第二話 高夫と真夜(2)
続けて日本での話です。
三年前の春。土曜日の夕方だった。
中学生になった僕は制服姿を披露するため、両親と一緒に伯父さんの家を訪れた。
出迎えてくれたのは伯父さんと伯母さんだけで、一番制服姿を見せたかった真夜姉の姿が無い。
「真夜姉と名智兄は?」
「真夜はコンビニまで買い物。名智は、街でナンパでもしてるんじゃないかしら」
両親と伯父さん夫婦は仲が良く、二人の従兄妹と僕は、兄弟の様にして育った。自分のモテ具合を、延々と聞かせる名智兄は苦手だったが、弟のように可愛がってくれる真夜姉は大好きだった。たった一つしか違わない真夜姉を、大人の女性の様に感じ甘えていた。
真夜姉の帰りを待ち切れなかった僕は、コンビニまで迎えに行く。コンビニまでは歩いても20分ほど。途中で行き会うと思ったが、会う事は無くコンビニについてしまった。
入り口の横に真夜姉の自転車が止めてあったが、周りを見渡しても真夜姉の姿はない。コンビニの周囲に見えるのは畑と点在する民家だけだ。人影も見えない。
コンビニに入っても真夜姉の姿は無かった。ひょっとしてと思いトイレも覗くが誰も入っていない。僕はペットボトルを一つ持ちレジに行く。レジには、やる気のなさそうな女の店員がいた。
「僕よりも少し上の女の子、見ませんでした」
「さっき、女の子が男達と揉めて追いかけられてたけど。その子かしら」
女は、どうでもいい事があっただけのように話す。
「どっちへ!」
僕が怒鳴ると女はムッとした顔になるが、伯父の家と反対方向を顎で示す。
次の瞬間、僕はコンビニを飛び出していた。ペットボトルはレジに放置だ。店員の女が怒鳴っているが知った事ではない。真夜姉の無事を祈りながら、全力で走る。走り疲れて歩き始めた頃、町工場の陰から男達の騒ぐ声が聞こえた。
「早くしろ」
「このガキ、暴れるんじゃない」
声のした場所を覗くと、男に羽交い締めにされた少女が、車の後席に押し込まれようとしていた。もう一人の男が運転席に座って後ろの男を急かしている。少女は、後ろ姿しか見えないが間違いなく真夜姉だ。
僕はこぶし大の石を拾うと、真夜姉を押さえつけている男の後ろに走り込む。男は振り返ったが構わず、頭を拾った石で思いっきり殴りつけた。僕が殺人を犯さずに済んだのは、石が思ったよりも柔らかかったせいだろう。
手加減なしで振り下ろした石は、男の頭の上で砕け散った。
男は血が流れ出る頭を押さえながら蹲る。
真夜姉を助け起こし逃げようとするが、僅か数歩で運転席にいた男に肩を掴まれる。
振り返った所を殴られ、真夜姉と一緒に転倒する。
「うぐっ…」
真夜姉は小さな悲鳴を上げる。男達にやられたのだろう。真夜姉の顔は腫れあがり、手足にはいくつもの痣や擦り傷が出来ている。転倒した時、痛めた所をぶつけたのか、呻き声を上げ続ける。
「このクソガキが!舐めやがって」
地面に倒れた僕を男は踏みつける様に蹴ってくる。
不思議とあまり痛みを感じない。殺意だけが湧いてくる。綺麗な真夜姉の顔を腫れあがるまで殴るなんて人間じゃない。真夜姉を傷つけた獣は絶対に許さない。殺す、殺す、殺してやる。
男に何度も蹴られながら、目を付けておいた石の方へ転がる。目的の場所に着いた僕は、両手に地面の砂を掴み、男の顔を目がけ交互に投げつける。
「クソがー!」
目を開けれなくなった男は不用意に踏みつけてきた。
僕は男の足を躱すと、レンガサイズの石を両手で掴み、その甲に打ち付ける。
「ぐぅあああああ!、ガキがあー!」
「うおおおおーーっ!!」
男は足の痛みで反射的に頭を下げる。
その顔面に、僕が両手で振り回した石がカウンター気味に直撃する。
僕は石を両手で持って立ち上がった。
足元には鼻血で顔面を真赤に染めた男がのたうっている。
「真夜姉を追いかけたのは、この脚か」
僕は頭上まで持ち上げた石を男の足に振り下ろす。
「ぐあああああ」
石は男の膝に当たり、男は膝を抱えて転げ回る。
僕は転がった石を拾い直し、もう一度頭上に掲げる。
「真夜姉を殴ったのは、この腕か」
男が転げ回ってたせいで、腕を狙って振り下ろした石は外れてしまった。
外れたのは男にとって不幸だったかもしれない。腕にまともに当たるまで僕は何度も何度も石を振り下ろした。外れた石は男の肩、背中、横っ腹を直撃している。
「高君…」
真夜姉に呼ばれて、我を取り戻す。同時に男に何度も蹴られ踏みつけられた体に痛みが襲ってくる。痛みが襲ってきた事よりも、怒りのあまり真夜姉を放置していた事にうろたえる。
真夜姉は倒れたままだった。痛みを堪え、慌てて駆け寄る。背中を支えて上体を起こし抱きしめる。真夜姉は僕の首に腕を回し抱き返してきた。もう大丈夫。男達は動けないだろう。後は真夜姉を医者に連れて行ってケガを見て貰わないと。なにか、安心したら力が……。
「高君!高君!嫌ああああー」
真夜姉は、何を叫んでいるのだろう。僕なら大丈夫……。
いつの間にか気絶していたらしい。真夜姉の泣き叫ぶ声で目を覚ます。そして、抱きしめていた真夜姉の感触が、無くなっている事に気付く。慌てて体を起こし周りを見渡せば、白いカーテンに包まれたベッドの上にいた。
「嫌、離して!高君は何処。嫌、嫌、嫌ぁああー!」
真夜姉の声は、カーテンの外から聞こえる。僕は、腕に刺さった点滴の針を引き抜き、カーテンの外に飛び出す。
そこでは、若い男の医者と複数の看護婦が、真夜姉を取り囲んでいた。ベッドの上で暴れる真夜姉を、数人の看護婦が押さえ込んでいる。僕は看護婦を押しのけ、真夜姉のベッドに腰掛ける。
「真夜姉、僕だよ。高夫だよ」
「高君!わあぁぁぁん」
真夜姉は泣きながら僕に抱き着き、僕も強く抱き返す。
看護婦たちは、僕を元のベッドに戻そうとするが、断固拒否した。その前に言わなければならない事がある。
「先生を部屋から出して下さい。先生を怖がっているのが分からないんですか」
医者は薄々感じていたのだろう、泣きそうな顔で渋々出ていった。仕方がないだろう、医者の背丈と髪型が真夜姉を襲った男とほぼ同じだったんだから。
僕は真夜姉が落ち着くまで抱きしめ続けた。この時、僕の中で真夜姉の存在が変化した。頼りになる大人の女性から、守らなければいけない怯える女の子へと。看護婦さんが生暖かい目で見ているが無視だ。泣きながら震えている真夜姉から離れる事なんて出来ない。
「高夫ぉー!真夜はやらんぞー!」
「あらあらあら」
伯父さんと伯母さんの声を聞き、僕は慌てて真夜姉から離れる。気が付いたら、伯父さんと伯母さん、それに僕の両親が病室に入っていた。伯父さんの目が怖い。マジで首を絞められそうだ。僕の両親は、僕と真夜姉を見てニヤニヤしてる。
事件から二週間後、僕と真夜姉は一緒に退院した。
その間に、警察の取り調べを受けたり、いろいろな事を聞いたりした。まず、帰りがあまりにも遅いからと車で探しに出た伯父さんが、僕たちと倒れている男二人を発見した。伯母さんの話によると、僕が真夜姉に手を出していないか心配になって飛び出したらしいが。
真夜姉から事情を聴いた伯父さんは携帯で警察に通報し、パトカー3台、救急車2台が現場に到着する騒ぎとなった。僕と真夜姉、男二人は2台の救急車に分けられ、それぞれ別の病院に運ばれた。
真夜姉を襲った男の一人は、頭蓋骨骨折。もう一人は膝の粉砕骨折、肋骨の骨折3か所、鼻骨骨折と、二人とも重傷だった。男達の家族は最初「過剰防衛だ」とか「真夜姉が誘惑したせいだ」とか騒いでいたが、男達のスマホやパソコンから性的暴行を受ける女性の画像が大量に発見された後は、静かになったらしい。男達は、警察に訴えたら画像をネットに流すと言って、大勢の被害者たちを脅し、口止めをしていた。被害者の数は20人を超えるそうだ。
真夜姉は、肉体的には多数の打撲と足首の捻挫だけで済んでいた。それだけだったら二週間の入院はいらなかっただろう。長い入院になった理由は、心療内科の治療が必要になったからだ。僕が集中治療室に運ばれて不安になった時、診察に現れた医者を見てパニックを起こした。背丈と髪型しか似てないが、心が弱っていた真夜姉には暴行を加えた男に見えたみたいだ。そして、パニックを起こした真夜姉を落ちつかせようと看護婦たちが押さえつけたことが心の傷を深くした。男達に地面に押さえつけられ、殴られた記憶が蘇り、病院にいても安心出来なくなってしまった。僕が抱き締めて安心させるまで、何度もパニックを起こしていた。
僕は、男の蹴りで腸が破裂して緊急手術を受けていた。そして手術日と、術後に集中治療室にいた間、麻酔で二日以上眠っていたらしい。集中治療室から出る時には一度、目を覚ましたらしいが記憶に無い。意識がはっきりしたのは手術を受けた二日後、真夜姉の悲鳴を聞いた後からだ。そして、その日から退院までの間、僕は真夜姉を不安にしないため、ずっと一緒に過ごした。
退院後も真夜姉は度々パニックを起こしたが、年と共に減っていった。僕は、ずっと傍にいる事は出来なかったが、週末は殆ど真夜姉と一緒に過ごした。但し、伯父さんが真夜姉に手を出したら殺すと血走った目で脅してくるためナイトに徹するしかなかったが。
酷い評価でも反応が知りたいです。評価を宜しくお願いします。