フィロソフィマン 3
2話 魔界の海から出て
よく晴れた陽光の柔らかい日だ。外部装甲の温感センサーは気温26度を示している。春の陽気だった。潮騒の音は次第に遠ざかっていく。私は背後に広がる海をもう一目見ようと振り返った。穏やかな水面がどこまでも広がっており、水平線の先がぼんやりと輝いていた。
「名残惜しいかい?君の故郷が」
声をかけられ、振り返る。リンの白髪が風に揺れていた。光を受けると絹糸のように輝く。彼女は観察するかのようにじっと私のことを見つめている。
「故郷、ですか?」
「記憶が曖昧だと言っていたね。故郷のことは、もう思い出せないかな」
リンは先に進むのを促すように、踵を返し、歩き始めた。私もそれに習う。辺りは次第に砂浜から平野へ、そして、整備されて街道へと変わった。石畳の道が遠方に見える町まで続いている。
「君のいた国は、ノーチラスというんだ。今の帝国の技術の殆どが、ノーチラスよりもたらされた。2000年以上前に存在した、謎の巨大国家だ。君を製造したのも、おそらくかの国だろう」
私は、先ほど水面に映った自分の姿を思い出す。鈍く光る銀色の体、2メートルはあるかという身長と、鎧となる外装。これらを、作成した国。
「なぜ、名残惜しいかと、聞いたのですか」
「それは、ノーチラスのあった場所こそ、あの海だと言われているからさ」
「海に沈んだ、ということですか」
「そう言われている。現存するわずかな史料を読み解くと、ノーチラスのあった地点は、あの海の中心部だ。そして、君のような異物は、大抵海沿いで見つかるんだよ。だからこそ、私のような者にとって、あの海は非常に興味深い、研究対象だ」
私は、もう一度足を止めて、後ろをふりむいた。すでに潮騒の音はない。
「海を調べている人は大勢いるのですか」
「ああ、大勢いるよ。そして、多くの冒険家が死んだ。あの海の下には、魔界が広がっているからね」
その内容に、私はリンの顔を窺い見た。先程からの笑みは消え、表情さえ消える。なにかを思案しているような、そんな様子だ。
「これからいくのは、魔界に一番近い街だ。君の仕事場にもなる。いいところだよ」
リンは再び笑顔をみせ、歩き出した。私の中には、思考事案がいくつか生まれていた。ノーチラスという国が、私の故郷なのだろうか。なぜ、海に沈んだのか。また、魔界とはどういうことなのか。
あの海は、一体どのようにできたのか。
冒険家たちが命を落とした海。
「そういえば、リンたちは魚は食べないのですか?」
「えっ、いきなりどしたの?」
リンは困惑したように振り返った。
「いえ、今の話ですと、海に漁にでることは叶いそうになかったので」
「黙っている間、そんなこと心配してたの?機械なのに?」
いやそればかり思案していたわけではない、と言おうとしたが、リンの笑い声にかき消された。彼女は腹を抱えて笑っている。
「うはは、ひーおかしい。やっぱり年季が入っているのかな。まあ、今まで君みたいに起動した子がいなかったから、比較検討はできないけれど。はー、面白かった」
「そんなに笑わなくても、いいではないですか」
純粋な疑問なのだから。
「失礼。いや、しかし素晴らしいよ。感情表現から、会話から、まったく問題を感じない。まったく、古代の技術には驚くばかりだよ。ちなみに、魚は食べるよ。淡水魚のマスがよく見かけるかなあ。海で魚が取れるというのは、聞いたことがないなあ」
私は、内心驚きつつ、そういえば海で魚が取れるという知識はどこから来たのだろうと再考し、不明の迷路に陥った。
場面転換〜テテュース海にほど近い街 スリカロマ〜
街に着くなり、リンは私の腕を掴み猛然と駆け出した。石でできた城壁のような壁の中に街がある。巨大な門を通ったが門番はおらず、解放されている。
私は金属音を鳴らしながらひた走った。飛び跳ねるたび、ガシャン、ガシャンと音が弾ける。
「リン、なぜ走るのですか」
息があがってきているのか、彼女は途切れ途切れ声を出す。
「君は、一応、世紀の大発見だから、ね!あんまり、人目に触れて、うわさに、なったら、没収されちゃう!」
「没収ですか。どなたに」
「そりゃ、あたしの上司とか、貴族とか、いろいろよ!大丈夫、最短ルートで行くわ!」
そうは言うものの、道行く人は走り抜ける我々を奇異の目で見ているのは間違い無く、視線を感じる。リンの速度と同じくらいの速さが、今の私に出せる全速力だ。ただし、疲労はまるでない。機械の体というのは、運動の継続に便利だと思う。自分は一体、何と比較しているのだろう。機械以外の体を持っているわけではないだろうに。
いや、かつてはあったのか。人の体が。
「すぐにでも、ジェロニモに、知らせてやらなくちゃ」
リンの楽しそうな声が響く。どうも、ジェロニモという人物に私を見せることこそ、急いでいる最大の理由のように推察される。
街の入り口にあった看板には、スリカロマという名が刻んであった。私に搭載された言語識別機能は、文字の音を正確に伝えてくる。不思議な名前の街だと思った。
どこまでも石畳の街並みが広がっている。おそらく、海からの風で木造の住宅が痛むからだろうか、石壁づくりの家が多い。道行く人は、自転車に乗っていたり、車に乗っていたり、馬車に乗っていたりするものもいるが、多くが徒歩だ。
服装も様々だ。フォーマルな格好の紳士、農夫のような長靴姿の男、短パンの少年、パンを売るエプロン姿の女性。多くは洋服と呼ばれるような、非常にシンプルな服装である。さながら、中世のヨーロッパのような。
そこでまた疑問に思う。これらの比較条件、過去の記憶の出どころだ。私には記憶データがなく、ノーチラスという国家の情報は何もない。だが、何か情報の大きさもわからないデータがどこからともなく勝手に生まれてくるのだ。こんなことがあり得るだろうか。
ただ、情報の流れを逐一疑問に思うわけにもいかない。私だって慣れる。
次第に、そういうものだと、思考回路を納得させていた。
「ジェロニモというのは、どのような方ですか?」
私が尋ねると。リンはぴょんぴょん跳ねながら答えた。さながら、飼い主を愛する愛犬のようだ。
「あたしの同志というか、恩人だねっ!まあ、ビジネスライクな付き合いですが」
「恋人ではないかと思いましたが」
「おおう、君は、えらくませた、思考回路をしているなあ。ノーチラス恐るべし」
そう戯けたように言うが、別段真実から遠いようには思えない。耳が少し赤くなっていた。走っているのもあるが、目線を合わせずそう言った彼女の姿は、何か、愛らしいと感じた。
「ま、まあ。いい男ではあるがね」
そうですか。
私はそれ以上は追及せず、彼女の後を追う。
街の入り口から4分ほど走っただろうか、最後の方はすっかり体力が尽きたのか、リンは休み休み歩いていたが、到着したようだった。
そこは、門構えは商店のようであった。テント張りの入り口があり、看板には、『国立機械師事務所』の文字が見える。機械師というのは、リンの職であったはず。
なるほど、ここは国なのだ。どれくらいの規模があるのか、政治体系はどうなっているのか、気になることは多い。だが、それはあっさり氷解する。リンがインストールしたデータの中に、その情報が記載された場所があったのだ。私の中の検索エンジンが即座に情報を展開する。
ここは、アークランドという都市国家らしい。詳細な地図データを見て、私は驚愕した。大陸が一つしかない。その周りを取り囲むように、テテュース海が広がっていた。アークランドは大陸の北西にあり、多くが温帯に属していることも分かったが、大陸が他にないということが、何より思考に残る。
かつて、こうした地域があったことを、私は知っている。超大陸パンゲアや、ムー大陸の語源になったムーランディアというものだ。かつての地球では、そうした巨大大陸が出来上がったこともあったというが・・・。
しかし、データのどこにも、地球、超大陸などのワードはヒットしない。私は大きな違和感を持った。だが、今は新しい発見の方が気になる。私はリンの姿を追いながら、ひたすらデータを漁った。
そのアークランドの西の端に存在するのが、この街、スリカロマだ。主として、絹、農産物の生産が盛んな交易の街とある。人口は10万人ほどで、アークランドの首都、ロングルスについで2位の人口を誇るとある。それに、『魔素発電量』が国内で最大とある。この魔素というのは、この国独自のエネルギーらしい。
不思議な情報ばかりで、目がくらむようである。一通り読み終わる頃、リンは木製の扉を勢いよく開けた。
「ジェロニモ!帰ったよ!大発見だよ!」
私も続いて中に入る。広い部屋だ。仕切りがなく、オフィスとしての動線が確保されている。中央の大机には、書籍が乱雑に置かれている。奥にある作業台には、光学機器のパーツと思しきものがいくつか並んでいた。
リンの呼びかけに応えるように、奥の椅子に座っていた男が、顔を上げる。切れ長の目に、無精髭。こけた頬がどことなく彼を壮年の男に見せているが、おそらく、リンとそこまで大きくは、年齢的な差はない。身長は180センチ。先ほど街中で観察したこの国の住人の中では、背の高い方ではないだろうか。きっちりとした背広を来ているが、職人がするような前掛けを身につけている。
「リン、扉はもっとゆっくり開けろ。この前も、お前が壊したんだぞ」
落ち着いた声音だが、迫力のある低い声だ。私は思わず出まいを正した。
視線はリンから、私の方へと移る。じっと観察すると、一重まぶたの奥に緑色の瞳が覗く。落ち着いた雰囲気の男だと思った。
「あ、いや。まあ確かにそんなこともあったけどさ。でも今はそれどころじゃない、です」
いたずらをたしなめられた猫のようにあたふたとするリンの様子を見ると、どうもジェロニモなる男は、彼女の目上の立場に当たるらしい。
ジェロニモは、リンをそれ以上追求せず、私の方へと歩み寄った。分厚い靴底のブーツなのか、彼が歩くたび、カタ、カタと重たいの音が聞こえる。
「ムーランディアの、機械人形?」
眉がよる。睨むようではあるが、声音には驚きが混じったように思う。私は首肯した。
「はい。私は対人型支援機械です」
「この会話プログラムはリンのものか」
ジェロニモは厳しい視線を私に向けながら訪ねた。リンは首を振る。そしていかにも誇らしげに胸を張った。
「いいや、違う。私は教育プログラムを書き込んだだけ。彼は自前のプログラムで動いているよ」
ジェロニモは目を見開く。すぐに元の表情に戻った。そして、首を傾げる。紳士的な口調だが、仕草がなんとも言えず、不思議な男だと思った。
「・・・リン、なぜ教育プログラムを組み込んだんだ。この保存状態からするに、彼は兵器だろう?」
鋭い声音であった。空気がしんと引き締まるような、そんな冷たい印象がある。リンの喉が鳴る音がした。ゴクリと、はっっきりわかるほどに、響く。
「言いたいことはわかるよ、いやわかりますよ。でも、彼は言ったんだ。人間を支援すると。人間が好きだと」
「感情まで、備えていると?」
ジェロニモの問いに私は首を振った。
「わかりません。好きとはなんなのでしょうか。ただ、彼女の組み込んだプログラムを見るたび、私は自身の回路が熱を持つような感覚を得ます」
教育プログラムには、最初のソースにいくつかの理念が書き込まれている。私は、その文章を繰り返し読み解く。データの集まりだ。しかし、作り手の思いが、伝わってくるような気がする。私に感情を理解することができるの不明だが、間違いなく、このプログラムは好意的に見ることのできるものだ。好意も感情か?いや、いい。私は、このプログラムに従いたいと思っている。
「教育とは、人間支援の最重要項目です。これは、理解しています。どのような目的、到達度が設定されているかわかりませんが、私はこのプログラムを推奨し、リンの指示を仰ぎたく思います」
ロボットとしての本質なのか、私の中では、すでにリンを自身のパイロット、ないし管理者と認める向きがあるように感じる。
ジェロニモはため息をこぼした。ひどく悲壮感のあるものだったように感じられた。
「知らんぞ」
リンはどこか得意そうな笑みを浮かべている。私もなぜか満足だった。