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Last Days  作者: おもち
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6 理想 ―ヴィレブロルト―

 エラルド抹殺の任務を終えてノイネ ヴェルトの基地に帰ってきたジェイは、ローレンツの姿を探した。どうしても尋ねたいことがあったからだ。

 シンイチローとヴィレブロルトのことをフロレンツィアに報告したジェイは、この件については決して他言するなと言い渡された。

 いつもならどんな事態が起きても余裕たっぷりに、優雅な微笑みを浮かべながらジェイの報告を聞くフロレンツィアが、今回は見たこともないような厳しい表情でジェイの語る話を聞いた。そしてその事実はノイネ ヴェルトの高位な情報戦略に関わる、極めてデリケートな問題であり、下手をすればジェイの今後の処遇にも関わるため、軽はずみな行動は慎むよう警告したのだった。

 その時のフロレンツィアの物憂げな様子から、ジェイは事態の深刻さを悟った。

 もちろん、ジェイはローレンツにヴィレブロルトに会ったなどと言うつもりはない。ただ、ヴィレブロルトがどんな人物で、何を考えているのか、些細な手がかりでも手に入れたいと思ったのだ。

 理屈で割り切れない、ほとんど野性的な直感がジェイに告げている。近い将来、ヴィレブロルトは再びノイネ ヴェルトの前に、そして自分の前に立ちはだかるだろう。その瞬間のために、少しでも情報を得る必要を感じた。

 ヴィレブロルトの人柄がどうだったかローレンツに尋ねるくらい、フロレンツィアの言う軽はずみな行動には当たらないだろう。ヴィレブロルトは既に死んだことになっているのだから。

 本当は人間離れした機動力を持つ、シンイチローと呼ばれていたあの兵器についても尋ねたかったが、ローレンツに訊いたところで有用な情報が得られるとは思えないし、流石に不自然だ。まず、ヴィレブロルトについて知りたい。

 ジェイの持つヴィレブロルトについての知識は微々たる程度だった。

 ヴィレブロルトはローレンツの相方だった。ジェイとアルが共同で任務に当たっているように、ローレンツが作戦を遂行する時に組むパートナーのシャドーがヴィレブロルトだった。当時、二人は文句なくノイネ ヴェルトの最強の切り札たるタッグだった。他のシャドーが何人も失敗して命を落としていた難しいミッションを、二人は必ず成功させた。シャドーになるための訓練中だったジェイも、そんな二人に憧れを抱いていたものだ。

 ジェイはローレンツから訓練を受けていたから、ローレンツとは毎日のように会話をしていたが、その相棒であるヴィレブロルトとはほとんど会話をしたことがなかった。そもそも、ヴィレブロルトは無口で、必要に迫られない限り誰とも話そうとしない男だった。

 そんなヴィレブロルトと交わした数少ない言葉の中で、唯一ジェイの記憶に残っていたのは、ヴィレブロルトの話すノイネ ヴェルトの存在意義についてだった。

 ジェイは物心ついた頃からノイネ ヴェルトに居て、シャドーになるための訓練を受けていた。そのために、組織の外の世界のことを知る機会がジェイにはほとんどなかった。当然、ノイネ ヴェルトの登場によって世界がどう変わったかなど知る由もなかった。

 ノイネ ヴェルトが一体世界にとってどんな存在なのか知りたいと思ったまだ幼いジェイは、自分の教師たる男にその疑問をぶつけようと、ローレンツのよく通うバーを訪れた。

 その時、バーにはローレンツの姿はなく、代わりにヴィレブロルトが席について、チーズをつまみに深く暗い真紅の色を湛えるワイングラスを傾けていた。

「ローレンツを探しているのか」

 小さなジェイに向かって、ヴィレブロルトが尋ねた。

 ジェイはヴィレブロルトに対して漠然と怖い人だという印象を抱いていた。別段何かされたことはなかったが、いつも仏頂面でジェイと目を合わせても固く唇を引き結んだままのヴィレブロルトは、ジェイから見るとわけもなく自分に対して怒っているようで、あまり二人きりになりたくはない相手だった。

 尋ねられたジェイは、何か叱られるのかと萎縮してしまい、恐る恐るというように頷いた。

 そんなジェイの様子などお構いなしというように、ヴィレブロルトは淡々と話した。

「ローレンツは今は外出中だ。別に作戦中というわけではないから、そのうち帰ってくるだろう」

 少しだがはじめてまともに言葉を交わして、ジェイはヴィレブロルトが自分の思い込みより恐ろしい人間ではなかったのではないかと考えた。

 人間は時として、幼い頃の方が正確に相手の人物を見極めることができる。

 加えて、その頃のジェイはまだ自分の直感を疑うことを知らなかった。

 ジェイは自分の感じたヴィレブロルトを信じ、いい機会だから何かしら話しかけてみようと思った。

 バーの背の高い椅子によじ登り、ジェイはママにグレープフルーツサワーを頼んだ。

 一分も経たずに、ママはジェイにミルクの入ったコップを出した。ジェイが顔を上げてママを睨むと、ママはそっぽを向いてコップを拭いている。気が付かなかったが、今日のママはジェイの嫌いな方のママだった。

 ノイネ ヴェルト基地内のバーには二人のママがおり、交代しながらバーを経営している。片方のママは未成年のジェイにも酒を出したが、今日顔を出している方のママは決してジェイにアルコールの類を飲ませなかった。

 背伸びしたい年頃のジェイにとって、それは嫌がらせ以外の何物でもない。

 今日は隣にいつも抗議してくれるローレンツもおらず、ジェイは渋々コップに入っているミルクに口を付けた。

(とっとと死んじまえババア)

 憎しみを込めてママを睨みつけるが、ママはそんなジェイをきっぱり無視した。

 ジェイは抗議を諦め、緊張気味にヴィレブロルトに声をかける。

「……ちょっと、訊きたいことがあるんだけど」

「なんだ」

 ジェイは少し驚いた。てっきり、無視されるかうるさいと怒鳴られるかどちらかだろうと思っていたからだ。

 最初はノイネ ヴェルトについて訊きたいと思っていたが、そこで興味の対象が変わった。ヴィレブロルトについて訊きたい。しかし、いきなりヴィレブロルト本人について尋ねる度胸は流石になかったジェイは、少しズレた質問をした。

「ローレンツは、何でノイネ ヴェルトにいるの?」

「本人に訊いたらどうだ」

 即答だった。それだけで、ジェイはノックアウトされた気分だった。無謀な冒険を試みた少し前の自分を恨む。今すぐ逃げ出したかった。

「あいつは、昔はアメリカ軍の海兵隊だった」

「え……?」

 ジェイがどうやったら自然にこの場を去れるか考えを巡らせていると、ヴィレブロルトがポツリとそう言った。一瞬何の話か分からなかったが、すぐにローレンツの話だと分かった。

「最前線で、あいつは現代の戦争をいくつも見てきた。色々、思うところがあったんだろう」

「そっか……」

 ジェイはローレンツの話より、ヴィレブロルトが自分の質問に答えてくれた事に感動した。ここにきて、ジェイはヴィレブロルトを完全に信頼した。

「じゃあ、ヴィレブロルトさんは何でノイネ ヴェルトに? やっぱり、戦争を止めたかったから?」

「いや、俺は戦争よりむしろ犯罪を憎んでいる」

 酒が入ったヴィレブロルトは、いつもより少しだけ饒舌だった。

「犯罪の中でも、俺は麻薬を捌いている奴らを消し去りたい。麻薬商人ほどあくどい商売をやっている連中はそうはいない。少し調べてみるといい。奴らは地球の裏側に住んでいる真っ当な人間すら地獄に叩きこんで、代わりに莫大な金を稼いでいる。しかも奴らは利口で、世界の隅々まで深く根を下ろしている。ノイネ ヴェルト以外に、奴らを撲滅できる機関はないだろう」

「ふーん」

 ジェイはヴィレブロルトの意外な雄弁さに驚きながら、彼の語る麻薬組織について考えてみた。麻薬売買についてはジェイもある程度の知識を持っていたが、特別に詳しく知ろうとしたことはなかった。時間があるときに、色々と調べてみてもいいだろう。

「ノイネ ヴェルトは、戦争とか犯罪をなくすために活動しているんだね」

「そうだ」

「じゃあ、ローレンツ達は良いことをしているんだ」

 何だか、ジェイは嬉しかった。憧れの二人が、正義の味方のように思えた。そして、自分も二人のようなシャドーに一刻も早くなりたいと思った。訓練は辛いが、明日からは積極的になれるかもしれない。

 しかし、ヴィレブロルトは複雑な顔をした。ほんの少し、苦笑いを浮かべているように見えなくもない。ジェイは、どうしてヴィレブロルトがそんな顔をしているのか分からなかった。

「ジェイ、世界はそんな単純にできてはいない」

「…………」

 ジェイには、ヴィレブロルトの話す言葉の意味が分からなかった。そして、少し不愉快だった。何となく、自分の好きなヒーローを冒涜されているような、そんな気がしたのだ。

「例えば、さっき言った麻薬組織の撲滅。実現すれば確かに誰かを救えるだろうが、逆に不幸になる人もいる」

「不幸に?」

「そう。一番は、麻薬を生産している人々だ。彼らはとても貧しい。麻薬の原料を生産して麻薬組織に売って、その金で食いつないでいる人々が世界にはごまんといる」

「じゃあ、麻薬組織を倒したら、その人達はどうなるの?」

「どうもできない。恐らく、たくさん飢え死にするだろう」

「そんな……」

 ジェイは訳が分からなくなった。それなら、ヴィレブロルトはたくさんの人を飢え死にさせた極悪人になってしまう。

「言ったろう。世界は複雑なんだ」

「じゃあ、ノイネ ヴェルトは何のために活動しているの?」

 ジェイは泣きそうだった。

「理想のためだ」

「理想?」

「ジェイ、どう足掻いたところで、誰かが不幸になってしまうんだ。でも、それで諦める必要はない」

「…………」

「さっきの麻薬の話だってそうだ。忘れてはいけないのは、こうしている今も、世界中に、確実に麻薬組織のせいで不幸になっている人々が沢山いるということだ。俺は彼らを救いたいと思っている。もしかしたら、麻薬組織を潰したところで彼らを救うことはできないかもしれない。不幸になる人の方が多いかもしれない。しかし、救える人はいる。これから麻薬組織のせいで不幸になるはずだった人々も、救える。ジェイ、大事なのは誰を救いたいかなんだ。そういうものを理想という。誰も彼も救いたいなんていうのは、妄想に過ぎない。誰かが、もしくは組織が、もしくは国が、それぞれの理想を掲げて、そのために行動して、衝突して、そうやって世界は回る。ノイネ ヴェルトも、そのうちの一つに過ぎない」

 幼く、経験も少ないジェイは、ヴィレブロルトの話を理解することは到底できなかった。しかし、ヴィレブロルトが伝えたかったことは朧げながら掴めた気がした。

「難しいんだね」

「そうだ。世の中は難しい。だから、今すぐ分かる必要はない。だが、きっといつかお前にも分かる日が来るだろう」

「うん」

 空になったコップを置いて、ジェイは飛び降りるように椅子から降りた。

「ありがとう、ヴィレブロルトさん」

 ヴィレブロルトは、何も答えなかった。ジェイなど初めからいなかったように、変わらず静かにワインを飲んでいる。

 しかし、ジェイはもうそんなヴィレブロルトを怖いと思うことはなかった。とてもいい人だ。ローレンツも、だからヴィレブロルトを相棒にしているのだろう。

 ジェイはそのままバーを後にした。

 その日から、廊下でヴィレブロルトとすれ違うたびに、ジェイは短く挨拶するようになった。

 ヴィレブロルトは相変わらず、むすっとした表情のままジェイに返事することはなかったが、ジェイはもうそんなことを気にすることはなくなった。



「ローレンツはただ今シャドー候補生の訓練のために出払っています。帰還するのは、一週間ばかり後です」

「そうですか」

 事務でローレンツの不在を知り、ジェイは諦めて自室に向かった。

 ジェイはふと、ヴィレブロルトの話していた理想について考えてみた。こんなことは、久しく考える機会がなかった。もしかしたら、シンイチローにお説教されたのが効いているのかもしれなかった。

 ヴィレブロルトはいつか分かると言っていたが、ジェイは未だにヴィレブロルトの話の全てを納得できたわけではなかった。

 それは、ジェイがまだ自分の理想を手に入れていないからに違いない。

 いつか、こんな自分も理想を抱くのだろうか。

 未だ、自分に理想はない。自分はスイッチを入れられた電化製品と同じだ。しかし、理想がないならないで、ノイネ ヴェルトの理想に協力するのもいいだろう。

 ジェイはそんな風に結論して、それ以上小難しいことを考えることをやめた。

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