9.半年で、織との関係は“生活”になっていた
次の日は日曜日で、裕介は休みだった。
結局、昨夜はあのあと、もう一度互いを求め合った。
織の身体は、痩せすぎてもいなければ、ふくよかというわけでもない。
作家という職業柄、しかも女性であることを思えば、もう少し丸みがあっても不思議ではないのに。
彼女は、必要なところにだけ静かに肉がついた、しなやかな体つきをしていた。
織は、自分の魅力に気づいているのか、いないのか。
裕介は、布団の中で織の背後から、豊かな胸に手をやり、織のくびれに手を添えながら、そう思っていた。
「ねえ、裕介」
「…ん?」
「お腹すいた」
スマホを見ると、午前11時。
「いつも、何食べてるの?」
「普段は、私、夜しか食べないよ。ずっとコーヒー」
「…そうなんだ」
「ずっと、書いてる」
「そっか…」
裕介は、布団から起き上がる。
カーテンの隙間から差し込む光が、少しだけ眩しい。
きっと外は暑いだろう。
スマホが、鳴る。
ラインの通知だ。
妻の彩からだ。
【今日は何時頃、帰ってくる?】
裕介は、返信を打つ。
【多分、18時くらい】
【私達、出かけてるかも】
【大丈夫だよ】
スマホを置くと、織が見つめてくる。
「奥さん?」
「…うん、今日、何時頃帰ってくるのかって」
「ふうん、で、どうするの?」
「18時くらいに帰るって送った」
「明日、仕事だしね」
「正直言うと、帰りたくないけど」
「だめよ」
「え?」
「裕介には、まだ帰るべきところがあるから、ね」
「帰るべき、か」
ぐう、と織のお腹がなる。
「あ、俺、行ってくるよ、なんか買いに」
「…お願い、あ、お金」
「昨日の分、残ってる」
裕介は、布団から出ると、脱いでいたTシャツとトランクスを身に着け、スラックスを履く。
財布とスマホをスラックスのポケットに入れる。
「着替え、速いね」
「行ってくる、欲しいものあったら連絡して」
玄関のドアが閉まる音がする。
織は、気怠い身体を起こし、毛布を引き摺るようにして、玄関の鍵をかける。
そのまま、リビングのPCを開き、書きはじめた。
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そんなふうにして、気がつけば織の部屋へ通うようになってから、もう半年ほどが過ぎていた。
今日は水曜日。
世間では“ノー残業デー”などと言うが、最近の裕介は、そもそも残業というものをしていない。
一時期は監査対応だの書類作成だのと面倒な仕事もあったが、一度形にしてしまえば、あとは流用できる類のものばかりだ。
そもそも、仕事に興味がない。
家族と自分が食べていくためだけに、ただ出社しているだけだった。
せめてもの救いは、仕事そのものが楽だということだった。
子どもの成長をきっかけに、妻との時間をもう少し取り戻したい――そんな思いも、どこかにはあった。
だが現実には、娘は高校三年生になってもバイトもせず、毎日、母親の送迎で学校へ行き、弁当まで作ってもらっている。
家の中の流れは、いつの間にか妻と娘の生活リズムで完結してしまい、裕介の入り込む余地はほとんどなかった。
結局、夫婦としての営みも、なかなか持てないままだった。
そんなふうに積もっていった不満が、爆発してしまう前に、織に出会えたことは、ある意味で救いだったのだと思う。
家に帰り、風呂に入り、飯を食べて、小説を読む。
その変わらないルーティンに、ひとつだけ新しく加わったのが、織とのLINEだった。
読んでも読まなくてもいい。
既読スルーでも、短い返事でも、どちらでも構わない――そんな、ゆるい距離感のまま、平日の夜に時々やり取りを交わす。
万が一、見られてもいいように、表示名は男の名前にしてある。
とはいえ、彩が裕介のスマホを勝手に覗くことなど、これまで一度もなかった。
【今、織の小説読んでる】
しばらくして、返信が来る。
【どの本?】
タイトル名を送ると、織は「ああ、あれね」と言って、作者しか知らない裏設定を楽しそうに話してくれた。
織と会うようになってから、裕介は平日の自慰行為をやめていた。
金曜日の夜まで、できるだけ欲求を溜めておきたかったのだ。
年齢のせいもあるのだろう。
毎日のように一人で処理していると、いざというときにうまく反応しない。
医学的には射精障害と呼ばれる状態になることがある。
実際、妻の彩と数カ月ぶりに関係を持とうとしたとき、途中でうまくいかなくなってしまった。
そのことを、織との会話の流れでふと話すことになった。
【明後日まで、我慢】
【私は、してるけどね】
【そうなの?】
【うん、後で見せてあげようか?】
【何を?】
【私が1人で、してるところ】
【あまり、興奮させないでよ】
【うふふ、裕介、可愛い】
織が、一人の時に、自分で欲求を満たしていたとしても、なんら不思議では無い。
【あまり、おじさんをからかうもんじゃないよ(笑)】
【出た、(笑)。それ、よく使うよね、裕介】
【いや、文章だけ見てさ、怒ってるか誤解されないように】
【ふうん】
【変?】
【誰か誤解するの?】
【ああ、彩とか、特に】
【そうなんだ】
織と会ってる時とあまり変わらないトーンの会話。
織は、べらべらと喋らない。
人に喋らせるのが、上手いのかもしれない。
声も落ち着いた声で、裕介の好みだった。
締め切りに追われている時や、集中して書きたい時は、例え裕介が会える日だとしても、会わない時もある。織も仕事だからだ。
2週間近く会わなかった時は、さすがに裕介はちょっと苦しくなった。
そうやって間が空き、久しぶりの金曜日の夜に会った時などは、寝食を忘れて、抱き合った事もある。
その時などは、裕介は、今の生活全てを壊す覚悟で、織の内側へ、欲求を沈めた事もある。
【また、連絡するね】
裕介は、織からの返信で、ラインを閉じた。




