幽霊屋敷 6
どんくさい奴。
ヴァルは心の中で、そうつぶやいた。
ここまで来ておいて、敵方に回るとは予想外だ。ついでに言えば、ここまであっさりと取り憑かれたのも予想外である。
「……っ……」
ぎりぎりと白い首を締め付けるフィカスの両手は、容赦なく言葉どころか呼吸すらも阻んでいく。
ヴァルは、満身の力を込めて、フィカスの手を引きはがそうとするのだが、ヴァルの力をもってしても、フィカスから逃れることはできなかった。
「…ちっく…しょう……」
呼吸が阻まれ、がんがんと痛む頭に向かって、ヴァルはそれでも悪態をつく。
冗談ではない。
魔術士退治に赴いて、どうして自分が殺されなくてはならないのだ。
しかもその相手は、細かいことを知らない第三者の意見ならば自分の相棒で、そしてまだ十七のガキで、しかも明らかに自分よりは弱いし力も足らない者なのだ。
そんな相手に、よりによってこんな方法でくびり殺されるなんて・・・
冗談ではなかった。
頭に浮かび上がったその事実に、ヴァルは激怒した。
何故ならそれは、彼にとってどう転んでも耐え難い屈辱なのだ。
たとえ、自分が油断していたとしても、相手が幽霊か何かにとっ憑かれていたとしても、彼の感じた屈辱を和らげることには到底ならなかった。
そのような現実は逆に、神経を逆なでされているようなものだ。
「…くっ……」
ヴァルはぎりと歯咬みした。
しかし現実は無情で、いくら彼が憤慨してみても、それ以外になす術を与えることにはならない。
こんなところで、こんな死に方をするのだけは、どうにも願い下げだと言うのに……
薄れ始める意識を、今度ばかりはどうにもできなかった。
しかし、ヴァルもまたフィカスも忘れていた。ヴァルの外套の端っこに、引っ付いていた少年の存在を。
ロスとて、ただ手をこまねいてヴァルがくびり殺されようとする様を眺めていた訳ではない。
ロスは、確かに数秒の間は、顔を青ざめさせ呆然と目の前で展開される出来事を息も止めて見つめていたが、すぐさま我に返ると、無謀にもヴァルの首を絞め続けるフィカスへと飛びかかったのだ。
もちろん、数歩の助走をつけるのも決して忘れない。
十そこそこの少年と言えど、助走つきで体当たりをかけられては、幽霊に憑衣されたフィカスはたまらなかった。
しかも、重たい荷物を両手に持った身である。避けることもできず体当たりの勢いもそのままに、バランスを崩してしまうのはもうどうしようもなかった。
しめたっ!
不意に訪れたその絶好の好機をみすみす逃すヴァルではなかった。
ヴァルはぐらりと揺らいだフィカスの腹を、力任せに蹴りつけたのだ。
『ぐっ!』
思わぬ反撃に、フィカスはうめいた。
もう、ヴァルに抵抗するだけの力など残っていないと思っていたのだ。
ぎしぎし軋むこの白い首の骨とて、あともう少しでへし折れるところなのだから。
しかし、蹴りつけられた瞬間、ヴァルの首を絞めつけていた手は緩み、その隙を逃すまいとヴァルはフィカスの手を引きはがす。
ようよう床へと降り立ったヴァルは、いきなり肺の中へと我先に入り込む空気たちに、げほげほと大きく咳き込んだ。
「…っく……ああ、冗談じゃ、ねぇっての……」
体を折って咳き込み続けるヴァルに、体勢を立て直したフィカスが飛びかかる。
「ふざけんなよ!」
そう何度も先手を取られるヴァルではなかった。
ヴァルは完全にフィカスの行動を読み切り、力任せにフィカスを殴り飛ばした。
華奢とも言える体つきのわりには、怪力のヴァルである。
フィカスの体は容易に向こう側の壁へと吹っ飛び、叩きつけられる。
そのままずるずると床へと崩れ落ちたフィカスの体は、今度こそ全く動かなかった。
ぜえぜえと肩で息をするヴァルに、ロスがぱたぱたと駆け寄ってくる。
不安げにヴァルを見上げるロスの頭を、ヴァルは右手でくしゃりとかき回した。
「…悪かったな、ロス。お前の忠告にも気が付かないで……」
礼を述べると、ロスはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
そして、はにかんだように笑い、ヴァルを見上げた。
ヴァルは、手の跡がはっきりと赤く残ってしまった自分の首をさすりながら、完全に気絶しているフィカスの方へと、視線だけを巡らせた。
「ったく、油断したぜ。まさか、フィカスがこれほど簡単にとっ憑かれるとは、予想外だった……」
忌ま忌ましげに舌打ちをするヴァルに、ロスがしがみつく。
心配そうな視線をフィカスへと向けるロスの頭を、ヴァルはやんわりと撫ぜた。
「……心配すんなって。フィカスは別に殺しちゃいねーよ」
殴りつけるとき、取り敢えずは手加減をしてやったのだ。
よほど打ち所が悪くない限り、死ぬはずはなかった。
ヴァルの言葉を聞いて、ロスは安心したようにこっくりと頷いた。
「さて……フィカスはこの際放っておいて、奥へと行くぞ? ロス、奴はどこにいるか見えるか?」
大きく頷き、ロスは迷いなく廊下へと人差し指を向けた。
「ふ、ん……」
ロスは、ヴァルの外套の端にしがみつき、行く先を示しながら歩きだした。