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第15話 禁じられた行為

《隆也はいつも11時だろうが12時だろうが、お構いなしにフラリと遊びに来てたじゃないか》

電話の向こうの春樹の声が、あまりにも切羽詰まっている気がして、隆也は内心慌てた。

予防策として春樹に会わずにいることが、春樹を苦しめているなどと、隆也は夢にも思っていなかったのだ。


美沙のことであんな電話をするんじゃなかった、春樹の声を聞くんじゃなかった。

隆也はもう、ほとんどの学生が帰ってしまった予備校の教室で、一人ポツンと椅子に座り、自分の馬鹿さ加減を呪った。


今日の夕方、ゼミの夜の部が始まる前にと思い、美沙と喫茶店で待ち合わせをしたのが7時30分。

けれど美沙はいつまでたっても現れず、ゼミに遅刻するギリギリになって隆也が掛けた電話に出たのは、まるで別人のように生気の抜けた本人の声だった。

『行けなくなってごめんね、隆也。・・・また、今度』

その声の向こうで、《大丈夫? さあ、車へ》 という男の気遣うような声が聞こえた。電話を切った後、隆也のいる喫茶店に入ってきた客がマスターに、「すぐそこで、通り魔かなんか出たみたいだね」と話しかけていた。

美沙に何かあったのかと思いつつも、取りあえず予備校に走り、その少し後ようやく春樹に確認の電話を入れたのだ。

あんな声を出した美沙にもう一度、直接電話を入れる気にはなれなかった。


「ホイ、穂積どうした? 教室閉めるぞ? 泊まり込む気か?」

のぞきに来た塾講師にそう言われ、隆也は苦笑しながら教室を出た。

外に出ると、まだ11月末だというのにやけに冷え込み、隆也は厚手のジャンバーを着てこなかったことを激しく後悔した。


「隆也」

不意にどこかから声がし、隆也はビクリとして辺りを見回した。

誰の声なのかは明白だった。

「春樹!」

ガランとした自転車置き場の塀にもたれて、ジャケットのポケットに手を突っ込んだままの春樹が、隆也を見ていた。

「春樹。なんでこんな所にいるんだよ。こんな時間に」

「うん、・・・ちょっと暇だったし、ぶらっと寄ってみた」

春樹のマンションからここまでは市バスで10分。さほど遠くは無いが、暇だからと言って11時過ぎに尋ねてくる場所ではない。

そして今まで春樹がそうやって、ここに来たことなど一度も無かった。

いつ校舎から出てくるか分からない隆也を、春樹はずっとここに立って待っていたのだろうか。


「こんな所に来たって、俺、もう家に帰るだけだぞ?」

「うん、分かってる。ちょっと一人で部屋に籠もっていたくなかっただけだから」

隆也は無表情でそう言う春樹の目をじっと見つめた。

口では何でもないように装いながら、その目はまるで、別の何かを見ているように思えた。

何かが違う。いつもの春樹ではない。

まるで薄く伸ばされたガラス細工のように、空気の振動だけで割れてしまいかねない脆さを感じた。

「なあ、どうした春樹。何かあったか?」

春樹に少し近づきながら隆也はじっとその目を覗き込み、本心を探ろうとした。

自分が少しばかり避けたくらいで、この友人の心にそんなダメージを与えるとはどうしても思えなかったのだ。

美沙と何かあったのだろうか、と。


その時。

あまりにも自然な動きで春樹の腕が伸び、その手は少しも躊躇うことなく、しっかりと隆也の左手首を掴んだ。


予想もしなかった行為に隆也は一瞬ポカンとし、直後、蒼白になった。

春樹が隆也の肌に触れたその瞬間、バシリとあるはずのない衝撃を感じ、まるで感電した人間のようにお互い身動きも取れずに固まり、絶句した。

仕掛けた本人の春樹は目を見開いたまま隆也を凝視し、一方の隆也はもはや春樹の手を振り払う事も出来ず放心した。


「何・・・。隆也、それ、どういう事?」


ガラス玉のような瞳を小刻みに揺らして春樹が呟いた時、はじめて隆也は我に返り、春樹の手を力一杯振り払った。

「何すんだよ!」

「それ、どういうことだよ、隆也」

「何がだよ! なんでこんな事するんだ! お前今まで一度だって・・・こんなこと・・・」

「これが僕だから!」

春樹は目を見開いたまま吐き捨てるように言った。

今まで聞いたことのない、まるで怯えた犬が懸命に四肢を震わせ吠えるような、悲痛な声だ。

「僕は知りたいと思う人間の心を覗けるんだ。知ってたろ?」

「なんで! 何で今、俺を・・・」

「隆也だけは僕に嘘吐かないし、理解してくれてると思ってた。でも、・・・。やっぱり隆也には、僕の能力を知られちゃいけなかったのかなって。隆也も美沙も・・・みんな居なくなる気がして・・・だから」

「だから心を覗くのか?」

「・・・」

「俺ならいつ覗いても構わないと思ったのか? 俺ならいいのか!」

「好きなように思ってくれていいよ」

「そんな卑屈な言い方はよせって言ってるだろ!」

「もういい。隆也がどう思おうと、もう構わない。でも」

春樹の目は次第に赤みを帯び、そしてそれとは対照的にその頬は蒼白さを増し、唇が小刻みに震えた。


「今のは何なんだよ隆也。兄貴がなにをしたって? ポルノって何。放火って何。あの男の人は兄貴の友達だって・・・そう言ったのに。なあ! 隆也は何を吹き込まれてきたんだよ!」

春樹の悲痛な叫びが凍り付いた夜気を震わせた。


一番起こってはいけない事態が今、起こってしまったのだ。

避けようと思えば避けられた。

春樹に余計な傷を負わせてしまったのは、他でもない自分自身なのだ。

けれど自分の迂闊さを呪っている時間は無かった。

何とかしなければ。

この友人の心にこれ以上大きな痛手を負わせる前に、何とかしなければ。


「来いよ」

隆也は春樹のジャケットの腕を強く掴み、半ば強引に歩き出した。




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