しんるのちゃん
東京に上京して三年目。
流行りの可愛らしいお菓子を持って、お盆休みに帰省した。
駅から家に続くアスファルトの道を延々と歩く。
茹だるような暑さの中、蝉がけたたましく鳴いている。
左手に公園が見える。
この公園を通ると思い出す。
ベンチの横に立っていた、長い髪のあの子のことを。
あれは小学五年の夏休みだった。
青空の下、蝉の鳴き声が聞こえる。
「よかったら一緒に遊ぼう? 俺はクラスでなかけんって呼ばれてる。中本賢哉でなかけん。君は?」
俺は、俯く彼女にそう話しかけた。
「しん……ど……るの」
とてもか細い声だった
「ああ!! 進藤瑠乃ちゃん? じゃあ、しんるのちゃんだね」
彼女は俺を見ずに、一定のリズムで何度か自分の名前を繰り返す。
「もしかして、誰か待ってるの?」
彼女から返事はない。
「約束でもしてるの?」
やはり答えない。
変な子だと思った。
翌日、また公園に行った。
例のあの子が昨日と同じ、ベンチの横に立っている。
様子を伺っていたけれど、彼女は誰かと遊ぶどころか、一日中その場から微動だにしなかった。
そしてまた数日後。
その日も彼女はベンチの横に立っていた。
俺は懲りもせず、帰り際にまた声をかける。
「誰を待っているのか分からないけど、こんなに待っても来ないんだから、きっともう来ないよ。待つのをやめたら?」
彼女は黙っている。
「ただ立っていて楽しい?」
しんるのちゃんは、左右にゆっくりと首を振る。
彼女の綺麗な長い髪が揺れた。
「じゃあさ、じゃあ、明日は俺と一緒に遊ぼう?」
「約束は……しない」
彼女は答えた。
返事をしてくれた。
それだけで、なんだか嬉しかった。
そして、次の日から彼女は俺と一緒に遊ぶようになった。
約束しないと言ったけれど、彼女はいつだって俺より先に来て待っていた。
夏休みが終わる頃、しんるのちゃんはようやく笑顔を見せた。
でもそれ以降、彼女が公園に現れることはなかった。
暫くして、公園によく来ていた他の子に彼女を見ていないか尋ねてみた。
みんな不思議そうな顔で答える。
「そんな女の子は知らない」
「そんな女の子はいなかった」
「君はずっと一人で遊んでいただろう」と。
その時、ようやく気づいた。
あの時、彼女は自分の名前を答えたわけではなかった。
「死んでるの」
そう言っていたのだと理解した。
それから更に、数年後に知った。
高校の同級生に、たまたま彼女の知り合いがいたのだ。
あの年の夏休みが終わる頃、原因不明の高熱が続いていた、渡部瑠乃ちゃんは無事に退院した。
渡部瑠乃ちゃん。
その少し前に、瑠乃ちゃんの友人が肺炎を拗らせ、亡くなっていた。
彼女の名は河本ありす。
体が弱く、雨の中、瑠乃ちゃんをこの公園で待ち続けたことが死亡の要因となったらしい。
瑠乃ちゃんはありすちゃんとの約束を忘れ、公園には来なかった。
ありすちゃんは学区外の子で、瑠乃ちゃんとはたまたまこの公園で知り合い、友達になったのだ。
だから、瑠乃ちゃんはありすちゃんが亡くなったことに、長い間気づかなかった。
彼女は待っていたのではない。
ここで願い、呼んでいたのだ。
「死んで、瑠乃」と。
どうして瑠乃ちゃんを呼ぶのを止めてくれたのかは分からない。
俺を呼ぶことも、しなかった。
最後に見た、彼女のあの笑顔が忘れられない。
「約束はしない、か」
俺は呟く。
彼女が佇んでいた横のベンチに菓子を置き、あの日と同じ眩しい青空を見上げた。
『発音の妙』をテーマに書かせていただきました。
お読みいただきありがとうございました。




