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第27話 最終日

それから一週間、春樹は更に意欲的に仕事をこなした。

少なくとも、美沙の目にはそう映った。

アポ無しで駆け込んできた72歳男性の友人捜しを日帰りで京都まで飛び、その一日で捜し出してしまうという荒技までやってのけたのだ。

「私の部下がこんな優秀な人材だったなんて、今日初めて気付いたわ」

美沙が半分真面目にそういうと、春樹は「すごくがっかりだ」、と拗ねて見せた。


「立花局長には早いとこカミングアウトしておいたほうがいいよ、美沙の恐ろしくズボラなところ。またうっかり荒れ放題の部屋見られたら、次は逃げられちゃうから」

「うっさいわね。大きなお世話よ。これから少しずつ、綺麗好きになるんだから」

「じゃあ、局長も一安心だね」

春樹のそんな手痛い直球にも、美沙は普通に笑い返すことが出来るようになった。

胸は痛まなかった。いや、痛めている隙を与えられなかった。


すべて春樹の描くままに事が流れているような、不思議な日々だった。

悲しいとも寂しいとも思う間のない、慌ただしい一週間。

いつも通り春樹がお早うと顔を出し、バタバタと電話を掛けまくり、調査に回る。そして時折春樹が聡の話題を出し、少しばかり赤くなる美沙をからかってみたりする。


そんな時間が延々と続けばいいと美沙は思った。

どうして春樹が自分の前から消えて行かなければならないのか、美沙には分からなくなった。

春樹はどうしてそんなシナリオを書くのだろう。


「春樹?」

訊いてみようかと思い、デスクワークの春樹に何度か声を掛けてみた。

「え? なに?」

と、まるで子鹿のようにくるりとした無垢な目で見つめてくる少年に、美沙はもう何も言えず、「何でもない」と、笑い返すことしか出来なかった。

このまま、確実に時間が流れるのだ。最後の日までの時間が。

その、何とも言いようの無い割り切れない苛立ちが、美沙自身も気づかないうちに、心のどこかに澱のように蓄積されつつあった。


             ◇



「隆也、どうする? まだ寝るんだったら鍵、置いて行くけど」

まどろみの中でささやかれ、隆也がハッと上半身を起こすと、春樹はもうすっかり出勤の用意を調え、ベッドの隆也を見下ろしていた。

昨夜は帰るつもりだったのに、結局勉強会のあと睡魔に襲われ、春樹のベッドを占領してしまったのだった。今週3日も泊ったことになる。


「あ、わりい。うん、鍵置いてって。・・・あれ? 今日って退社日だっけ」

「うん、そう。覚えてくれてて、光栄です」

春樹はイタズラっぽく笑った。そこには、隆也が見る限り陰りは無かった。

「まあ、しばらくこのアパートにいるんだし、美沙さんとはいつでも会えるもんな。最後の日ってわけでもないか」

まだ寝ぼけた頭のまま何気なく隆也は言ったが、春樹は意外な返事を返してきた。

「うん、でも今日で終わり。この後たまたま会うことはあっても、僕の中では、今日がサヨナラの日」

「・・・ん? ・・・なんで」

「だって、いつまでも辛いから」

隆也が回らない頭で何か返そうと考えているうちに、春樹は 「じゃ、今夜は仕事終わりに送別会だから、勉強は無しな」 と軽く言うと、さっさと出て行ってしまった。

きれいに片付けられたテーブルの上に、ポツンと部屋の鍵だけが残された。


春樹が探偵社を辞め、大学に進学する。

その事は隆也がずっと春樹にすすめていた事であり、それが春樹の幸せだと思っていた。

それなのに、この空しさと寂しさは何だろう。

春樹の、どこか無理をしているような笑顔が隆也を苛んだ。


そうか、これは、春樹自身が幸せになるための選択では無いのかもしれない。

そんな想いがふっと頭をよぎり、その瞬間、全てが腑に落ちた気がした。

「結局、美沙さんの為なんだろ?」

隆也は、白い壁に声を出して呟いてみた。

それがきっと真相なんだという実感が壁から跳ね返り、やるせない気持ちで隆也は再びベッドの中にもぐりこんだ。

      

     ◇



その日のすべての業務を終えたあと、送別会は美沙と聡と春樹、3人だけで行われた。

賑やかな場所がいいと春樹が言ったので、聡はとびきり威勢のいい従業員が揃っている居酒屋に席を設けてくれた。

けれど余りにも威勢のいい声で挨拶や注文聞きをするので、まるで自分たちの会話が聞こえない。

聡は美沙に「賑やかにも、程があるわよ」とダメ出しを食らう始末だ。

春樹は、聡と美沙のそんなやり取りが可笑しくて、何度も笑った。

そして笑いながらやっぱりこれで良かったのだと心の中で納得した。

美沙が聡に寄り添い、笑っている。今の自分はそれを嬉しいと思える。

だから、正解なのだと。


一方でヒタヒタと押し寄せる“自分という生き物の異質感”だけは、やはり最後までぬぐえず、この賑やかな空間にいても、自分は“別もの”なのだという思いは膨らんで行くばかりだった。


今までの仕事上の楽しいハプニングや、今日、急用でどうしても来れなかった薫の話をネタに談笑し、2時間が過ぎた頃、聡の携帯に本社から電話が入った。

電話を終えた聡は、渋り顔でその内容を伝えた。

「すまない。本社の奴が張り込み中に警察とトラブったみたいで、ちょっと署まで行って来る。まあ、いつものことだけどね。相変わらず警察には好かれていないみたいだよ、俺たちの仕事は」

「ご苦労様。私ならちゃんと電車とタクシーで帰るから大丈夫よ。春樹も一緒だし」

美沙の言葉に頷いた聡は春樹の方に向き直り、そしてさっきまでとは違う、改まった表情で口を開いた。


「春樹君、今まで本当にお疲れ様。でも、これからも他人じゃないんだ。困ったことがあったら、何でも言ってくれ。ずっと君を応援してるからね」

「ありがとうございます、立花局長」


今回は握手を求められなかった事に、春樹は心底ホッとした。美沙はもちろん詳しくは言わないが、美沙と聡はたぶんもう、付き合っている。

聡に触れることはできなかった。


「じゃあ、ここで」

居酒屋の前で聡と別れ、春樹は先に駅の方角に歩きだした美沙を追った。


10メートルほど行ったところで、ほんの少し前を歩く美沙が不意に振り返り、春樹を見る。

その美沙の視線は、さっきまでとは別人のように冷やかで、針の矢のように鋭く春樹の胸に突き刺さった。

「・・・」

声が出せなかった。


胸が苦しい。


何事も無かったようにまた前を向いて歩き出した美沙の背中を、春樹はただ、無言で追うしかなかった。



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