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Last Days  作者: おもち
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2(二訂版) 離反 ―ブラッディ・ムーン―

 アメリカジョージア州、アトランタ。古くから鉄道交通のハブとして栄えてきたこの州都は、現在では多数の大企業が本社を置く南部の中心的都市となっている。そこには南北戦争の爪痕など見る影もない。反面、中心部から少し外れると緑が広がり、田舎情緒あふれる風景が残っていた。南部特有の温暖な気候によって、秋分が過ぎても蒸し暑い夜が続く。

「クソ! どうなってやがるんだこの国は!」

 エラルドは乱暴にテーブルを叩き、頭を抱えた。目の前に置かれたノートパソコンのディスプレイに、協力関係にあるCIA職員から送られてくる情報が次々と表示されていく。米軍の名立たる特殊部隊が着実に自分を追いつめている。この国の内部で軍が行動を起こすなど前代未聞だった。なりふり構わず自分を追う巨大な敵の姿に、逃れようのない恐怖が心を凍らせていく。

 かつてこの国は世界を思いのままに動かす神に等しき存在だった。それが今では他国の犬に成り下がり、他国の身勝手な利益のために自分を狩ろうとしている。

「ジャップめ……クソ!」

 左手に掴んだハンバーガーを噛みちぎり、歯軋りするように咀嚼する。背もたれに寄りかかり、カーテンの向こうで淡く光っているであろう月を睨みつけた。最近は朝から晩までジャンクフード続きだった。

 エラルドは今の世界の平和が作り物であることを知る数少ない人間の一人である。軍事目的の精密機器で財を蓄えてきたエラルドだったが、いつの間にか平和が世界を覆ったことで彼の事業は破綻に追い込まれた。以来、エラルドは世界を牛耳るノイネ ヴェルトを崩壊させるために尽力してきたのだった。事業崩壊の混乱に乗じて財産を持ち逃げし、私設軍隊作成のほかノイネ ヴェルト打倒のための経済援助を惜しまなかった。

「…………」

 不機嫌な表情のまま頬杖を立ててハンバーガーを噛み続けるエラルドがチラリと向けた視線の先では、壮年期を迎えたばかりであろう男が背もたれに体を預けて黙々と雑誌のページを捲っていた。純白のワイシャツの上で、緩められたネクタイがだらしなく垂れている。エラルドの焦燥とは裏腹に、その男は特に何か感じた様子もなかった。最近雇った傭兵の一人、ヴィレブロルト・スミッツだ。

「……おい」

 エラルドが低く唸るような声で、緊迫感のないそのオランダ人に声をかける。ヴィルは雑誌から目を逸らすことなく「何だ」と一言答えた。

「何だ、じゃない。明日の計画は本当に大丈夫なんだろな。空港に向かう途中、奴らは必ず来るぞ」

「そんなことは分かっている」

「大丈夫なのかと訊いているんだ」

「大丈夫だ。陣取りは既に決めてある。空からだろうが狙撃だろうが問題ない」

「……ふん」

 本当だろうなとエラルドは内心で毒づく。東洋人の男とタッグを組んでフリーの傭兵をやっているこの男を雇ったのは比較的最近のことだった。単なる一時的な戦力増強を目的としていたが、ノイネ ヴェルトに目を付けられてからはこの二人に何度も窮地を救われた。だから、エラルドも二人の実力を疑っているわけではなかった。しかしその人柄が気に食わない。東洋人の方ではなく、目の前の男、ヴィレブロルトの人柄が。優秀な策略能力を持つその寡黙な男は、いつもどこか遠くを見ているようだった。作戦考案中も、実行中も、目の前の事案を処理しながら、常に何か別のことを考えているようにエラルドは感じた。周りから一歩引いたような気取った振る舞いも、昏い瞳の奥で何を考えているのか分からないところも虫が好かない。だが成果を出し続けている手前下手に首を切っては自分の身が危ないし、その腕には確かに信頼がおけるからこうして自らの傍らに置いているのだった。

「っ……」

 ハンバーガーを咀嚼していたエラルドが突然口を押えた。

「どうした」

 怪訝そうにヴィレブロルトが尋ねる。

「な、何でもない」

 取り繕うようにエラルドが姿勢を直す。しかし、浮かない顔で頬を押さえたまま、ハンバーガーを口にしようとしない。

 しばらくエラルドを眺めていたヴィレブロルトが、興味を失ったように雑誌に目を戻した。

 エラルドは咀嚼中に頬の内側を噛んでしまったのだった。エラルドは逃亡のため、整形を行っていた。顔の骨を削られ、何気なく表情を変えるだけで違和感を感じる。物を食べることすらまだ不慣れだった。

 口内の傷に舌を這わせ、顔をしかめるエラルド。こういった日常の不自由一つ一つがエラルドの鬱憤を溜めていくのだった。

 ヴィルは相変わらず、ただ雑誌をペラペラと捲っている。エラルドは溜息をついてカーテンの方へ目を向けた。

 かつてエラルドは月を眺めることが好きだった。晴れている夜に見えるくっきりとした月も綺麗だが、うっすらと雲に覆われ、ぼんやりと辺りを照らす月が一番のお気に入りだった。薄い雲に覆われた月は、時折虹色の光を放つのだ。月が太陽の光を反射して輝いているということも、エラルドが月を好いている理由の一つだった。大学を卒業してすぐに祖国を離れてアメリカに渡り、比較的若いうちに巨大財閥のCEOにまで上り詰めたエラルドには自分自身が太陽のように輝いて見えた。休日の夜、家の庭に置いたテーブルを妻と二人で囲み、ビンテージワインの入ったグラスを傾けながら眺める月は、まるで自分の放つ光を反射して光っているように感じられた。しかし、落ちぶれた今では月が視界に入るたびに不快な気分になる。真っ暗な世界で、頼りない光を放ちながら厚い雲に隠されていく月がまるで自分のように感じられた。

 感傷的な気分に浸っていたエラルドを揺するように個室のドアがノックされる。短く返事をすると、配下の護衛が入ってきた。

「閣下。ミスターパスカルが閣下と明日の件で相談したいことがあるとのことです」

「今更何を……」

 憎々しげに呟いてハンバーガーの残りを口に放り、立ち上がる。最近、運動不足が祟って立ち上がるのも億劫だった。チラリとヴィルの方を伺う。雑誌を読んでいたはずのヴィルが、エラルドに目を向けていた。視線が合う。その瞬間、得も言われぬ不穏な気持ちが胸に広がり、エラルドは慌てて視線を逸らした。

(何だ? 今の感覚は……)

 胸の動悸が頭蓋の中で響き渡る。いけない、と頭を振って得体のしれない不安を振り飛ばした。CIAの連中には弱みを見せられない。見捨てられる可能性がある。気持ちを切り替えなくては。

(そうだ。この国のこのザマについて一言言ってやろう)

 エラルドは護衛を連れ、CIAの協力員のいる部屋の元へ向かった。



 エラルドが立て籠もったアトランタ中心部の高層ビルから7キロほど北にある小さなホテル。その一室で、ジェイはベッドの上に仰向けになって寝ながらデバイスに表示される文章を確認していた。ガラスのように透明な薄い板の上に、今回の作戦概要を示す文章が表示されている。エラルド抹殺のための作戦である。

 明日の作戦はスピードが肝だ。寸分の迷いが命取りになる。

 傍らで静かな寝息を立てるアルをチラリと見るジェイ。薄手の掛け布団からはみ出た、微かな膨らみの先にある薄紅色の突起が穏やかな周期で上下している。その年相応の、あどけない寝顔を見てジェイは思わず笑みをこぼした。今まで多くの人間を殺害してきた少女の寝顔とは到底思えない。


 アルが眠りにつく前、二人でベッドに寝転がりながらジェイはアルに中央アジア西部にある塩湖の話をしていた。アラル海と呼ばれるその湖はかつて世界で四番目に大きな湖だったが、ソ連の推し進めた灌漑事業の結果流れ込む水の量が大きく減って干上がってしまい、今では見る影もないほど小さな湖になったらしい。干上がった部分は土壌の塩分濃度が高いせいで砂漠になってしまい、かつて魚を取って暮らしていた人々は枯れ果てたその地を捨て去って行ったそうだ。そこでは、たくさんの船が不毛の大地に捨てられ、砂に埋まっているという。

「俺はその砂漠に行ってみたいんだ」

 ジェイのその言葉に、アルは何も応えない。アルは基本的に何もしゃべらない。せいぜいフローラに任務の報告をする時ぐらいだろうか。アルがまともに口を開くのは。何か尋ねても、大抵は頷くか首を振るかだけで済ませてしまう。

 アルと二人きりになったとき、ジェイは時たまアルに『行ってみたい場所』の話をした。地図や写真集、本でしか知らない場所で、それらは世界中に散らばっていた。自分の置かれている境遇上、そんな場所に行くことができるなんてジェイも思ってはいない。しかし地球上のどこかにある見たこともない風景を、そしてそこにいる自分を想像する事はそれだけで楽しめたし、誰かにそのことを話すだけで十分満足できた。

 アルは喋らないから、いつもジェイが一方的に話したい事を話す。アルは黙って、表情も変えずジェイの話を聞くだけだ。それでも、アルはジェイの話の途中で寝てしまったり、別の場所に行ってしまうようなことはなかった。例外なく最後まで、ジェイの脈絡もオチもない、ただ願望を並べただけの話をアルは聞いた。ジェイにはそれが不思議だったが、喜ぶべきことだし、それほど気にしていなかった。

「砂漠の上に船が転がっているなんてちょっと不思議じゃないか。捨てられた船を見ながら、ただ砂漠の上を放浪してみたい。きっとどこかおかしな世界に迷い込んでしまった気分になるんだろうね」

 いつものように、「それだけだけど」と言って話を終え、ジェイは短くキスしてから部屋の明かりを常夜灯に切り替えた。


 しばらくジッとアルの寝顔を眺める。以前からジェイにはアルに尋ねたいことがあった。今のようにアルの顔を眺めることができる時にいつも頭をよぎる疑問。その返答を聞くのが何故か怖くて、まだ訊けていない。アルの目には、世界はどう映っているのだろう。自分はどう映っているのだろう。アルを抱いている時の自分、作戦行動中の自分、向かい合って食事をしている時の自分、何気なく施設内ですれ違う時の自分、それぞれにアルは何か違いを感じているだろうか。それとも、全部同じ“ジェイ”としか見えていないだろうか。そもそも、ここにいるジェイと、動画や写真に写っているジェイとの区別は存在するのだろうか。分からない。まず、他人にとって世界がどう見えているかなんて分かるはずがない。自分に分かるのは自分の見る物だけだ。しかし、ジェイは不思議とアルの見る物だけは理解できそうな気がした。そして、それを知りたいといつからか思い始めていた。それはアルに対する恋心が擦り切れた今でも変わらない。

「ふー……」

 ジェイがゆっくりと息を吐く。

 翌日の作戦、高度なミッションだが、アルとなら上手くいくだろう。アルは絶対にミスを犯さない。後は自分次第だが、チームを組んでいる相手が信用に足る人物であるということは、気持ちの面でかなりのアドバンテージである。

 ジェイはアルの首元までかかるよう布団を直し、常夜灯の明かりを消した。



「な、何の真似だ!」

 部屋の隅にうずくまるエラルドが恐怖と驚愕の入り混じった表情を自分を見下げる男達に向ける。隣では頭部が原型を留めないほどにまでに破壊された護衛が転がっている。花形に広がった血だまりから真っ直ぐな線を引くように血が流れ、へたり込んだエラルドが穿いているズボンの臀部を濡らした。

「私たちはね、もうこれ以上祖国に背を向けることをやめようと思ったのですよ」

 怯えて丸まっているエラルドを囲むように立つ、真っ黒な背広に身を包んだ四人の男のうちの一人が手に持つリボルバー拳銃の銃口をエラルドに向けながらそう言った。

「き、貴様ら! 裏切る気か! この国の落ちぶれっぷりに、頭に来たんじゃないのか!?」

 エラルドの嘆願も虚しく、残り三人の男も同様に銃口を向ける。

「や、やめろ!!」

 悲鳴に近い絶叫を上げたエラルドが目を閉じて頭を抱え込む。四人の指が引き金に力を籠めはじめた、その時、ガチャリという音が張りつめた部屋の空気を揺らした。ドアがゆっくりと開いていく。

「誰だ!」

 四人のうち部屋に近い三人がドアの方に銃を向けた。エラルドも強張った表情をそちらに向ける。緊迫したこの場には似つかわしくないほどゆったりとした動きで一人の男が部屋に入ってきた。厳かなビルの内装とは不釣り合いなフランクな服を纏うその東洋人の手には一本の太刀が握られていた。2メートルを超えようかという長さと、男の掌を子供の手かと思わせる程の太さを持つその巨大な凶器は、真っ黒な漆の塗られた鞘に包まれていてもその禍々しさを隠せていない。

 エラルドを囲む男達の一人が口を開いて何か叫ぼうとした時には、四人の喉頸が深々と切り裂かれていた。刀の通り道を示すように、壁に真っ赤な一文字いちもんじが描かれる。男達は自分が切られたことよりむしろ突然呼吸ができなくなったことに驚いたようだった。目を丸くしたまま何度か口をパクパクと動かすと、次々と床に斃れていく。

 唖然としたままのエラルドを一瞥すると、男は血振りした後ジーパンのポケットから懐紙を取り出して刀についた血糊をふき取った。刀が鞘に収まるのと時を同じくして、また一人の男が部屋に入ってくる。ヴィルだ。

「終わったか。シンイチロー」

「ああ」

「お前ら……」

 二人ともエラルド知っている人物だ。刀を持っている方がシンイチロー。ヴィルの組んでいるタッグの片割れである。

「ああ、忘れてた。悪いね、エラルドさん」

 シンイチローという名の東洋人は刀をベルトに挟み、にっこりと笑って腰の抜けているエラルドに向け手を差し伸べた。その表情には、さっきまでの殺気立った冷たさは見られない。むしろ、温和で親しみやすい雰囲気を感じさせる。

「あ、ああ」

 まだ震えの残っている手でシンイチローの大きな掌を掴み、立ち上がるエラルド。過呼吸気味になった呼吸は未だ安定しない。深く息を吐き、少しでも落ち着こうとする。

「CIAはやはり裏切ったか」

「ヴィルの言った通りだ。流石。でも、どうするの?」

「手は考えてある」

「ま、待て! 一体何の話だ?」

 二人で話を進めるシンイチローとヴィルの話を慌てて遮り、エラルドは二人が何をしようとしているか尋ねた。足元には五人の男の死体。あまりに状況の変化が激しく、エラルドは大嵐の海に放り出されたような心持だった。

「エラルドさんを逃がすんだ。大丈夫。ヴィルはプロだよ」

 そう言って朗らかに微笑むシンイチロー。無言で頷くヴィレブロルトは、血の匂いが充満する部屋にいてなお冷静で理性的な雰囲気だ。目の前で二人がこれからのことを話している間、エラルドは呆気にとられたまま立ち尽くす他なかった。

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