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人形遣  作者: 風城国子智
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三、美しき姫武者

 やっと行列の先頭に来たと思った、次の瞬間。鋭く光る槍の先を首元に突き付けられ、蘭は思わず息を呑んだ。

 だがすぐに、冷静になる。槍の穂先は、蘭の首を貫く寸前のところで止まっている。蘭が動かない限り、怪我をすることは無い。遊びなのだ。そこまで理解してから、蘭は瞳を動かし、槍を操っている男の顔を見た。

「ほう」

 傲岸そうな顔に浮かんだ酷薄な笑みが、少しだけ歪む。

「中々肝が据わった女子だ」

 そして男は槍を下ろすと、今度は蘭の身体をまじまじと見詰めた。

 まだ作られて間もない関所らしく、汗と土の香に木の香が混じっている。蘭の横を、大きな荷物を抱えた男の行商人が何も言われずに通り過ぎた。男性は調べられないが、女性が通ろうとすると、戦が終わったばかりらしくどことなく土と血で汚れている雑兵達が容赦なく取り調べる。直垂に四幅袴を身に付けた童子髪の蘭は男性に見えるからすぐに通り抜けられるかもしれないと、行列に並んでいる間は思っていたのだが、甘かったかもしれない。特に、この男は。もう一度、目の前に居る傲岸な男をじっと見返す。蘭を男だと思った雑兵達が蘭を通そうとした時に止めたのが、この男である。服装も、血と泥で汚れてはいるが、此処に居る兵達の中では一番立派な鎧を身に着けている。おそらく大将だろう。蘭はそう、見当をつけた。

 一方。

「うむ、顔は似ているが」

 ひとしきり蘭を観察した大将が、にやりと笑う。

「胸が違うな。あいつの胸は、こんな板じゃない」

「違いない」

 大将の言葉に周りの兵が一斉に笑う。その中で、蘭は一人顔を真っ赤にした。胸の膨らみがささやかなのは、蘭の悩みの一つである。それを真っ向から嘲笑われたのだ。怒らない方がどうかしている。だが。ここで事を起こすのは、得策ではない。脳の一部が発する冷静な思考に従い、蘭は唇を噛んで下を向いた。

「しかし、こいつに顔が似ているとなると」

 男達の嘲りは続く。

「噂とは違い、あの姫武者はそんなに美人ではないと」

「蓼食う虫も、ってやつだ」

 最後の、傲岸な大将の言葉に、蘭の怒りは再び沸点に達する。もう一度強く唇を噛み締め、蘭は罵声を押さえた。

「そうか、お前達は見たことがないのか」

「常に面頬を付けていますからね、あの姫武者」

「でも美人という噂でしょう?」

「じゃじゃ馬な姫を有利に嫁がせようとした策略だろ」

 男達の言葉が、蘭の神経を逆撫でする。しかし何とかぶち切れること無く、蘭は関所を通過した。

「ばっかじゃない!」

 関所から十分離れた街道で、叫ぶ。

 美人でもないし、女としての魅力が自分に無いことは、とっくの昔に承知している。大体、美の基準自体が時代と共に変わっていることは、不老不死の能力者であり、常人の何倍も生きてきた蘭自身が一番良く知っている。そのような、虚ろに移り変わるものに囚われ続けているとは、バカと言う他無い。

 それはともかく。

〈私に似ている姫武者、ねぇ〉

 どんな人、なのだろうか? 俄然興味が湧いて来る。

 関所前で行列している時に耳にした噂によると、関所の兵達が探している女性はこの辺りを支配する小領主の一人娘で、名前は泉水。平時は領民を思いやる優しい姫君であるが、戦場では、彼女を小馬鹿にした大将級の武将を笑って射殺したり、五、六人の兵に囲まれた窮地を、襲い掛かる兵達の急所を冷静かつ正確に槍で突いて脱したりしている剛の者であるらしい。しかし時の運には勝てない。つい二、三日前、姫武者の父が立て籠る城は隣の領主に落とされ、領主以下主だった家臣は悉く討ち死に、姫武者自身は生死不明の状況であるらしい。その姫武者を捜す為に、あんなに大掛かりな関所を設けているのか。蘭はようやく納得した。

 姫武者が、見つからなければ良いのに。関所にいた傲岸な大将の顔を思い出し、蘭は思わずそう、願った。見つかった姫武者は、おそらく、あの男の玩具にされるのだろう。それが敗者の運命だと、この国を旅している間に度々聞かされている。でも、それでは、可哀想すぎる。見たこともない女性に対し、蘭の想いは最大限に膨らんでいた。

 と。

 すぐ側の森が、急にざわめく。蘭が身構えるより先に、葉が落ちかけた森の陰から幾人かの鎧武者が街道の方へと飛び出して来た。どうやら四、五人の兵が落武者らしい一人の武者を囲んで討ち取ろうとしているところらしい。兵達に囲まれた武者を見て、蘭は目を見張った。汚れた胄から零れ落ちる豊かな黒髪、返り血の飛ぶ鎧で固定されているにも拘わらず豊かに揺れる胸。もしかして、この武者が、件の姫武者か? ならば、助けなければ。蘭は護身用の短刀を抜いた。

 だが。蘭が兵達の間に割って入る前に、囲まれた真ん中の武者が構えた槍が一閃する。あっと蘭が思う間に、武者を囲んでいた兵達は地面に倒れていた。なるほど、噂通りの剛の者。蘭は関心を隠しきれず、街道に立ち尽くす姫武者らしき人物をまじまじと見詰めた。

 不意に、血塗られた槍の穂先が蘭の鼻先に現れる。瞳を上げると、胸以外は蘭とほぼ同じ形の影の、外れかけた面頬の向こうに、蘭よりも目鼻立ちの整った顔が有った。

「貴方は、誰?」

 甲高い声が蘭の耳を打つ。この声は、明らかに女性のものだ。蘭はそう判断した。と、すると、やはり、蘭の目の前にいるこの人物は、件の姫武者に違いない。

「敵では、なさそうね」

 蘭が思考を巡らせている間に、姫武者はほっとした表情で槍を下ろした。そして疲れてなどいないと言わんばかりの歩幅で、先ほど追われて出てきたばかりの森の中で入って行こうとした。

「何処へ行く、おつもりですか」

 その張りつめた背中に、尋ねる。

 姫武者は面倒そうに振り返り、蘭を睨んだ。

「何処だっていいでしょう」

 追われていることに、疲れている。蘭でなくてもそう、推測できるだろう。だから蘭は、ぐるりと辺りを見回してから、姫武者の槍を持っていない方の腕を取った。

「こちらへ」

 一度森の中へ入り、関所の方へと向かう。行列に並んでいる間、暇に任せて「何処を通れば関所破りができるか」を考えていた蘭だから、計画はある程度できあがっていた。問題は、季節柄、葉を落とした木々があるので、夏のように木陰を利用できないこと。それだけだ。

 関所を下に見ながら獣道を通る。彼女を助けて、何処に連れて行けば良いのかは不明だ。だが、何処かの山里で着物を調達し、鎧を着替えることができれば、女性なのだから普通に村や町を歩いても咎められることは無いだろう。その上で、蘭と同じ『谷』の一族の一員で、この国の海沿いにある『境』という名の大きな街で商人をしている暦という人物に頼めば、女性一人匿うのは(暦は文句を言うだろうが)雑作も無いこと、だと思う。とりあえずはこの計画で行こう。蘭は少しだけ笑い、姫武者の方を振り向いた。

 だが。後ろを歩く姫武者の顔色が、夕暮れの光の中でも十分おかしい。何処か怪我をしているのだろうか? 歩きながら計画を立てるのに夢中だった自分の迂闊さを攻めつつ、蘭は姫武者の方へ一歩戻った。

「大丈夫、ですか、あの」

「泉水、でいいわ」

 疲れているだけだから。そう言って泉水姫は蘭に向かって微笑む。その笑みには明らかに無理があった。

 今日はこれ以上進めない。

「しばらくここでお待ちください。雨風が凌げる場所を探してきますから」

 蘭の言葉に、泉水姫は明らかにほっとした表情を、見せた。


 幸いなことに、すぐ近くに小さいが乾いた洞穴が見つかる。

 敵方に見つからないよう、用心しいしい小さな火を熾すと、辺りが急に温かくなったように感じた。

〈そう言えば、秋、だったな〉

 日が落ちた所為か、森の中だからか、辺りはすっかり冷え込んでいる。震えながら小さい火にあたる泉水姫を見て、蘭は背負っていた木箱から上着を取り出し、泉水姫の震える肩に掛けた。

「その人形は、何?」

 開いた木箱の中身を見て、興味深そうに泉水姫が尋ねる。

「操り人形ね。舞わせてみせて」

 それは、お安い御用。蘭は注意深く人形を取り出すと、左手を人形の背中に入れ、ゆっくりと人形を動かし始めた。同時に、人形を舞わせる為の適当な唄を口にする。唄の方は五七五七七の規則に沿うように作っていけば良い。人形の操り方を習った時に教わった通り、蘭は唄い、人形を舞わせた。

 と。

「わ、私だって」

 不意に、泉水姫が叫ぶ。人形を舞わせているうちにいつの間にか無心になった蘭は泉水姫の叫び声に驚き、動作を止めた。

 その蘭に泉水姫がわっと抱きつく。

「私だって、生きられるものなら生き延びたいわよっ。でも、あいつは絶対私を殺すまで追って来る」

 泉水姫には、親が決めた許嫁がいた。しかし戦場では勇猛だが人民に対しては冷たく、そして泉水姫を愛玩物としか見ないその男に、泉水姫は絶縁状を叩き付け、それでも無法な行いで姫を自分の物にしようとした男を泉水姫は公衆の面前で罵倒し、打擲した。だから男は、姫の居城を攻め、姫の父や家臣達を悉く殺し、姫を追っている。

「その男、って、もしかして、関所の大将」

 蘭の問いに、泉水姫はこくんと頷いた。

 それならば、分かる。蘭は溜め息と共にそう感じた。泉水姫の絶望は、分かる。だが蘭に何ができるだろうか? 姫を安全に暦の許まで逃がすことだけだろう。だが、暦のところまで男が追ってきたら? 再び、関所の男の傲岸な顔を思い出し、蘭は大きく息を吐いた。あの男なら、姫を殺す為にどんな無法をもやりそうな気がする。どうすれば、良いのだろう? 蘭は正直途方に暮れた。


 泣き疲れたのか、いつしか泉水姫は蘭の膝で安らかな寝息を立てていた。

 だが、蘭の方は、眠ることができない。どうすれば、この姫を助けることができる? 泉水姫の胸の重みを感じながら、蘭はそのことだけを考えていた。

 と。

 人の気配に、はっとする。追っ手か。忸怩たる思いで蘭は傍らの短刀を抜いた。

 だが。

「姫様?」

 疑問符の声に、短刀を止める。闇の中に立っていたのは、窶れた鎧武者。その武者の陣羽織に付いている紋は、泉水姫が身に付けている篭手に散らされた模様と同じだった。

「姫様っ!」

 泉水姫が倒れていると思ったらしい、武者は蘭の傍に尻餅をつくと泉水姫の顔に汚れた手を当てる。よほど疲れているのだろう、この騒ぎの中でも、泉水姫は安らかに寝息を立てていた。

「良かった……」

 明らかにほっとした表情で弛緩する武者に、外の状況を尋ねる。すぐに、武者は厳しい顔に戻った。

「この山も、囲まれてしまっています」

 今は無事だが、見つかるのも時間の問題だろうと、武者が頭を振る。

 この武者がいれば、何とかなるかもしれない。蘭は急いで考えをまとめた。

「姫様を助ける方法なら、あります」

 蘭の言葉に、武者の目が大きくなる。

「少しだけ、後ろを向いていてもらえませんか?」

 その武者に、蘭はそれだけ、言った。


 眠っている泉水姫の鎧を脱がせ、身につける。予想通り、胸の辺りにかなりの空きがあるので、そこは布を詰めて誤摩化した。

 そして。

「この手紙と木箱を、境の街にある『大上屋』まで届けてもらえませんか?」

 戸惑った表情を見せる武者ににこりと笑ってから、蘭は面頬を付け、槍を持って薄明の空間へと飛び出した。

 山の麓まで、一息で降りる。

 居た。崖下の川原に敷いた陣の真ん中で部下達に指示を出している件の大将を、蘭は簡単に見つけることができた。

 後は。

「大将、討ち取ったり!」

 崖から飛び降り、陣の真ん中へと降り立つ。戸惑う雑魚兵を二、三人槍で串刺しにしてから、蘭は傲岸な顔を崩さない大将に向かって槍を構えた。

 次の瞬間。轟音と共に、右脇腹に痛みを感じる。今戦場で流行の『てっぽう』だ。そう考えるより先に、蘭の身体は川原の石の中に頽れていた。

「たった一人で我が陣へ来るとは、蛮勇の極みだ」

 酷薄な笑みを浮かべた大将が、倒れた蘭の横で徐に太刀を抜き、冷たい刃を蘭の首筋に当てる。

 意識は一瞬で飛んだが、だが何故か、首を切られる痛みは、感じなかった。


 ゆっくりと、瞼を上げる。

「全く」

 暦の見慣れた渋面が、蘭に自分が何処にいるのか教えてくれた。境の街で暦が営む商店、大上屋、だ。

「首を切られたら繋ぐまで生き返らないっていう自分の性質を、分かっているんでしょうね」

 街道沿いに晒された首を引き取るのにも、川原に打ち捨てられた身体を回収するのにもどのくらい費用を積んだか。ぐちぐちとお金のことを口にする暦には構わず、蘭はぐるりと辺りを見回した。……あった。見慣れた背負い箱はちゃんと、蘭の横に置かれている。あの武者は蘭の言葉通りに行動してくれたのだ。だからおそらく、泉水姫も何処かで無事でいることだろう。

「全く、『谷』の任務とはいえ、無茶も程々にして下さい、って、聞いているんですか、蘭」

 暦の声が、不意に大きくなる。

 その声を総無視して、蘭はにっこりと、微笑んだ。

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