幽霊屋敷 5
「けっ、もうおしまいかよ。もうちょっと、根性のある奴はいないのかよ」
先刻のあの惨状をやり過ごしたばかりだというのに、ヴァルの言い方はかなり物足りなさそうである。
幽霊すら気迫で切れると豪語した通りのことを、フィカスに実演して見せた訳だが本人は到底それだけでは満足していなかった。
「…根性のあるなんて……そんなの…いたら、怖いよ……」
ヴァルの言葉どおり、根性のある幽霊を想像してしまったフィカスは、嫌そうに顔をしかめた。
頭が割れてたり首がもげていたりしていただけでも、思い切り気の滅入る存在なのにその上、根性のある幽霊だなんて、不気味なことこの上ない。そう言うものは、どう常識と外れたことをしでかすのだろうか。
「うぇぇ……」
そう思った途端、胸の辺りが本当にムカムカしてきた。
「あ……れ…?…」
やけに息苦しくて、そして食あたりでもしたかのように気持ち悪くて、フィカスは無意識に両手で胸の辺りの衣服をつかんだ。
しかし、それだけでは到底気分の悪さは退きもせず、ついにはその場にうずくまってしまう。
頭が金づちか何かでで殴られているかのようにガンガンする。視界が頭痛に比例して、狭く暗くなっていく。
「…ごめ…ん…ヴァル……なんか……オレ……気持ち…悪い……」
フィカスはもう、そう言うだけで精一杯であった。
その間にも、気分の悪さはなお強さをまし、冷や汗が頬と背筋を伝い落ちる。もう目の前はほとんど真っ暗だ。
「フィカス?」
フィカスの体調の悪さが、決して偽りなどではないことをその雰囲気から悟り、ヴァルはうずくまってしまい身動きすらしないフィカスの元へと踵を返す。
呼びかけても、フィカスは答えない。
それほどまでに、苦しいのだろうか。
心配そうな色を、微かに黒曜石の瞳に浮かべて、ヴァルはフィカスに歩み寄る。
この時ヴァルの外套にすがりついていたロスは、突然力を込めて外套を引いた。
彼は彼なりに、ヴァルへと何かを告げたかったのである。
しかし、フィカスへと意識が向いてしまっているヴァルは、その程度のことでは止まりはしなかった。
あっさりとロスを引きずったまま、フィカスの傍らに歩み寄り、体を屈めてフィカスの顔をのぞき込んだ。
「フィカス……」
それでもまだ、ロスはヴァルの外套にすがりつき、少しでもヴァルの行動を阻もうとしている。
ヴァルも、ロスの必死の表情をちらとでも目にしたならば、また違う行動も取ったであろう。ロスは心の中で、口のきけない己自身を呪った。それがヴァルに聞こえる訳もないのだが。
そして、この時のヴァルの行動はごく一般的なものであった。
戦士であろうとなかろうと、全く関係のない。
「おい、フィカス…大丈夫か?」
ヴァルはフィカスの名を呼び、俯いたきりのフィカスへと手を指し伸ばす。
その瞬間、ヴァルは確かにそして完全に無防備であった。
ヴァルはフィカスに対して、全く警戒などしてはいなかった。
それは、剣を使うにしろ素手にしろ、明らかにフィカスを上回る己の力に対しての自負からであろう。
それが、ヴァルを無防備にしたのだ。
そしてフィカスは、その瞬間を狙いすましたかのように、顔を上げ素早い動作で己の両腕を伸ばした。
ヴァルの白い首へ目がけて。
「なっ 」
突然のフィカスの行動に、ヴァルは咄嗟に身を引く。
しかし、その動きよりなお、フィカスの動きは速かった。
虚を突かれ条件反射的に後ろへと下がるヴァルに向かって、ずいと身を近づけるとがっちりと両手でヴァルの首をつかんだのだ。
『くく……』
含み笑いを漏らしながら、フィカスはヴァルの首を捕らえたまま、ゆうるりと立ち上がる。
両手は高く掲げられ、フィカスのどこにそのような力があったのか、ヴァルの体が宙に浮き上がる。
蛇のような光を放つ両眼が、掴み上げたヴァルへと注がれている。それだけでも、フィカスが正気でないことが解った。
ヴァルは、瞬時に状況を悟った。
本人にしてみれば、かなり不本意ではあったが。
「…フィカ…ス……この、やろ……とっ憑かれた…な……」
ヴァルは呻いた。