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第21話 涙

《今朝、春樹といっしょに竹沢に会ってきました。分かったことを佐々木さんに報告します。》


夕刻、穂積隆也からそんなメールをもらい、佐々木は待ち合わせに指定された駅裏の公園へ向かった。


竹沢に会ったところで、きっと何も出ては来ないと佐々木は端から思っていた。

奴に会うことは最初から時間の無駄なのだと。

『竹沢も天野圭一も、犯罪とは無関係でした』と、涼しい顔で報告されるために、のこのこ出向く自分が腹立たしかった。

やはり早い段階で自分が美沙という女に接触した方が、何らかの結果を得られたかもしれない。


花壇とベンチと小さな滑り台しかないその公園に着くと、隆也と春樹が既に来て、植え込みの横のベンチ座っていた。

本当に春樹がこの場に来るとは思っていなかった佐々木は、かなり驚いた。

あの日自分が吐いた嘘が今思うと空々しく、決まりが悪かったが、それならそれで開き直り、あの弟に言いたいことをぶちまけてやろうと、そんな想いに駆られた。


佐々木の姿を認めると、二人の少年はベンチからスッと立ち上がった。

その表情はどちらも硬く、佐々木は少しばかり異様な気配を感じた。

とくに春樹の方は、その頬にも唇にも血の気が無く、視線を向けるとあの独特の憂いた目が不安そうに揺れた。

隆也が一瞬、辛そうに春樹の方に視線を移したのと同時に、春樹は無言のまま一歩佐々木の方へ歩み出た。

そしてゆっくりと腰を折り、深々と佐々木に頭を下げたのだ。

佐々木は一瞬何が起こったのか分からず、隆也の方を見たが、隆也はただ苦しそうに視線を反らせただけだった。


「・・・春樹君?」

「ごめんなさい」

春樹は頭を下げたままの姿勢で、絞り出すように言った。


「本当に、ごめんなさい」

そう言ったはしからポタポタと春樹の足元の土の上にシミが出来た。

泣いているのだろうか。なぜ。

それを見たからなのか。横で苦渋に満ちた表情をしていた隆也が春樹の肩をつかみ、力ずくでその体を起こそうとした。

「春樹、やめろよ。なあ・・・もう、いいよ。やめようよ!」

それでも体を起こさない春樹の肩を、怒ったように揺すった後、隆也は佐々木の方をぐっと睨んだ。


「ねえ、佐々木さん。もういいだろ? 春樹にいいって言ってやってよ。春樹は何もしてないのに。ねえ、そうだろ? あんただって春樹を責めてるんじゃ無いよね?」

「じゃ・・・分かったのか? 竹沢が全部喋ったのか? 圭一のことも、ビアンカのことも!」

佐々木は余りにも思いがけない展開に、目の前の少年達の悲しみに気を回す余裕も無かった。

「竹沢は何も喋らなかったよ。でも別の方法で探ったんだ。春樹は死ぬ想いでそれを調べたんだ。だからもう・・・」

「どうやって調べたんだ? なあ、何か証拠を掴んだのか? 竹沢をとっ捕まえられる証拠を」

佐々木は隆也の話を遮り、興奮気味に春樹の肩をつかんで、無理やり体を起こした。

春樹のその頼りなく細い肩は小刻みに震え、無理やり上げさせた顔には、涙に濡れた淡いガラス玉の瞳があった。

何かがトン、と佐々木の胸を突き刺した。


“・・・ああ、この涙は、この目は、どこかで見た。”


佐々木の背筋に更にゾクリとしたものが走り、そこではじめて少しばかりの冷静さが戻ってきた。

この悲しい目は、あの頃の妹の目だ。

絶望しか見えず、自分を蔑むことしかしなかった、妹の目だ。

苦痛と悲しみに耐えられず、自ら命を絶ってしまった、妹の。


「証拠は・・・」

春樹は佐々木に肩を掴まれたまま、必死で言葉を振り絞った。それが自分に課せられた使命だとでも言うように。

「ビアンカに入れていた画像データ。・・・それがまだ半分くらい竹沢の手元にあります。竹沢がこっそりUSBに保存して、自宅に隠しています。自室のデスクの、鍵付きの引き出し」

春樹はそこまで言うと再び顔を歪ませた。

「兄がやったこと、謝っても許される事じゃないです。でも、やっぱり兄の代わりに謝らなきゃって思って・・・。ごめんなさい。僕に出来ることなら何でもします。もっと証拠がいるなら、また竹沢と会って、もっと深く調べてもいいです。だから・・・」

「春樹君! もういい!」

余りにも大声で佐々木が叫んだので、掴んでいた春樹の肩がビクリと震えた。

怒鳴られると思ったのかその瞳は見開かれ、弾みで溜まっていた涙が頬を伝い落ちた。


「もういい! 分かった。ごめん、俺が悪かった。ごめん、だからもう泣かないでくれ。たのむ!」

そう言いながら、考えるより先に佐々木は春樹を力一杯抱きしめていた。

この少年の涙が妹、菜々美の涙と重なった瞬間、もうダメだった。

自分が汚され、醜い物体に成り果てたと嘆く妹と、家族全てを亡くし、更にその家族が罪を犯していたと知らされ、絶望の淵に立たされているこの少年と。何が違うというのか。


そして何より、自分の兄の非を認め、被害者に謝罪しようなどと言うことが、この状態で普通出来ようか。

『やはり兄は無関係だった』と言ってしまえば、もうそれで終われるものを。

およそ、その誠実さは佐々木の理解の範疇を越えていた。

この少年の中の潔癖は、この数年復讐の名のもとに憎悪を飼い慣らしてばかりいた佐々木には驚異ですらあった。

自分はこの少年に一体、何をしようとしていたのか。どんな制裁を加えようとしていたのか。


「もういい。充分だ。騙して近づいたりして悪かった。本当にごめん。悪いのは君じゃないんだ。君は謝らなきゃいけないことなんか、何もしちゃいない」

抱きしめた腕の中でその体が再び小刻みに震え出すのが分かった。

頼りない吐息が震えと共に、不規則に聞こえてくる。



もういい。圭一は死んだ。もうそれで充分だ。

あとは黒と確定できた竹沢を地獄の果てまで追いつめてやるだけなのだ。

春樹が教えてくれたデータの押収。もしそれがダメでも、方向を誤った思念では動かない。

きっと正攻法でしっぽを掴んでやる。


佐々木は一つ憑き物が落ちたような気分でゆっくり春樹の体から腕をほどくと、赤くなったその目を見ながら不器用に笑って見せた。


「ありがとう、春樹君。君のお陰で足元が見えてきたよ。俺はもう君たち兄弟のことは忘れる。君も、俺や妹や竹沢の事、全部忘れてくれ。この公園を出たら赤の他人になる。会ったこともない他人になる。勝手な言い分だとは思うが、そうしてくれないか。頼む!」


佐々木が今度は春樹に頭を下げた。

春樹は佐々木の言動に放心したように目を見開いていたが、やがてその全てを了解してくれたのか、まだ潤んだままの瞳でホワリと微笑んだ。

救われるような、優しい笑みだった。


妹も今、一緒に笑ってくれたんだろうか。


佐々木はほんの一瞬、そんなことを思った。




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