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ちっとも凄くない 寺生まれのKさん

ちっとも凄くない寺生まれのKさん 『正月・宴会』前編

作者: 満月すずめ

――一つだけ、仁様に嘘をついていることがある。


 七年前のあの時以降も、実は密かに遠くから仁様をお見かけしていたのだ。

 それは、本当に遠巻きに見つめることが出来る程度でしかなかったけれど。

 笑顔を絶やさない仁様に、いつだって胸が締め付けられる思いをしていた。



 私は、両親の顔をよく覚えていない。

 物心ついた時には総本山で暮らしていて、毎日修行に明け暮れていた。


 私の『力』は、吉備綱に連なるとはいえ傍流で末席の家系には過ぎたものだった。

 『力』を十分に育てる為、両親の顔も分からぬ内に総本山に引き取られたらしい。里心がつけば面倒だからと、父母を思って泣かぬようにと。


 それは、ある意味両親や大人達の優しさだったのかもしれない。

 どうしようもないことに対して、せめて上手く生きていけるようにと考えた結果なのだろう。

 幼い私にそれを理解しろというのは、無理な話だった。


 ずっと総本山に引きこもっていれば、あるいは何の疑問も持たずに幸せに生きていけたのかもしれない。

 だが、国には法律があり、それには犯罪組織でもない限り逆らえない。

 私にはきちんと戸籍があり、この国の人間として登録されている。何となれば戸籍を消すくらい総本山ならしたかもしれないが、もしもの時の為に残された。


 だから、当然義務教育は受けねばならない。

 親がいないことを、疑問に持たないなんてことは不可能だった。

 総本山からは最寄の小学校まで十数kmはある。まして、私はその『力』が故に引き取られた子供。一人で行かせるわけもなく、車で送迎された。


 子供は素直だ。自分達と違う相手は、ちゃんと違うように扱う。それがいいか悪いかは別にして。

 そんな私に親しい友人なんて出来ようはずもなく、とにかく周囲から浮いていた。



 どこに居ても独りだった。



 総本山では周囲は大人ばっかりで、誰も『私』の事なんて見ていなかった。

 大人達が興味があるのは私の『力』で、私自身のことなんてどうでもよかった。


 学校にも居場所はなく、私自身愛想の良いほうではなく、同年代にどう接したらいいか分からずに自分から遠ざけていた所もある。

 普段通りにしていれば変な子と言われ、からかいの対象にさえなった。

 誰にも、どうにもできなかった事だと思う。私の生まれ上、止むを得ない事だ。

 『そういうもの』が重なり合って、私の環境は作られていた。


 皆が知っている事を私は知らず、皆が知らない事を私は知っていた。

 誕生日は私が生まれた日で、一番仏様に近づける日で、一日瞑想をする日。

 夏は滝行をする季節で、秋は山を巡る季節で、冬は年末年始に向けて身を清め修行に励む季節で、春は各地の妖を鎮める季節。

 世間一般の認識とずれていることは、学校の授業で教わった。


 特に、クリスマス、なんて行事は聞いた事がなくて興味をそそられた。

 それでも、今まで師でもある僧正が教えなかった事なのだから、きっと知らなくていいことなのだと分かってはいた。

 分かっていたけれど、聞こえてくるものは仕方がないのだ。


 とうとう七年前、我慢ができなくなって僧正様に聞いてみた。

 僧正様は大変お怒りになって、そんな浮ついた気持ちだから最近の修行に身が入っていないのだとお説教された。

 この寺に生まれついたお前には関係のない話で、世俗の事に気をとられる暇があれば精進せよと言われ、総本山の一角に連れてこられた。


 毎年クリスマスの時期に会合が開かれるのは知っていた。知っていたけれど、粗相があるといけないからと私は毎年休みを与えられていたのだ。

 それが、僧正様のお怒りを買ってしまったせいで下働きをする羽目になってしまった。


 本当に悲しくて苦しくて、思わずいつもの場所に逃げ込んだ。

 それまでも修行が辛くて仕方ない時に、時折逃げ込んでいた場所。

 長い長い石段の中腹を少し入った、大きな木の根元。


 そこで泣いていた時に出会ったのが、仁様だった。



 あの時以来、毎年僧正様にお願いしては会合で働かせて頂いた。

 遠目にも仁様のお姿が見られるだけで満足だった。あの方は本家のたったお一人のご子息。私は所詮、『力』があるだけの婢女(はしため)。これ以上近づく事は叶わぬものと、そう分かっていた。


 それが変わったのは、三年前。

 私が仁様の許婚候補であると僧正様が仰られ、鼓動が早くなったのを覚えている。


 運命なのではないかと思った。

 生まれて初めて、この寺に生まれてきた良かったと思った。

 他のどの候補の方にも負けぬよう、より一層修行に励み、妻としての務めを果たせるよう家事の一切にも力を注いだ。


 生まれて初めて、私に手を差し伸べてくれた方。

 子供じみた我が儘を受け止め、涙を拭ってくれた方。

 その方の為に今の努力があると思わば、何も辛い事も苦しい事もなかった。


 風向きが少し変わったのは、それから一年後。

 仁様に『力』がないと判明した時。

 本来は仁様のご意思も含めて、高校最後の会合の時に決定するはずだった事柄が、仁様抜きで進められた。

 少々強引に秀徳様を引き離し、私は仁様の元に送られる事となった。



 仁様のお心を無視して、私を娶らせようと。



 それだけは、例え総本山の決定だとして、決して許すわけにはいかなかった。



  ※           ※          ※


 寺生まれだが、霊感などの『ソッチ』の力がまるでない俺――吉備綱仁。

 隣の駐在所に住む幼馴染――島原依歌に世話を焼かれながら、なんとなくと惰性で生きてきた俺の前に許婚と名乗る女の子が突然現れた。


 クリスマスに寺に来たその子の名は、鬼瓦怜。

 親父の了承も得たという彼女に俺も依歌も何も言えず、一緒に暮らすことになった。

 その出来事をきっかけに、俺達の関係は少しずつ変わっていく。


 これは、俺達三人と、その周囲の人達を含めた町の物語。

 なんてことはない、特別でもない日常。

 世界を揺るがしたりなんか少しもしない、心が絡まるだけの出来事だ――



  ※             ※             ※


 一月一日。平成最後の正月。

 準備を万端整えていた事もあって、例年通り滞りなく初詣客を迎えることができた。


 ご近所さんにクラスメイト、毎年来る人達が続々と来ては参っていく。

 開放した本堂にある大仏は高さが俺の倍、幅は三倍くらいには大きく、作りも精巧でこうして改めてみると雰囲気があった。毎日見ていると、段々感覚も麻痺するものだ。


 大仏様の前で手を合わせる人達を見ていると、なんとなく嬉しいというか、準備してきてよかったと思う。

 新年、誰しも良い気持ちで迎えたいものだろうし、その手伝いが出来たと感じられる瞬間。

 住職である親父がいないのが、玉に瑕ではあるが。


 それはそうとして、例年と違って困ることもあった。

 怜の事で、クラスの連中にそれはもう絡まれまくったことだ。

 炬燵で寝転ぶ丹科さん以外、クラスメイトを含めた初詣客を迎える為に表に出たのだが、怜を見た連中がこぞって俺や依歌を連れ出して事情を説明させるのだ。


 いつもなら来た奴から順に適当に話しながら適宜抜けていくのだが、怜の存在はインパクトが強すぎたらしい。

 親父がいない事は最早周知の事実となっていたが、怜の事はそれほど知れ渡っていなかったようで、男連中は俺を、女子達は依歌に絡んで話をさせた。


「このてめぇ、仁!」

「お前ばっかりいい思いしてんじゃねぇよ!?」

「なんでだ! なんで俺のとこにはそんな素敵なサンタがこないんだ!?」


 等々、ほぼ予想通りの反応をされた。


 うちの寺特有の事情については、殆どの友人は知らない。依歌に達也、志穂と透耶。この四人だけだ。

 いくら全員小学校からの付き合いとはいえ、それ以外のクラスメイトに言う気はなかった。言っても信じてもらえないと思う。中二病を引きずっているか、適当な言い訳ではぐらかそうとしてると思われるだろう。


 それでなくとも、家庭の事情がたっぷり入ったその話をしたくはなかった。俺が煙草を吸い始めた事にしても、大半の人が達也に引きずられてだと思っている。

 達也のせいじゃない。聞かれる度にそう説明して、信じてくれた人にだけ本当の事を話した。それがたまたま、依歌を含めた四人だった。


 だから、怜の事でクラスの連中にもみくちゃにされるのは仕方ないと受け入れるしかなかった。最低限、何もないことは主張したが。

 男連中に詰め寄られるのはまだマシな方で、女子の方はちょっと辛かった。


「仁君、依歌の事はどーすんの!?」

「二股とか、吉備綱がそんな人だと思わなかった!」

「堅物だと思ってたのにな~……」


 等々、どうにも反応し辛い言葉をぶつけられた。


 どうにかこうにか説明して、納得したのかしてないのかわからないながらも詰め寄られることはなくなった頃合で、ご老人方が訪れ始めた。

 親父の呑み仲間とも言える彼らは、初詣を終えると庭を挟んで居間と丁度反対側にある客間に上がりこんでいく。


 そして、毎年の事ながらそこで宴会を開くのだ。手持ちの酒と、うちにある酒で。

 遠慮も何もない。檀家とかそういうの関係なしに、正月祝いに騒ぎにきているのだ、あの人達は。


「おい、仁ちゃん! 秀徳がいないんだって?」

「えぇ、今年は忙しいみたいです」

「なんでぇ、つまんねぇなぁ。ま、いいや! 部屋借りるよ!」

「はい、どうぞ」

「仁ちゃん! つまみと酒、持ってきてくんな!」

「ちょっと待って下さいね」


 爺さんも婆さんも、全員小さな頃からの顔見知りだ。だからか、未だにちゃん付けで呼んでくる。

 依歌なんかは苦手にしているようだが、言っても無駄には違いない。

 クラスメイトの輪から抜け出して、台所に向かう。その後ろを、怜と依歌がついてきた。


「悪いな、毎年」

「いいよ、気にしないで。今年はおじさんもいないし」

「怜も、悪い。少し手伝ってくれ」

「はい、お任せ下さい」


 毎年の事ながら、あの爺さん婆さんの相手は依歌にも手伝ってもらっている。

 酒を運ぶだけなら一人でもいいが、やたらと健康で胃も丈夫な爺さん達は買い置きのつまみなど食いつくし、更には注文までつけてくる。

 依歌が手伝ってくれるようになる前は、俺がガキだったこともあって使いっ走りで済んだし、なんなら婆さん達が台所を占拠したものだが。


 依歌が手伝ってくれるようになってからは、つまみは殆ど依歌に作ってもらっている。これがまた爺さん達に好評で、まだかまだかと煩く言ってくるのだ。

 依歌とて友人達と話したいこともあろうが、檀家さんには勝てない。何より、酔っ払った状態で台所を漁られても心臓に悪い。


 それは依歌も同じなようで、気にしないでいいという言葉にまたも甘えている。無理に手伝わなくてもいい、なんて台詞は煙草の煙と一緒に消えていくばっかりだ。

 特に、今年は親父もいないから爺さん達がこっちに絡んでくる可能性が高い。人手が足りなくなることは簡単に予想でき、怜が手伝ってくれるのは正直助かる。


 怜にしても、俺も依歌もいない状態で見知らぬクラスメイトの輪にいるのは居心地が悪いだろう。志穂と透耶にしたって、数時間前に会ったばかりだ。

 あの輪の中に返そうとするのは、気遣いではないと思う。


 台所に着き、買い込んでおいた酒を取り出して両脇に抱える。

 依歌はエプロンをつけて冷蔵庫の中を物色し、怜はこちらと依歌を見比べていた。


「怜、依歌を手伝ってくれ。運ぶのは俺一人でいい」

「わかりました」


 頷いて、怜もエプロンを身に着ける。酒が進むとつまみが進む。どっちの供給が楽かを考えると、振り分ける人数は決まっていた。

 冷蔵庫からラップのかかった挽肉を取り出しながら、依歌が振り向く。


「仁が戻ってこなかったら、おつまみ運ぶね」

「あぁ。気をつけろよ、多分酒気凄いぞ」

「うん……だから、なるべく絡まれないでね?」

「……頑張ってはみる」


 自然と眉根を寄せてしまう俺に、依歌が苦笑する。

 多分、怜に気を使ったんだろう。見知らぬご老体の好奇の目に晒されぬよう、台所を怜に任せて自分が運ぶと。


 仲は余り良いように見えなかったが、それでも気遣う依歌に安心して酒を抱えなおす。

 なんにしろ、俺が捕まらなければいい話だ。多分、ほぼ無理だが。

 せめて、依歌だけは捕まえらないようにしなくてはいけない。


 何せ、依歌は酒にとことん弱いのだ。



 ※           ※             ※


 案の定というか何と言うか、酔った爺さん婆さん達から逃れることはできなかった。


「おい仁ちゃん! こっちゃ来!」

「待て待て、まだわしと話しとるだろが!」

「あ~ら~、そんな構ったら仁ちゃんも大変よぉ」

「すみません、お酒の補充に行きたいのですが……」


 日本酒と焼酎の臭いを撒き散らして、ご老人方が年に一度の騒ぎを楽しんでいる。

 水を差すような真似は余りしたくはなかったが、話に付き合っていると勝手に動いて台所に行きかねない。

 千鳥足で縁側から落ちたりでもすれば、大事になってしまう。

 もう若くないのに、どうしてこう田舎の年寄りは年齢を考えないのだろうか。


「そんなもん後でええ! 仁ちゃんは秀徳に似らんと細かいのう!」

「母に似たんだと思います」

「あ~そうねぇ! 香ちゃんに良く似てるわぁ!」


 木下のお婆さんが頬を緩めて、懐かしそうな目をする。

 香、とは母の名前だ。吉備綱香。俺の名前が一文字なのは、母に習っての事だった。

 田宮のお爺さんも、お猪口を呷りながら「言われてみれば」と遠い目をする。


「秀徳よりも香ちゃんに確かに似とるの。顔立ちも、こう、鼻の辺りがよう似とる」

「秀徳がいたら、喜んで食いつきそうな話じゃな!」

「よう似合っとったからなぁ、あん二人は」


 古くから見知った相手が集まれば、昔話に花が咲く。

 親父と母の話を始めた老人方を横目に、この隙を逃さぬよう席を立った。


 自分の両親の事ながら、どうにも疎外感じみたものが拭えない。多分、実際にその昔を自分が知らないからだろう。

 興味がないと言えば嘘になるが、折角のチャンスを見逃す手もない。


 障子を開けようとして、廊下側に人影が見えた。


「おつまみ、持ってきましたよ~」

「あ」


 足で障子を開け、依歌が入ってくる。

 さっと横に退いて、動線を確保する。両手一杯にお盆を乗せた危ういバランスは、何かあるだけで零れ落ちそうだ。

 襖を外して三部屋ほど繋げた客間の視線が、依歌に集中する。


「おぉ、依歌ちゃん! 待っとったぞ!」

「こっちじゃ、こっち! まま、座ってけ!」

「何言ってるのよぉ、依歌ちゃん困ってるでしょう?」

「あはは……置いていきますね~」


 依歌がお盆の上の料理を配膳していく。

 放っておいたら絡まれそうな雰囲気だったので、ついでに手伝うことにした。

 酒の入った爺さん達は容赦も遠慮もない。


「依歌ちゃん、仁ちゃんとはどこまでいったか? ん?」

「依歌ちゃん、高校卒業したらどうするのや!? やっぱ仁ちゃんと一緒になるんか!?」

「はいはい、お皿おけないんでお酒少しどけてくださいね~」

「あぁそうだ、仁ちゃん! 依歌ちゃんで思い出したけど、最近寺で世話してる子がいるんだって!?」

「その話は後でお願いします」


 怒涛の如く話しかけてくる老人方をかわしながら、持ってきた分を配り終える。明らかに全く足りない。宴も始まったばっかりで依歌を拘束されるわけにはいかない。

 第一、なんで依歌で思い出すのか。いや、大体理由はわかるけれど。

 どうせ宴の間に話さなくちゃいけなくなるが、もう少し準備も出来て、酒と箸の進みが遅くなってからにしてほしい。


「申し訳ありませんが、おつまみもお酒も足りないんで依歌は貸し出せませんので」

「おーおー! 仁ちゃんも旦那面するようになったねぇ!」

「あら~もう! 秀徳さんと香ちゃんを見てるようだわぁ」

「どっちが秀徳でどっちが香ちゃんなんだかな!」


 何がおかしいのか盛大に笑う爺さん達を背後に、客間から出た。

 なんというか、保育園の子供達並にエネルギーを吸われた気がする。

 ついたため息が重なって、依歌と顔を見合わせた。


「大丈夫か? もう既にだいぶ酒気が濃いが」

「だいじょぶ、なんとか。それより早く戻ろ、お酒もおつまみもすぐなくなっちゃう」

「人数が人数だからな。無理はするなよ」


 二つ結びの髪を揺らして小さく頷く依歌に寄り添いながら、台所に戻る。


 依歌は下戸だ。甘酒で酔った気分になれるくらい。

 ワインはぎりぎり呑めるが、日本酒や焼酎は一杯で顔が真っ赤になる。昔、宴会で爺さん方の悪ふざけで飲まされた時は目を丸くして倒れていた。

 クリスマスもシャンパンを呷るように二杯も三杯も呑んでいたから、結局うちに泊める事になってしまった。その連絡をした時も、おばさんは楽しそうに笑っていたが。


 支えるように背中に手を置いて、依歌と歩調を合わせて歩く。

 通りがけの居間では、丹科さんが一升瓶片手に炬燵にどてらにTVと、完璧におっさんの姿で寛いでいた。


「あ、仁くんに依歌ちゃんお帰り~」

「すぐ出ますけど。今年もこっちで呑むんですか?」

「そーよっ! 向こうに行くなんて、絶対にい~やっ!」


 力強く否定する丹科さんに、うっかり笑みがこぼれる。

 丹科さんは、爺さん方と酒を飲むのが嫌いだ。だから、毎年こうして一人でおっさんスタイルで居間で呑む。


 何でも、宴会に顔を出すと結婚はいつだとか仁ちゃんに先を越されるぞとか、まぁ散々絡まれるらしい。それが耳にタコができて嫌になったんだと。

 実際、俺や依歌に言う分には冗談で済んでも、丹科さんはそうはいかない。田舎の結婚適齢期は国の平均より若い。丹科さんは……そういう意味では厳しい。


「な~にが結婚じゃいっ! こちとら相手がいたら苦労してないわっ!」

「……呑み過ぎには注意して下さいね」

「怜ちゃん、おつまみぃ!」

「はい、今お持ちします」


 丹科さんは本当に適応力が高いと思う。

 恨み言を言いながら、志穂に乗っかって自分も名前呼びをするようになった怜におつまみを持ってこさせる。

 酒だけ呑むよりは胃に優しいからいいが、正月からこれだと太らないだろうか。もし体重が増えていたら、間違いなく俺が文句を言われるのだ。今更何を言う気もないからいいけど。


 依歌でなく怜に声をかけるのは、丹科さんなりの気遣いかもしれない。早くこの環境に馴染めるように、当たり前になるように。

 他にやり方はないものかと思うが、致し方ないことだろう。


「それじゃ、頼むな」

「うん。仁も気疲れしないようにね」

「怜も、大変だろうが頼む」

「私は大丈夫です。何かあればいつでもお申し付け下さい」


 軽く頷いて台所に依歌を送り、追加の酒を抱えて客間に向かう。

 客間の騒ぎ声は、庭にまで響くほどに大きくなっていた。



  ※            ※              ※


 当然の如く宴会の間中絡まれ、隙をついて酒やつまみを取りに行くも、親父がいない影響は大きかった。

 中々タイミングが掴めず、依歌が運んでくる事も多かった。


 特に、今年は親父もそうだが、怜の事があるのが辛い。

 耳の早い爺様婆様はいち早く怜の存在には気づいていて、止むを得ず肝心な部分はぼかして許婚だと話すしかなかった。

 親父や寺の関係で、という適当な説明で納得してくれたかは分からない。というよりも、多分この人達にはどうでも良かったのだと思う。


 許婚、ということが分かった途端、それはもう大仰な騒ぎになった。

 一目見せろと騒ぎ立てられ、怜を見せたが最後、そこら中で勝手に話が進んだ。


 さらには、


「お初にお目にかかります。吉備綱仁様の許婚、鬼瓦怜と申します。至らぬ点も多々御座いますが、何卒宜しくお願い致します」


 なんて完璧な所作で挨拶をされれば、老人方から感嘆の息も漏れる始末。


 依歌と怜、どっちが嫁に相応しいか、とか。

 どっちの子供の顔が見たいか、とかまぁ色々、好き勝手にお話なさっていた。


 若造の行く末というのは、ご老人方にとって最高の酒の肴らしい。例年よりも酒の進みが早く、顔を赤くして声がでかくなる人の数も増えた。

 だが、まぁこうなれば絡まれる事も少なくなるし、逃げるのも楽になる。


 たまに捕まって、


「仁ちゃん! お前、どっちが本命なんだ!?」


 なんて聞かれたとしても、


「進路も決まっていない高校生に聞くことじゃないですよ」


 とかなんとか言って、かわしていけた。


 本当、そんなことを言われても困るのだ。

 本命がどうのとか、それ以前の状態だというのに。

 煙草が吸いたい。

 そんな暇は、どこにもなかった。


 酔いが回れば、酒の進みも遅くなる。補充の手間がかからなくなった間に、他の仕事をこなしていく。

 何も、宴会の相手ばかりが年始にやることじゃないのだ。

 持ち込まれた古い札と新しい札を取替えて渡し、他に持ち込まれたものと一緒に一部屋においておく。

 新年始めのお炊き上げの準備だ。


 用意しておいた金庫にお札の代金を納めて、親父の部屋にしまう。

 一応寺なのだから、重要な財源の一つだ。新年の札を作って行ってくれた親父に感謝しつつ、これ来年はどうするんだと不安が頭を過ぎる。

 まさか、それまで一度も帰ってこない、なんてことがあるんだろうか。

 そうなったら、もう俺ではどうしようもない。一先ず、考えない事にする。


 宴会の隙をついてそういった庶務をこなしていると、時間はあっという間に過ぎていく。

 宴もたけなわといったところで、日が落ちて夕方となった。

 酒も尽きかけ、冷蔵庫の中身も怪しくなってきたところで切り上げる事に決めた。


 放っておくと、あの人達はいつまでだって管を巻くのだ。

 台所に首を突っ込むと、エプロン姿の依歌と怜が忙しなく手を動かしていた。


「二人とも、もういいよ。もうそろそろお炊き上げ始めるから」

「あ、うん。大丈夫? 足りてる?」

「大丈夫。酒が進みすぎて、食いすぎた人もいるくらい」

「仁様、後の事は私たちに任せて、お炊き上げの準備をなさって下さい」

「ありがとう、頼んだ。お炊き上げ見たいって言うから、ちゃんと上着着せてから外に出してくれ」


 分かりました、と頷く怜に微笑みかけて、自室に戻る。

 箪笥から鈴懸を取り出し、久々に袖を通す。昔は親父について修行したりしていて、その頃は良く着ていた。今となっては、正月くらいにしか用はない。

 僧衣は着ない。一人前でもないのに、親父と同じ服を着るのは負い目があった。

 そんなこと、この田舎では誰も気にしないのに。


 鈴懸、とは山伏が着るアレのことだ。九布の上衣と八つの襞のある袴を白衣の上から着る。言わば重ね着しているようなものなので、案外暖かい。流石にコート類には及ばないが。

 着るものの一つ一つに意味があるが、忘れた。昔はそらで言えた気もする。


 輪袈裟などをつけて本格的な山伏姿になるのは面倒なので、鈴懸だけで済ませる。蔵に入って、お炊き上げする場所を囲む為の達磨を取り出す。

 確か中学二年の頃だったか、親父が半分ふざけて買ってきたのだ。これなら気分も出るだろうと言って。

 荷車に入れて、ぐるっと大回りして玄関を通って庭に出る。その頃には、日はほぼ落ちて空は藍色に染まり始めていた。


 冬の日暮れは早い。もうすぐ、端っこの橙も消えて藍から黒へと変わる。

 どこか不安と物悲しさを感じさせる空の色。視線を切って、草鞋を脱いでお炊き上げ用に持ち込まれたものを荷車に運び入れる。


 たむろするクラスメイトや初詣客に声をかけ、庭の真ん中を空けてもらう。札やらを積み上げ、周囲を達磨で囲って警告の代わりにする。

 香炉に使ったチャッカマンをとってきた頃には日は沈んで、赤ら顔のご老体達が着込んだ姿で庭に出てきていた。


「距離をとって、自分より先には絶対に出ないで下さい!」


 注意喚起をして、達磨の中心に火をつける。

 火が移ったのを確認して、十分に距離を取った。

 例年通りなら親父がいて、ここで念仏を唱えたりするものだが。

 近づく人がいないか見張りながら、天に昇る煙を見つめる。煙草の煙より、ずっと高くまで空に吸い込まれていく。


 どこまでも昇っていったらいいのに、と思う。

 そうすれば、少しは希望だって持てるのに。

 どこまでもどこまでも煙のまま昇っていくなら、消えてしまうことはないんだと勇気づけられるのに。

 煙は所詮煙で、すぐに消えて見えなくなるのだ。


 でもそれが、少し救いではあった。

 どうしようもないことはこの世にあると教えてくれているようで。

 『そういうもの』だと飲み込む自分を、肯定してくれているようで。

 煙のように生きる自分がいても、仕方ないのだと思えるようで。


 そんなことは、決してないのだけれど。


 煙草が吸いたくなった。


「仁様」


 声に振り向けば、鈴懸姿の怜がいた。

 怜が着れば、ただの鈴懸でも何か立派な法衣のように見えてくる。いや、一応立派な法衣ではあるが、俺が着るのとでは貫禄というか雰囲気が違う。


 何より、実に着こなしていて様になっていた。多分、総本山ではずっと似たような服で過ごしていたのだろう。年季が違う。同い年なのに。

 真白い鈴懸に、夜闇でも輝く黒い髪が良く映えていた。


「どうした?」


 何かあったのだろうか。

 それとも、その格好をしてきたということは、


「ご休憩なさって下さい。お疲れでしょう?」


 そうして、ひっそりとした日陰の笑みを浮かべるのだ。

 どうやら、すっかり見抜かれていたらしい。

 怜とて慣れない場所での年始の忙しさに、疲れていないはずがないのに。


「……ありがとう。一服したら戻ってくる」

「はい、ごゆっくり」


 微笑む怜に後を任せ、クラスメイトに軽く手を振ってガレージまで移動する。

 流石に、人が大勢いる場所の隅っこで煙草を吸う趣味はない。


 カブに腰掛け、一本咥えだしてライターをつける。

 お炊き上げ、というのは物品を供養し天に還す事だ。ならば、これも一応煙草をお炊き上げしていると言えるのかもしれない。

 言えるわけないだろ、と馬鹿な考えに自分で突っ込みを入れた。フィルターまで全部燃やしたとしても、絶対に言えない。阿呆な事を考えてしまった。


 煙草の先から出る煙も、口から吐き出す紫煙も少し宙を舞ってすぐに消えてしまう。

 どうしようもない世界の法則。煙は紛れて見えなくなる。


 肺一杯に吸い込むと、脳髄が痺れて酩酊にも似た状態になった。

 酒の匂いの中にいたせいかもしれない。揮発したアルコールが粘膜に触れて云々かんぬん。酒にはそこまで弱くないはずだけど。

 息と一緒に煙を吐けば、頭も元に戻った。


 ガレージの屋根にさえ届く前に、息も煙も消えてしまう。

 少しずつ心が落ち着いて、妙に感傷的な気分も消え去っていった。


 最後の一仕事。庭と客間を片付けて、丹科さんを家まで送る。その後は、親父が残していったお年玉を怜と依歌に渡して元旦の全行程は終了だ。

 怜の分は用意しているか分からないが、してなければ俺の分を渡せばいい。どうせ、金を使う当ても特にない。


 フィルター近くまで燃えた赤マルを灰皿に磨り潰し、パッケージとライターを懐に突っ込む。

 一服したら戻る。二本目は我慢だ。


 門の前まで来ると、お炊き上げの火と共に、朗々と念仏を唱える声が聞こえてきた。

 怜の声だ。透き通るその声は、夜の冷たさの隙間に潜り込むように耳に入り込む。

 庭に集まった全員が、その声に聞き惚れているように静かだった。



 火が完全に消えてから、その場はお開きとなった。

後編はすぐに出します

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