暗殺者、見つける
6/25に人称を変えました。
内容に大きな変更はありません。よろしくおねがいします。
ただ歩いていた。
何に注意するわけでもない。気負っているわけでもなく、かといって気が抜けているわけでもない。さも当然のように歩いているだけなのだ。
だが、それでも誰にも見咎められない。
それが、俺にとっての当たり前だった。
ここは、ある要人の屋敷だ。
王都からはかなり離れたところにある森の近くの町の中。そこの住人が建てた屋敷というから驚きだ。
屋敷の大きさは、王都にある貴族の屋敷とそう変わらず、豪華さと剛健さを併せ持っていた。当然、その屋敷には要人を守るための見張りもいるが、そんなもの意味がない。もちろん素通りである。
見張りも気づいていないわけではない。目は合っているし、むしろ会釈さえしている。
だが、見張りは俺が通るのを見ているだけだ。
守るべき要人に近づいていく俺に、誰も危機感をおぼえない。
「今回も簡単な仕事だな」
そんなことを独り言ちながら、愛用の短剣にようやく手をかける。
そう――俺の仕事は暗殺だ。
ここに住んでいる要人を殺すことが今回の仕事だ。
殺される要人は当然人畜無害ではなく、色々とあくどいこともやっていたそうだ。金の横領や汚職にとどまらず、国で禁止されている人身売買や王家への反逆の兆しも見え隠れしていた。王家にたてつく集団を作っていたというのだ。
そんな大それたことを行う人間を、国は当然放っておかない。
そこで、俺に白羽の矢が立ったのだ。
絶対に失敗できない仕事。そんな仕事こそ俺んい回ってきた。今回の依頼がどんなに重要なものでも、いつもと同じ。ただ、依頼されたから殺す。それだけだ。
そうやって歩いている間に、目的の場所にたどり着いた。
そこは、要人の部屋の前。そっと短剣に月の光に照らしてそれを眺めた。
「いい月だ。こんな日に死ねるなんて幸せだ」
おもむろに扉を開ける。すると、その奥には大きなベッド。横たわる男。
物音で起きたのだろう。体を起こし俺を睨みつけていた。だが、すぐその剣呑な表情を引っ込めると、さも当然とばかりに声をかけてきた。
「なんだ。こんな時間に。何かあったのか?」
「いや、特には。とりあえず確認なんだが、お前はグアルティエロ・クリオーネか?」
「ああ、そうだが……。まあ、今は私は寝ていてな。すぐに出ていくといい。娘も起こしたくはない」
「そうするつもりなんだが……ちなみに俺は、シンと言う。お前の命をもらい受けに来た」
「何?」
相手の反応など気にせず距離を詰めていく。そして、短剣を振りかぶりそのまま振り下ろした。その様子を、グアルティエロはただ見つめていた。
「や、やめ――」
さすがに、刃物が振り下ろされた瞬間には危機感を覚えたのだろう。
だが、抵抗しようとしたその瞬間にはもう遅い。短剣は男の命に届いていた。
ドサリ。
その音に、見張りが駆け付ける。
隙間を、俺は悠然と歩きながら通り抜けた。背後では、悲鳴と怒声が響き渡るが、気にもせず屋敷の出口を向かう。刹那、甲高い泣き声が耳に突き刺さる。振り向くと、使用人に抱き上げられている少女がいた。その少女は感情の赴くままに泣き叫んでおり、その声はひどく不快だった。
その少女がふと俺を見る。
目が合ったように思えて、思わず目を逸らしてしまった。そして、そのまま逃げるように屋敷から立ち去った。まあ、文字通り逃げていたのは間違いないのだが。
それで俺の仕事は終わり。
しかし、俺はこの日の夜が忘れられなかった。
時折聞こえてくる泣き声。
幼いその声が、幾度となく頭に響き渡る。
その声に揺さぶり起こされ空を見ると、いつも濁った月が俺を見下ろしていた。
――――
その日、俺は仕事を終えた後だった。
手に持っていた短剣は真っ赤に染まっている。
その短剣についた血のりを落としたくて川を目指していた。初めて来た土地だったが、当然、位置だけは調べてある。
別に証拠隠滅が必要なわけじゃない。
ただ、嫌だったのだ。
手に残る感触が、鼻腔に突き刺さる血なまぐささが。それを洗い流さないと、かつての声に覆いつぶされそうでいたたまれなかった。
「今日は明るいな。満月か」
空に浮かぶ満月をみてそう呟く。
夜なのに、うっすらと地面に影ができた。それくらい明るかったからだろう。普段は目に入らない景色が意識に残る。
だからだろうか。
短剣を洗っていたその時、顔をあげると対岸に一人の少女が倒れていた。
なんだよ、あれ。
普段なら気にもしない出来事だ。けれど、その日は倒れている少女を視線から外せない。
それもしょうがないことだろう。
だって、あの洋服をみたら誰だってこうなる。
この世界にはない服を着ているのだから。
紺色のスニーカーに、やや幅広のデニム地のサロペット。下に着ているTシャツはまぶしいほどに白い。
年は……六歳くらいに見えた。
小さなその体に着せられているのは明らかに異様なものだ。
つい、少女に向かって踏み出そうとして足がもつれそうになってしまう。
「う、嘘だろ。まじかよ」
その姿は、十年前。
俺が、この世界に来る前にいた世界。
日本で普通に着られていたものにそっくりだったのだ。
「あいつも……転移者なのか」
その呟きは、川の流れの音に消えていく。
だが、少女の姿から目を離すことはできない。
すでに先ほど殺した男のことなど何一つ覚えてなどいなかった。