しよ……」
皆で一斉に窓を開ける。
「少しだけ説明するとね、皆さんにこの世界を旅してもらって映像にしたいの。理由はちょっと複雑で言えないけど。もちろんタダでとは言わないわ。お土産を買うのに十分なお金を用意するし、帰る時には元の時間に戻すから。スーパーの特売にも間に合うから」
セレンはそう言いながら、ジャラジャラと音のする皮の袋を取り出し、小母さんの一人に渡す。そして、後ろに手を回し、二個目の袋を取り出すと次の小母さんに渡す。セレンは、次々と体の後ろから袋を取り出し、乗客に渡していく。僕も受取り、中を確認すると金貨と銀貨が詰まっていた。
水色のジャケットを着た男が生きてる事が分かった後は、セレンに対する恐怖感は薄れた。同時にアホの子疑惑が浮上したが。僕は袋を受け取った時に、何で水色ジャケットの男にあんな事をしたか聞いた。セレンは男はネコだからあんな事をしても大丈夫。汚物は予想外だったけど。ノンケにはあんな事しないよと言った。
僕には意味が分からなかったが、委員長は納得したみたいだ。委員長は袋を受け取る時、セレンと小声でなにか話し込んでいた。やおい穴がどうとか言ってたみたいだが、よくわからない。こっそり話を聞こうと耳を近づけたら委員長に気付かれ突き飛ばされた。何故か顔が真っ赤だ。
「腐ってる」
そばで委員長たちの話を聞いていた咲良ちゃんがポツリと呟いた。
十話まで毎日上げる様にします。読んでくれた方ありがとうございます。