第十二話 異世界の夜
陽はだいぶ傾いてきたが、まだまだ日没まで時間はある。それでもテンションが下がってしまった僕は寄り道をせずに宿に戻る。夜食でも買おうかとポケットにコインを入れてきたが、通りに並んだ店を見てもテンションは上がらずコインを取り出す事も無く宿に着いた。
「お連れ様が鍵を受け取っていますが」
宿のカウンターで部屋の鍵を受け取ろうとしたが、受付の小母さんにそう言われてしまった。僕の部屋に無断で入るなんて。小母さんのにやけ顔からすれば間違いなく女性だろう。一瞬、真夜姉の顔が頭に浮かぶが、この世界にいるはずがない。真面目な委員長が、男の部屋に黙って入り込むなんて事も考えられないから十中八九アナスタシアさんだろう。今日初めて会ったのに、やたらと迫ってくる困った人だ。どうやって追い出すか考えながら部屋に向かうが、考えつかないうちに着いてしまった。
扉の前で気合を入れて一気に踏み込む。
「アナス!…タッタッ……誰?」
「あら、早かったわね」
無断侵入していたのはアナスタシアさんでは無かった。居間にあるカウンターに背を向けて座っていたのは栗色の髪をした女性だ。女性は独りで赤ワインの様なお酒を飲んでいた。口に付けていたグラスを置き、顔を僕に向ける。
「む、陸奥美さん。なんであなたが」
陸奥美さんは、妖艶な表情で僕を見つめる。
「あなたを食べてしまおうと思って…」
ワインで濡れた唇が艶めかしく背中がゾクゾクっとして思わず後ずさる。
こんな綺麗なお姉さんが僕を? しかし、僕には真夜姉が。
「ほーら怖いお姉さんが僕を食べちゃうぞ。ふふ、あは」
僕が狼狽えていると、一転して陸奥美さんはおどけた顔を見せる。
やっぱり冗談だよね。うん、わかってた。
「それで、どうして陸奥美さんが僕の部屋に」
「あなたを食べてしまおうと思って…」
「それ、もおいいですから。陸奥美さん、酔ってませんか」
陸奥美さんは少し恥ずかしそうな、怒ったような表情を浮かべる。
「ん~っ、もう一回くらい狼狽えてくれても…。えっと、アナスタシアさんと同室になったんだけど、あなたの友達が押しかけてきて騒ぐから逃げてきたの」
僕の友達って委員長のことか。まったく、僕に絡むだけじゃなく陸奥美さんにまで迷惑をかけて。
一応、委員長は僕の関係者だから、とりあえず謝らないと不味いか。
「なんか、ごめんなさい」
「ねえ、真夜さんと別れて、結良さんと付き合ってるの。それとも二股?」
「ええ~っつ!違いますから。委員長は単なる同級生で」
「そう、必死で他の娘からあなたを護ろうとしてるから」
委員長が僕を護る?いつものように僕に絡んできてるだけのようだけど。それよりも。
「どうして真夜姉の事を」
「思い出したの。どこかで会った気がしてたんだけど、あなたの事TVで見てたんだって。真夜さんを護った小さな騎士さんだって」
「ぐわ~っ」
僕は頭を抱える。やはり三年間では人の記憶から消えないか。
「そういえば、あのアイドルの娘とデートしたの? 言い寄られて嬉しそうにしてたけど」
「ぐおぉぉぉぉ!」
陸奥美さんの言葉が僕の精神にクリティカルにヒットする。真夜姉に散々いじられたため封印していた黒歴史が掘り起こされる。あの時、TVに映された僕の顔は鼻の下を伸ばし切った酷い物だった。
「忘れて下さい。忘れて下さい」
僕は無意識のうちに陸奥美さんの両肩を掴み揺さぶっていた。
「え、え、何。何」
「あの娘とはなんでもありません。あのシーンは演出ですから」
「わ、わ、分かったから」
僕は尚も陸奥美さんを揺さぶり続ける。
「忘れて下さい。忘れて下さい」
「わ、わ、忘れる。忘れるから。か、顔近い…」
我に返ると陸奥美さんの顔が目前にあった。
僕が揺さぶったせいで酔いが回ったのか、ほんのりと頬を染め、艶やかな栗色の髪は少し乱れている。驚いたのか目じりの少し下がった大きな瞳は潤んでいる。って、陸奥美さんの顔に見惚れている場合では無かった。
「ご、ごめんなさい」
僕は直に土下座に移行する。
「ふう、驚いた。いいわ、許してあげるからしばらく時間潰しに付き合って」
そういいながら陸奥美さんは隣の席の背もたれを叩く。
一時間後。
「でね~。セクハラ部長は、そんなに硬いと喪女になっちゃうぞとか言ってお尻を触って来るの~」
「はいはい、酷い部長ですね。はあー」
「ちょっと真面目に聞いてよ。あたしのお尻を触ってくるろよ~」
「陸奥美さん、同じこと三回目ですよ」
陸奥美さんは完全な酔っ払いと化している。意外とお酒に弱かったみたいだ。
「誰が喪女らって言うのよ。あたしはピチピチのヤング。若い男が寄ってこないのは部長のせいなんらから~」
ピチピチのヤングって。陸奥美さんは酔って暴れるから椅子から落ちそうだ。
「陸奥美さん、落ち着きましょう。陸奥美さんは若くて綺麗ですから。若い男にモテモテですよ」
「わあーい。モテモテ」
そう言いながら僕に、にじり寄ろうとした陸奥美さんは、椅子からずり落ちた。
「陸奥美さん、立てますか」
「わーい。高夫が大きくなった」
「陸奥美さんが床に座っているだけですよ」
酔いが足に来ているらしく、陸奥美さんは立ち上がる事が出来ない。自分の部屋に戻ってもらうのは無理だろう。床に寝かしておくわけにもいかない。
「陸奥美さん、ベッドに行きますよ」
「初めてなの。優しくしてね」
「な、なにを言ってるんですか」
酔った女性を襲うような度胸は僕には無い。それでも陸奥美さんはわざと酔っぱらって既成事実を作ろうとしているのか。陸奥美さんみたいな綺麗な人なら歳の差なんて関係ないが。しかし、僕には真夜姉が。
「わーい、狼狽えてる。狼狽えてる。高夫も男の子だね~」
全く、酔っ払いは。僕の純情を帰せ。
陸奥美さんを、お姫様抱っこでベッドまで運べる訳もなく、引きずっていく。
優しくしてって言ったのにとか言ってくるが問答無用だ。ベッドに寝かせると陸奥美さんはすぐに寝息を立て始める。日本でストレスを相当溜め込んでたのだろうか。綺麗な人なのに、困った人だ。僕は陸奥美さんに毛布を掛け、もう一つのベッドに向かう。ベッドから毛布を取り寝室を出る。陸奥美さんと一緒の部屋で何もしないで寝るほど僕の理性は頑強ではない。居間に戻り、ソファーに横になり毛布をかぶる。
コンコン
「はい」
翌朝、ノックの音で目を覚ました。反射的に答えてしまったが、拙い。部屋の鍵は掛けていない。
止める間も無く、三人の少女たちがなだれ込んできた。入って来たのは委員長、咲良ちゃん、アナスタシアさんの三人だ。
「お早う高夫」
「お早う委員長。こんな朝早くからどうしたんですか」
「昨日、アナスタシアさんと話合ったんだけど……」
委員長がそう話し出した時、寝室のドアが勢いよく開けられた。
「ううぅぅぎもち悪うぅぅ」
寝室から出てきた陸奥美さんは、そのままトイレに駆け込んでいった。
ゲロエロエロエロ
若い女性が決して出してはいけない音と同時に酸っぱい匂いが居間まで届く。
「陸奥美さんドア!」
「ふぁい」
ドアの締まる音と共に酸っぱい匂いも薄れた。やれやれと委員長の方へと向き直ったが。
「何やってんのよ、あんたは! なんで陸奥美さんがいるのよ」
当然のように委員長に詰め寄られた。しかし、問題なのはアナスタシアさんだ。
「どうして私じゃないの。どうして陸奥美さんと…」
緑の瞳からポロポロと涙を流し僕を見つめてくる。実際、陸奥美さんとは何もなかったんだが、目の前で美少女に泣かれてしまうと狼狽えてしまう。どうやって説明しようか考えているうちに陸奥美さんがトイレから戻ってきた。僕たちの横を素通りしてカウンターに向かう。頭を押さえ辛そうだ。
「ううっ、頭痛が痛あ~い。水うーっ」
よろよろとカウンターにたどり着き、水差しの水をグラスに注ぎ一気に飲み干す。
「うーっ甘露、甘露」
陸奥美さんは二杯目を飲みながら振り返り、やっと現在の状態に気付いたみたいだ。
「あら、結良ちゃん達、お早う」
慌てて体裁を取り繕って挨拶するが、手遅れだと思う。
「陸奥美さん、川神君の部屋で何やってるんですか」
委員長が陸奥美さんに標的を変えて詰め寄る。
「ごめんね高夫を一晩、借りちゃった」
ああ、伯母さんと同類の人がここにもいた。説明も無しにそんな事を言ったら。
「ああ、酷すぎる」
アナスタシアさんは泣きながら部屋を飛び出していった。
投稿が少し遅れてしまいました。読んでくれてる人どうもすみません。




