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人形遣  作者: 風城国子智
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五、都入り

「お手数をお掛けして申し訳ありません」

 傾きかけた日が柔らかに入って来る清潔な座敷に座り、目の前の人物に頭を下げる。

「いえいえ。こちらこそ。商品を無事に持って来て頂きありがとうございます」

 顔を上げると、こざっばりとした衣服を身に着けた宗匠頭の老人が柔和な顔を蘭に向けているのが見えた。その老人の横には、白い布で包まれた少し大きめの包みが置かれている。蘭が、境の街の『大上屋』から内陸に位置するこの国の『都』まで、大上屋の主人である暦に頼まれて運んできたものである。

「そんなに暇なら、お使いを頼まれて下さい」

 暦から無造作に、都で懇意にしている『湊屋』まで反物を幾つか運ぶように頼まれたのは、今朝のこと。自分の雇い人に頼めば良いじゃない。蘭の言葉に暦は苦く笑った。

「最近、都に入る道に山賊が出没しているので」

 どうしても無事に届けて欲しい荷物だから、蘭に頼むのだ。普段は蘭に冷たい言葉しか言わない暦にそう言われれば、拒絶はできない。だから蘭は半ば不精不精、暦の頼みを引き受けた。……本当は、この『都』には足を踏み入れたくはなかったのだが、『谷』の巫女からも「『流れ』に身を任せよ」と言われている。巫女には、逆らえない。

 と、いうことで、人形の入った背負い箱に預かった商品を入れ、一日の道のりをてくてくと歩いた蘭だったが、暦の心配通り、途中の人気の無い場所で山賊が襲ってきた。しかし蘭も伊達に五百年以上生きている訳ではない、武術の腕はそれなりに持っている。その上、多少の怪我なら、いや致命傷でも気力で治すことができるのだから、幾ら山賊が強くても長期的には勝ち目は無い。多少痛い思いをしつつ、蘭は山賊達を退けた。勿論背中の木箱も、木箱の中に入った人形も預かり物も無事である。問題は、その後。都へ入る関所で、蘭は『怪しい者』として止められたのだ。

「貴様の衣は、血で汚れている。街道を歩く商人から奪ったものであろう」

 関所の役人の居丈高な言葉に、正直閉口する。服が血で汚れているのは、山賊が振りかざす刃を複数その身に受けたから。蘭自身に怪我が無いのは、血を流したままでは命に拘わるので自分の能力で以て傷をさっさと治したから。だが、『能力』のことは説明し難いので、自分が盗賊でないことを証明できない。関所からの問い合わせで湊屋の主人が助けてくれなければ、蘭はそのまま関所の牢屋に入れられていただろう。

「あの関所の役人には、皆閉口しているのですよ」

 湊屋の主人、新六の口調が、不意に変わる。都に入る街道は七つあるが、境の街から都へ入る関所の役人だけが気分屋で、同一人物であるにも関わらす何も言わずに通してくれる日もあれば難癖をつけて中々通してくれない日もあるという。賄賂ですら、受け取る日と受け取らない日があるのは可笑しいですね。そう言って湊屋は心底馬鹿にしたような笑みを浮かべた。そのような役人など辞めさせてしまえば良いのだろうが、この都を支配する『将軍』という人も、権力自体は都の南方、山一つ向こうにある『新都』を建設した大名に取られているからだろうか、空でも良いから威張るのが好きで、気分屋の役人の行動を面白がっている節があるらしい。自分も将軍に物品を納めている身ですから滅多なことは言えませんがね。そう言って湊屋は傍らの包みに手を置いた。包みの中身は金糸を織り込んだ絹織物。おそらく将軍に献上する為に湊屋が大上屋に頼んだものなのだろう。蘭はそう、見当をつけた。

「まあ、奥方がまともな人なので成り立っているようなところですからね、あの関所は」

 湊屋の言葉で、関所での出来事を思い出す。

 蘭の服の左袖にはまだ新しい血の染みと切られた跡があるのに、蘭自身の左腕には傷が無いことで、関所の役人に「旅人を襲って服を剥いだ」と咎められた時、傍に座っていた威厳のある女性が口を出したのだ。

「こんな汚れた服を盗むような盗賊がいるかい」

 女性の言葉が小気味良く、関所に響く。

「しかも上着と下着両方だよ。私だったら下着だけにするか、上着は袖を切って肩衣にするね」

 話した内容よりも、その論理が明確なので、蘭は正直感心した。勿論、役人から解放されたところで女性から賄賂を要求されたことは、少し残念だと思ったのだが。

 あの女性が、役人の奥方なのか。そう、理解する。強かな人だ。あれくらい強かでないと、この世界を生き延びることは難しいのだろう。蘭はそのように解釈した。

 と。

「お人形だ!」

 幼い声が、蘭の思考を中断させる。振り向いて木箱の方を見ると、開けっ放しの木箱の前に可愛らしい女の子がちょこんと立っていた。

「これ」

 それは客人のものですよ。汚すといけないから触ってはいけないよ。そう、優しい声で湊屋が叱る。しかし女の子はその言葉を聞いていないように、木箱の中に座った人形の服をそっと撫でた。

「申し訳ありません。末娘なので我が侭なのです」

「いえいえ」

 小さい子だから、人形に興味があるのだろう。蘭はつと立つと、木箱から人形を取り出し、女の子の腕にそっと乗せた。自分と同じくらいの大きさの人形に触れた少女の瞳が驚いたように大きくなる。しかし少女が人形を取り落としそうになる前に、蘭は女の子の腕から人形を取り戻した。そして左手を人形の背中にある絡繰り部分に引っ掛ける。

「一差し、舞わせてみましょう」

 いつもの通り、五七五七七の調子で適当な唄を紡ぎながら、左手の指と人形の背中を支える右手で操り人形を動かす。

「綺麗」

 唄が終わった後、女の子の口から出て来たのは感嘆の溜め息だった。

「ありがとう」

 女の子に向かって、頭を下げる。

 しかし娘と一緒に人形の舞いを見ていた筈の湊屋は、何故か口を真横に引き結んだままだった。


 その、次の日。

 人形を湊屋に預けて、蘭は一人、都の北側へと向かった。

 拒否していたとはいえ、この場所に来てしまった以上、行かなければいけない場所があるのだ。

 その場所は。

「……あれ?」

 木々が疎らに生える、人一人見当たらない丘陵地帯を上がって、当惑する。

 この前来た時には、たしかここに小さいが立派な寺院があった筈なのに。蘭は信じられないというようにもう一度辺りを見回した。間違った場所に来てしまったのだろうか? いや、確かにここだった。周りにある丘の形状に、見覚えがある。山や丘はそう簡単には変化しない。しかし寺院は存在すら無く、代わりに幾つもの小さな岩が、草の間に並んでいる。そして岩と草の間にあるのは、白い骨。

 そうだろうな。無理矢理自分を納得させる。ここに、都で医者をしていた斉という名の男性を葬ったのは、五百年くらい昔のことだ。その時に作られた小さな木造の寺院だから、時が経てば戦乱や災害で消えてしまうことも、悲しいことだが有り得るだろう。

 斉は、蘭の幼馴染みだった。蘭の母親が早くに亡くなったので、蘭は斉の母の乳を飲んで育った。『谷』で一緒に育ち、いずれは結婚する仲だったのだ。だが、蘭が十三になる直前、斉は悪友達の誘いに乗って禁じられているにも関わらず山に入り、山に潜伏していた他国の敗残兵に襲われた。『能力』が未だ完全に現れていなかった蘭は斉を庇って敗残兵の刃に倒れ、蘭の『死』を自分の所為だと責めた斉は『谷』を出てこの国に骨を埋めた。

 蘭が斉を庇ったのは、斉に死んで欲しくなかったから。蘭自身の我が儘な想いから、蘭は斉を庇う行動に出たのだ。だから斉は、斉自身を責める必要など無かったのに。

「馬鹿な奴」

 斉のことを想うと、胸が苦しくなる。足下の草を蹴って、蘭は小さく呟いた。

 と。

 人の気配に、振り向く。次の瞬間、蘭の足は背後の兵の脇腹に入っていた。

「このっ!」

 その兵の横にいた、もう一人の兵が、蘭に向かって錆びた刃を振り上げる。何故襲われるのかは分からないが、蘭だって、そう何回も痛い思いはしたくない。だから蘭は、腰の短刀を抜くと、飛びかかってきた兵の、そこだけ無防備な首元に、無造作にも見える動作で短刀を突っ込んだ。

「ぐ……」

 呻き声と共に、蘭を襲った兵が倒れる。その時には既に、態勢を立て直していた蘭が先に蹴りを入れた兵の首を、蘭の短刀が掻き切っていた。

「うわ」

 着物に飛び散った血の多さに、辟易する。折角湊屋に誂えてもらった新品なのに。蘭はふっと息を吐くと、その場を離れようとした。

 その時。倒れた兵の鎧から見える書き付けに、目を留める。好奇心から書き付けを拾って読んだ蘭は、しかしすぐに顔を強ばらせた。

 これは。……湊屋に知らせなければ。


 湊屋に戻ってすぐ、主人新六に書き付けを見せる。

「そう、ですか」

 意外なことに、蘭が書き付けを見せても、湊屋は落ち着いていた。

「あの」

 その落ち着きぶりに、却って蘭の方が狼狽する。書き付けに書かれていたのは、都への放火指令。新都を支配する大名の花押が入っている。この街が火の海になるかもしれない状態なのに、もしかして湊屋はこの書き付けを信じていないのだろうか。蘭はもう一度、湊屋の方を見た。

「この街が火の海になるかもしれないことは、昨日のうちに分かっていましたから」

 信じられない言葉が、蘭の耳を打つ。では蘭の持って来た情報は無駄だったのか。蘭が問いを発する前に、湊屋は蘭を見詰め返して言った。

「そう言ったのは、貴方ですよ? 昨日人形を舞わせた時に、貴方は確かにそう言った」

 湊屋の言葉に、言葉が止まる。私が? 予言を? 有り得ない。蘭は頭を振った。『予言』は『巫女』の能力。蘭の能力では、無い。

「まあ、昨夜の時点では私も半信半疑でしたがね」

 それはともかく。

「とりあえず、末娘をお願いできますか?」

 そう言いながら、湊屋は昨日の少女を蘭の前に呼んだ。

「私は、ここに残ってできるだけのことをしなければいけませんから」

「はい」

 戸惑いを、飲み込む。蘭は人形の入った木箱を背負うと、少女を抱いて夕方の街へと飛び出した。


 急いだのに、関所に着いた頃には太陽はほぼ沈んでいた。

「日没後は関所を通すわけにはいかない」

 山賊が跋扈して危ないからな。ある意味正論を、役人が吐く。しかし何としても通らなければ。蘭の腕の中で怯えたように小さくなっている少女を、蘭はしっかりと抱き直した。自分は大丈夫だが、この子の命は一つだ。

 と。

「けちけちしないで通してやりなよ」

 再び、はっきりとした声が辺りを震わせる。

「何か訳有りのようだし」

 役人の奥方が、恰幅の良い身体を揺すって現れるのが、見えた。

「ええ。……実は郊外で療養中のこの子の母が危篤だという連絡を受けたので」

 何とか、理由をでっち上げる。それならば通さないでも無い。役人は偉そうにそう言うと、関所の戸を管理する兵に顎をしゃくった。

「ありがとうございます」

 頭を下げながら、奥方の着物の袖の中に、湊屋から貰った小さな包みを入れる。包みの中身は砂金だと湊屋は言っていた。

 ふと、思う。この奥方に都が放火されることを教えた方が良いのではないか? しかし蘭はすぐに、心の中で首を振った。幾ら蘭が不死身でも、助けられる人数には限界がある。それは、不老不死の能力者である蘭が、五百年の間に学んだこと。幼馴染みの斉ですら、悲しませたまま逝かせたのだから。

 だから。蘭は口を引き結んだまま、暗い街道へと飛び出した。


 次の日。

 都は、炎に包まれた。


 湊屋は勿論全焼したが、主人の新六も、店で働いていた人達も、よれよれになりながらも境の街へ現れた。

 しかし、あの関所の役人も、役人の妻も、その行方は杳として知れなくなっていた。

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