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黄金の魂  作者: 向井司
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幽霊屋敷 4



 見たくないと思っても、なぜだか視線を逸らすことができなかった。


「あん?」


 真正面からフィカスの顔色の変わって行く様を目の当たりにしたヴァルは、不審そうに片方の眉を吊り上げて、ひどくゆっくりとした動作で、己の背後を振り返った。

 ヴァルの動きと、それが完全に形を造るのはほとんど同時である。


「でっ、出たあ!」


 思いっきり情けのないフィカスの悲鳴が響き渡った。

 三人の前には、人の姿をしたものがいくつも佇んでいたのだ。

 ある者は頭を割られ、ある者はざっくりと腹を抉られ、またある者は肩の辺りから腕がもげている。

 どうやら彼らは、かつて屋敷の主人にその生命を断たれた、使用人やら家族やらの哀れな魂たちであるらしい。

 どくどくと、傷口から血が流れ出している。血はまるで本物のように、床へとしたたり落ちては染みを作る。

 それでも彼らは、倒れることもできずただ苦しげにうめきながら、恨めしそうにヴァルを見つめている。

 お前の生命も欲しいと、掠れた声で紡ぎだし彼らはじりじりと三人へと迫って来た。


「わわわわっ」


 おぞましさにフィカスが気圧されて、二、三歩後じさる。


「ふん…」


 が、ヴァルはそこから一歩足りとも動かないどころか、脅えたような動作一つ取ることがなかった。彼は、悠然とほほ笑んだのち、ひやりと突き刺さるような一瞥を亡者どもにくれるだけである。

 ヴァルはそのまま亡者どもを睨めつけたまま、傍らに立つロスの頭に手を伸ばし、ぐいと己の背後に押しやった。


「ヴ、ヴァル……」

「下がってな…」


 亡者から視線を逸らさず、フィカスの言葉に素っ気なく答える。

 その間にも、亡者たちはヴァルに向かって、ゆらゆらと歩み寄ってくる。亡者たちは、輝くような生命を持つヴァルを羨み、また憎んでいるようだ。

 ヴァルは冷ややかに亡者たちを見据えたまま、背に負う剣の柄に右手を伸ばした。


「やかましいっ! 貴様ら、オレの邪魔をするのなら、たとえ幽霊と言えど、たたっ切るぞっ!」


 一声、轟くような怒声を浴びせかけると、亡者たちは雷にでもあったかのようにびくりと体を竦ませ、その歩みを止めた。

 フィカスは事の次第を呆然と見守ることしかできなかった。が、ヴァルの怒鳴り声を浴びて、亡者たちがその動きを止めてしまったのには仰天した。

 生者でも、ぴしゃりと浴びせかけられるヴァルの怒声には、身動きできなくなるが、亡者たちはなお顕著にそれを表している。


「すご……」


 フィカスは現状も忘れて、思わず感嘆の息をついた。

 ついさっき、幽霊を切るには、気迫がどうのと言っていたが、どうやらあれは本当の事だったらしい。

 現実に、怒声だけであの不気味なことこの上もない亡者たちの動きを縛ってしまったのだ。

 すごいと言うか、信じられないというか、ともかくフィカスのヴァルに対する認識は、出会ってもはや数十回・・・もう数えることもできない・・・をも塗り替えられようとしていた。

 そんなフィカスの耳に、足音が届く。不自然に館の中に響く足音は、その回数から間隔から考えて、どうやら走っているようだ。

 廊下から、この部屋へと向かっていることも、段々大きくなって行くことから解る。


「?」


 一体誰が走って来るのかと、フィカスは足音の方へと首を巡らせる。

 その瞬間、ドアがものすごい勢いで開いた。「!」

 フィカスの心臓が跳ね上がる。

 一番見たくないものを見てしまった。

 ほとんど麻痺した頭で、フィカスはそれだけを思った。

 走って来たのは、中年の男であった。部屋着は見るからに上質の素材であったが、この辺をふらふらしている亡者たちと同様血まみれだ。

 それもそのはず、太い首筋にざっくりとえぐれたような切り傷がある。

 絶対に、動脈を分断しているほどの深い傷だ。しかし、男の走る勢いは全く衰えなかった。

 男は右手に、刃の生々しく光る斧を持っていた。そして、勢いもそのままに亡者たちの集団に駆け込み、目茶苦茶に斧を振り回してはなぎ倒す。。

 亡者の悲鳴が血肉とともに、辺りへと飛び散った。

 もはや死したはずの亡者たちは、苦しみにうめきのたうちまわり、床にばたばたと倒れ伏していく。

 今、彼らの死は、再現されていた。


「うええ……」


 フィカスは真っ青になり、その惨状から視線をそらす。とてもではないが直視などできなかった。

 死体は見慣れているはずだが、それは彼にとってはもう身動きせぬもので、人間なのだと言う認識は少ない。しかし、今目の前で死んだはずのものが、再び殺される様はとうてい受け止められないことだった。

 彼らの苦しみは、そのまま延々と繰り返されているのだ。

 背中を駆け登るのは、哀れみではなく恐怖だった。


「……うっとーしい、ヤツ……」


 狂気の斧を振り回し、ただ殺し続ける館の主に冷ややかな視線を向け、ヴァルは言葉を吐き出した。

 馬鹿らしくってやってられない。

 それがヴァルの本心だ。

 狂気に捕らわれたとは言え、自分の楽しみのために他人を死んだ先まで巻き込むという根性が、腹立たしい。

 己の身は傭兵だ。雇われたならば、時として殺し合いすらしたこともある。しかし、それはあくまで自分が、もしくは雇い主が生き残るためであって、相手の生命を屠るためだけに殺しなどしない。彼にとって、戦いすらも生きるための手段なのだ。少なくともヴァルは、自分が生きるため以外に剣を奮った覚えなどなかった。

 ヴァルの悪態が聞こえたのか、館の主はぎょろりとした目をヴァルへと向けた。

 口元を醜く歪ませにたりと笑うと、主はヴァルに向き直り再び駆け出す。

 男の顔には狂気そして、狂喜しか浮かんではいなかった。


「ヴァル!」


 斧を振り上げこちらに向かって走ってくる主に、フィカスが声をあげる。

 ヴァルはしかし微動だにしない。

 よもや恐怖で身動きできない訳ではあるまいが、ヴァルの背中しか見ることのできないフィカスは、思わず不安になる。

 その間にも男は迫り、あわや振り下ろす斧がヴァルへと達しようとした瞬間、ヴァルは素早い動作で半歩ばかりを退き、その合間に背に負う剣の柄に手を伸ばすと、すらりと抜き放った。


「てめぇが一番、うっとーしいんだよ!」


 怒鳴りながら、今度は一歩を踏み込んで、剣を真横になぎ払う。切っ先の長い剣は、男の腹の当たりを大きくえぐった。

 内蔵とどす黒い血とが、飛び散った。そして、切りつけられた衝撃か、皮一枚程度でつながっていた首の傷が大きく広がり、ごとり音がして丸いものが床へと転がった。


「でぇぇぇ!」


 落ちたそれを直に見てしまい、フィカスは竦み上がった。

 床に転がったそれは、男の頭であった。

 頭を失った体は、それでもその場に佇み、転がった頭は支えもないのにごそごそと動き、落ち窪んでぎょろぎょろと不気味に光る目を、ヴァルへと憎々しげに向ける。

 そう、切り離された頭も体も、別々にまだ存在していたのだ。


「しぶとい!」


 頭を見下ろして、ヴァルは忌ま忌ましげに言葉を吐き出す。

 これでまだ消滅しないのだから、腹立ちもなおさらだ。

 万が一、またあの頭と体が繋がったりしたら、最悪と言うより最低である。

 とっくに死んだ身であるくせに、なんと生命根性の汚いことか。

 ヴァルは本当に嫌そうに息を吐き出して、頭を失った体の胸辺りを思いっきりけり飛ばすと、今だごそごそと動きつつげる頭に、切っ先を突き立てた。

 頭はピンで止められた羽虫のように、しばらくはじたばたともがいていたが、それも途絶えたころぐずぐずと崩れ始めた。ヴァルにけり飛ばされて頭と同じく床に仰向けに転がった体もまた、泥細工のように形を失いしまいには消えうせる。

 男が消えうせた後、静けさだけがその場に残された。

 床に倒れ伏した亡者たちが、一人また一人と起き上がりその場にたたずむ。しかし、生々しい傷痕をさらしていたその姿は、次第に生前の元の傷一つ負わぬものへと変化して行った。

 苦しみに歪む表情も退き、どこかほっとしたような顔をしている。

 己の身をこの忌まわしい館に縛り続けて来た、主の消滅はようやく彼らを解放したのである。長い間延々と続けられた、彼らの苦しみは終わったのだ。

 彼らは、軽くヴァルに頭を下げると、ふわとその場から姿を消した。

 辺りには、もう何もなかった。

 床に飛び散った血も消えうせている。

 けれど、白い埃の下のどす黒い染みがだけが、いまここであったことそして過去にここであったことを肯定していた。



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