幽霊屋敷 3
三人の視線に、丘の外れに建つ屋敷がようやく入って来る。
造り自体は離れたこの位置から見ても、広く立派な屋敷であるのだが、そこから漂う雰囲気はどうにも気味の悪いものであった。
手入れさえしていれば、さぞ立派な屋敷であったろうが、この頃では誰も近づかないのだろう。もうこれ以上はないと言うくらい、荒れ放題である。
その荒れ方がまた、いかにもそれらしい雰囲気を作り出すので、気味悪いことおびただしい。
「げー」
フィカスは屋敷を見上げながら、さも嫌そうに一言だけ言葉を吐き出した。
「おもしれー。いかにも、ってな感じだな。笑っちまうぜ」
本当に楽しそうな声をもらすヴァルに、フィカスは内心で大きなため息をつく。
ヴァルと言う人間に、果たして怖いものがあるのだろうか。
そう考えて、絶対にないと、フィカスは即座に断言した。
「さあて…」
「やっぱり、行くのお?」
「あったり前だろ。お前、何言ってんだ、ここまで来ておいていまさら」
呆れ返り先へと進んで行くヴァルを、恨めしげに見やりながら、フィカスもまたとぼとぼと歩を進める。
ここで引き返すだけの勇気もまた、フィカスにはなかった。
フィカスにとっては、幽霊云々より、ことの次第に決着がついた後の、ヴァルの怒りの方がよっぽど怖かったのである。
ヴァルは錆びれた門を無造作に蹴り開ける。門は軋んだ音をたてて開いた。そして、大きな荒れ果て雑草だらけになった庭を横切って、三人は屋敷の中へと入り込んだ。
豪奢な扉には、鍵もかかっていない。
面白半分で屋敷に訪れた者のほとんどが、呪いを受け奇怪な死を遂げるなどという何ともありがちな幽霊の噂は、それでも見えない閂となっているようだった。
ヴァルは、少しだけ用心しながら、中をのんびりと見回した。
屋敷の中は埃まみれで、絨毯のみならず取り残された調度類も見事に真っ白になっている。
埃さえなければ、どれも皆逸品であったろうに。
「……たしか、昔、惨殺騒ぎがあったんだって?」
町で仕入れて来た情報を思い出し、フィカスは恐る恐る口を開いた。
それを耳にして、ヴァルはふんと鼻で笑った。
「ああ、気が違っちまったって言う、屋敷の主人が、一家から使用人から叩っ殺したとさ。しまいにゃ、てめぇの首まで叩っ切ったってよ。ま、なんとも、ありがちな話だよな」
「……」
町で声を潜めて囁かれる惨劇も、ヴァルにかかっては、素っ気なくもありがちな話ですまされてしまう。
何か違うぞ、と思ってしまうフィカスであった。
「でもヴァルは、幽霊っての、怖くないのか?」
「? 何で、んなもん怖がらなくちゃならねーんだよ?」
「……なんでって……祟られでもしたら、どうするんだよ」
「はん。祟りなんか、気にしてたら、傭兵なんざやってられねーよっ。お前、オレが今までに何人殺してきてると思ってんだ?」
「……」
いともあっさり言い切るヴァルに、フィカスは返す言葉もなかった。
確かにヴァルの言う通り、戦場であるのならば、この屋敷の住人の何倍もの戦士と剣を交えて来た身である。殺した数だって、屋敷の主人には決して劣りはしない。
「祟られるなら、もうとっくに祟られてるぜ? でも、オレは生きている。それで充分だろ? 他に、何がいるんだ、お前は」
「う……」
ヴァルにはっきり言われて、フィカスは祟りに気後れしていた自分が、本気で馬鹿らしくなってきた。
「…そりゃ、そうたけど……」
現実主義とでも言えばよいのか、ただ単にいきあたりばったりと言えば良いのか、ヴァルの考え方にはいささかついて行けないものもなくはないのだが、この絶対的な自信が今となってはフィカスにとって、憧憬の象徴になりつつあった。
結局、フィカスは何はさておいても、ヴァルのように強くなりたいのだ。
天下無敵などという、無謀なことは願わないが、せめてヴァルの何分の一かでも強くなれれば、そう思ってフィカスはヴァルに、鬱陶しいだの邪魔くさいだの、散々な文句を言われながらもめげないで、後をついて来ているのである。
異性から見ても、また同性から見ても、ヴァルと言う人物はやはり魅力的であった。
その雰囲気をぶち壊す口の悪さを差し引いてなお、あまりあるほどに。
フィカスは、どんなときでも決して己のペースを見失わないヴァルを、二割ほど呆れて残り八割は感心しきって見上げた。
自分がこれほどになるには、一体どれだけの年月が必要なのだろうか。考えても、答えが容易に弾き出される訳ではなかった。
対して、ヴァルはと言えば不満げに屋敷の中を見回して舌打ちをする。
「なーんだよ。何にもいねぇぞ!」
埃とクモの巣まみれの屋敷の中を見回しながら、まるっきり拍子抜けだと文句をつけている。
「これさえなければな……」
見とれる暇もなくて、フィカスはそっとため息をついた。
と、そんなフィカスの視界の縁に、何やらひらひら動くものがあった。
「?」
白い、霞のようなひらひらは気が付けば、こちらを向いているヴァルの背後にいくつも浮かんでいる。
「え……」
嫌な予感がして、フィカスは思わずひらひらから視線を逸らしたくなった。しかしその間にも、ひらひらはその体積を膨らませ、フィカスとしても良く知っているものの形を取ろうとしている。
当然、その形はヴァルやロスも知っているはずだ。
すらと伸びて行くのは手と足で、その上に一つきり乗る丸いものは間違いなく頭だろう。
ひらひらが形を成していくのに比例して、フィカスの顔が青ざめて行く。