第18話 ダイブ
大学院を昨年卒業した後、竹沢雅人はこの就職難を物ともせず、大手電機メーカー本社に就職していた。
自宅に押し掛けるよりは、職場の方が逆に接触しやすいだろうという春樹の提案に賛同し、佐々木はすぐさま細かい情報を調べてくれた。
竹沢は昼は必ず同僚数人と会社近くのレストランに行くという佐々木の情報は正格だった。
12時を少し回った頃、佐々木が提供してくれた写真と同一の若い男が、女子社員ふたりと共にそのレストランの方へ歩いて行くのを、隆也と春樹は見つけた。
冷たい印象の切れ長の目とエラの張った浅黒い顔。
間違えようが無かった。
「あいつだな。行くか?」
しかし隆也がそう言い終わらないうちに、スターターを無視した走者のように、春樹はスイと物陰から飛び出して竹沢の方へ歩み寄った。
「竹沢さんですね?」
「・・・誰? あんた」
レストラン入り口で急に見知らぬ少年に呼び止められた竹沢は、あからさまに迷惑そうに眉をひそめた。
「5分で構いません。お時間頂けないでしょうか」
「はあ? またなんかの勧誘? それとも募金? 最近そう言うの多いんだ。全部お断り。他を当たってよ」
ハエを追い払うように手を振り、背を向けようとした竹沢に、春樹は更に言葉を投げた。
「天野圭一をご存じですよね。僕、圭一の弟なんです」
体に何か投げつけられでもしたように竹沢は動きを止め、振り返った。口が半開きのままだ。
「お伺いしたい事があるんです。ほんの少しお時間いただけますか?」
その春樹の言葉はそつなく丁寧だったが、そこには有無を言わせぬ気迫が漂い、一歩退いた所で見ていた隆也は少しばかり胸をえぐられる思いがした。
自分が持っているのとは全く違う「覚悟」と言うべき物が、痛いほ春樹の横顔に感じられた。
「ねえ斉藤さん、高木さん、先に店に入っててくれる? ボク少ししたら行くから、席とっといてよ」
竹沢は連れの女性二人にそう言い、彼女たちが視界から消えるのを待って、春樹に向き直った。
「5分だけだからな」
レストランから2店舗先の狭い路地で、三人は改めて向かい合いった。
竹沢は突然尋ねて来た春樹の目的を探るように、その目をチロチロ覗き見ている。
そこには、亡くなった友人の弟に対する感傷的な色は、どうしても窺えない。隆也の胃が、嫌な感触に鈍く痛んだ。
「天野の弟が、どうして今頃?」
「竹沢さん、兄とはサークル仲間だし、とても親しかったんですよね」
「まぁ、それなりに。でも圭一は友人多かったし、ボクなんか彼に取っちゃぁ、その他大勢の一人だよ」
「でも、最後に電話したのは竹沢さんだったと聞いています。警察の方から」
「だから何?」
竹沢の奥二重の目が不審そうに細まってゆく。
春樹は無表情だったが、隆也は二人のやり取りに一触即発の険しさを感じ、息が詰まった。
竹沢が不快な表情をするたびに隆也は、その男の正体がただの沼魚では無いという核心めいた予感に満たされて、堪らなくなった。
“春樹、もう帰ろう! もう、やめよう!”と、心が勝手に叫び声をあげた。
「兄とは最後、どんな会話をしたんですか? 今頃になって兄の生前の事が、いろいろ気になってしまって。それだけ教えてくださいませんか?」
春樹が抑揚を付けずサラリとそう言うと、竹沢はフッと苦笑の息を吐き出した。
「別にいいよ。警察に何回もしつこく聞かれたし、復唱できるくらい覚えてる。でもほとんどサークルの話で、聞いたって退屈なだけだよ。院の課題もハードになってきたし、そろそろサークルの方も解散して勉強に身を入れなきゃなって、そんな話」
「どんなサークルだったんですか?」
「ええ? そこから訊くの? ネット上でさ、不要品リサイクル売買の中継ぎをしてたんだ。大学からは金品を扱う企業もどきのサークルは認められてなかったから、事実上ヤミサークルではあったけどね。・・・ねえ、もう10分経った。昼休み、なくなっちゃうんだけどな」
「兄の電話のあとすぐに火災が起きて、竹沢さんどう思われましたか?」
「・・・は?」
一瞬二人の間に更に棘々しい空気が漂った。
「春樹。もう充分だろ? 帰ろう」
隆也は堪らなくなり、ジャケットの上から春樹の腕を軽く掴んで引き寄せた後、竹沢にぺこりと頭を下げた。
「どうもありがとうございました、竹沢さん。お時間取らせてすみません」
竹沢は何とも苦々しい視線を隆也と春樹に送ったが、その後は肩をすくめて 「はい、じゃあね」、と言っただけで、そそくさとレストランの方へ歩き出した。
「春樹、な? やっぱり何でもなかったろ? これで佐々木さんも納得して・・・」
そう隆也が言い掛けた時、去ってゆく竹沢の背を見ていた春樹がゆっくりとこちらを向いた。
それはほんの一瞬だった。
怒りとも絶望とも放心とも付かない目。悲しくなるほど色の薄い瞳を微かに揺らし、春樹は隆也に語りかけてきた。
言葉ではない声。
《行くね》
まるでそれは、決心も付かぬままビルの屋上から身を投げる人間のようで、およそ隆也の理解を超えた行為だった。
瞬時に何か対策を取る間も与えてくれず、春樹はフワリと走り出した。
少年の足はビルのコンクリートを蹴り、重力という悪魔しか住まない天空に身を投じたのだ。
疾風のように近寄り、竹沢のむき出しの腕を素手でグッと掴んだ春樹を見ながら、隆也は絶望の狭間にそう思った。




