3 急襲 ―プリパレーション―
※2015/11/07にプロローグ~2までの内容、設定をそれなりに変えました。
読み返さないと話がつながらないので、申し訳ないですが読み直してください
朝日が昇る。都会であるアトランタも、早朝のこの時間帯は人通りは少ない。車はほとんど通らず、ジョギングや散歩をしている人たちが時折見えるだけだ。陽に照らされて街が東から白んでいくのを、エラルドは外の様子を監視するモニター越しにボンヤリしながら眺めていた。
エラルドは昨夜、結局一睡もできなかった。昨日は散々な目にあったが、今日これから身に降りかかるであろう厄難に比べたら然したるものではないに違いない。今まで散々死線を彷徨ってきたエラルドだったが、今回は今までと同じような感覚ではいられなかった。追いつめられ、さらにCIAの協力も失った。命のかかった作戦を前にである。正気を保っていられるだけでエラルドにとっては天恵だった。
エラルドの傍らの椅子で眠っていたヴィルの腕時計が短いアラーム音を鳴らした。ヴィルが目覚める。エラルドは眉をひそめた。よく眠れるものだ。今日死ぬかもしれないというのに。
「そろそろ支度をはじめよう」
ヴィルがそう言い、立ち上がる。つられるようにエラルドも立ち上がった。大丈夫なのかと問い質したい気持ちをエラルドはグッと堪えた。今更何を言おうが状況が好転するわけでもない。もうヴィルを信頼する他ないのだ。いささか不本意ではあるが。エラルドは上着を羽織ってドアに向かうヴィルを追った。
ヴィルとエラルドが部屋から出る。扉のすぐ横で、シンイチローが黒い鞘に収められた刀を片手に持ち、壁に寄りかかって立っていた。
「どうした?」
ヴィレブロルトが抑揚のない声で尋ねる。
「いや、ちょっとエラルドさんが心配でね」
「心配?」
「そうさ」
シンイチローが微笑み、悪戯な目でエラルドの顔をまじまじと覗き込む。居心地の悪くなったエラルドが顔を背け、少し後ずさった。シンイチローがくすくすと笑う。
「ヴィルはいっつも無愛想だからさ。大事な作戦を前にそんなヴィルと長い間二人っきりで居たらエラルドさん参っちゃうかなって思って。思った通りだよ。全くヴィルは、もう少し労わってあげることを覚えないと」
「……」
無言のままのヴィルの隣で、エラルドは無邪気に笑うシンイチローを訝しげに眺めていた。東洋人のわりにはそれなりの身長があり、体つきも逞しい青年のそれだ。歳は20を超えているはずだが、中身はまるで幼い少年のようだった。昨夜見た殺気の持ち主とは到底思えない。それ以前に、目の前の男は本当に傭兵なのか。血生臭い世界とは無縁な純朴さすら感じる。変わり者という言葉で片付けられない不気味さをエラルドは感じていた。ヴィルの方がまだマシだ。
「そんなに固くならないで。エラルドさん。大丈夫。ヴィルは必ずエラルドさんを空港まで届けてくれるよ。安心して。緊張しすぎるとうまくいくこともうまくいかなくなっちゃうよ」
「……」
「そうだ。面白い話があるんだ。ちょっと前の話だけど、日本で仕事があったときにヴィルと寿司屋に行ったんだ。ヴィルってこう見えて結構不器用だから食べようとした寿司をバラバラにしちゃったんだよ。仕方ないから寿司のネタをまず食べて、三つに割れちゃったシャリを順番に食べたんだよね。でも、その一つにわさびがたっぷり塗ってあったんだ。ヴィルわさびのこと知らなかったらしくて、食べた途端、いきなり鼻を摘まんで蹲っちゃったんだよ。しかも勢い余って額を思い切り机にぶつけてさ。凄い音がしたよ。必死に取り繕ってるけど、目の端に涙浮べてんの。いっつも仏教面してるヴィルがだよ? 俺しばらく笑いが収まらなくて、寿司食べるどころじゃなかったよ」
エラルドがぎこちない笑みを浮かべると、シンイチローは満足そうに笑い、「それじゃ、また後で。リラックスだよ。エラルドさん」と言ってビルの非常階段の方へ歩いて行った。
「……あいつとは長い付き合いなのか」
エレベーターのボタンを押したヴィルに、エラルドが尋ねた。
「ああ」
「あいつは何者なんだ。なぜ刀なんて武器を使う」
ヴィルは沈黙で答えた。作戦に無関係な問いには応じないということだろう。エラルドは溜息をついた。
エラルドを乗せたトラックが走り出す。時刻は8:37。作戦開始時刻だ。ホテルの地下駐車場から三台のトラックが出る。縦に並んで走る三台のうち、真ん中のトラックの荷台にエラルドは乗っていた。隣に座り、一台のパソコンを睨むヴィルの付けたインカムから声が漏れる。
「後方より不審車二台。片方はRPGを所持。また、8時の方向よりヘリコプターが向かっています。C班が撃墜します」
「了解」
ヴィルがトランシーバーを掴み、指示を出した。後方より不審車。撃破せよ。
しばらくして、後方から爆発音が聞こえてきた。轟音にエラルドが体を震わせる。荷台は防弾用の分厚い金属に覆われており、外の様子は全く見えない。
「や、やったのか」
「ああ、しかし小手調べのようなものだろう。油断できない」
「奴らの駒はそう多くないはずだ。このまま潰し続ければ……」
「今俺たちにちょっかいを出しているのは全てソーマだ。シャドーはおそらく三人もいないだろう」
「ソーマ?」
「奴らが人間から作り出した戦闘機械のことだ」
短い説明だったが、エラルドにはそれだけで十分だった。奴らは人間をロボットにしたのだ。高性能なロボットを一から作るより、成長した人間を改造した方が余程手っ取り早いのだろう。人間などそこら中にいる。要は、改造に必要な機械さえあればいくらでも生み出せるのだ。ノイネ ヴェルトは今、大量生産した戦闘用ロボットを、まるでゲームでもするかのように操作して自分たちを攻撃しているに違いない。これではいくら倒そうが焼け石に水だ。敵を撃破して高揚した気分が、冷水をかけられたかのように消沈するのをエラルドは感じた。
「か、勝てるのか……」
「勝つ必要はない。ただ空港まで目撃されることなく辿り着けばいい」
ヴィレブロルトたちの作戦の肝はエラルドをアトランタ国際空港まで送り届けることだった。車で30分ほどの道のりだ。
エラルドは先程まで立て籠もっていたビル内で顔や一部の骨格の整形を済ませている。偽装パスポートを用意し、指紋をアルカリで焼き、虹彩を変えるコンタクトを付けた。一度空港内の雑踏に紛れてしまえば、エラルドを識別することはかなり困難になる。今敵がエラルドを認識できる手段は、エラルドの立て籠もっていたビルから空港に向かう者のうちの誰かがエラルドである、という情報以外にない。エラルドが空港にたどり着けば、ノイネ ヴェルトはエラルドに手を出せなくなるだろう。
再びインカムから連絡を受けたヴィレブロルトが指示を出す。今度は横手から轟音が響いた。外の様子は窺えないが、響いてくる音で外の様子が想像できる。大きな物同士が激しくぶつかり合う音だ。撃破した敵の車両に一般車両が何台か巻き込まれたのだろう。
エラルドを乗せたトラックが時速100kmを超える速度で走りながら右へ左へ蛇行し、車体を大きく揺らす。荷台の中で翻弄され、エラルドは後頭部を壁に強かに打ちつけた。呻き声をあげて蹲るエラルドに対し、ヴィレブロルトは何事もないように指示を出し続けている。
ヴィルに連絡しているのは立て籠もっていたビルに残してきたエラルドの戦力だ。CIA職員には手を切られたが、米軍から奪った偵察衛星のコントロールは未だエラルド達の下にあった。
(くそ……)
死に怯えるエラルドは激しい後悔を感じていた。もう二度とノイネ ヴェルトには手を出さないと神に誓いたくなる。こんな風に悔いることは一度や二度ではなかった。その度に、エラルドの頭に愛した妻と娘の姿が浮かんだ。
エラルドの家族はノイネ ヴェルトに殺害されていた。まだ自分が敵に回した組織についての理解が浅かった頃、甘さと油断からエラルドは家族を失った。
エラルドはずっと自責の念に苛まされてきた。未熟だった自分を呪った。自分が迂闊だったから家族は死んだのだ。そして、自分から全てを奪い去った組織に対する深い憎しみが身を焦がした。
恐怖に沈みそうになるエラルドの脳内に浮かぶ妻と娘は、不思議といつも笑っていた。その笑顔はエラルドの幸せの象徴だった。自分の能力のみを信じて、富だけを追い求めて生きてきたエラルドが得たただ一つの安息だった。
帰るべき場所を失ってもうすぐ三年の月日が経つ。
エラルドは唇を噛んだ。
「……奴らを迎え討ち続けられるのか」
道中で敵がシャドーを投入しないとは言っても、こう何度も襲われ続ければ、空港に辿り着く前に殺されてしまうのではないか。
「騒がしい奴だな。迎え討ち続ける他あるまい。こちらの防衛を突破されたらどう足掻こうが死ぬことになる。いい加減覚悟を決めろ。博打なんだ。これは。嫌なら最初から奴らを敵に回すようなことをするな」
「く……」
そんなことは分かっていた。だが確かにヴィルの言うとおりだ。下らない質問だった。問う前から答えは決まっているのだ。
手持無沙汰なエラルドは、じっとヴィレブロルトを眺めることの他やることがなかった。その内、一つの疑問が湧き上がる。
目の前の男は頭が切れる。人間性は信用できないが、能力はある。今まではその程度の印象しか持っていなかったが、ここにきて小さな違和感をエラルドは感じていた。
いくらなんでも、ノイネ ヴェルトのことに精通しすぎてはいないか。
今までも敵の手を読みつくしているように作戦を実行してきた。今回もそうだ。整形を含め、諸々の指示を出したのはヴィレブロルトだった。エラルドも知らなかったソーマの存在を目の前の男は熟知していた上に今回投入されることも読んでいた。
もしかしたら、とエラルドは思った。もしかしたらヴィレブロルトは敵と何らかの繋がりを持っているのかもしれない。それは彼が、敵の手先である可能性もあるということだ。
問い質そうと開いた口を、エラルドは閉じた。ヴィレブロルトの言った通りだ。これは博打だ。投げた賽をもう一度投げなおすことはできないのだ。
エラルドは短く息を吐き、目をつむった。
「来たか」
ジェイは自動車の運転席にもたれながら、入場口に近づく三台のトラックを観察していた。
エラルドの勢力はビルを出発する際、戦力を三つに分散させた。それぞれ三台のトラックから成る三班に分かれた敵戦力は、立て籠もっていたビルから空港までを三つの異なるルートで向かった。ジェイのいる駐車場にはそのうちの一班が到着したのだった。別の駐車場に他の二班も間もなく到着するだろう。
車から降りたジェイがトランクを開ける。
先頭を走るトラックが駐車場に侵入した。続けて二台目が入場口を通ろうとする。
トランクからRPG-7を取り出したジェイが、先頭のトラックに向けロケット弾を発射した。弾は一瞬で命中し、トラックを爆発、炎上させた。黒い煙を濛々とあげるトラックから吐き出されるように、炎に包まれた数人の男たちが転がり落ち、のた打ち回る。
使い終わったRPGを投げ捨て、トランクからアサルトライフルAK74を取り出したジェイが、並ぶ車両に身を隠しながら走り出した。直後、ジェイの乗っていた車が爆発した。敵のロケットランチャーが命中したのだ。
二台目、三台目の車両の荷台を囲う側面が開かれ、溢れるように兵が出てくる。ジャケットで頭を隠す一人の男を守るように囲んだ十人程度の兵達の集団が、飛行場の入り口に向け走り出した。他の兵は集団を離れ、散開してジェイを追いつめようと走る。
駐車場に停まる車のうち、数台の陰から黒服の男たちが姿を表わし、エラルドの兵たちに発砲を開始した。ノイネ ヴェルトのソーマ達だった。辺りはすぐさま敵味方入り乱れる混戦の様相を呈し、怒号と銃声が空間を満たした。
ソーマに向けアサルトライフルを乱射する一人の兵の脳が血飛沫をあげて四散した。崩れ落ちる躯の脇を、ジェイが駆け抜ける。
走り続ける集団の、左側面にいた三人の兵がジェイの持つアサルトライフルのフルオート射撃に薙ぎ払われた。すぐに空いた穴を埋めるように集団が変形し、その内の二人が防弾シールドを展開する。散開していたエラルドの兵たちがジェイに攻撃の的を絞った。ジェイの周辺に停められていた車の窓ガラスが次々と砕け散っていき、車体が蜂の巣のように穴だらけになっていく。
太陽の光を反射させてキラキラと光る細かいガラスの雨の中、ジェイは屈みながら疾走し、集団に迫った。自分を包囲しようと迫る敵を、アサルトライフルの一発一発を的確に敵の急所に撃ちこみ、無力化していく。
大型のリムジンバスに乗ったソーマの一人が、空港に向かって走る集団に向けアクセルを踏みしめた。迫る車両に気付いた集団のうちの一人が慌ててアサルトライフルを乱射する。マガジン一つ分の弾がばらまかれ、一発がソーマの額を撃ち抜き、数発が車両のタイヤに命中してパンクさせた。
運転手が絶命し、タイヤの一つが潰れた車両は大きく進行方向を歪め、停まっていた普通車に躓くように横転して集団の行く手を阻んだ。
目の前に突然現れた障害物に驚き、集団が足を止め陣形を崩した。ジェイが敵の一瞬の隙を見逃さずにありったけの銃弾を撃ちこむ。
完全に態勢を崩され、残り数人となった集団は、ジャケットで顔を隠す男を庇うようにあらぬ方向へ駈け出した。
追い打ちをかけるジェイが走る全員にフルオートの洗礼を浴びせる。倒れ伏した顔を隠す男の頭に銃弾を撃ち込み、確実に殺害できたことを確認すると、散開していた残党の銃撃を掻い潜りながら一台のバイクに向け走り出した。
追い縋る敵を迎え討ちながらバイクに乗ると、ジェイは横転した敵のトラックに塞がれている入場ゲートとは反対側にある出場ゲートから飛び出し、撃ち尽くしたAK74を投げ捨てて駐車場を後にした。
三班に分かれたエラルドの戦力のうち、ジェイとアルが一班ずつ撃破していた。残る一班が向かう駐車場に向け、ジェイの乗るバイクが疾走した。
指示を受けたソーマが自動車でジェイの下に向かい、ジェイのバイクに並走しながら武器弾薬の支給をした。ジェイは手渡された新しいAK74を肩に担ぎ、補充のマガジンを受け取った。
補充を済ませたジェイがしばらくバイクを疾駆させていると、先程と同じ、直列に並んで走る三台のトラックの姿が現れた。反対車線を走っていたトラックは、すでに駐車場の入場口に到着してゲートをくぐり始めている。
前二台が入場を済ませると、最後の一台はゲートをふさぐように停車して兵を降ろし始めた。応えるようにジェイもバイクを降りる。ジェイが停車を済ませている間に、ジェイに補給したソーマの乗る車は突撃を敢行し、敵のRPGに吹き飛ばされていた。
立ち昇る炎と煙に隠れるようにアサルトライフルを構えたジェイが走った。駐車場の方ではすでに銃撃戦の音が響いている。ノイネ ヴェルトのソーマ達とエラルドの軍隊が衝突を始めたのだ。
ジェイはフルオートで着実に敵を薙ぎ払いながら、駐車場内に侵入した。先刻と同様に、ジャケットに身を隠す一人の男を守るようにして走る集団を発見し、追う。
散開していた敵に目を付けられ、集中射撃がジェイを襲った。ジェイはたまらず、近くに停まっていた車の陰に身を隠す。
並ぶ車を影にして、車から車へと跳び移るように集団を追うジェイは、20メートル程先にあるリムジンバスの異変に気付いた。学生の集団だろうか。銃声と硝煙の匂いに包まれ、あちこちの車両から火の手が上がっている駐車場の様子に気が付いていないとでもいうように、彼ら彼女らはバスから次々と下車していく。そして、その手にはアサルトライフルが握られていた。
降り立った学生は、ソーマ達に攻撃を開始した。不意を打たれたソーマ達が次々と斃れていく。
学生達の数はおよそ30人ほど。エラルド側の思いもよらぬ援軍に、形成は一転した。ジェイは己の劣勢を意識し、早々にジャケットで顔を隠す男、おそらくエラルドだろう、を殺害しなければならないと動き出した。
学生達に向け銃を乱射する。数人が銃弾に薙ぎ払われ、血や肉片をまき散らして倒れた。他の学生達は撃たれた同級生など気にも留めずにジェイに向かって攻撃を始めた。怯えたり、悲しんでいる様子は一切ない。ただ機械的に銃撃を繰り返している。
ジェイには、学生達のそんな様相に心当たりがあった。虚ろな、意志を感じさせない目。複雑な挙動をとらず、黙々と単純作業を続ける姿。彼らはソーマそっくりだ。しかしジェイには、敵がソーマを投入する可能性があるとは知らされていなかった。そもそも、ノイネ ヴェルト以外にソーマを生み出す技術を持つ存在など聞いたこともない。この事態は、フロレンツィア、そしてノイネ ヴェルトも予期していなかったのだろう。
学生達はジェイと、空港に向かう集団を分断するように広がり、ジェイに向かって歩き出した。まるで身を隠そうとしない。体を張った防壁であった。散開していたエラルドの兵隊も合流し、ジェイを追いつめる。
いつぶりか分からない焦燥をジェイは感じ始めていた。立場が完全に逆転し、今度はジェイが狩られる側となったのだ。
ソーマは咄嗟に身を守るような、器用なことはできない。ジェイのばらまく銃弾によって為す術なく次々と絶息していくが、圧倒的な数にものをいわせてジェイを着実に追い込んでいった。
AK74の弾が切れる。ジェイは使い物にならなくなったそのアサルトライフルを投げ捨て、腰のホルダーに収められていたサブマシンガン、Vz 61スコーピオンを引き出して応戦した。
撤退戦を余儀なくされ、物陰に隠れながら少しずつ移動するジェイは行き当った倉庫に身を潜めた。
通信機を取りだし、イヤホンを耳にはめる。ジェイの現状は衛星から周辺一帯を監視しているフロレンツィアも把握しているはずだ。何かしらの指令が下されているかもしれないと考えたが、何の指示も送られてきていない。自力で脱出し、安全を確保せよということだろう。
明かりの点いていない薄闇に包まれた倉庫の中でスコーピオンのマガジンを取り換えていると、ジェイは誰かが倉庫に侵入する気配を感じ取った。
貨物に身を隠しながら、ジェイは倉庫の入り口の様子を伺い、一人の男が入り口の真ん中で悠然と立っているのを確認した。シンイチローだ。
倉庫に差し込む光による逆光で、ジェイからはシルエットしか分からない。大柄だが引き締まったその影は、一本の太く、長い棒を持っていた。棒は直線的ではなく、少し反っている。
男が棒を引き延ばす。引き延ばされた棒の中心付近が、光を反射して鈍く光り、倉庫脇のコンクリートの裂け目から咲いていた一輪の花を映した。ジェイはその棒が何なのかすぐに理解した。刃物だ。いや、剣と言った方がいい。その反り具合から、東洋の、刀と呼ばれる剣だということが分かる。男は鞘に収まっていた刀を抜いたのだ。
刀を手にしたシンイチローは、ゆったりとした動作で倉庫の中へ歩いていく。その無防備な姿を不審に思い、ジェイはまず様子を伺うことにした。
シンイチローはジェイに気付いていないようだった。倉庫内に乱雑に積まれている貨物を見渡すように首を左右にゆっくりと回しながら進む。
ジェイは傍に落ちていた小さなコンクリート片を拾い、自分とは反対側の貨物に向かって投げた。コンクリート片が貨物にぶつかって地面に落ち、転がる。静寂に包まれていた倉庫内ではその小さな音も大きな物音となって響いた。
シンイチローがその音に反応して、ジェイと反対の方向を向く。その隙を突くように、ジェイは拳銃SIG SAUER P226を素早く抜き、必殺の一撃を放つ。
その刹那、一瞬で振り返ったシンイチローが刀を大振りに振った。銃弾はその弾道から、確実にシンイチローの胸を撃ち抜いているはずだったが、弾が命中した様子はない。シンイチローは銃弾を刀で切り払ったのだ。
ジェイの居場所に気付いたシンイチローは、ジェイに向け突進した。その速度は、完全に人間のものではない。サバンナに住む肉食獣の狩りのような、常識外れのスピードで迫るシンイチローに、ジェイは驚愕に目を見開きながら、しかし冷静に対応した。スコーピオンを構え、シンイチローに向け銃弾をばらまく。
シンイチローは弾の数発を切り払いながら、大きく跳躍した。人間離れした機動力を持つその男は数メートル上まで舞い上がり、ジェイに向かって落雷した。唖然としながらも、ジェイはスコーピオンの銃口をシンイチローに向けようとする。だが、シンイチローの方が早かった。刀はジェイの振り上げるスコーピオンを上から下に断ち切り、ジェイは咄嗟にスコーピオンを離して手首を寸断されるのを防いだ。
転がるように回避するジェイに、シンイチローが追い縋る。ジェイはSAUERで応戦し、急所を狙って弾を撃つが、全て刀に防がれた。
左手でSAUERを撃ちながら、ジェイは右手でベルトから予備に持っていた小型拳銃、H&K P7M13を取りだした。
シンイチローが弾を切りながらジェイに迫り、刀を振る。SAUERの銃口が切り裂かれ、スプリングがはじけてスライド部分が分解した。
刀を振り切ったシンイチローに、ジェイは小型拳銃の銃口を向けた。シンイチローはジェイの目と鼻の先にいる。グリップを握りこみ、引き金に力をこめる。
ジェイが弾を放つ直前、シンイチローの鋭い蹴りがジェイの鳩尾にめり込んだ。衝撃に銃口があらぬ方向を向き、弾はシンイチローから大きく外れた。
吹き飛ばされたジェイが、背中から地面に倒れる。シンイチローはH&Kを持つジェイの右腕を踏みつけ、喉に刀の切っ先を突きつけた。
「殺さないのか」
ジェイが苦笑いしながら言った。
戦闘時には相手の顔がよく見えなかったが、今は良く見える。ジェイは、自分を見下ろす男が自分と同じ東洋人だった事を知った。
シンイチローの冷たく鋭い眼差しがジェイを射抜いている。
ジェイは死ぬことを怖いと思ったことはなかった。いつ死ぬか分からない自分の生き方を受け入れていた。ああ、その時が来たのか、程度にしか思うところがなかった。今まで多くの命を奪ってきた。自分の番が回ってきただけだ。
しかし、シンイチローはとどめを刺さなかった。ジェイに刀を向けたまま、口を開く。
「お前、ノイネ ヴェルトのシャドーだな」
「……」
ジェイは応えなかった。シンイチローはそれを肯定と受け取った。
「お前は命令されてエラルドさんを狙ったんだな」
「……」
「それが正しいことだと信じてたのか」
「……」
「それとも、言われるがままだったのか」
「……」
「答えろ」
「……」
ジェイは困惑していた。目の前の男は一体何をしたいのか。わざわざ自分を生かしているのに、尋問しているようにも思えない。質問の意図が見えない。
エラルドを殺すことが正しいかなど、考えようともしなかった。考える必要もない。意味のない問だ。強いて答えるなら、正しいかもしれない。フロレンツィアは世界の安全のためだと言っていた。
シンイチローの顔が、悲しそうに歪んだ。ジェイはますます理解できない。
「何が正義かくらい、自分で考えろよ……どうして自分の意志で行動しようとしないんだ。人に操られるがままだなんて、そんなの人間らしくないじゃないか」
「……」
「まあ、シャドーなら仕方ないのかな。あそこは、そういうことを考えさせるようには教育しないから。操り人形が一番扱いやすいから」
「……」
「俺はお前を殺したくない。お前にも、俺と同じように、自由になってほしいんだ」
「……」
何を言っているのだろう。俺と同じように?
「俺もお前と同じように、ノイネ ヴェルトの道具だったんだよ」
シンイチローはジェイの動きを封じたまま語った。
「と言っても、シャドーではなかったのだけど。俺は組織が作った生物兵器だったんだ。強靭な肉体と、優秀な脳を与えられた兵器。たくさん殺したよ。組織に使われるがままにね。でも、ある日考えたのさ。これは、本当に正しいことなのかって。悩んで、俺は組織から逃げ出した。そして、何が正しいのか必死で考えた」
ジェイは少し驚いていた。研究中の生物兵器の脱走については、ジェイも知っていた。人間を大きく上回るその戦闘能力と頭の切れから、事後処理は困難を極めたが、無事に殺害されたと聞いていた。その後、関連する研究はすべて打ち切られたとも。それならば、なぜその兵器が自分の目の前にいるのか。
「なあ、こんなこと、いきなり言われると混乱するかもしれないけど、誰かに言われるがままなんて、絶対にダメだ。操り人形になっちゃいけないんだ。自分で生きる道を決めないと。他人の道具として生きるなんて、惨めだよ」
「……」
シンイチローが微笑む。先程までの殺気を全く感じさせない柔らかな笑みに、ジェイは戸惑いを感じた。数分前まで殺しあっていた相手に向けるような笑みではなかった。
「良かったら、俺と一緒に行かないか。ノイネ ヴェルトは間違っている。彼らは世界を平和にしたと言いながら、世の中を身勝手に捻じ曲げている。邪魔な存在は粛清し、都合の悪い情報を揉み消す。人を人として扱わない。独裁と同じだ。奴らがのさばっている限り、人類は本当の自由と平和を手にできない。お前も、正義のために生きてほしいんだ。自分の正義のために。ノイネ ヴェルトの報復が怖いなら、心配はいらない。力強い味方がいるんだ。最高の革命家だよ。彼なら、君を無駄死にさせない。そして、きっと世界を変えてくれる。俺たちと一緒に、奴らを倒そう。そして、自分の生きる道を、自分で見つけようじゃないか」
ジェイは呆れていた。こんな事態は初めてだ。目の前の男は、自分を説得しようとしている。ノイネ ヴェルトを裏切って自分たち側に付けと、そう誘っているのだ。そして、説得できると本気で信じている。根拠のない自信だ。
そんなことをいきなり言われ、この場で決断しろと言われても、とても無理のある話だった。正義や自由云々、ましてや人類のことなど考えた事もないジェイにとっては、そんな話をされたところでついていけない。そもそも、ジェイは現状に不満など一つもなかった。
どうにか敵の隙を突き、この場を逃れられないかと考えを巡らせていると、ジェイは倉庫に三人目の訪問者が現れた気配を感じた。打開点になるかと、意識をそちらに向ける。
「シンイチロー、撤収するぞ」
倉庫に男の低い声が響いた。訪れたのはヴィレブロルトだった。
「ヴィル、どうして」
シンイチローが明らかな動揺を示す。
ヴィル?
ジェイにはその名前と、今聞こえた声に聞き覚えがあった。
シンイチローがジェイに目を向ける。その眼差しには、再び鋭い殺気が込められていた。
「残念だけど、今すぐに答えを聞かなくてはならなくなった。どうする。俺たちと一緒に来るか、答えろ」
「……」
ここまでか、と思い、シンイチローの目を真っ直ぐに見つめ返すジェイ。その目には、はっきりと拒絶の意志が込められていた。
シンイチローが表情を険しく歪ませ、刀を握る手に力をこめる。その時、ヴィレブロルトの静止の声が張りつめた空気を破った。
「待て」
そう言い放ち、ジェイとシンイチローに向かって歩きはじめるヴィレブロルト。
「ま、待ってヴィル! シャドーに顔を見られたら……」
慌てたように、シンイチローはヴィレブロルトを静止しようとする。狼狽するシンイチローを無視して、ヴィレブロルトはジェイの顔の真横まで近づき、ジェイの顔を覗きこむ。
「ヴィレブロルト……」
ジェイが思わず口を開いた。ジェイはその男をよく知っていた。かつての組織のエース級シャドーであり、反逆の罪に問われて殺されはずの男だ。
「ジェイか。久しぶりだな。ローレンツは元気か」
それ以上、ジェイは何も言えなかった。死んだはずの男が自分に向かって話している。
「お前がこの件を担当していたのか。ということは相方はアルテミスだな。シンイチロー、ここはとっとと退散した方が良さそうだぞ。そいつなら大丈夫だ。こちら側の手の者だ」
シンイチローはヴィレブロルトに言われ、渋々と言ったようにジェイを解放した。
(こちら側? どういうことだ)
状況が呑み込めず、混乱するジェイはへたり込んだまま、去っていく二人を眺めている他何もできない。
「何でヴィルがここに来たのさ。計画は上手くいったんじゃないの?」
「いや、失敗した。エラルドは殺された」
「なっ」
シンイチローが驚愕に目を剥いた。
「敵の方が一手上手だったということさ」
「どうして……どうやって敵はエラルドさんを見つけ出したんだ」
「……」
ヴィレブロルトには分かっていた。敵は記憶除去を使ったのだ。恐らく、空港周辺一帯に渡航先に関する記憶でも奪うように記憶除去を行ったに違いない。エラルドには、いや、エラルドだけにはMP処理が施されていた。ノイネ ヴェルトが空港内の監視カメラの映像を手にしていたなら、挙動の違いからエラルドを特定できただろう。
ジェイの方へ振り返ったシンイチローが、苦虫を噛み潰したような顔でジェイを睨んだ。その表情が雄弁に語っている。先刻の話をよく考えろと。
結局、ジェイは、二人を見送る他に何もできなかった。
シンイチローとヴィレブロルトが倉庫を去ってからすぐに、ジェイはアルに合流した。
エラルドを殺害し、任務を果たしたアルが乗る車の後部座席には、一人の気絶した男が縛られて横たわっていた。
「アメリカの特殊部隊員よ」
アルが短くジェイに伝えた。