外伝:ミト、ミイを待つ
その日、彼女はASOにログインしなかった。
いや、もう2度とログインするつもりはない。
もう死ぬと決めているのだから、ASOで遊ぼうが遊ぶまいがどうでも良いと思ったのだ。
(これから死のうというのに、そんなことしても意味ないしね)
彼女はそう考える。
だが、実際のところはミトと顔を合わせづらいというのが本音である。
しかし、ASOで遊ぶことに意味が無いとも本当に思っているのだ。
いや、正確には『これから死ぬ自分には意味が無い』である。
もし、死なないのであれば大いに意味があるのかも知れない。
ミトとの会話は、色々と参考になるし、色々励まされる。彼女が生きる為の力になることもありそうだ。
しかし、彼女は死ぬと決めているのだ。よって、それは意味が無いのだ。
(ミトには悪いことしちゃったな)
ミトからするとミイが急にいなくなることになる。
しかし、彼女は死ぬことを決めているので、ASOにログインするしないは、いなくなるのが早いか遅いかだけの話だ。
……本来なら、ミトに別れの挨拶をするべきなのかも知れない。
しかし、彼女にはどう話していいかわからないし、上手く話せる自信もない。顔も合わせづらい。それに所詮はゲームである。
(ゲームなんだからわざわざ別れの挨拶をする方がおかしいかも知れないしね)
言い訳といえば言い訳だが、実際、(ゲームなんだからそこまで気にする必要もないのでは)とも思っている。
……思おうとしているだけかも知れないが……。
……だが、彼女は、今日、今すぐ死ぬ気にはなれなかった。
何故だか、心の中がモヤモヤするのだ。
そんな心の状態で死ぬのは嫌だったのだ。
◇◇◇◇◇
ミトはイーヴィマ・シティの中心地にある環状交差点の円内部でミイを待っていた。
一昨日、昨日とミイはこの場所に現れなかった。今日も既に30分過ぎている。
しかし、ミトはまだミイのことを待つつもりだ。
もしかしたら急な用事で来るのが遅れているのかも知れない。
ミトにはミイとの連絡手段がない為、ただ待つことしかできないのだ。
(今日も来ないのかな……)
ミトはそんなことを考える。
すると、前方から見知った人物が近づいてくるのが見える。
(あっ、ギルマスだ)
それは、ミトの所属するギルド『明訪成功』のマスター、アルスであった。
アルスはミトの目の前まで来ると彼女に話しかける。
「例の彼女、今日も来ていないのですか?」
「あっ、はい、来てないです」
ミトはここに来る前に、ギルドホームに立ち寄り、アルスと軽く会話していた。
その時に、ここに来ることをアルスに伝えていたのだ。
「そうですか……相手と連絡が取れないのはつらいですね」
ミトはギルドに入ったばかりなので、アルスのことを詳しくは知らない。
しかし、僅かに接しただけでもアルスのことを良い人だと判断していた。
ミトが感じるアルスの印象は、賢い、優しい、信頼できると、良いものばかりだ。
ちょっとした会話にも思いやりが感じられるし、博学でもある。今のところ弱点らしい弱点は見つからないのだ。
まあ、それは性格面のことであり、冒険者としての実力はそれ程みたいなのだが……。
「そうですね。来ない理由がわからないですからね」
「ふーむ……大変な理由じゃなければいいんですけどね」
ASOにログインできない理由というのは無数に考えられる。
その中でも悪い方に位置する理由でなければいい。ミトも勿論そう考える。
「はい、本当にそう思います」
「ええ、そうですね」
ミトの言葉にアルスはそう答える。
すると次の瞬間、アルスは何かを思い出したように口を開く。
「……ああ、そうそう、これ差し入れです」
アルスはそう言いながら、アイテムボックスから何かを取り出す。
「えっ、このカップケーキは……ええと、何でしたっけ、とにかくおいしくて有名な店のやつですよね」
それは、現実でも仮想現実でも有名なケーキショップのカップケーキだった。
「ええ、おいしいと評判なので買ってみたんですよ。折角なのでミトさんにも食べてもらおうと思いましてね」
「あっ、ありがとうございます。私、ケーキ大好きなんですよ」
ミトは嬉しそうにそう言う。
「そうですか。喜んでもらえたようで、良かったです」
「でも、アルスさんって、甘いもの好きなんですか?」
アルスは評判のケーキをわざわざ買うようなタイプには見えない。
ミトはアルスに、煎餅などを好んで食べるようなイメージを持っていたのだ。
「ええ、好きですよ。ただ、現実では、糖分が気になるんでほとんど食べないんですけどね」
「なるほど、その分、VRで食べるんですね」
「ええ、ASOでの味覚は現実にかなり近いですからね。甘いものを食べるときは大抵VRですよ。流石に現実程の満足感は得られませんけどね」
「うーん、なるほど。私も甘いものはVRで食べることにしようかな」
「まあ、VRでも食べ過ぎるとまずいので、程々なら、お勧めしますよ」
VRだからといって、余りにも食べ過ぎると中毒になったり、精神や肉体に悪い影響を与えることもあるのだ。
ミトは勿論、そんな極端なことをするつもりはない。
「程々ですね。わかりました。程々食べることにします」
何事も程々が一番だ。
「ええ、それが良いですよ」
「はい、そうですね」
ミトは笑顔でそう言う。
しかし、次の瞬間、その表情を真面目なものへと変える。アルスに確認しておきたいことがあるのだ。
「あの、ところでアルスさん、私がミイのことをこういうふうに待ってるのってどう思います? おかしいですかね?」
ミイは自分の行動が、第3者的にはどう映っているのか少し気になっていた。
……まあ、それを知ったからといって、どうもしないのだが……。
「それは、ゲームなのに何故そこまでするのかという事ですか?」
「はい」
アルスはそこで、少し考える素振りを見せる。
「まあ、私はおかしくはないと思いますよ。ゲームといえど人への接し方はそれぞれですからね。
ただゲームを楽しむためだけにプレイする人もいるでしょうし、人間関係をきちんと考えてプレイする人もいます。
人間関係をきちんと考える人からすると、今のミトさんの行動は何もおかしくはありませんよ。
それに、何か思うところがあっての行動なのでしょう?」
アルスはミトを正面から見つめ、力強くそう口にする。
「……はい、ミイってなんだか、思い詰めているというか、苦しんでいるというか、今にも消えてしまいそうな……そんな気がするんです。……気のせいかも知れませんが……」
ミトはアルスの力強い言葉に背中を押され、そう話す。……聞く人によってはただの考えすぎだと笑われそうな話を……。
……実際、ミトはミイを見てそう思っていた。
そう思っていたから、ミイとの会話は言葉を選んで行っていたし、自分なりに気も遣っていた。
ただ、その気遣いが上手くいっているかはわからない。
いや、上手くいかなかったから、今、この様な状況になっているのだろう……。
「……そうですか。……それが気のせいだと良いんですが……。
でも、もしそうだとすると力になってあげたいですね。
私にできることがあれば、何でも言ってください。私も力になりたいので」
「ありがとうございます。何かあったら相談させていただきますね」
「ええ、勿論です」
ミトはアルスと話せて良かったと思う。
普通、出会って僅かしか経っていない人物にこんな話はしない。
しかし、ミトはそれを話すほどにアルスのことを信頼していた。
そして、その信頼は間違いなかったとミトは感じていた。
(アルスさんなら何でもわかってくれそうだな。……いや、わかってくれているのかも)
ミトはそう思う。
すると次の瞬間、何かを思い出したようにアルスが声を出す。
「あっ、こんな時間か、もう戻らないと」
アルスはこれから何か用事があるようだ。
「何か用事ですか?」
「ええ、ちょっと。私はこれで失礼しますが、ミトさん、あまり無理をしないようにして下さい」
アルスはミトを気遣うようにそう言う。
「分かりました」
それにミトはそう答える。
ミトはアルスに勇気をもらった気分だ。
「それではまた」
「はい、それではまた」
アルスの挨拶にミトはそう挨拶を返す。
すると、その数秒後にアルスの姿がこの場所から綺麗さっぱり消える。
ログアウトしたのだ。
ミトはアルスの言葉に感謝しながら、その姿を見送ったのだった。
……ミトはその後もミイが来るのを待つが、この日も結局、ミイは現れなかった。




