第9話 取り引き
“何を訳のわからない事を!”
煮えたぎる怒りを必死で押さえ込みながら隆也は、その男の腕を掴み、路地を一つ入ったところの小さな公園に引っ張って行った。
さっきまでは人通りを安心材料にしていたのに、今は険悪な二人をチラチラ見て行く他人の目が邪魔だった。
自分の中で、血がざわついているのが分かる。
隆也よりも上背のあるその男はしかし、何を考えているのか分からぬ表情のまま、まったく抵抗せずに隆也に従った。
「どういう事ですか。説明してください」
「君、なかなか威勢がいいね。気に入った」
「ふざけないでください」
「ふざけてるつもりはないんだけど。でも俺のことを不審がるのは無理ないよね、尾行の真似ごとなんかしちゃったし。実はちょっと調べ物をしててね。君が春樹君をよく知ってるって言うんなら、少しばかり訊きたいことがあるんだ。ちゃんと謝礼はする。それとも、俺の調査内容が気になるなら、できる範囲で教えてあげてもいい。情報交換ってのはどう?」
「何言ってんですか。謝礼とか情報交換とか、訳わかんねぇ。いったいあんたは何者で、何をしようとしてるんですか!」
「それなら簡単だ。俺は現在ありったけの有給を取って仕事を休み、妹を死に追いやった犯罪者たちを探している。ついでに、俺は“あんた”じゃなくて、佐々木だ。佐々木和彦。・・・さあ、次は君が答える番だ」
「ちょ・・・ちょっと待って下さい。何ですかそれ。その犯罪と春樹と、何の関係があるんですか!」
「ずるいな、そっちばかり質問して」
佐々木はため息混じりに肩をすくめて見せた。その態度がさらに隆也をヒートアップさせていく。
「ちゃんと答えてください! そもそも、さっき言った、警察を呼ぶと春樹が困るって、どういう事なんですか」
「春樹君って子はサラリとした水なのに、君は煮えたぎった溶岩だね。正義感に溢れた溶岩だ」
「茶化さないでください!」
鋭く睨みつけてきた隆也に、佐々木はようやく真面目な顔をして向き直った。
「俺は本当の事を知りたくて、ここにいる。警察が見過ごしてしまった真実だ。今ここで君にそれを話すと、春樹君の味方をする君は、それを妨害するだろ? そうなれば俺は妹の無念を晴らせなくなるし、真実は葬り去られる。だから、君の質問に全て答える訳には行かないんだ。申し訳ない」
「春樹が何かやったって言うんですか?」
「ねえ、聞いてた? 言えないっていっただろ?」
興味を引き、煽るだけ煽っておきながら、隆也の反応を試している。
隆也には腹立たしいほどそれが分かった。
けれど既に「知りたい」という欲求の芽は、ぐいと顔をもたげ、どうにもならなくなっていた。
「佐々木さんの話が真実なら、佐々木さんががやろうとしてることに俺がとやかく言う権利はないです。でも、そこに春樹が関わる訳を何も教えてくれないのなら俺にはどうすべきかの判断材料が無い。今すぐ不審者として、そこの交番に届けます」
鼻息も荒く意気込む隆也に、佐々木は意外にも満足そうにニヤリと、したり顔だった。
「そっか、知りたいか。じゃあ・・・仕方ないな、一つだけ教えてあげるよ。俺の妹の事件に春樹君は関係ない。関わっているのは兄の圭一の方だ」
「・・・圭一さんが?」
隆也は思いがけない名前に一瞬虚を突かれたように佐々木を見つめた。
言いたくないと言っておきながら、いとも簡単に情報を渡し、じわりと引き込んでゆく佐々木という男が隆也には不気味だった。
「圭一さんが一体何をしたって言うんです。そもそも圭一さんはもう3年も前に亡くなってるんですよ?」
「そうだね、その事件も引っかかってるんだ」
「事件じゃなくて事故です。火災事故です」
「事件だよ。警察の見落としなんだ。春樹君も君も、誰も知らない真実がどこかに眠ってる。俺はそれを調べてるんだ」
「いったい何を言ってるのか分かんないよ。あんたの妹がどうしたのさ。あんた一体、なんの権利があってそんなデタラメを・・・」
「妹は圭一達に殺されたんだよ。そして圭一は自分の両親も殺した」
吐き出すように言った佐々木の言葉の、余りに暴力的な響きに、隆也は絶句した。
わざとらしく、「ああ、言っちまった」と付け足す佐々木の顔には、少しも後悔など伺えなかった。
「・・・何を、馬鹿な」
やっと絞り出すように言った隆也の言葉は、なぜか佐々木の毅然とした表情に跳ね返され、弱々しく消えた。
「君がどう思おうと俺は真実を突き止めるまでは春樹君を追うよ。春樹君に罪は無いし、俺は自分の考えが間違いだったと分かれば、全ての無礼を謝罪する。
俺が春樹君を付け回す理由を知りたいと言うのなら、全てを話してあげてもいいが、妨害しようとするのなら、俺は全力で戦うよ。死んでいった妹の為に」
今まで考えたこともない不穏な話をぶつけられ、隆也は思考が全くまとまらなかった。
けれどさっきまでの闇雲な怒りは、不思議なことに静まりつつあった。
目の前の佐々木という男の目に、狂気は感じられなかったし、妹の話も空々しくは聞こえなかった。
ただ、どこかに大きな勘違いが生じているのに違いない。
その勘違いに、この男はきっと取り込まれてしまっているのだ。
そうでなければならないと、隆也は思った。
「・・・じゃあ、佐々木さん。あんたが何を探ろうとしているのか、どうして春樹を付けようとしたのかを、ちゃんと教えて下さい。俺に協力出来ることがあれば、します。そして、圭一さんの疑いが晴れたら、消えてください。春樹にぜったい変なことを吹き込まないと、約束して下さい」
「ああ、約束する。ええと・・・」
「穂積隆也です」
「隆也君。ありがとう。すごく心強いよ」
佐々木は、今度は少しばかり本心が見えにくい目をして、隆也に笑いかけた。