7 密会 ―コンスピラシー―
フロレンツィアは、とある高級レストランの個室で退屈そうに肘をついていた。ボーイが空になったフロレンツィアのコップに、何度目か分からない水を注ぐ。
今日は某国の政府高官と会談をしてから、食事会をする予定だった。会談が終わり、招待された食事会に向かったフロレンツィアだったが、いつまで経っても肝心の招待した側である相手が現れない。
「……遅い。遅すぎる。レディをこんなに待たせるなんて、とんだ破廉恥国家ね」
「まあまあ。何か事情があるのよ。そんな怖い顔しないで、フローラ」
フロレンツィアが、一瞬ジトっとした目で自分の隣に座る女性を見る。
「はあ……あと五分待って来なかったら、帰るわ」
「え、ちょ、ちょっと……それはまずいって……」
おどおどする彼女を睨むフロレンツィア。睨まれた女性はそんなフロレンツィアに萎縮するように目を伏せてしまう。
「……相変わらずね、エリザ」
「え?」
「相変わらずね、って言ったの。もう少しピシッとしてもらわないと、相手に舐められるわよ。いい? こういうのは血が流れないだけで、立派な戦争なのよ」
「うん。分かってるよ……」
分かったと言いながら、エリザは目線をフロレンツィアから逸らしたまま、もじもじしている。フロレンツィアは内心で今日何度目か分からない溜息をついた。
エリザはフロレンツィアと同業の、シャドーの管理者だった。フロレンツィアと同じように自分のシャドーを駒にしてミッションをこなす。
才能に関して言えば、フロレンツィアは何の心配もしていなかった。むしろ、感心しているほどだ。しかし、その人柄に問題がある。一言でいえば、彼女は引っ込み思案だった。他人に強く物事を主張できない。それは職業柄致命的な欠陥となる場合がある。
普段なら、エリザは今回の会談のような表立った仕事はしない。そんなエリザが今回引っ張り出されたのは、会談の議題の中に彼女が担当した仕事の件が含まれていたからだった。ノイネ ヴェルト側の特使を命じられたフロレンツィアは、おかげで会談中にエリザの子守りのような仕事まで請け負わなくてはならなかった。
エリザとフロレンツィアの付き合いはかなり古い。二人はノイネ ヴェルトに所属するよりもずっと前、大学時代からの知り合いだった。フロレンツィアからしてみれば、腐れ縁と言った方がいいかもしれない。
大学生だったフロレンツィアが同期のエリザに初めて出会った場所は、大学構内の廊下だった。フロレンツィアが次の講義が開かれる教室に向かっている時、エリザは廊下を遮断するように、辺り一面に書類をばら撒いてしまっていた。必死に書類をかき集めるエリザを、フロレンツィアは初め眺めているだけだった。
なんて要領の悪い子だろう。
それがフロレンツィアの第一印象だった。
さっとかき集めてしまえばいいのに、エリザはどうやら書類の順番に拘っているらしい。おかげで遅々として回収が進まない。
せっかく積み上げた山を、うっかり崩してしまったエリザの目に涙がじんわり浮かぶ。
フロレンツィアは溜息を一つついて、エリザの手助けに入った。あんまりに情けないエリザの姿が見ていられなかったのと、廊下を塞がれたままでは講義に向かえないからだ。
フロレンツィアは手当たり次第に紙をかき集めてエリザに押し付け、順番の整理は後でやれと言った。
そんなフロレンツィアを呆けたように眺めていたエリザは、一瞬遅れて慌てだし、遮二無二に感謝の言葉を並べ立てはじめた。
フロレンツィアの手を掴み、ブンブンと振る。フロレンツィアにとっては鬱陶しいことこの上ない。
いいからと一言言って、フロレンツィアは講義に急ごうとした。既に少し遅刻してしまっている。
そんなフロレンツィアをエリザは呼び止め、お礼に今日のお昼をご馳走するから、この後食堂に来てくれと言った。
エリザを軽くあしらい、教室に向かうフロレンツィアには、エリザと昼ご飯を共にする気などなかった。エリザのような子は苦手だ。フロレンツィアはエリザの誘いを無視するつもりだった。
しかし、講義が終わってフロレンツィアが教室を出ると、エリザが待ち構えていた。ニコニコと、控えめながら嬉しそうに微笑んでいる。捕えられたフロレンツィアは諦めて、彼女の厚意を受け取ることにした。
食事中、エリザは一方的に話し続けた。出会ったばかりだというのに、慣れ慣れしく、訊いてもいない自分の話を並べ立てる。片想いの相手に恋人ができたと長々と訴え、勝手に泣き出した。フロレンツィアは呆れかえり、ただ適当に相槌を打ち続けた。
そうなんだ。大変だね。ふーん。へえ、そう。
あまりの退屈さに、とっとと食べ終えてこの場を脱出しようとしているフロレンツィアと裏腹に、エリザはただ話せる相手がいるというだけで満足そうだった。
食べ終え、ありがとう、とても美味しかったわ、いろいろ大変そうだけど、頑張ってねと言って立ち上がるフロレンツィアを、エリザがちょっと待ってと呼び止める。
不機嫌そうに振り返るフロレンツィアなどお構いなしに、エリザは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、一枚のプリントを見せた。
「この課題なんだけど、どうしても分からなくて。フローラは分かる?」
驚いたことに、エリザはフロレンツィアと同じ専攻だった。フロレンツィアは知らなかったが、エリザはフロレンツィアのことを以前から知っていたようだ。
フロレンツィアがプリントを見る。同じ課題がフロレンツィアにも出されていたが、フロレンツィアは手も足も出せていなかった。その課題を、エリザは不完全とはいえ自分よりこなしている。
フロレンツィアはエリザの顔をまじまじと見つめた。この女は、見かけによらず優秀なのかもしれない。その日、フロレンツィアとエリザは夕方まで一緒になって課題にあたった。
それから、フロレンツィアとエリザは時たま一緒に過ごすようになった。フロレンツィアはエリザが自分のことを話しだすととても面倒になることを知っていたから、いつもそれとなく会話を課題の内容に誘導した。
大学を卒業して、フロレンツィアとエリザは自然と疎遠になった。しかし、しばらくしてフロレンツィアはとても驚くことになる。なんと、活動を始めたノイネ ヴェルトの人員の中に、エリザの姿があったのだ。
「そろそろ、五分ね」
「え、本気なの?」
「当たり前でしょ」
未だ相手の高官は現れない。席を立とうとフロレンツィアが荷物をまとめだした頃になって、個室のドアがガチャリと開いた。
扉の方へ目を移したフロレンツィアが、その身を固める。
「フローラか、久しぶりだな」
入ってきたのは、ヴィレブロルトだった。フロレンツィアは自分の目を疑った。
フロレンツィアがエリザの方を向くと、エリザは恥ずかしそうに微笑んでいる。その表情から、フロレンツィアは事態のおおよそを把握した。
「なるほど、敵を欺くにはまず味方からということね」
「そう。ごめんね。騙すつもりはなかったの」
「いいえ、謝らなくていいわ。丁度私もヴィルに会いたかったところだったし」
フロレンツィアは席に着いて無言のままでいるヴィレブロルトの様子を伺った。少し、記憶の中のヴィレブロルトより老けているかもしれない。しかし、纏っている重苦しい雰囲気は相変わらずだ。
「久しぶりね。変わりないようで、安心したわ」
「お前も変わらんな」
「あら、ありがとう」
軽口を交わし、食事を始める。まずドリンクが運ばれてきた。
「こんな悠長なことをしていて、あなた大丈夫なの?」
「問題ない」
フロレンツィアが尋ね、赤ワインの入ったグラスを傾けるヴィレブロルトが答えた。
俄かに信じがたいが、目の前の男は死んだはずのヴィレブロルトだ。酒といえば赤ワインしか飲まないところも、その飲み方、細やかな仕草までフロレンツィアの記憶と合致する。
「いつから?」
フロレンツィアがエリザに尋ねる。
「最初から。ヴィルが脱走して、ヴィルが処刑されたように記録を改竄した日から、私たちはずっと密かに連絡を取り合っていたの」
ヴィレブロルトはエリザの管轄下のシャドーだった。その相棒であるローレンツも。
「そう。流石ね。全く気が付かなかったわ」
フロレンツィアは素直に感心した。ヴィレブロルトの方へ顔を向ける。
「この前は、お世話になりましたね」
「あの件、お前が担当だったとは思っていなかった。だが流石だな。俺の完全敗北だ」
「お互い様でしょ。こっちも、危うく大事な駒を失うところだったわ」
「ジェイか、随分成長したな」
「それは皮肉?」
「違う」
「……」
フロレンツィアには、ヴィレブロルトが一瞬遠い目をしたように思えた。何かジェイに対して思うところがあるのだろうか。
いや、ありえない、とフロレンツィアはすぐさま自分の考えを一蹴した。この男は、そんな余計な感傷に浸るような男ではない。
「それにしてもまあ、色々やらかしてくれちゃって。ソーマまで投入する意味があったのかしら。おかげでこっちはひっちゃかめっちゃかよ。余計な手間を増やしてくれちゃって。詫びの言葉の一つくらい欲しいわね」
「悪いことをしたな。エラルドは有力な資金源だった。それに、ノイネ ヴェルトを混乱させる狙いもあった」
確かに、その目論みは上手くいっている。ノイネ ヴェルトは今、互いに対する不信感で険悪な空気に満たされていた。
「あのシンイチローとかいう兵器は?」
「あれは拾いものだ。もちろん、エリザの協力なしには手に入らなかっただろうが」
エリザが頬を赤らめて照れる。エリザとヴィレブロルトは、血縁関係はないが家族のようなものだった。エリザの家に、ヴィレブロルトは養子として貰われた。いつからかはフロレンツィアも知らないが、エリザはずっとヴィレブロルトに対して片想いを続けている。ノイネ ヴェルトに所属したのも、ヴィレブロルトを追いかけてのことだった。
フロレンツィアは小さく溜息をついて、それで、と話を続けた。
「今日わざわざ私たちに会いに来てくれたのは?」
「行動を始める時がきた。協力して欲しい」
「……」
一同の顔が、緊張で引き締まる。
「そう、思ったより早かったわね」
「そちらの準備は済んでいないのか」
「いえ、だいぶこちら側に引き込めている。十分よ」
フロレンツィアは組織内部で協力者を集めていた。ノイネ ヴェルトを打倒するための協力者。
ヴィレブロルトはノイネ ヴェルトの外で、フロレンツィアは中でそれぞれ革命のための準備を進めていたのだ。
外部に協力者がいることはエリザから知らされていたフロレンツィアだったが、それがヴィレブロルトだとは知らなかった。ジェイからヴィレブロルトのことを聞いた時にもしやと思ったが、その通りだったようだ。
「あなたがノイネ ヴェルトに攻撃を始めれば、それを合図に一斉に寝返るでしょう」
「そうか」
ヴィレブロルトとフロレンツィアは、どうしても作戦を急ぐ必要があった。それは、ノイネ ヴェルトがアルテミスの開発に成功したことに大きく関係している。アルテミスの誕生によって、これから組織は大きな変革を迎えるだろう。
今までも、ノイネ ヴェルト内での反乱は何度かあった。ノイネ ヴェルト本部を誕生の地であるドイツから日本に移設したのも、対策を講じても度々起こる反乱に疲れたノイネ ヴェルトが組織を一新する為だった。
ノイネ ヴェルトは、反乱を無くすためには組織の人員を全て機械化すればいいと考えた。しかし、量産可能な機械であるソーマは複雑な動作ができない。自律機能を破壊され、単純作業しかできなくなったソーマには、現場での高度な判断能力が求められるシャドーの代わりやその管理者など到底任せられなかった。
手術を改良して、自律して動き、最適な行動や高度な作戦を考え出せるロボットを生み出そうと苦心したが、そうするとどうしても余計な感情が残ってしまう。匙加減が難しい。
少しでも余分な感情が残れば、せっかく苦労して研究を進めても反乱の芽は残ってしまう。
大人の脳は複雑すぎた。完全に感情を消すことなど到底できなかった。
ノイネ ヴェルトは方針を転換し、コストはかかるが誕生して間もない赤子を手術し、それを育て上げる方法をとった。
赤子の脳は未熟で、立つことはおろか自分のエサを探すことすらできない。その分、大人の脳より手術が簡単だった。不必要な部分だけ切除し、成長させなければいいのだ。
この研究は非常にうまくいった。その結果生み出されたプロトタイプの第一号がアルだった。
彼女は余計な感情を全く見せず、かつ高度な作戦行動をこなせる。
アルテミスが量産されれば、フロレンツィア達はお払い箱となる。MP処理がなされて記憶を消せないフロレンツィア達を、ノイネヴェルトは恐らく掃除でもするかのように綺麗さっぱり殺し尽くすだろう。
そうなっては、誰も反乱を起こさない。ノイネ ヴェルトは決して揺らがない完璧な組織となる。ノイネ ヴェルトを打ち倒せるものは、世界から消え去るだろう。
アルテミスの欠点は、その生産に時間がかかることだ。赤子を、作戦行動が可能になるまで育てなければならない。
フロレンツィア達は、何としても現在育成中のアルテミスが完成する前に革命を起こさなくてはならなかった。
「こちらも準備はほぼ済んでいる。作戦は……」
三人は来たるべき革命の日に向け、具体的な日程、段取りの他、作戦に必要なことを遅くまで綿密に話し合った。
ヴィレブロルトとの密談が終わり、フロレンツィアはエリザと共にノイネ ヴェルト本部へ車で帰還した。その道中、なんとなく気になってフロレンツィアはエリザに尋ねた。
「ねえ、まだあの男のことが好きなの?」
「え……?」
突然の質問に、エリザはあたふたと取り乱し、顔を赤くして俯いた。
フロレンツィアは嘆息して、一人の友人として口を開いた。
「いい加減、諦めたら? 何年片想いやってんのよ。向こうは結婚までしたっていうのに」
「そうだけど、あたしは信じてる。彼はきっと、私の許へ来てくれる。きっと、全部終わったら……」
「はあ……」
溜息をつくと幸せが逃げていくらしい。私は今日一体幾つの幸せを失ったのかしら。
フロレンツィアは内心で愚痴った。
心配してあげた自分が馬鹿みたいだ。このどうしようもない女には何を言っても初めから無意味だったのだ。何が、信じてるだ。意味が分からない。