8
「浩衛。」
ユウマの声に、ヒロエは自分を取り戻した。
そこに現れる感情。
初めて抱く、なんとも醜い。
「多久兎は?」
ユウマが玄関奥のタクトの部屋をのぞく。
そこにはもう何もない。無機質な部屋。
タクトがいたという事実すら、カコは消し去ってしまう。
「いない。多久兎はいってしまったから・・・。」
涙ももうでない。乾ききって、心が冷たい。
「行った?どこへ?」
「過去だ。」
「カコ?」
ユウマは繰り返す。
それが、心の中心をえぐる針のように、ヒロエは感じた。
「ああ。」
「どういう・・・。」
そしてあたりを見回して、「保住さんは?」と聞いた。
“保住”は、ナナコの、そして彼女の祖母の苗字だったと、ヒロエはぼんやりと思った。
「七胡も、行った。」
「それも、カコに?」
ヒロエはうなずく。力なく。
ユウマはしばらく黙った。
とにかく部屋に入ろうといったユウマの言葉に、まるで子供のように純粋にヒロエは従った。
居間には、3人の使っていた椅子が合ったが、まるでそこに生活感はない。
夕日が差し込み、不気味な暗さだけがそこにあった。
ヒロエは自分の席へ。ユウマは、向かいの席へ座る。
それは、タクトの席だった。
「・・・多久兎はいやがらせを受けていたよ。」
ユウマは低い声だった。
「あぁ・・・」
それに、ヒロエもつられた。
「知ってたのか。」
ユウマは驚いた。
「あぁ・・・どうにかしようとするんだ。いつも。でも、無駄に終わる。」
「いつも?」
「七胡が言った。多久兎は、変えようとしていたんだ。俺たちのミライを。そのために、チカラを使っていた。ゆがみを消すために。」
(それはいつからだったのだろうか。)
ヒロエはできうる限りの記憶をたどる。
それは、イツノトキのものだろうか?
思い出せるのは、ただ季節はずれのあの雪。
ガラスの破片が、雪へと変わっていく美しいさま。
彼の最後の悲しくも美しいチカラのさま。
「よく、わからない。つまり、いやがらせが原因じゃないのか?」
ヒロエは何も答えられなかった。
(ユウマは、嫌がらせを受けたことで、2人がいなくなったとおもっているのだろうか。)
違う。
「俺が、いけないんだ。ゆがみを正せず。結局2人を失った。」
『私、行くわ。』
ナナコの言葉を反復する。
『多久兎を連れて帰ってくる。ミライを戻すの。』
(ナナコ。そんなことをしたら、君までも。)
『浩衛、ごめんなさい。私、彼を愛しているの。彼を、愛しているのよ。』
(俺を1人にしないでくれ。)
『たとえ、私のチカラを失っても。』
(ナナコ!)
『たとえ、戻れなくても。私は、彼と共に。』
(待ってくれ!ナナコ!)
ヒロエの瞳から、また一筋の涙が流れていく。
ユウマはそれを黙ってみていた。そして考えていた。
タクトのことを、ナナコのことを、そしてヒロエのことを。
タクトが嫌がらせを受けるたびに、ナナコが教室を飛び出していったことを、ヒロエは知らなかったのか。
ナナコが、危険を顧みず、タクトを守ろうとしていたことを、なぜヒロエは知らなかったのだろうか。
それは、タクトのわずかな“とまどい”が生んだキセキ。
失いたくないと、願うタクトの想いが風に乗ってヒロエの目を掠めた。
(ヒロエ、俺は、このままお前の望む世界と共に―)
夕闇が訪れようとしていた。
涼しげな風が、どこからともなく入り込んできた。
それを、ヒロエは深呼吸して肺に入れた。
取り交わされる動きを感じて、ヒロエはまだ自分がここにいる意味をといたださずにいられなかった。
「なんで・・・。」
「え?」
「悠馬は、ここにいるの?」
「ここ?」
「この、世界に。」
ユウマの目には、かすかな西日の太陽が差し込んで、そこに輝きがあった。
ヒロエは言う。
「世界は、決して永久的じゃない。時間軸では永久だけど、生きていく上ではコレは永遠じゃない。この先におこる“ミライ”は、決して保障された世界じゃない。俺は、タクトもナナコも失いたくない。いつか言っただろう。永遠に一緒にいられる“チカラ”を失ってしまうことは、俺には“ミライ”も、世界をも失うことと同じことなんだ。・・・七胡は、この先にある確かな約束よりも、限られた時間の中にある幸せのために。多久兎は、この先にある“ミライ”のために、不確実な物に向かっていって…そして残った俺が、ここにいるのはなぜなんだろう?もう俺のチカラは使えない。二人がいないのだから。」
「浩衛・・・。」
太陽が沈む。
部屋が暗くなったが、明かりはつけなかった。
徐々に慣れたヒロエの目は、ユウマの輪郭をはっきりとつかんでいた。
「お前のいう“力”は、浩衛、俺にはない。俺はただ、この場所で、この時を生きなきゃいけない。だから、俺の“大切なもの”が、コノ手から離れていってしまって、失ってしまうのはとてもつらいことだけれど、受け入れなければいけないことだから。言ったろう?俺は、ここから逃げ出せない。たとえ、受け入れられないものがあったとしても。」
「受け入れろということか?」
言葉が沈む。
「お前は、どうしてここにいるんだ?浩衛。」
3人には“チカラ”があった。それは3人が常に“共に在る”ための“チカラ”。そしてそれは、この先の未来を生きるための。
だが、タクトはその“チカラ”で、過去へ行ってしまった。
そして、そのタクトを追って、ナナコもまた。
それは、起こることのない奇跡。
それは、もう二度とともに歩むことのない未来。
それは永久の別れ。
“別れ”
「そうか・・・俺も、選んだんだ。」
ヒロエは言う。
「この世界に残ることを。」
それは無意識下での真実。
「どうして?」
ユウマは聞いた。
「お前がここにいたから。」
ユウマという友が。
ユウマは小さく笑う。
それは寂しげだったが。
「ありがとう。浩衛。」
お前の中に俺がいないのが『少し寂しい。』
友として、大切なものに絶対に入らないから、『傷ついた。』
「ずっと・・・一緒だったんだ。」
ヒロエは言った。
「うん。」と、ユウマは答える。
「生れ落ちた場所も。」
「うん。」
「育った時間も。」
「うん。」
「そして、この先のミライも。」
「うん。」
「でも、世界には俺たちだけじゃなかった。」
「うん。」
「世界を一番ゆがめたかったのは俺だったんだ。」
月が出る。
満月が東から昇る。
窓から入る。
タクトと最後に話したときを思い出す。
傷ついたタクト。でも。
「それを罪だというの?」
ユウマは言う。
「・・・いや。」
ヒロエはわかった。
「お前を否定することになる。」
ヒトの欲望は、時に意味もなくそこに横たわり、気がつくとそれで誰かを傷つける。
タクトがそうであったように。
ナナコがそうであったように。
ただ、それが純粋に欲しいと望むことだからこそ、ヒトは見失い、そしてそれを手にする。
「俺も、望んでいたんだ。3人が苦痛だったわけじゃない。けれど、どこかで俺は、コノ世界に絶望していたのかもしれない。」
毎日流れる不可解な事件。
腐敗した世界。
傷つけあう時代の繰り返し。
それは3人が共に歩んできた時の中で幾度となく繰り返された現実。
「だけれど、希望を手にしたかった。」
この世界は、まだ捨てたものじゃないんだと。
時には血にまみれたこともあった。
ヒトの死に行くさまをこの目に焼き付けたことも。
その先が怖くなって、進み出せないときもあった。
だけれど、選んだ。
そして行き着いた場所は、これまでにないほどの平穏で穏やかな毎日。
そこで選んだ、3人の選んだ道。
「俺は、コノ世界に残ることを望んだ―それが俺の選んだ道だけど、そこにはやっぱり2人を失うことまでのぞんだわけじゃない。」
「どうするんだ?」
「呼び戻す。」
「できるのか?」
ヒロエは寂しげに笑う。
「わからない。でも、やれるだけのことはやるさ。多久兎も、七胡も、きっとそうだった。」
『保住』と書かれた表札を抜ける。
ナナコの祖母は、ヒロエが来るのを待っていた。
祖母は何も言わず、ヒロエを家の中にあげてナナコを“呼んだ”。
何度も
何度も
嗚咽が混じる祖母の声に
ナナコは返事をしなかった。
そして、タクトも。
それは、ゼロに等しい可能性を意味した。
「そうか。」
青い空を見上げながら、ユウマは言った。
学校の屋上は、風が常にやわらかくそこにあった。
「うん。」
傍らに座るヒロエは、答えた。
「生きてるのか?」
「さぁ・・・。カコは・・・“変えられない真実”だから。」
「変えられない、真実。」
「たぶん、2人がいなければ、きっと俺はここにいないよ。」
ユウマはヒロエを見上げた。
ヒロエは笑っている。
それは、決してこの空に似合いのものではないけれど。
「そうか。」
「うん。」
チャイムが鳴る。
遠くで、ヒトの声がする。
それは懐かしい、いつかの日々の。
―完―
実は、この原作は私が見た夢なんです。
なんとも不思議で、そして思いのほかはっきりと覚えていたのを形にしたくて書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!