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「多久兎、いる?」
特進の生徒がヒロエを振り返った。
それは単に好奇心の目というよりも、疑心や、羨望、枯渇した何かを訴えるような目で。
ヒロエはしばらくそんな目を知らない。
特進のクラスは、緊迫した雰囲気だった。
それが自分のせいなのか、もともとのせいなのか、ヒロエは考え、そしてすぐにやめた。
「いないけど。」と、ドアのそばにいた男子生徒が答えた。
「今日は、学校に来てないよ。」
いつかタクトの教室に来た特進の生徒が、近づいてきた。
見つめた目の奥に、青白い光を見た。
ヒロエはそれが何かを知っていた。
それを奪い去るには、ヒロエは自分の“チカラ”を持ってすれば簡単だとわかっていた。
それは時折、罠のように感じる、“合図”
黙って、ヒロエは教室を見渡す。
「アイツは、来ないよ。」
男子生徒は、薄笑いを浮かべてそういった。
「多久兎はどこ?」
「さぁ、今頃、天国かも。」
今度の”合図”は、明確だった。
男子生徒の眼の奥にある光が、ゆがんだのがわかる。
タクトが静かなる月ならば。
ヒロエが燃え盛る太陽だった。
ダンッ!
騒がしくなる教室。
誰かが、倒れた“彼”のそばに駆け寄る。
名前を呼ぶ。
それを、ヒロエはまるで無声映画のように見ていた。
そして人ごみの隙間から、―それは後ろから2番目、窓から2番目の―タクトの席を見た。
ぽっかりと何かが抜け落ちたような空気のようだった。
ヒロエは席に近づく。
席に触れると、鉄の冷たい感触が手のひらの感覚に移り、そしてすぐに自分の体温も飲み込んでいった。
椅子は軽く轢くと音が鳴った。
乾いたおとが。
ヒロエはなんだが奇妙な予感がした。
それは、不確か過ぎてヒロエにはつかめない。
そしてタクトを想う。
この場所で、彼はどう過ごしていたんだろう?
家に帰っても、タクトもナナコもいなかった。
静まり返った薄暗い部屋は、ヒロエを奇妙な感覚へと押し込んだ。
それはまるで、暗闇が後ろから覆いかぶさってくるような興奮や、
大波が前方から自分を飲み込む恐怖や、
握り締めたナイフを自分の左胸に突き刺す不安のような。
(そういえば)
ヒロエは思った。
(この“生きてきた”中で―)3人の教室が別れたのは初めてだった。
それは、何億年もかけて作り上げた氷河が、崩れ落ちる音を聞いたような感覚が。