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Last Days  作者: おもち
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4 初恋 ―ハート・メカニズム―

 ジェイが初めてアルに出会ったのは、異動によってフロレンツィアの管轄下に配属された時だった。フロレンツィアはアルを、これから共同で任務にあたるパートナーだと言って紹介した。その時の印象を、ジェイは今でもよく覚えている。

 小柄で、華奢な肉付き。肌は作り物かと思うほどに真っ白で、口元や頬などほんのりと赤みを帯びた部分を一際際立たせた。肩のあたりまで伸びた眩しい金色の髪は少しウェーブがかっている。ぞっとするほど美しい少女だった。

 冬の刺さるような冷たさを感じさせる彼女の容貌の中で、最も凍てついていたのはその紺青の瞳だった。吸い込まれそうなその瞳は、世界を反射して映すだけで何かを視ているようには見えない。

 しばらく魂を抜き取られたかのようにポカンと口を開けて棒立ちしていたジェイは、ハッとして我に返り、「よろしく」と一言伝えた。しかし、少女は待てども返事を返さないばかりか、表情一つ動かさない。奇妙な沈黙が辺りを包み、居心地の悪くなったジェイが助けを求めるようにフロレンツィアの方を見ると、フロレンツィアはプッと吹きだして笑った。

「アルテミス、挨拶されたら返すものよ」

「……よろしく」

 諭されたアルが、短く言葉を紡いだ。ジェイは、目の前の少女が精巧な置物ではなかったことに少しばかりの安心を感じた。良かった。どうやら言葉は話せるらしい。

 その後、ジェイはアルについての簡単な説明をフロレンツィアから受けた。アルは、人間に手術で手を加えて生み出したアルテミスと呼ばれる兵器だった。手術内容は至ってシンプルで、人間から感情を奪ったというだけだった。

 その時は、ジェイはその説明以上にアルに対して何か関心を持つようなことはなかった。アルについて本格的に興味を持つようになったのは、アルとの最初のミッションに当たった時からだった。

 アルとの初めての作戦は、中東のとある土地に身を寄せ合っていた反政府組織を撲滅するというものだった。テロリスト達を全員抹殺するだけではなく、死体を処理した上、集められた武器や生活の痕跡まで綺麗さっぱり除去し、その土地に誰かがいたという事実ごと歴史から抹消するという内容だった。

 その土地にはテロリストだけでなく、普通に日常を送る人々も住み着いていた。人々は民族、宗教的な親しみからテロリスト達に協力的ではあったが、テロ自体に関与することはなかった。しかし、作戦の都合上彼ら全員を殺害する他ない。女子供含めて。一点でも新たな紛争の火種になったり、世界に違和感を残すような点が残ってはいけないのだ。慣れ親しんだ土地を追われる難民、身寄りのない小さな子供などもっての外だった。その土地では、十分な福祉環境などないからだ。

 泣き声を上げる他何もできない無力な赤ん坊を殺すときには、ジェイも流石に思うものがあった。ジェイはプロであるから、感傷に浸って無意味な行動に走ったり、油断を生じさせるようなことはなかったが、チクリと胸に刺さるような罪悪感を誤魔化すことはできなかった。ジェイも分かっていた。その子らにとってはこの場で生き残ってしまうことの方が不幸なのだ。助けたところで、数日のうちに飢え死にする他ない。

 作戦を終えた後の帰りの飛行機の中で、ジェイは自分の隣の座席で静かに眠るアルの横顔をしげしげと眺めた。

 少女は感情がないと説明を受けていたが、具体的にはどうなのだろう。今回の作戦で、少女は目の前で絶命する人々を見た。泣きながら逃げ惑い、絶望に、悲しみに、怒りに叫ぶ人々の声を聞いた。死体の焼ける不快な臭いを嗅いだ。火の粉の舞う空気を肌で感じた。その手で多くの命を奪った。

 シャドーとして任務に当たり、それなりの年月が経っていたから、ジェイも普通ならそんなことを一々振り返ったりしない。しかし、隣にいる少女が、自分とは大きく感性が異なっているであろう少女が、どんな風に物事を感じるのか、ジェイは俄然興味を引かれた。

 子供のような好奇心だったが、誰に迷惑をかけるでもなし、ジェイは色々と試してみようと考えた。

 感情がない、とは実際どういう事なのか。自分とどこまで同じで、どこから違うのか。

 ある日、ジェイは氷を持ってきてアルに握らせた。

「冷たい?」

 アルは頷いた。神経は通っているのだ。考えてみれば、当たり前かもしれない。ということは、きっと傷つけられれば痛みも感じるのだろう。

 別の日、ジェイは二枚の猫の写真を手に、アルを訪ねた。まず、可愛らしい子猫の写真をアルに見せる。

「可愛い?」

 アルは頷いた。

 続けて、病気になり、毛の抜けてしまった猫の写真を見せた。

「こっちは?」

 アルは首を振った。

 次に、先程の可愛らしい子猫の写真をもう一度見せる。

「この子、飼えるなら飼ってみたい?」

 アルは何も答えなかった。

 それから、ジェイは時々脈絡もなくアルに声をかけ、取るに足らないような質問を投げかけるようになった。アルはそんなジェイを鬱陶しがるようなことはしなかった。アルはジェイの問に、短く簡潔に答えた。何も応えないこともしばしばあった。ジェイは、それも一つの答えなのだと解釈した。

 いつの間にか、アルに質問することはジェイにとって、単なる興味から楽しみに変わっていた。次はどんなことを訊いてみようかと、胸を躍らせて考えるようになった。

 ノイネ ヴェルトには、ジェイと同年代の人間はほとんどいなかった。大体は年上だ。アルはジェイの、数少ない同年代の話し相手だった。

 また別の日、ジェイはアルを一軒のラーメン屋に連れて行った。ジェイがその店に行くのは、二回目のことだった。初めて訪れた時からずいぶん経っていたが、とても美味しかったことを憶えていた。

「合わせ味噌二つ。バター乗せて下さい。あ、あと、唐揚げ一皿」

 店員にそう伝え、出来上がるのを待つ。唐揚げを頼んだのは、試したいことを思いついたからだ。

 しばらくして、ラーメンが二つ、盆に載せられて運ばれてくる。

 香ばしい匂いを楽しみ、ジェイは割り箸を割って、麺を思い切り啜った。

 ふと隣を見ると、アルはほかほかと湯気を上げるラーメンを見つめたまま、微動だにしない。

「あれ、ラーメン苦手?」

 アルは首を振る。

「ああ、食べてもいいんだよ」

 その声に応えて、アルはやっと箸を手にして、麺を啜りだした。一本ずつ。

 ジェイは思わず微笑んでしまった。何だか小動物みたいだ。

「ラーメンは一本ずつ食べるものじゃないよ。こう、ズルズルーって食べるんだ。伸びると不味いから、早く食べちゃわないと」

 言われた通りに、アルは数本を箸で捕まえ、小さく音を立てながら麺を啜り始めた。

 奇妙な満足感がジェイの胸に広がる。

「バターはね、最初は溶かさないんだ。何口か食べてから溶かすんだよ」

 ラーメンについてジェイが何か言うたび、アルは小さく頷いてその通りにした。それが、ジェイには妙に嬉しかった。

 ジェイが食べ終わってからしばらくして、アルも食べ終わる。

「美味しかった?」

 アルがコクリと頷いた。

「唐揚げ、食べてみて」

 言われたアルが、唐揚げに箸を伸ばし、齧る。

 唐揚げは比較的大きく、衣はカリッとしていて、鶏肉は油が滴るほどジューシーだった。味付けも程よく塩っ気があり、しょっぱ過ぎず、食べやすい。

「美味しい?」

 またアルが頷いた。

 ジェイは皿に乗せられていたレモンを手に取り、一つの唐揚げに数滴黄色い汁を垂らした。アルに食べさせてみる。

 一口齧ったアルが、口を押える。滅多に表情を変えないアルが、口を窄めた。ジェイは小さく笑い声を上げてしまった。アルが唐揚げの残りを箸で持ったまま、ジェイの顔を見つめる。

「ごめん。酸っぱかった?」

 コクリと頷くアル。

「レモンかけたのと、かけてないの、どっちがいい?」

 アルは何も応えない。

「じゃあ、レモンかけたのとかけてないの、どっちの方が食べやすい?」

「かけていない方」

「そっか」

 結局、レモンをかけた唐揚げはジェイが食べたのだった。

 食べ終えた二人が店を出る。

「もう一度来たい?」

 アルは何も応えなかった。

 ジェイはまた、アルに色々な話をしてみた。ローレンツから聞いたり、身の回りで起こったことなど、大した事でなくても話した。そして、毎回面白かったか尋ねた。アルはある時は頷き、またある時は詰まらなかったと答えた。

 アルの感じるものについて考えながら、ジェイは自分の感じるものについても考えてみた。

 話をした時、アルに面白かったと言われるとジェイは喜ぶ自分を感じた。逆に、詰まらないと言われると悲しくなる。

 それがなぜなのか考え、ジェイは一つの結論に辿り着いた。

 自分はアルに、恋をしているのだ。

 気付いた日から、ジェイがアルに声をかける理由がまた変わった。

 ジェイはアルテミスをアルと呼ぶことにした。アルテミスとは、開発された兵器に与えられた名称だった。ジェイはアルテミスと呼ぶことに抵抗を感じた。それは、犬を犬と呼び、人を人と呼ぶのと変わらない。彼女を、名前で呼びたかった。『アル』なら、分かりやすいし、呼びやすい。

 初めてアルをアルと呼んだ時、アルはその声に反応して自分の方に振り向いた。ジェイは、そのことを少し不思議に感じたのだった。

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