教授と私と真夏の炬燵
教授からの呼び出しの電話が鳴ったのは、カレンダーが八月に変わって間もない猛暑日の真っ昼間のことだった。
海に誘ってくれるような男もいない。アパートで昼から寝汗をかいていたとはいえ、学生にとっての夏休みは神聖不可侵。厳重な抗議が口から出掛かったところで、教授の研究室には、やたらと騒音を立てしょっちゅう床を水浸しにしてくれるが、冷却能力だけは超優秀な旧型クーラーがあったのを思い出す。
窓を開けても軒先に吊した風鈴は微動だにせず、扇風機が温風を吹きつけてくるようなこんな日には、人様の電気料金で避暑というのも悪くない。
ぬるいシャワーを浴びて汗を流し、Tシャツと短パン姿で大学に向かった。
炎天下、じゅうじゅうと音が聞こえそうなアスファルトの上で、半ば炙り焼きになりつつ大学の構内に入る。お土産に買ってきたガリガリ君はすっかり不定形のスライムに変身済み。ようやくたどり着いた研究室の戸を開けると、蒸し風呂のような熱気の中、教授が炬燵に入っていた。
とうとう気が触れたか。
常々、天才とナントカの境界線上を、専らナントカ側に足を踏み外しながらよろめき歩いているような人物だと思っていた。ここ数日の暑さに、ついにあちらの世界に完全に転げ落ちたらしい。
せめて介錯は私が。この時に備え、以前から戸口の脇に立てかけてあった木刀を手に取る。
「や、来たね。君も炬燵に入りたまえ」
ニヤニヤと笑う狂人の首を、一息に落として楽にしてやろうと振りかぶったところで、その顔に汗のひとつも浮かんでいないことに気が付いた。
*
『真夏用炬燵』
教授が開発したそれは、赤外線ヒーターの代わりに、高効率の冷却装置を取り付けた冷房器具だった。
新方式の冷媒を用い、室外機は不要。炬燵布団には吸熱効果の高いジェルマットを採用し、更には天板にも導管が通され、効果的に熱を発散する。冷却された空気は炬燵から外に逃げることがないので、省エネ効果も高い。
万一セクハラなどしたら殺す、と釘を刺した上で、教授の対面に潜り込んでみたところ、室温の高さすらまるで気にならず、確かに非常に快適である。
素晴らしい発明だ。
私は常々、ややもすれば変人と後ろ指を指されるこの教授を、いつかは必ずや目覚ましい業績を成し遂げる人物だと確信していた。
これまでは散々、豚の餌にもならないガラクタばかりを量産してくれた。ひとえに教授のためを思い、心を鬼にして、非難叱責、罵詈雑言の数々を浴びせてきたところであるが、目の前の偉業には、惜しみない賞賛の言葉が口をついて出る。
「まあ悪くないんじゃないですかね」
「そうかそうかそう言ってくれるか」
いつもは、鞭十割の辛辣な言葉を嬉々として受け入れるのを見て、真性の変態だと思っていたこの男。実は褒められて伸びる子でもあったようだ。真夏用炬燵の原理を応用し、不眠不休で次々とアイディアを形にしていく。
『真夏用石油ストーブ』(灯油を燃焼させた熱を冷却筒で冷気に交換する。やかんを乗せておくと氷水の製造も可能)
『真夏用ホットカーペット』(カーペットの裏に冷媒を封入したヒートパイプを張り巡らせ、床面全面から冷却する)
『真夏用ガスコンロ』(沸騰したお湯でもたちどころに凍らせる高火力)
『真夏用どてら』(綿の代わりにひんやりジェルを裏地に入れた丹前。炬燵とセットで使用)
『真夏用ゆたんぽ』(金属製の容器に氷水を入れてタオルで巻く。足元に入れておくと気持ちいい)
『真夏用土鍋』(真夏用ガスコンロで。冷しゃぶサラダから冷麦まで、幅広い調理方法に対応)
etc.etc.……
*
外は真夏の炎天下、何台ものストーブに囲まれ、どてらを着込んで炬燵に潜り込み、教授と二人差し向かいで土鍋をつつく。
「ききき教授ちちちょっとすすすストーブが強すぎじゃないですか」
「そそそうかねまま待ちたまえいいい今真夏用熱燗(冷酒のことである)を持ってくるから」
室温は氷点下。歯の根もろくに噛み合わず、どてらの襟元をぎゅっと合わせて丸くなる。窓枠には長いつららが何本も下がっている。教授が鍋を用意する間に炬燵で寝て待っていたら、夏風邪を引いてしまったらしい。鼻水がずるずると垂れる。
「ひひひ冷えるな。ここ炬燵が恋しくなる」
「ままままったくですね」
あ、と教授と私は顔を見合わせた。
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