転々
ボクの中学への進学にあわせて引っ越しをした。
県境をひとつ越えただけなのに、そこはまるで違う世界のように思える。
両親は、新しい家の中でダンボールに囲まれながら忙しそうにしている。
ジャマにならぬようにボクは家を抜け出し外に出た。
土地勘をつけるべく、手始めにこれから通うことになる通学路の下見をしている。
移動中の車の中でそれらしき建物を見ていた。その記憶を頼りになんとなく行けそうな気がする。
しかし、実際に歩いてみると学校らしきものをまったく見つけることができない。
あきらめて引き返すが、帰り道の目印にしていたものをほとんど見つけることができない。
完全に道に迷った。
すぐそこだ、と考えて携帯電話も持たずに家を出てきてしまった。
そのため両親の携帯番号も、新居の電話番号も住所もわからない。
見知らぬ土地での絶望的な孤立状態だ。
にもかかわらず、ボクの心には妙な余裕があった。
午後をすこし過ぎた程度の時間。
まわりには商店もあり、コンビにもあり、民家もある。
くわえて、日差しも空気もとても暖かい。
――夕方までにはどうにかなるだろう。
ボクはこの現状を楽しむことに決めた。
冒険気分で、知らない道や街中を右往左往する。
と、見慣れない景色の中で、見覚えのあるネコを見かける。
前方にいる年老いた雑種の茶トラ、遠めに見てもわかるほどに薄汚れている。
ブロック塀の上を、左後ろ足をヒョコヒョコとはねさせるようにして歩いている。
すこしだけ歩みを速めて声をかける。
「やぁ『茶トラの坊主』、ひさしぶり」
ピタッ、バッ、
と、音がするほどの勢いでネコが立ち止まり振り返る。
ネコとは思えないほどのおどろきの表情でこちらを見下ろしている
しばらくボクを観察し続け、
「もしかして、『鉢割れのおじさん』かね?」
昔のボクの通り名だった。
「あたり。いまは割れてないけどね」
下から手を伸ばし茶トラのあごを指でなでる。
「はぁー。長生きはするもんだねぇ。おじさん、本当に人間になれたのかい」
言いながら首を伸ばし、なでて欲しい場所へとボクの指を誘導する。
「あぁ、十二年ものの人間だよ」
「ネコが『畜生道』を抜けて『人間道』になんて無茶だと思ってたんだがなぁ」
「意外とできるもんだよ。『解脱』はまだ遠そうだけどね」
感慨深げに言う茶トラの毛を撫で付けた。
体毛は短くかたくごわごわとしており、隠れてはいるが大小さまざまな傷跡がてのひらに感じ取れた。
「最後に会ったとき若猫だったキミが、いまではすっかり老猫だね」
茶トラのカラダをゆっくりとさする。
筋肉も贅肉もなく毛皮と骨しかない。悲しいほどに老いていた。
「オレがあんたを最後に見たときは、毛皮になって道路にこびりついていたがな」
茶トラがネコらしく笑い、ボクもつられて笑う。
道に迷っていることを告げると、茶トラは学校までの案内を買って出てくれた。
茶トラの歩調にボクがあわせて並んで歩く。
なにか話をしたいと思ったが、ボクには、面白おかしく話すほどの人間としての経験はない。
そのため、自然と茶トラの話の聞き役にまわることが多くなる。
「人間に飼われていた時期もあったが……まぁ、ショウに合わなくてなぁ――」
茶トラはこれまでの半生を話し始める。
拾われ、飼われ、脱走し、放浪し――
最近まで、すこし離れた場所でボスネコを謳歌していたという。
そして、つい先日、縄張り争いで若いネコに敗北し土地を追われてしまったのだ。
「歳には勝てないってことなんだろうねぇ」
その言葉に悲哀のようなものはなく、喜びに似たものが感じられた。
「ここも別のネコの縄張りだからな。さっさと出て行かなきゃならん」
茶トラが立ち止まり、シッポで前方を指し示し、
「さぁ、ここいらでいいだろう」
見ると、数百メートル先に中学校の校舎と校門があった。
「じゃあな」
校門から視線を戻すと、すでに茶トラは反対方向へ歩き始めていた。
もう二度と会うことはないだろう。
袖についた茶トラの毛を払っているときにボクは自分がネコアレルギーだと知った。




