第40話・逃亡の果て
「ディ、ディスタル様? どうしてっ……」
「どうしてだと? わからないか?」
ディスタルの腕が、アリアを胸に抱き寄せる。
アリアは、
「止めてくださいっ!」
と、精一杯の力でディスタルの胸を押し、彼から離れようとした。
「おい、暴れるなと言っているだろう。落ちるぞ!」
「落ちても構いません! お願いだから、離して!」
だが、ディスタルの逞しい腕は、アリアをしっかりと捕まえて、離してくれなかった。
それでもアリアは、必死にディスタルの腕から逃げ出そうと、体を捩る。
「まさか、お前が戦況に関わる存在になろうとはな……」
「一体、何の事ですかっ」
アリアはディスタルを睨みつけたが、それはディスタルを楽しませただけだった。
「いい表情をするようになった。俺の婚約者だった頃は、つまらない人形のようだったのにな」
「い、今の私は、リカルド様の妻です! 貴方の婚約者だった頃の私とは違います!」
「俺は、お前が誰のものでも、全く構わん。誰からでも奪ってやるさ。そして、俺好みの女に調教してやろう!」
「何を、言ってるんですかっ」
頰を殴り、ディスタルの腕から抜けだして、馬から飛び降りようとしたが、また阻止された。
「おいおい、このスピードで走っている馬から飛び降りるなど、下手したら死ぬぞ」
「構いません! リカルド様でない、他の男の人のものにされるくらいなら、死んだ方がマシです!」
「ははは、いいな、アリア。お前は必ず俺のものにしよう!」
「なりませんっ! お願いですから、放してくださいっ!」
自分の力だけでは、ディスタルの腕の中から抜け出すのは、難しいかもしれない。
もちろん逃れる事を諦めるつもりはなかったが、助けは来ないのだろうかとアリアは周りを見回した。
「ここはウクブレスト領だ。つまり、俺の庭のようなものだ。簡単に見つからない道くらい、いくらでも知っているさ」
誰も助けに来てくれないのは、そのせいなのかとアリアは思った。
だが、そうなると、何としてでも自力でディスタルから逃げないといけない事になる。
馬から落ちても、即死でなければ回復魔法でなんとかなるはずだ。
そう思い、思い切り暴れようとしたアリアは、突然馬を止めたディスタルに驚いた。
「ディスタル様?」
ディスタルがどこか遠くを見つめたまま、どういう事だ、と小さく呟く。
何があったのだろう?
疑問に思いはしたが、これが最初で最後の逃げ出すチャンスかもしれないと、アリアはディスタルの腕から抜け出し、馬から転がり落ちた。
「いたっ……」
「お、おいっ」
アリアの上げた小さな悲鳴に気付いたディスタルが、再びアリアに手を伸ばそうとする。
その時、アリアはディスタルの背後に、金色と黒の、傷ついた二匹のドラゴンの姿を見た。
そして二匹のドラゴンは、ディスタルに向かって鋭い爪を持つ腕を振り下ろした。
「コウリン! カゲツヤ!」
ディスタルからアリアを助けてくれた金色と黒のドラゴンは、どちらもその巨体に傷を負っていて、血まみれだった。
ウクブレスト軍と戦ったハルカゼたちも怪我をしていたが、今のコウリンとカゲツヤの怪我は、ハルカゼたちが負ったものとは比べられないくらい、ひどいものだった。
「あなたたちドラゴンがこんな怪我をするなんて、一体何があったの?」
アリアは痛々しい二匹のドラゴンへと、回復魔法をかけた。
そして、助けてくれてありがとう、と礼を言う。
それから、アリアはコウリンとカゲツヤがその爪で引き裂き、目の前で倒れているディスタルへと目を向けた。
ドラゴンの鋭い爪で切り裂かれたディスタルは、このまま放っておけば、間違いなく死んでしまうだろう。
一瞬、ディスタルは自分や両親、弟のクリスにひどい事をしたのだから、これは彼が受ける当然の報いなのかもしれない――アリアはそんな事を思ったが、首を横に振った。
どんな人間でも、もう人が傷ついたり亡くなったりするのを見たくなかった。




