暗殺者、連れていく
6/25、人称を変更しました。
大筋に変更はありません。よろしくおねがいします。
俺は短剣を洗い流した後、慌てて対岸へと向かった。
遠回りなんてしている暇なんてない。とにかく早く向こう岸に行きたかったのだ。無理やり川を横断する。
一刻も早く、近くにいって確認したい。
自分と同じ、転移者であるかどうか、を。
そう。
俺は元々この世界の人間ではない。
十年前。俺が十八歳のころ、トラックに轢かれそうになったその時に突然この世界へと飛ばされたのだ。
その原因もわからないし、理由もない。ただ、突然投げ出された異世界で、俺は生きなければならなかった。
そのための力は授かったが、その代償はあまりにも大きかった。
あるものを犠牲にして、俺は今まで生きてこれたのだ。
俺のその力は、十年間俺を裏切ることはなかった。
裏切ってほしかったのだ。俺が失ったものを、いつかは取り戻せるかもしれないとそう願ったことも何度かあった。
そんなときは一時さえ訪れない。
だけど、それが得られるわけがないとわかってはいても、目の前の日本の名残を見つけて焦っていた。いや、期待してしまったんだろう。
再び誰かと交われるかもしれないという、そんな、夢のような期待を。
対岸までたどり着き、びしょ濡れのまま少女に近寄る。そして衝動的に体を揺さぶって声をかけた。
「おい! おい、大丈夫か!? おい、おいっ!」
「ん……んぅ」
反応がある。
生きている!
夢が、つながる。
「起きろって。どうしたんだ? 誰かに襲われたのか!?」
その声に目を覚ましたのだろう。少女がぱちっと目を開けた。
大きく、まん丸なその黒い瞳は、この世界――異世界ではあまり見ない黒。肩甲骨あたりまで伸びた黒い髪は月明りで輝いている。
その少女の可愛らしさに見とれていると、少女は突然その顔を歪め後ずさった。
「あ、ちょ、ごめん! 怖がらせるつもりはなかったんだ! 俺は、その助けようと思って――」
俺は断じていたずらなんてしていない! 両手を上げて無害であることをアピールした。
少女は、あたりを焦った様子で見まわすと、俺を見てその目に涙をためる。
な、泣かれるのか?
嘘だろ? こんな小さい女の子に泣かれるとか、俺にはハードルが高すぎる。
そう思ったのだが、目の前の少女から発せられた言葉に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「た、助けて!」
「へ?」
ラガーマンもびっくりなタックルが鳩尾へ突き刺さった。
その勢いに押された俺は、しりもちをつきながら混乱の極致だ。何が起こったのかわからない。なんで、俺にタックルを?
「助けてって、どういうことだ」
「怖い、怖いの、嫌だよ!!」
すでに少女は泣いていた。泣きながら怖いと叫んでいる。
俺をつかむその手は、痛みを感じるほど強い。決して離さないと物語っていた。
どうしたらいいんだよ。これ。
怖がって……いるのか? なら、安心、させてやったほうがいいんだよな?
そう思って、俺は恐る恐るそっと少女の背中に手を回した。
抵抗はされない。とりあえず不正解ではなさそうだ。
「もう大丈夫だ。助けてやる。大丈夫だ。だから、その……泣くな」
そうやって言葉をかけると安心したのだろうか。
さらに泣き声を高く高く響かせながらも、顔を俺に押し付けて泣き続けた。
は、はは。
どうしたらいいんだよ、これ。
俺は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
しばらくすると、少女は泣き止んだ。
そして、ようやく落ち着いてきたのかあたりを見まわし首をかしげる。
「……どうして木がいっぱい、なの?」
「そんなのは俺が知るか。っていうか、お前はどうしてここに倒れていたんだ? 何かあったのか?」
「あれ……。――っ!?」
何かを思い出したのだろう。
少女は、再び俺に抱き着くと、おびえたようにあたりを見回した。
何かを探しているのか? だが、ここには俺達以外に誰もいない。
「安心しろ。ここには俺達以外に誰もいない。いるとしても、野犬か魔物の類さ」
「ま、もの?」
「お前はきっと転移したんだ。俺も同じ。日本にいたが、今じゃ異世界の住人さ。だから、ここにはお前の父親も母親もいない。お前だけがここにいるんだ」
事実をそのまま伝えることにした。
言った後で後悔したが、ごまかすのも違う気がした。きっと、目の前の少女は日本からの転移者なのだろう。服装や服のロゴを見てもそれ以外に考えられない。
それに魔物といったことに反応をしないということは、間違いなくこの世界の人間ではない。
普通、この世界では魔物の怖さというものを小さいころから教えられる。危険を知らないと、すぐに子供は危ないところにいって命を散らすからだ。子供のしつけは、魔物の恐怖を語ることから始まるといっても過言ではないらしい。
まあ、当然俺は子育てなんてしたことはないが。
真実を告げたことは幼い少女からすると酷なことだろう。だが、まずはこれを乗り越えないことには異世界では生きてはいけない。それを、俺は嫌というほど知っていたから。
――また、泣くだろうな。
そんなことを思い、気分を落ち込ませたが、いい意味で期待を裏切られたのだろう。少女は、なぜか笑みを浮かべほっと息を吐く。
「そっか……なら、もうおうちにいなくていいんだ。……よかった」
「お前、それは」
思わず言葉に詰まる。
それって、家にいたくないってことか? この子は、何から逃げていたんだ?
考えると、嫌な想像が頭をよぎる。それをかき消すように、思わず俺は少女の頭を撫でていた。その手のひらから伝わってくる温もりは、とても久しぶりなものだった。
そういえば、ふとこの子の名前すら知らないことに気が付いた。
俺も気が動転したいたのだろうな。苦笑いを浮かべながら少女に問いかける。
「そういえば、名前はなんて言うんだ? いつまでもお前じゃ微妙だからな」
「んっと……わたし、高藤麗です。道端小学校の三年生」
「三年生か、っていうと九歳か?」
「ううん。まだお誕生日来てないから八歳」
「その……家に、帰りたくないのか?」
とても礼儀正しい。利発な子なのだろう。
だが、やはり家に帰りたくないという思いは強いようだ。理由はわからないけど、この子にとって家はつらい場所なのだろう。
麗の両手は強く握られて、今にも泣きだしそうだ。
「いや、別に帰れって言ってるわけじゃない! っていうか、帰れないんだが、その一応確認したかっただけでな? 嫌なことをやらせようなんて思っていない。わかるか? だから教えてくれればいいんだ。帰りたくないか、帰りたいか。……教えて、くれるか?」
その言葉に麗は小さくうなづいた。そして、うつむいたままか細い声でそっと告げる。
「なら……帰りたくない」
「そうか。わかった」
俺は、その言葉を聞いてなぜだかうれしかった。
同じ異世界出身だからだろうか、それとも久しぶりの人とのかかわりだったからだろうか。
そのうれしさがそうさせたのだろう。
浮かれていた俺はつい血迷ってしまう。普段なら言わない言葉が自然と口から漏れていた。
「とりあえず、ついてくるか? 飯くらいは食わしてやるよ」
「うん」
そういって手を伸ばすと、麗は俺の手を戸惑いがちに握った。
二十八歳のおっさんと、八歳の麗が歩いているとか半分犯罪だよな。
そんなことを思いながらも、俺は緩む表情を戒めることができなかった。